3月23日に釜石からスタートした災害ボランティアは、そろそろかなと思っています。
明日一休みして、7日の土曜日が最後でしょうか。
※ 明日、昨日と今日のブログを整理します。(昨晩は、夕方寝たら朝までぐっすり)
今日は、瓦礫の撤去。
御殿のような大きな家の中に、大量の瓦礫が入りこんでいた。
※ そこのお家では、息子さんを亡くしていた。
地震の後、東北電力の職員として、仲間の人達と見回りをしていた。
そこに津波が来た。
お父さんは、もし息子さんが戻ってくるなら、この家を含めて、自分の全ての財産はいらないと言った。
家の前から海側を撮影。 この場所は、手前より10㍍ほど高いが、津波は駆け上がって来た。
家の中には、土や、瓦や、壁の一部など、何でもあった。
どこから入ったんだろうと言う、大きなボイラーもあった。
津波の時家にいたのは、おばあちゃんだけ。
海側の壁は全て壊れたが、そこから少し内側の、幅1.3㍍程の壁だけ壊れなかった。
壁の陰にあった柱に、おばあちゃんはしがみついていた。 2階に逃げる時間はなかった。
そこは流れが弱かったので、助かった。
南側の風景。 自衛隊が、水田の瓦礫を、適当な間隔でまとめていた。
ボランティア9名での作業。 ほぼ終わったが、床下の泥出しの作業がまだある。
水田には、もちろん稲は植わっていない。
20㌔の外側のこの一帯は、緊急時避難準備区域。
米の作付が制限されている。 制限と云う表現だが、作付している所は無い。
保育所や、全ての学校は休校。 子供たちは、他の町の学校に。
市街地から、6㌔程山の中に、高倉文殊堂というのがあったので、行ってみた。
下は、文殊堂の入り口前の風景。 水田にもビニルハウスのも、何の動きもない。
※ +をクリックすると、広がります。
ここから入って、右に少し上ったら、文殊堂はあった。
文殊菩薩が本尊なので、文殊堂。 小さいけど、いい雰囲気で建っている。
本尊の文殊菩薩像は、普段は見られない。
見られるのは、1年に2日間だけで、1月の第2土曜日・日曜日。
像は小さい。 高さ、30㌢㍍。
南相馬市のHPには、下の説明があった。
高倉文殊菩薩像は、高倉文殊堂のご本尊で、唐獅子の上に乗っています。
像の背後に空海作の銘があります。
元文(1736~40)の頃、同慶寺26世月江禅心和尚、銭20貫文を寄進し、文殊大士百合草座舟後光を作成したと伝えられています。
この高倉文殊菩薩像は、幾世橋(浪江町)・上浦(小高区)の文殊とともに相馬三文殊と称し殊勝の霊仏とされています。
この文殊菩薩は、古来より頗(すこぶ)る霊異があった。
ある時野火が発生し堂に及んだとき山守門左衛門なる者が、堂中の格子を破り、ご本尊を出そうとしたが尊像が見えず、日もすでに暮れて空しく帰った。
文殊寺別当の是弁覚非和尚が、翌日近辺を探したところ、本尊は文殊堂の南方の枯れた大木の根元にあり、人々その霊妙を感じたと言われています。
国宝の文殊菩薩が、奈良の興福寺の東金堂にある。 昨年5月に息子と行った。
文殊菩薩は、獅子の上に乗っかっている。
※ 興福寺の説明
文殊と言えば、「3人寄れば、文殊の知恵」の文殊ですね。
文殊は、文殊菩薩のことなので、意味がやっと分かった。
ここはお堂だけど、下の石碑があった。
熊野三社、とある。 ここは、神社でもあったのか。
熊野三社は、昨年5月、熊野古道を歩いた時に行った。
熊野本宮大社 熊野速玉 大社
熊野那智大社
文殊堂の近くに、隧道があった。 水を通すトンネル。
でも、水は無く、乾いていた。 さびしい風景。
今年もこの花が咲いていた。
29日に撮影した動画です。 原町区の金沢という所。
この動画の後半の部分の、右側に、今日行った家があります。 ※ 写ってはいない。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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今日は、瓦礫の撤去。
御殿のような大きな家の中に、大量の瓦礫が入りこんでいた。
※ そこのお家では、息子さんを亡くしていた。
地震の後、東北電力の職員として、仲間の人達と見回りをしていた。
そこに津波が来た。
お父さんは、もし息子さんが戻ってくるなら、この家を含めて、自分の全ての財産はいらないと言った。
家の前から海側を撮影。 この場所は、手前より10㍍ほど高いが、津波は駆け上がって来た。

家の中には、土や、瓦や、壁の一部など、何でもあった。
どこから入ったんだろうと言う、大きなボイラーもあった。
津波の時家にいたのは、おばあちゃんだけ。
海側の壁は全て壊れたが、そこから少し内側の、幅1.3㍍程の壁だけ壊れなかった。
壁の陰にあった柱に、おばあちゃんはしがみついていた。 2階に逃げる時間はなかった。
そこは流れが弱かったので、助かった。
南側の風景。 自衛隊が、水田の瓦礫を、適当な間隔でまとめていた。

ボランティア9名での作業。 ほぼ終わったが、床下の泥出しの作業がまだある。
水田には、もちろん稲は植わっていない。
20㌔の外側のこの一帯は、緊急時避難準備区域。
米の作付が制限されている。 制限と云う表現だが、作付している所は無い。
保育所や、全ての学校は休校。 子供たちは、他の町の学校に。
市街地から、6㌔程山の中に、高倉文殊堂というのがあったので、行ってみた。
下は、文殊堂の入り口前の風景。 水田にもビニルハウスのも、何の動きもない。

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ここから入って、右に少し上ったら、文殊堂はあった。

文殊菩薩が本尊なので、文殊堂。 小さいけど、いい雰囲気で建っている。

本尊の文殊菩薩像は、普段は見られない。
見られるのは、1年に2日間だけで、1月の第2土曜日・日曜日。

像は小さい。 高さ、30㌢㍍。

南相馬市のHPには、下の説明があった。
高倉文殊菩薩像は、高倉文殊堂のご本尊で、唐獅子の上に乗っています。
像の背後に空海作の銘があります。
元文(1736~40)の頃、同慶寺26世月江禅心和尚、銭20貫文を寄進し、文殊大士百合草座舟後光を作成したと伝えられています。
この高倉文殊菩薩像は、幾世橋(浪江町)・上浦(小高区)の文殊とともに相馬三文殊と称し殊勝の霊仏とされています。
この文殊菩薩は、古来より頗(すこぶ)る霊異があった。
ある時野火が発生し堂に及んだとき山守門左衛門なる者が、堂中の格子を破り、ご本尊を出そうとしたが尊像が見えず、日もすでに暮れて空しく帰った。
文殊寺別当の是弁覚非和尚が、翌日近辺を探したところ、本尊は文殊堂の南方の枯れた大木の根元にあり、人々その霊妙を感じたと言われています。
国宝の文殊菩薩が、奈良の興福寺の東金堂にある。 昨年5月に息子と行った。

文殊菩薩は、獅子の上に乗っかっている。

※ 興福寺の説明

文殊と言えば、「3人寄れば、文殊の知恵」の文殊ですね。
文殊は、文殊菩薩のことなので、意味がやっと分かった。
ここはお堂だけど、下の石碑があった。

熊野三社、とある。 ここは、神社でもあったのか。

熊野三社は、昨年5月、熊野古道を歩いた時に行った。
熊野本宮大社 熊野速玉 大社


熊野那智大社

文殊堂の近くに、隧道があった。 水を通すトンネル。
でも、水は無く、乾いていた。 さびしい風景。

今年もこの花が咲いていた。

29日に撮影した動画です。 原町区の金沢という所。
この動画の後半の部分の、右側に、今日行った家があります。 ※ 写ってはいない。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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