家康に勝てないと分かった時、信繁の願いはどう変わったでしょう。
それは、世話になった秀吉の夢を、ゼロにしないことか。
つまり、秀頼の命を守ること。
そんな気がする。
可能なのか。
信繁も家康も、影武者をいっぱい使っていた。
負けたときどうするかは、冬の陣のあとに、きっと考えた。
では、どこに落ち延びるか。
可能性が一番高いのは、薩摩の島津。
元々、徳川には従順でない。 江戸から遠い。
宇喜多秀家も、関ヶ原の後かくまっている。
桜島の近くに。
宇喜多秀家の潜居跡。 島津にかくまわれて、最後は八丈島に。 死罪を免れたのは?~垂水市~ 他 (2016/1/6)
お梅や大八は、伊達政宗に頼んだ。(家臣の片倉重綱に)
同じように、秀頼のことを考えてもおかしくない。
信繁は、秀頼に付き添う。
※ 余談 信州上田の観光大使に真田徹と云う人がいる。
この人は、上に書いた大八の子孫。 13代目。 信繁から数えて14代目。 直系。
信繁と秀頼が生き延びた可能性が、5㌫あれば十分。
今日は、薩摩の伝説を追ってみた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
信繁の墓と云われる所は、南九州市 頴娃(えい)町 牧之内 雪丸。

場所が正確に分からない。 途中3人に聞いてやっとたどり着けた。
下の地図は、後で分かった。
2つの県道があって、印の場所。

どの道も、車は通れる。 〇から入るのがいいか。
墓の近くは、雪丸地区。 雪は降らない。 幸村が、なまったと云われる。

グーグルの地図に、道は表示された。
案内の〇の場所で、初めて幸村の墓の案内が。 それまでは、雪丸地区の案内が続いた。
お店の電話番号をカーナビに入れたら、行けると後で分かった。
青〇に駐車場。 赤〇が墓。 自分は、案内の近くから歩いた。

案内の地点の、少し南から撮影。 赤〇に案内が。

この様に。 駐車場まで、800㍍。

分岐点には、必ず案内があった。

知覧(ちらん)茶の畑。 土地の人に、知覧茶ですかと聞いたら、そうですよと。(ちらんちゃ、とは言わなかった。?。)
あと少し。

風車が見える。 右にもいくつか。 最初に聞いた人は、風車の下の方と言った。 遠くから見て。

振り返って開聞(かいもん)岳。 三角の山。 3度ほど登っている。 百名山。

右に駐車場。 正面に案内小屋(杖の小屋)。

信繁を演じた堺雅人が、5月2日に来ていた。
100㌫伝説と分かっていたら、きっと来ない。

山の下のお店で、関係するお土産が売っている。

ここから400㍍ちょっとあるので、杖。
新聞記事。 読みにくいけど。 ここを整備したことが書いてある。

幸村の子を身ごもった女性は、大川に嫁いだとある。 その家は後に、真江田を名乗ったと。
大川は、頴娃町の海岸近く。 大川駅がある。
※ このことについては、後ほどまた。

この道を行く。 少し先に案内。

右写真。 少し行って、左前方に登る。

着きました。 小さな墓。 文字は無い。

まるい小石がいっぱい。 昔、大川の浜からお賽銭代わりに持ってきた。
説明があるけど、写真に撮ると読むのは大変。 一応資料として。
薩摩伝説は、いろんな資料にあると書いてある。

信繁は焼酎が好きだった。
※ 九度山から上田に、焼酎を送ってほしいと、手紙を送っていた。
誰かが、六文銭。

上に書いた山川の話だけど、生れた子の子孫が今もいる。
その子孫の方が書いた記事がある。
※ 詳しくは、江戸時代の真田幸村の子孫。に。 この記事のあるサイトは、真田家全体について詳しい。
別方向から。 墓の近くに、住んだ屋敷があったよう。
※ 秀頼は、鹿児島市谷山に。 そこに墓がある。

ここに住んだとすれば、何を願っていたのでしょう。
秀頼と会うことはあったのか。
その辺は、調べても分からない。
徳川の世が不安定になるのを待ったのか。
この道を戻る。

小屋に着いた。 信繁も見たであろう開聞岳。

別の人達がやって来た。

天気がいいので、歩くのは楽しい。 今年は明日でお終い。

可能性を感じさせてくれる墓だったでしょうか。
いつの日か、歴史的な大きな発見があるといいです。
夏の陣で100㌫死んでしまった、でなければ、それで十分。
夢が少しでも残っていれば。
※ なお、「真田家の館」というサイトに、詳しい内容が。
※ 今日見学の墓について、Wikipedia では下のように。
信繁の記事を書くのは、一段落かなと思います。
【信繁の夢】 信繁の徳川を倒す夢は、叶わなかった。
しかし、夢を叶えたのは、兄の信幸(之)。
彼は沼田から、信州の松代藩の初代藩主に。
その松代藩は、幕末に佐久間象山を生み出す。
彼が徳川幕府崩壊のきっかけを作る。
そして、教え子の多くが長州藩士。 幕府を倒す。
信繁の、また真田の夢は、細くつながっていた。
遠い先のことだけど、叶う。
このことは、真田丸の最終回の最後に紹介される。
【今日の一句】 「 信繁の 戦乱に咲いた 花のあとさきを追う 」
「 あっち歩いて こっち歩いて 今年も暮れてゆく 」
【記事の紹介】 午後から総集編を見ました。 ワンセグの入る喜入で。 面白かった。
2日にまた見る。 BSのちゃんとした映像で。
大阪城、見事な石垣にかつての栄華が。 大阪城の出丸 真田丸は、どこにあったのか。~大阪市~ 他 (2016/10/6)
九度山は、真田昌幸と信繁が上田を夢見て暮らした土地。 住居跡に今は・・。~九度山町~ 他 (2016/10/4)
信繁の念持仏が伝わる高松神明神社。 神明地蔵尊は久度山の真田庵からここに。~京都市~ 他 (2016/10/1)
真田丸の紀行で紹介された新日吉神宮。 方広寺の鐘。 豊国神社。~京都市~ 他 (2016/9/30)
長谷寺にある真田幸隆夫妻と昌幸の墓にお参り。 真田氏本城跡の近くに。~上田城~ 他 (2016/9/22)
真田氏本城は、上田城が築かれるまで真田の拠点だった。 真田氏歴史館。~上田市~ 他 (2016/9/21)
真田氏上州の拠点、岩櫃城。 武田勝頼が岩櫃城に行っていれば、どうなったでしょう。~ 東吾妻町~ 他 (2016/9/18)
沼田城址公園。 真田信幸は初代沼田城主に。 信幸を支えた小松姫。~沼田市~ 他 (2016/9/17)
歴史の流れを変えた、名胡桃城。 真田昌幸が築く。 小田原攻めのきっかけをつくる。~みなかみ町~ 他 (2016/9/16)
信州上田は、真田3代の里。 上田城跡。 柳町の家並み。 信玄の重臣、板垣信方の墓。~上田市~ 他 (2015/6/24)
角間渓谷。 猿飛佐助伝説。 角間温泉は、真田一族の隠し湯。~上田市真田町~ 他 (2013/10/14)
信州上田は、真田幸隆・昌幸・幸村、3代の郷。 上田城跡。 他。~上田市~ 他 (2013/5/28)
白石城は、木造での復元。 片倉小十郎の妻は、真田幸村の娘、阿梅(おうめ)姫。~白石市~ 他 (2014/10/12)
浄土宗総本山、知恩院 ~日本最大の三門・千姫の墓 他~ いそしぎ(西島三重子) 他 (2012/5/9)
【その他】 信繁にずっと寄添っていたきりちゃんが良かった。
【今日の歌】 真田丸 メインテーマ
【道の駅】 喜入
【明日の予定】 近くを少しだけ。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
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それは、世話になった秀吉の夢を、ゼロにしないことか。
つまり、秀頼の命を守ること。
そんな気がする。
可能なのか。
信繁も家康も、影武者をいっぱい使っていた。
負けたときどうするかは、冬の陣のあとに、きっと考えた。
では、どこに落ち延びるか。
可能性が一番高いのは、薩摩の島津。
元々、徳川には従順でない。 江戸から遠い。
宇喜多秀家も、関ヶ原の後かくまっている。
桜島の近くに。
宇喜多秀家の潜居跡。 島津にかくまわれて、最後は八丈島に。 死罪を免れたのは?~垂水市~ 他 (2016/1/6)
お梅や大八は、伊達政宗に頼んだ。(家臣の片倉重綱に)
同じように、秀頼のことを考えてもおかしくない。
信繁は、秀頼に付き添う。
※ 余談 信州上田の観光大使に真田徹と云う人がいる。
この人は、上に書いた大八の子孫。 13代目。 信繁から数えて14代目。 直系。
信繁と秀頼が生き延びた可能性が、5㌫あれば十分。
今日は、薩摩の伝説を追ってみた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
信繁の墓と云われる所は、南九州市 頴娃(えい)町 牧之内 雪丸。


場所が正確に分からない。 途中3人に聞いてやっとたどり着けた。
下の地図は、後で分かった。
2つの県道があって、印の場所。

どの道も、車は通れる。 〇から入るのがいいか。
墓の近くは、雪丸地区。 雪は降らない。 幸村が、なまったと云われる。

グーグルの地図に、道は表示された。
案内の〇の場所で、初めて幸村の墓の案内が。 それまでは、雪丸地区の案内が続いた。
お店の電話番号をカーナビに入れたら、行けると後で分かった。
青〇に駐車場。 赤〇が墓。 自分は、案内の近くから歩いた。

案内の地点の、少し南から撮影。 赤〇に案内が。

この様に。 駐車場まで、800㍍。



分岐点には、必ず案内があった。


知覧(ちらん)茶の畑。 土地の人に、知覧茶ですかと聞いたら、そうですよと。(ちらんちゃ、とは言わなかった。?。)
あと少し。


風車が見える。 右にもいくつか。 最初に聞いた人は、風車の下の方と言った。 遠くから見て。


振り返って開聞(かいもん)岳。 三角の山。 3度ほど登っている。 百名山。

右に駐車場。 正面に案内小屋(杖の小屋)。

信繁を演じた堺雅人が、5月2日に来ていた。
100㌫伝説と分かっていたら、きっと来ない。


山の下のお店で、関係するお土産が売っている。


ここから400㍍ちょっとあるので、杖。
新聞記事。 読みにくいけど。 ここを整備したことが書いてある。


幸村の子を身ごもった女性は、大川に嫁いだとある。 その家は後に、真江田を名乗ったと。
大川は、頴娃町の海岸近く。 大川駅がある。
※ このことについては、後ほどまた。



この道を行く。 少し先に案内。


右写真。 少し行って、左前方に登る。


着きました。 小さな墓。 文字は無い。


まるい小石がいっぱい。 昔、大川の浜からお賽銭代わりに持ってきた。
説明があるけど、写真に撮ると読むのは大変。 一応資料として。
薩摩伝説は、いろんな資料にあると書いてある。


信繁は焼酎が好きだった。
※ 九度山から上田に、焼酎を送ってほしいと、手紙を送っていた。
誰かが、六文銭。


上に書いた山川の話だけど、生れた子の子孫が今もいる。
その子孫の方が書いた記事がある。
※ 詳しくは、江戸時代の真田幸村の子孫。に。 この記事のあるサイトは、真田家全体について詳しい。

別方向から。 墓の近くに、住んだ屋敷があったよう。
※ 秀頼は、鹿児島市谷山に。 そこに墓がある。


ここに住んだとすれば、何を願っていたのでしょう。
秀頼と会うことはあったのか。
その辺は、調べても分からない。
徳川の世が不安定になるのを待ったのか。
この道を戻る。

小屋に着いた。 信繁も見たであろう開聞岳。


別の人達がやって来た。

天気がいいので、歩くのは楽しい。 今年は明日でお終い。

可能性を感じさせてくれる墓だったでしょうか。
いつの日か、歴史的な大きな発見があるといいです。
夏の陣で100㌫死んでしまった、でなければ、それで十分。
夢が少しでも残っていれば。
※ なお、「真田家の館」というサイトに、詳しい内容が。
※ 今日見学の墓について、Wikipedia では下のように。

信繁の記事を書くのは、一段落かなと思います。
【信繁の夢】 信繁の徳川を倒す夢は、叶わなかった。
しかし、夢を叶えたのは、兄の信幸(之)。
彼は沼田から、信州の松代藩の初代藩主に。
その松代藩は、幕末に佐久間象山を生み出す。
彼が徳川幕府崩壊のきっかけを作る。
そして、教え子の多くが長州藩士。 幕府を倒す。
信繁の、また真田の夢は、細くつながっていた。
遠い先のことだけど、叶う。
このことは、真田丸の最終回の最後に紹介される。
【今日の一句】 「 信繁の 戦乱に咲いた 花のあとさきを追う 」
「 あっち歩いて こっち歩いて 今年も暮れてゆく 」
【記事の紹介】 午後から総集編を見ました。 ワンセグの入る喜入で。 面白かった。
2日にまた見る。 BSのちゃんとした映像で。
大阪城、見事な石垣にかつての栄華が。 大阪城の出丸 真田丸は、どこにあったのか。~大阪市~ 他 (2016/10/6)
九度山は、真田昌幸と信繁が上田を夢見て暮らした土地。 住居跡に今は・・。~九度山町~ 他 (2016/10/4)
信繁の念持仏が伝わる高松神明神社。 神明地蔵尊は久度山の真田庵からここに。~京都市~ 他 (2016/10/1)
真田丸の紀行で紹介された新日吉神宮。 方広寺の鐘。 豊国神社。~京都市~ 他 (2016/9/30)
長谷寺にある真田幸隆夫妻と昌幸の墓にお参り。 真田氏本城跡の近くに。~上田城~ 他 (2016/9/22)
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真田氏上州の拠点、岩櫃城。 武田勝頼が岩櫃城に行っていれば、どうなったでしょう。~ 東吾妻町~ 他 (2016/9/18)
沼田城址公園。 真田信幸は初代沼田城主に。 信幸を支えた小松姫。~沼田市~ 他 (2016/9/17)
歴史の流れを変えた、名胡桃城。 真田昌幸が築く。 小田原攻めのきっかけをつくる。~みなかみ町~ 他 (2016/9/16)
信州上田は、真田3代の里。 上田城跡。 柳町の家並み。 信玄の重臣、板垣信方の墓。~上田市~ 他 (2015/6/24)
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浄土宗総本山、知恩院 ~日本最大の三門・千姫の墓 他~ いそしぎ(西島三重子) 他 (2012/5/9)
【その他】 信繁にずっと寄添っていたきりちゃんが良かった。
【今日の歌】 真田丸 メインテーマ
【道の駅】 喜入
【明日の予定】 近くを少しだけ。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)

※ プロフィール・・・。 ⇒


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