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キャンピングカーで放浪の旅 Ⅱ

全国を、写真と動画で探訪

家康に勝てないと分かった時、信繁の願いはどう変わったでしょう。
それは、世話になった秀吉の夢を、ゼロにしないことか。

つまり、秀頼の命を守ること。
そんな気がする。

可能なのか。
信繁も家康も、影武者をいっぱい使っていた。
負けたときどうするかは、冬の陣のあとに、きっと考えた。

では、どこに落ち延びるか。
可能性が一番高いのは、薩摩の島津。
元々、徳川には従順でない。 江戸から遠い。

宇喜多秀家も、関ヶ原の後かくまっている。
桜島の近くに。
   宇喜多秀家の潜居跡。  島津にかくまわれて、最後は八丈島に。  死罪を免れたのは?~垂水市~ 他 (2016/1/6)

お梅や大八は、伊達政宗に頼んだ。(家臣の片倉重綱に)
同じように、秀頼のことを考えてもおかしくない。
信繁は、秀頼に付き添う。

      ※ 余談  信州上田の観光大使に真田徹と云う人がいる。
          この人は、上に書いた大八の子孫。 13代目。 信繁から数えて14代目。 直系。

信繁と秀頼が生き延びた可能性が、5㌫あれば十分。
今日は、薩摩の伝説を追ってみた。
     ※     ※     ※     ※  ブログタイトル一覧は、右をクリック。 burogutaitoru656.jpg
          ( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。  再度クリックしたら、元に )

信繁の墓と云われる所は、南九州市 頴娃(えい)町 牧之内 雪丸。

s-16年12月30日 (1)    s-16年12月30日 (2)

場所が正確に分からない。 途中3人に聞いてやっとたどり着けた。
下の地図は、後で分かった。

2つの県道があって、印の場所。

s-16年12月30日 (3)

どの道も、車は通れる。 〇から入るのがいいか。
墓の近くは、雪丸地区。 雪は降らない。 幸村が、なまったと云われる。

s-16年12月30日 (4)

グーグルの地図に、道は表示された。
案内の〇の場所で、初めて幸村の墓の案内が。 それまでは、雪丸地区の案内が続いた。

お店の電話番号をカーナビに入れたら、行けると後で分かった。
青〇に駐車場。 赤〇が墓。  自分は、案内の近くから歩いた。

s-16年12月30日 (5)

案内の地点の、少し南から撮影。 赤〇に案内が。

s-16年12月30日 (6)

この様に。  駐車場まで、800㍍。

s-16年12月30日 (7)    s-16年12月30日 (9)    s-16年12月30日 (8)

分岐点には、必ず案内があった。

s-16年12月30日 (10)    s-16年12月30日 (11)

知覧(ちらん)茶の畑。  土地の人に、知覧茶ですかと聞いたら、そうですよと。(ちらんちゃ、とは言わなかった。?。)
あと少し。

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風車が見える。 右にもいくつか。 最初に聞いた人は、風車の下の方と言った。 遠くから見て。

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振り返って開聞(かいもん)岳。 三角の山。 3度ほど登っている。  百名山。

s-16年12月30日 (16)

右に駐車場。  正面に案内小屋(杖の小屋)。

s-16年12月30日 (17)

信繁を演じた堺雅人が、5月2日に来ていた。
100㌫伝説と分かっていたら、きっと来ない。

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山の下のお店で、関係するお土産が売っている。

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ここから400㍍ちょっとあるので、杖。   
新聞記事。  読みにくいけど。  ここを整備したことが書いてある。 

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幸村の子を身ごもった女性は、大川に嫁いだとある。 その家は後に、真江田を名乗ったと。
大川は、頴娃町の海岸近く。 大川駅がある。

  ※ このことについては、後ほどまた。

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この道を行く。 少し先に案内。

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右写真。  少し行って、左前方に登る。

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着きました。  小さな墓。 文字は無い。

s-16年12月30日 (30)    s-16年12月30日 (29)

まるい小石がいっぱい。 昔、大川の浜からお賽銭代わりに持ってきた。

説明があるけど、写真に撮ると読むのは大変。 一応資料として。
薩摩伝説は、いろんな資料にあると書いてある。

s-16年12月30日 (31)    s-16年12月30日 (34)

信繁は焼酎が好きだった。
  ※ 九度山から上田に、焼酎を送ってほしいと、手紙を送っていた。

誰かが、六文銭。

s-16年12月30日 (33)    s-16年12月30日 (32)

上に書いた山川の話だけど、生れた子の子孫が今もいる。
その子孫の方が書いた記事がある。

    ※ 詳しくは、江戸時代の真田幸村の子孫に。 この記事のあるサイトは、真田家全体について詳しい。

ppplpppkkk.jpg 

別方向から。   墓の近くに、住んだ屋敷があったよう。

  ※ 秀頼は、鹿児島市谷山に。  そこに墓がある。

s-16年12月30日 (37)    s-16年12月30日 (36)

ここに住んだとすれば、何を願っていたのでしょう。
秀頼と会うことはあったのか。
その辺は、調べても分からない。

徳川の世が不安定になるのを待ったのか。



この道を戻る。

s-16年12月30日 (38)

小屋に着いた。  信繁も見たであろう開聞岳。

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別の人達がやって来た。

s-16年12月30日 (44)

天気がいいので、歩くのは楽しい。  今年は明日でお終い。

s-16年12月30日 (43)

可能性を感じさせてくれる墓だったでしょうか。
いつの日か、歴史的な大きな発見があるといいです。

夏の陣で100㌫死んでしまった、でなければ、それで十分。
夢が少しでも残っていれば。

※ なお、「真田家の館」というサイトに、詳しい内容が。

※ 今日見学の墓について、Wikipedia では下のように。

  vvvvcvv_20161229092022752_20161231083437d4c.jpg

信繁の記事を書くのは、一段落かなと思います。

【信繁の夢】  信繁の徳川を倒す夢は、叶わなかった。
          しかし、夢を叶えたのは、兄の信幸(之)。

          彼は沼田から、信州の松代藩の初代藩主に。
          その松代藩は、幕末に佐久間象山を生み出す。

          彼が徳川幕府崩壊のきっかけを作る。
          そして、教え子の多くが長州藩士。 幕府を倒す。

          信繁の、また真田の夢は、細くつながっていた。
          遠い先のことだけど、叶う。

          このことは、真田丸の最終回の最後に紹介される。

【今日の一句】  「 信繁の 戦乱に咲いた 花のあとさきを追う 」 

           「 あっち歩いて こっち歩いて 今年も暮れてゆく 」

【記事の紹介】    午後から総集編を見ました。  ワンセグの入る喜入で。  面白かった。
             2日にまた見る。  BSのちゃんとした映像で。
       
   大阪城、見事な石垣にかつての栄華が。 大阪城の出丸 真田丸は、どこにあったのか。~大阪市~ 他 (2016/10/6)
   九度山は、真田昌幸と信繁が上田を夢見て暮らした土地。 住居跡に今は・・。~九度山町~ 他 (2016/10/4)

   信繁の念持仏が伝わる高松神明神社。 神明地蔵尊は久度山の真田庵からここに。~京都市~ 他 (2016/10/1)
   真田丸の紀行で紹介された新日吉神宮。 方広寺の鐘。 豊国神社。~京都市~ 他 (2016/9/30)

   長谷寺にある真田幸隆夫妻と昌幸の墓にお参り。 真田氏本城跡の近くに。~上田城~ 他 (2016/9/22)
   真田氏本城は、上田城が築かれるまで真田の拠点だった。 真田氏歴史館。~上田市~ 他 (2016/9/21)

   真田氏上州の拠点、岩櫃城。 武田勝頼が岩櫃城に行っていれば、どうなったでしょう。~ 東吾妻町~ 他 (2016/9/18)

   沼田城址公園。 真田信幸は初代沼田城主に。 信幸を支えた小松姫。~沼田市~ 他 (2016/9/17)
   歴史の流れを変えた、名胡桃城。 真田昌幸が築く。 小田原攻めのきっかけをつくる。~みなかみ町~ 他 (2016/9/16)

   信州上田は、真田3代の里。  上田城跡。  柳町の家並み。  信玄の重臣、板垣信方の墓。~上田市~ 他 (2015/6/24)
   角間渓谷。  猿飛佐助伝説。 角間温泉は、真田一族の隠し湯。~上田市真田町~ 他 (2013/10/14)

   信州上田は、真田幸隆・昌幸・幸村、3代の郷。 上田城跡。 他。~上田市~  他  (2013/5/28)

   白石城は、木造での復元。  片倉小十郎の妻は、真田幸村の娘、阿梅(おうめ)姫。~白石市~ 他 (2014/10/12)   
   浄土宗総本山、知恩院 ~日本最大の三門・千姫の墓 他~  いそしぎ(西島三重子)  他  (2012/5/9)

【その他】  信繁にずっと寄添っていたきりちゃんが良かった。


 
【今日の歌】   真田丸 メインテーマ



【道の駅】    喜入

【明日の予定】    近くを少しだけ。

  ※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。   
                                                         (2008年4月~2010年9月までの
.記事)

         meisigazoupppm.jpg

 ※ プロフィール・・・。 ⇒  ppkkpkk44xxx.jpg  2015021215202259f_20150219173812c9f.jpg     今までの記事には、この2枚だけ。

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  • 真田信繁の墓が、頴娃(えい)町雪丸の山中に。 島津を頼って薩摩に来たのか。 可能性は。~南九州市~ 他 (2016/12/30)
  • 2016年12月30日 (金)
  • 21時40分13秒
by AlphaWolfy

akkamui212

Author:akkamui212
2009年4月に放浪の旅をスタートし、十数回目の日本1周に入っています。
「キャンピングカーで放浪の旅」に続き、パートⅡです。
明日は、どこの空の下にいるのかな。


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