午前中、2日間のブログを整理。
午後から、公園を散歩。
立夏の今日は、初夏のように暖かかった。
相馬市に出て、買い物も。 ※ 南相馬市は、店がちゃんと開いてない。
のんびりした一日になった。
道の駅南相馬のようす。 自衛隊の車が、よく集まる。 ここでは停泊しないが。
公園に万葉集の歌碑と、歌にちなんだ植物があると言う。
南相馬市の、鹿島区にある。
この旅では、万葉集には何回か出会っただけ。 私は苦手。 高校で習った時、ちんぷんかんぷん。
最初は、ここ。 静岡市の田子の浦。
山部赤人が、下の歌を。
田子の浦ゆ うち出でてみれば真白にそ 富士の高嶺に雪は降りける
田子の浦は、今は工場で埋まっていた。
近くの日本平からの富士山。 (2009年11月に行った)
福岡県の香春(かわら)町にも、歌碑がいっぱいあった。
みちのく真野万葉植物園はここ。
桜平山(さくらだやま)公園の中に、植物園がある。
どうして、ここと万葉集が関係あるのか。
万葉集に、この歌があった。
陸奥(みちのく)の 真野(まの)の草原(かやはら) 遠けども 面影(おもかげ)にして 見ゆといふものを
歌の中に、真野がある。
この辺り一帯は、真野と呼ばれ、真野村だった時代もある。 真野川も流れている。
歌の解釈は、
陸奥の真野の草原は、遠くにあっても面影となって目の前に見える、ということですのに
(近くにいらっしゃる貴方にはお会いできない)。
別の解釈もある
あなたはそのように遠いけれども、面影として私にはありありと見えるのです
笠女郎(かさのいらつめ)と云う人が、大伴家持に送った歌。
詳しくは、下に。
※ 大伴家持は、役人として多賀城に来ていた時代がある。 多賀城は、仙台市の海側。
だから、この歌が生まれたのかなと思う。(これについて触れてる資料は見つからない)
上の歌があったために、ここに万葉植物園が作られた。
歌に関する植物があって、側に歌碑があった。
まだ、花は咲いていない。
右の木が、真弓(まゆみ)の木かな。
天の原 振り放け見れば 白真弓 張りて懸けたり 夜道はよけむ
間人宿祢大浦(はしひとのすくねおおうら)
解釈の例
家を出てふと空を見上げれば、月が丁度弓を引き絞ったような塩梅でしたから、夜道を歩くに差し支えありませんね。
解釈はいいですね。
君が行き、日(け)長くなりぬ、山たづの、迎へを行かむ、待つには待たじ
通王(そとほしのおほきみ)
解釈 あなたがいらっしゃってから、ずいぶんと日が過ぎてしまいました。
山たづのように、あなたを迎えに行きましょう、待ってなんかいられないわ。
今のように、車でぱっぱと行けないから、歌を歌うしかないのか。
次のは、いいですよ。
夏の野の 繁みに咲ける 姫百合の 知らえぬ恋は 苦しきものそ
大伴坂上郎女(おおとものさかのへのいらつめ)
解釈 夏の野の草の繁みに咲いている姫百合の花は、人に知られない。
そのように相手に知られない、心に秘めた恋は苦しいものです。
※ 姫百合のヒメは「秘める」と同音なので、下句につながるそう
ヒメユリ
※ 上の歌の作者の娘は、大伴家持の妻になっている。
誰にも知られずに咲いているからこそ、いっそう美しい、そうも思うかな。
「がんばるは なんて言うなよ 草の花」の句を思い出す。
公園の広場は、瓦礫置き場になっていた。
恋の歌が多いですね。 そうでない歌もあるが、少したいくつ。
札幌のTさんに、下の歌の編曲をお願いした。
その曲を流しながら、写真を紹介する。 動画のようにして、YouTubeで見る。
写真の選択も、まかせている。
曲名は、Diem xua(ディエム・スー) 意味は、雨に消えたあなた。
この曲をブログに載せたのは、3月9日だった。 別府の近くの高崎山の時。
3月11日の震災の2日前だった。
あの時はまだ、東北の人達みんなが、幸せに暮らしていた。
この曲で、悲しみを中心とした、言葉では表せないないものを、表現できたらいい。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行は8位、 旅行全体で24位です。 放浪の旅は22位です。
記事は役立ったでしょうか。
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午後から、公園を散歩。
立夏の今日は、初夏のように暖かかった。
相馬市に出て、買い物も。 ※ 南相馬市は、店がちゃんと開いてない。
のんびりした一日になった。
道の駅南相馬のようす。 自衛隊の車が、よく集まる。 ここでは停泊しないが。

公園に万葉集の歌碑と、歌にちなんだ植物があると言う。
南相馬市の、鹿島区にある。
この旅では、万葉集には何回か出会っただけ。 私は苦手。 高校で習った時、ちんぷんかんぷん。
最初は、ここ。 静岡市の田子の浦。
山部赤人が、下の歌を。
田子の浦ゆ うち出でてみれば真白にそ 富士の高嶺に雪は降りける
田子の浦は、今は工場で埋まっていた。

近くの日本平からの富士山。 (2009年11月に行った)

福岡県の香春(かわら)町にも、歌碑がいっぱいあった。
みちのく真野万葉植物園はここ。
桜平山(さくらだやま)公園の中に、植物園がある。
どうして、ここと万葉集が関係あるのか。

万葉集に、この歌があった。
陸奥(みちのく)の 真野(まの)の草原(かやはら) 遠けども 面影(おもかげ)にして 見ゆといふものを
歌の中に、真野がある。
この辺り一帯は、真野と呼ばれ、真野村だった時代もある。 真野川も流れている。
歌の解釈は、
陸奥の真野の草原は、遠くにあっても面影となって目の前に見える、ということですのに
(近くにいらっしゃる貴方にはお会いできない)。
別の解釈もある
あなたはそのように遠いけれども、面影として私にはありありと見えるのです
笠女郎(かさのいらつめ)と云う人が、大伴家持に送った歌。
詳しくは、下に。
※ 大伴家持は、役人として多賀城に来ていた時代がある。 多賀城は、仙台市の海側。
だから、この歌が生まれたのかなと思う。(これについて触れてる資料は見つからない)

上の歌があったために、ここに万葉植物園が作られた。
歌に関する植物があって、側に歌碑があった。

まだ、花は咲いていない。

右の木が、真弓(まゆみ)の木かな。

天の原 振り放け見れば 白真弓 張りて懸けたり 夜道はよけむ
間人宿祢大浦(はしひとのすくねおおうら)
解釈の例
家を出てふと空を見上げれば、月が丁度弓を引き絞ったような塩梅でしたから、夜道を歩くに差し支えありませんね。

解釈はいいですね。

君が行き、日(け)長くなりぬ、山たづの、迎へを行かむ、待つには待たじ
通王(そとほしのおほきみ)
解釈 あなたがいらっしゃってから、ずいぶんと日が過ぎてしまいました。
山たづのように、あなたを迎えに行きましょう、待ってなんかいられないわ。
今のように、車でぱっぱと行けないから、歌を歌うしかないのか。

次のは、いいですよ。
夏の野の 繁みに咲ける 姫百合の 知らえぬ恋は 苦しきものそ
大伴坂上郎女(おおとものさかのへのいらつめ)
解釈 夏の野の草の繁みに咲いている姫百合の花は、人に知られない。
そのように相手に知られない、心に秘めた恋は苦しいものです。
※ 姫百合のヒメは「秘める」と同音なので、下句につながるそう

ヒメユリ

※ 上の歌の作者の娘は、大伴家持の妻になっている。
誰にも知られずに咲いているからこそ、いっそう美しい、そうも思うかな。
「がんばるは なんて言うなよ 草の花」の句を思い出す。
公園の広場は、瓦礫置き場になっていた。

恋の歌が多いですね。 そうでない歌もあるが、少したいくつ。
札幌のTさんに、下の歌の編曲をお願いした。
その曲を流しながら、写真を紹介する。 動画のようにして、YouTubeで見る。
写真の選択も、まかせている。
曲名は、Diem xua(ディエム・スー) 意味は、雨に消えたあなた。
この曲をブログに載せたのは、3月9日だった。 別府の近くの高崎山の時。
3月11日の震災の2日前だった。
あの時はまだ、東北の人達みんなが、幸せに暮らしていた。
この曲で、悲しみを中心とした、言葉では表せないないものを、表現できたらいい。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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コメント
ご苦労さまでした。
Re: ご苦労さまでした。
真っ直ぐ、九州に戻ります。
新潟、京都を通るルートです。
早ければ11日、遅くても12日には久留米の道の駅に着くようにします。
九州では、阿蘇、霧島、祖母山など、少なくても3つの山に登る予定です。
そして、四国に渡って、2つ。
青木繁大回顧展と温泉を楽しみに、そちらに向かいます。
いろいろと、ありがとうございます。
新潟、京都を通るルートです。
早ければ11日、遅くても12日には久留米の道の駅に着くようにします。
九州では、阿蘇、霧島、祖母山など、少なくても3つの山に登る予定です。
そして、四国に渡って、2つ。
青木繁大回顧展と温泉を楽しみに、そちらに向かいます。
いろいろと、ありがとうございます。
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いろんなことがありましたね。訳のわからないコメントを貰ったりして、気分を害したこともありました。これだけ活動されたのだから、それなりに充実感を得られたことでしょう。しかしながら、復興には時間がかかるようです。みなさん、焦らず、体を壊さず、健康に留意されながら復興活動に励んでほしいものです。私にできることはわずかばかりの募金と、被災地の生産物の購入です。
これからの旅は、どんなルートになりますか。
概略でいいので、教えてください。
もし12日くらいまで久留米にこれるなら、
36年ぶりの青木繁大回顧展に間に合いますが、ちょっと無理かな? 前売り券を2枚買っていました。
まあ、九州に来られたら、ゆっくり温泉でも入りましょう。ほんとにごくろうさまでした。