西米良や椎葉は、宮崎県の山深くにある。
今日の須木(すき)も、同じ。
川は、東に流れる。
変わってるのは、そこへの道は、川沿いの東からでない。
小林市の中心街から、峠越え。(今はトンネル)
昔は須木村。
どんな所なのか、行ってみた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
宮崎県は、えびの市まで入り込んで、南北に長い。
右地図の印は、滝の場所。

東への道はあるが、普通は誰も通らない。 悪路。

赤〇の道は旧道。 ここを通ったとしても、宮崎市から須木までは、こっちが近いという。
東への道は、曲がって曲がって、距離が遠い。 大変な山の中。
赤〇の道だって大変だから、須木は陸の孤島の感じ。
山深くの狭い所に集落かなって、イメージ。

小林市の中心街からから曲がって、山に。
西米良75㌔とあるから、行けそうに思う。
しかし、須木を過ぎたら離合困難な林道のような国道に変わる。
西米良の標示は、しなくてもいいように思う。

遠い山脈を越える便利な道は無い。

トンネルを抜けたら、ここが須木。
後で知るが、広い盆地。 山奥なのに、不思議なほど。

橋と滝と温泉を先に。 楽しみは、ここか。 建物はかじかの湯。
赤い橋の塔が見える。

ダム湖がある。 水は、右に行く。
ダム湖の上流が広い。 そんな所に、出会ったことがあるだろうか。 ふしぎ。
その理由は、後で何となく分かる。
右写真の説明に、溶結部とある。 これについては後で。

橋に行く。 上に来た。
トンネルが出来て市の中心部から近いから、温泉は賑わっている。

お店などが。 右は、栗が特産物だから、こう。

斜張橋だ。 右に展望台。

人が通る橋だから、細いワイヤーが少しだけ。 車が通るとこうなる。(長崎女神大橋。以前の記事から)
橋の名前は、大つり橋。
斜張橋は、橋を造る人たちは、吊橋とは呼ばない。
ダム湖(小野湖)の奥に滝。 まま子滝。 いい風景。

右写真の奥に、綾南ダムがある。

橋に来た。 日本一とあるけど、今は日本一にほど遠い。

橋の上から。

真ん中に、踊り場。

まま子滝。
※ ここより西のえびの市方面に、加久藤(かくとう)カルデラがある。
そこが噴火した時に、火砕流がこっちに流れてきた。
あそこまで流れて来て、固まった。 溶結部と説明にあった場所。
それで段差が出来て、滝が出来たよう。
ダムが出来る前は、滝の高さはもっとあった。

下に行ってみる。

須木の滝。 まま子滝とも。
まま母が突き落そうとした。
まま子は、2人の帯を縛っていた。
2人一緒に、滝つぼに。
※ こんな話って他にあったでしょうか。
※ こよなく憎んでとある。 この表現は、ないですね。 (ただ、ずっと昔はあったよう)

紙芝居。 少し長いですが。
※ 上の話は、何がヒントで生まれたのでしょう。
人形浄瑠璃の曽根崎心中は、帯で2人を結んで心中。
飛び込まないけど。 違うかな。
本当は、落とされないために結んだのかも。
上の直ぐ近くから、このように。

戻って、500㍍ほど歩いて、反対側に来た。

目の前にあった。 滝は少しずつ、後退するのか。 ナイヤガラのように。

昔は、夜子供に聞かせる伝説は、いっぱいあったでしょうね。 遠野物語までいかなくても。
簡単な伝説が、語り継がれるうちに、進化しますね。
大つり橋はこのように。

もどって温泉に入る。 400円。 右は、トラベル・ラクテンからお借り。 43度。

中心街に向かった。 山奥なのに広い。 ダムの上がこうですから不思議。
先ほど書いた火砕流が、谷を埋めたのか。
それとも、本庄川がつくったのか。

昔は小林市の中心街まで、20㌔以上の山道。
この村を出ることは、滅多になかったでしょうね。
お店も学校も、何でもある。

国道のそばに、お墓の案内。 奥にも。

島津氏の家臣で、戦いの後、この地を治めたんですね。
木崎原(きざきばる)の戦いで活躍した。
戦いの場所は、今のえびの市。 この戦いは、こっち方面ではよく聞く名前。
島津氏と伊東氏の戦い。 加久藤(かくとう)合戦とも。 さっきのカルデラと同じ名前。
まだ若い島津義弘は、知略に長(た)けてる。 少ない兵で勝った。
(こうだから、後に家康は彼に、一目置いたのかな)

こっちは、道の奥にある方。 この人は、伊藤氏側の人ですね。
上と同じ戦いで戦死。 戦いまでは、須木の城主。
戦いで、須木を治める人は、この人から上の人に変わった。 ということですね。

隣にたくさんの墓。 小さな石があって、それは子供か。

ダム湖方向。 広い盆地。 ここまで来るのに、大変な山なのに。

向こうに行って須木の中心街。 5㌔程来た。 近くに道の駅は無いので、ここで停泊。

上を見上げたら奇岩群。 地図の右上にいる。

昔の須木村はどんな所か、見に行って来ました。
峠を下りたら、広い盆地。 ダムの上なのに。
それが不思議でした。
【今日の一句】 「 明日は元気に歩くぞ と思ったとて 夜通しの雨は止まない 」
【記事の紹介】 今日の所から近い。
三之宮峡を歩く。 11のトンネル。 かっぱ洞。 切り立った岩に橋満橋。~小林市~ 他 (2015/1/25)
【今日の歌】 マーラが与えた人生(百万本のバラの原曲) 久しぶりです。
※ 舞台はラトビア。 北ヨーロッパ、バルト三国の真ん中。
マーラ(女神)は娘に幸せをあげ忘れた、と歌っている。
本当の意味は、マーラはラトビアに幸せをあげ忘れた、ということ。
小国ラトビアは、ロシア、ドイツ、ソ連に占領され続けた。
(20数年前に独立。 今は、EU・NATOに加盟)
独立前に、この曲は生まれた。 国の悲しみを歌った。
表立って言えないので、娘に幸せを、の歌詞にした。
百万本のバラを最初に歌ったのは、ニーナさん。(1983年)
(ニーナさんがラジオで歌ったのが、日本に流れた最初。 詳しくはここに)
次の年に、小田陽子さんが、下のように歌う。
下に出てくる男の人は作曲者。 パウルスさん。 女の人は、最初に歌ったククレさん。
旅人は、小田陽子さん。
【停泊場所】 上に書いたところ。
【明日の予定】 野尻湖に。 遊ぶところと、バラ園がある。(ハウス) 明日の歌は、百万本のバラですね。
※ 百万本のバラが好きになったきっかけは、ここより南の、鹿屋(かのや)市のバラ園の見学で。
日本有数のバラ園。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
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今日の須木(すき)も、同じ。
川は、東に流れる。
変わってるのは、そこへの道は、川沿いの東からでない。
小林市の中心街から、峠越え。(今はトンネル)
昔は須木村。
どんな所なのか、行ってみた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
宮崎県は、えびの市まで入り込んで、南北に長い。
右地図の印は、滝の場所。


東への道はあるが、普通は誰も通らない。 悪路。

赤〇の道は旧道。 ここを通ったとしても、宮崎市から須木までは、こっちが近いという。
東への道は、曲がって曲がって、距離が遠い。 大変な山の中。
赤〇の道だって大変だから、須木は陸の孤島の感じ。
山深くの狭い所に集落かなって、イメージ。

小林市の中心街からから曲がって、山に。
西米良75㌔とあるから、行けそうに思う。
しかし、須木を過ぎたら離合困難な林道のような国道に変わる。
西米良の標示は、しなくてもいいように思う。

遠い山脈を越える便利な道は無い。


トンネルを抜けたら、ここが須木。
後で知るが、広い盆地。 山奥なのに、不思議なほど。

橋と滝と温泉を先に。 楽しみは、ここか。 建物はかじかの湯。
赤い橋の塔が見える。

ダム湖がある。 水は、右に行く。
ダム湖の上流が広い。 そんな所に、出会ったことがあるだろうか。 ふしぎ。
その理由は、後で何となく分かる。
右写真の説明に、溶結部とある。 これについては後で。


橋に行く。 上に来た。
トンネルが出来て市の中心部から近いから、温泉は賑わっている。


お店などが。 右は、栗が特産物だから、こう。


斜張橋だ。 右に展望台。


人が通る橋だから、細いワイヤーが少しだけ。 車が通るとこうなる。(長崎女神大橋。以前の記事から)
橋の名前は、大つり橋。
斜張橋は、橋を造る人たちは、吊橋とは呼ばない。
ダム湖(小野湖)の奥に滝。 まま子滝。 いい風景。

右写真の奥に、綾南ダムがある。


橋に来た。 日本一とあるけど、今は日本一にほど遠い。


橋の上から。

真ん中に、踊り場。

まま子滝。
※ ここより西のえびの市方面に、加久藤(かくとう)カルデラがある。
そこが噴火した時に、火砕流がこっちに流れてきた。
あそこまで流れて来て、固まった。 溶結部と説明にあった場所。
それで段差が出来て、滝が出来たよう。
ダムが出来る前は、滝の高さはもっとあった。


下に行ってみる。


須木の滝。 まま子滝とも。
まま母が突き落そうとした。
まま子は、2人の帯を縛っていた。
2人一緒に、滝つぼに。
※ こんな話って他にあったでしょうか。
※ こよなく憎んでとある。 この表現は、ないですね。 (ただ、ずっと昔はあったよう)


紙芝居。 少し長いですが。
※ 上の話は、何がヒントで生まれたのでしょう。
人形浄瑠璃の曽根崎心中は、帯で2人を結んで心中。
飛び込まないけど。 違うかな。
本当は、落とされないために結んだのかも。
上の直ぐ近くから、このように。

戻って、500㍍ほど歩いて、反対側に来た。

目の前にあった。 滝は少しずつ、後退するのか。 ナイヤガラのように。


昔は、夜子供に聞かせる伝説は、いっぱいあったでしょうね。 遠野物語までいかなくても。
簡単な伝説が、語り継がれるうちに、進化しますね。
大つり橋はこのように。

もどって温泉に入る。 400円。 右は、トラベル・ラクテンからお借り。 43度。


中心街に向かった。 山奥なのに広い。 ダムの上がこうですから不思議。
先ほど書いた火砕流が、谷を埋めたのか。
それとも、本庄川がつくったのか。

昔は小林市の中心街まで、20㌔以上の山道。
この村を出ることは、滅多になかったでしょうね。
お店も学校も、何でもある。

国道のそばに、お墓の案内。 奥にも。

島津氏の家臣で、戦いの後、この地を治めたんですね。
木崎原(きざきばる)の戦いで活躍した。
戦いの場所は、今のえびの市。 この戦いは、こっち方面ではよく聞く名前。
島津氏と伊東氏の戦い。 加久藤(かくとう)合戦とも。 さっきのカルデラと同じ名前。
まだ若い島津義弘は、知略に長(た)けてる。 少ない兵で勝った。
(こうだから、後に家康は彼に、一目置いたのかな)


こっちは、道の奥にある方。 この人は、伊藤氏側の人ですね。
上と同じ戦いで戦死。 戦いまでは、須木の城主。
戦いで、須木を治める人は、この人から上の人に変わった。 ということですね。


隣にたくさんの墓。 小さな石があって、それは子供か。

ダム湖方向。 広い盆地。 ここまで来るのに、大変な山なのに。

向こうに行って須木の中心街。 5㌔程来た。 近くに道の駅は無いので、ここで停泊。

上を見上げたら奇岩群。 地図の右上にいる。


昔の須木村はどんな所か、見に行って来ました。
峠を下りたら、広い盆地。 ダムの上なのに。
それが不思議でした。
【今日の一句】 「 明日は元気に歩くぞ と思ったとて 夜通しの雨は止まない 」
【記事の紹介】 今日の所から近い。
三之宮峡を歩く。 11のトンネル。 かっぱ洞。 切り立った岩に橋満橋。~小林市~ 他 (2015/1/25)
【今日の歌】 マーラが与えた人生(百万本のバラの原曲) 久しぶりです。
※ 舞台はラトビア。 北ヨーロッパ、バルト三国の真ん中。
マーラ(女神)は娘に幸せをあげ忘れた、と歌っている。
本当の意味は、マーラはラトビアに幸せをあげ忘れた、ということ。
小国ラトビアは、ロシア、ドイツ、ソ連に占領され続けた。
(20数年前に独立。 今は、EU・NATOに加盟)
独立前に、この曲は生まれた。 国の悲しみを歌った。
表立って言えないので、娘に幸せを、の歌詞にした。
百万本のバラを最初に歌ったのは、ニーナさん。(1983年)
(ニーナさんがラジオで歌ったのが、日本に流れた最初。 詳しくはここに)
次の年に、小田陽子さんが、下のように歌う。
下に出てくる男の人は作曲者。 パウルスさん。 女の人は、最初に歌ったククレさん。
旅人は、小田陽子さん。
【停泊場所】 上に書いたところ。
【明日の予定】 野尻湖に。 遊ぶところと、バラ園がある。(ハウス) 明日の歌は、百万本のバラですね。
※ 百万本のバラが好きになったきっかけは、ここより南の、鹿屋(かのや)市のバラ園の見学で。
日本有数のバラ園。
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(2008年4月~2010年9月までの.記事)

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