「また元の旅に戻っても、被災者に勘弁してもらえるかな」
今は、そんなふうに思っている。
自分のしたことは、多くの人達と一緒に、被災者に少しだけ手を差し伸べた、そんな感じでしょうか。
被災者の苦労はまだまだ続くので、自分の中に満足感はない。
ただ、ブログの読者を中心に、多くの人に支えられ、ボランティアを無事に終えることができた。
そのことに感謝。
最後の仕事は、海に近い農家のお家の、瓦礫の撤去。
一輪車と軽トラで、津波が置いていった土砂やゴミを運んだ。
京都や神奈川からの若者が20人いた。 家族の人達も、総出。
作業は進み、3時過ぎには終わった。
奥さまが、あのビニルハウスが命の恩人と言った。 ※ ビニルは無く、骨組みだけ。
津波は、1㍍の深さで、突然襲ってきた。
ビニルハウスにいた人みんな、骨組みの上に登った。 助かった。
南相馬市の原町区ボランティアセンターの裏。 ここで、道具を洗ったり。
右の人達と一緒に仕事をした。
この後すぐ、新潟に向かう。
九州の椎葉村を出発して、どんな足取りだったのか、少しだけ整理しておきます。
○ 3月17日 椎葉村を出発。 北に向かう。
○ 22日 遠野市に入る。 釜石市を紹介してもらう。
○ 23日~ 釜石市で、ボランティア スタート。 (荷物運び、炊き出し)
○ 28日~ 大船渡市 (泥出し作業 等)
○ 4月 4日~ 陸前高田市 (風呂焚き、靴の仕分け)
○ 11日~ 南三陸町 (写真の泥落とし、物資の運搬 等)
○ 21日~ 亘理町 (泥出し、瓦礫の撤去 等)
○ 29日~ 相馬市 (遺留品の展示 道具洗い)
○ 5月2日~7日 南相馬市 (瓦礫の撤去、避難所のお手伝い)
思い出の仕事を一つ、と言われたら、陸前高田市での風呂焚きでしょうか。
社長さんの行動に感動した。
自分も家を流されたけど、みんなのために風呂を作った。
4月7日のブログに一部。
※ 最初の風呂は、3月20日の午後2時頃から作り始めた。
従業員と共に徹夜で作り続け、次の日の朝に完成した。
トラックにドラム缶を積んで、川の水を運んだ。(上流に家の無い所の)
ドラム缶4本で、水を沸かした。 廃材を燃やした。
社長さんの動きを知った農協が、水のタンクを提供してくれた。(2トンと4トン)
地下水も使わせてくれた。
何とかまとめたいと思ったブログは、これでしょうか。
最後まで防災無線で叫び続けた人は、2人いた。 ~南三陸町~ 他 (2011/4/13)
YouTube にいい動画があったが、著作権の関係で、消えて行っている。
自分は、小さな集落を中心に130ヶ所、動画を撮った。 YouTubeに載せた。
アクセス数が多かったのは、釜石市の鵜住居(うのすまい)。
報道が入らなかったためと思う。
釜石市に戻る時、道を間違えて入って行った。 津波被害 釜石市鵜住居(YouTube)
忘れられない写真は、これ。 関連ブログ 亘理町鳥の海 「ごめんな」~女川町の男性の写真は、読売新聞で・・・~ 他 (2011/4/24)
私は、ボランティアの場所を動いた。
だから、この1ヶ月半は、ボランティアの旅だった感じもする。
※ こんな気持ちもあった。
私は仕事をしていない。
このボランティアの期間は、自分も仕事をしており、みんなと同じになった。
復興には、まだまだ時間がかかる。
でも、東北の人達の強さや逞しさは、何度も見た。 ※ 泥出しの3人の女性も。
亡くなった人たちに、もう一度住んでみたいと思ってもらえる町を、きっとつくる。
その町を見に、出会った人達に会いに、また来なければならない。
こんなところでしょうか。
私は九州に戻って、山に登ります。
震災で亡くなった多くの人のご冥福を祈り、子供たちにそして被災地に、笑顔が戻ることを願っています。
、
【動画akkamui】
R459。 磐梯山の麓を通って、新潟へ。
R49。 道の駅「阿賀の里」まで、あと少し。
【道の駅】 阿賀の里(新潟県)
※ 阿賀野川の畔(ほとり)にあり、新潟市まであと少し。 晩遅くに着いた。
【明日の予定】 京都に向かう。 途中で、車のオイル交換。
記事は役立ったでしょうか。
気に入った所などがありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
今は、そんなふうに思っている。
自分のしたことは、多くの人達と一緒に、被災者に少しだけ手を差し伸べた、そんな感じでしょうか。
被災者の苦労はまだまだ続くので、自分の中に満足感はない。
ただ、ブログの読者を中心に、多くの人に支えられ、ボランティアを無事に終えることができた。
そのことに感謝。
最後の仕事は、海に近い農家のお家の、瓦礫の撤去。
一輪車と軽トラで、津波が置いていった土砂やゴミを運んだ。
京都や神奈川からの若者が20人いた。 家族の人達も、総出。
作業は進み、3時過ぎには終わった。
奥さまが、あのビニルハウスが命の恩人と言った。 ※ ビニルは無く、骨組みだけ。
津波は、1㍍の深さで、突然襲ってきた。
ビニルハウスにいた人みんな、骨組みの上に登った。 助かった。
南相馬市の原町区ボランティアセンターの裏。 ここで、道具を洗ったり。
右の人達と一緒に仕事をした。
この後すぐ、新潟に向かう。

九州の椎葉村を出発して、どんな足取りだったのか、少しだけ整理しておきます。
○ 3月17日 椎葉村を出発。 北に向かう。
○ 22日 遠野市に入る。 釜石市を紹介してもらう。
○ 23日~ 釜石市で、ボランティア スタート。 (荷物運び、炊き出し)
○ 28日~ 大船渡市 (泥出し作業 等)
○ 4月 4日~ 陸前高田市 (風呂焚き、靴の仕分け)
○ 11日~ 南三陸町 (写真の泥落とし、物資の運搬 等)
○ 21日~ 亘理町 (泥出し、瓦礫の撤去 等)
○ 29日~ 相馬市 (遺留品の展示 道具洗い)
○ 5月2日~7日 南相馬市 (瓦礫の撤去、避難所のお手伝い)
思い出の仕事を一つ、と言われたら、陸前高田市での風呂焚きでしょうか。
社長さんの行動に感動した。
自分も家を流されたけど、みんなのために風呂を作った。

4月7日のブログに一部。
※ 最初の風呂は、3月20日の午後2時頃から作り始めた。
従業員と共に徹夜で作り続け、次の日の朝に完成した。
トラックにドラム缶を積んで、川の水を運んだ。(上流に家の無い所の)
ドラム缶4本で、水を沸かした。 廃材を燃やした。
社長さんの動きを知った農協が、水のタンクを提供してくれた。(2トンと4トン)
地下水も使わせてくれた。
何とかまとめたいと思ったブログは、これでしょうか。
最後まで防災無線で叫び続けた人は、2人いた。 ~南三陸町~ 他 (2011/4/13)
YouTube にいい動画があったが、著作権の関係で、消えて行っている。
自分は、小さな集落を中心に130ヶ所、動画を撮った。 YouTubeに載せた。
アクセス数が多かったのは、釜石市の鵜住居(うのすまい)。
報道が入らなかったためと思う。
釜石市に戻る時、道を間違えて入って行った。 津波被害 釜石市鵜住居(YouTube)
忘れられない写真は、これ。 関連ブログ 亘理町鳥の海 「ごめんな」~女川町の男性の写真は、読売新聞で・・・~ 他 (2011/4/24)

私は、ボランティアの場所を動いた。
だから、この1ヶ月半は、ボランティアの旅だった感じもする。
※ こんな気持ちもあった。
私は仕事をしていない。
このボランティアの期間は、自分も仕事をしており、みんなと同じになった。
復興には、まだまだ時間がかかる。
でも、東北の人達の強さや逞しさは、何度も見た。 ※ 泥出しの3人の女性も。
亡くなった人たちに、もう一度住んでみたいと思ってもらえる町を、きっとつくる。
その町を見に、出会った人達に会いに、また来なければならない。
こんなところでしょうか。
私は九州に戻って、山に登ります。
震災で亡くなった多くの人のご冥福を祈り、子供たちにそして被災地に、笑顔が戻ることを願っています。
、
【動画akkamui】
R459。 磐梯山の麓を通って、新潟へ。
R49。 道の駅「阿賀の里」まで、あと少し。
【道の駅】 阿賀の里(新潟県)
※ 阿賀野川の畔(ほとり)にあり、新潟市まであと少し。 晩遅くに着いた。
【明日の予定】 京都に向かう。 途中で、車のオイル交換。
記事は役立ったでしょうか。
気に入った所などがありましたら、クリックをよろしく。
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※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
コメント
お疲れ様でした
Re: お疲れ様でした
東北の人達のよさを、ふたたび感じました。
話しても疲れない、そんな印象を持ちました。
私の体の中には、東北の血が流れている。 それを思い出しました。
(父の先祖は秋田市、母の先祖は盛岡市)
そうですね、楽しい旅をして、楽しいブログを書く。
それが一番ですね。 健康に気を付けて。
ありがとうございます。
話しても疲れない、そんな印象を持ちました。
私の体の中には、東北の血が流れている。 それを思い出しました。
(父の先祖は秋田市、母の先祖は盛岡市)
そうですね、楽しい旅をして、楽しいブログを書く。
それが一番ですね。 健康に気を付けて。
ありがとうございます。
ご苦労さまでした
ご苦労さまでした
また、旅の記録を、愉しませて、いただきます
南下の折、気が向けば、お立ち寄りください
また、旅の記録を、愉しませて、いただきます
南下の折、気が向けば、お立ち寄りください
岩手に住む者として
真っ先に駆けつけボランティア活動されたことに感謝いたします。
元の旅を続けてまた東北にいらして下さい。
元の旅を続けてまた東北にいらして下さい。
多謝!
長いボランティア活動お疲れさまでした。被災者の方々もきっと『元の旅に戻ってまたこの地を訪れて。おかげでここまで片付け進んだよって言えるようにやっておくから』って言ってくれるのでは?と思います。
復興までにはまだまだ長い時間がかかる。でも『片付け終了』位までにはまたいらして頂けるような気がするんです。(願望含む)
そんなに遠くない将来にきっと…。いかがでしょう?(笑)
いろいろなコメントがあったりして、戸惑ったり。それを読んで心を痛め涙したり…。見覚えがあるはずの景色が一変している動画をupして頂き、それを見て涙したり…。
いつかの銀河宙太さんのコメントに盛岡駅の事が書いてありましたが、『もりおか 啄木』って言う素朴な文字に感動したって…実はあれ、まだそのままありますよ!何も変わらず実物見れます(笑)
あのコメント読んで涙したり…。(何だか涙ばっかりですが)
ほんとにいろいろな事がありました。ありのままの事実を詳細に伝えて頂いた事で、たくさんの勇気・元気・思いやりを頂きました。私も少しづつ自分で出来る事から始めています。このブログに出逢えたことに本当に感謝しています。
少し寂しい気持ちを持ちながら、これからも続く長い旅のご無事とご健康をお祈りしております。
ありがとうございました。
復興までにはまだまだ長い時間がかかる。でも『片付け終了』位までにはまたいらして頂けるような気がするんです。(願望含む)
そんなに遠くない将来にきっと…。いかがでしょう?(笑)
いろいろなコメントがあったりして、戸惑ったり。それを読んで心を痛め涙したり…。見覚えがあるはずの景色が一変している動画をupして頂き、それを見て涙したり…。
いつかの銀河宙太さんのコメントに盛岡駅の事が書いてありましたが、『もりおか 啄木』って言う素朴な文字に感動したって…実はあれ、まだそのままありますよ!何も変わらず実物見れます(笑)
あのコメント読んで涙したり…。(何だか涙ばっかりですが)
ほんとにいろいろな事がありました。ありのままの事実を詳細に伝えて頂いた事で、たくさんの勇気・元気・思いやりを頂きました。私も少しづつ自分で出来る事から始めています。このブログに出逢えたことに本当に感謝しています。
少し寂しい気持ちを持ちながら、これからも続く長い旅のご無事とご健康をお祈りしております。
ありがとうございました。
Re: ご苦労さまでした
10日に、九州に向かいます。
広島に近づいたら、連絡します。
動画を撮れたのも、車載カメラのお陰です。
感謝しています。
広島に近づいたら、連絡します。
動画を撮れたのも、車載カメラのお陰です。
感謝しています。
Re: 岩手に住む者として
あの美しい三陸の海を見られる日は、遠くはないですね。
今後の東北への旅は、人々の努力を伝える旅でしょうか。
こんなに変わりましたよって。
今後の東北への旅は、人々の努力を伝える旅でしょうか。
こんなに変わりましたよって。
Re: 多謝!
ありがとうございます。
新しいことに気づかされました。
そうです、もう一度ボランティアをしに、東北に行きます。
7月、北海道に北上する時、寄ります。
被災者への支援は、まだまだ続きますね。
新しいことに気づかされました。
そうです、もう一度ボランティアをしに、東北に行きます。
7月、北海道に北上する時、寄ります。
被災者への支援は、まだまだ続きますね。
ごくろうさま。
ごくろうさまでした。
貴重な体験ができましたね。
我々は報道の映像などでしか現地の様子を伺うことしかできませんが実際に見て聞いて体験して得ることが出来たということは貴重な事だと思います。
これからいつも通りの旅の話を期待しています。
話は変わりますが、先月京都へ行ってきました。
ガレリアかめおか でP泊しましたが、アッカムイさんのブログにでていた 寅さん もP泊していましたよ。
貴重な体験ができましたね。
我々は報道の映像などでしか現地の様子を伺うことしかできませんが実際に見て聞いて体験して得ることが出来たということは貴重な事だと思います。
これからいつも通りの旅の話を期待しています。
話は変わりますが、先月京都へ行ってきました。
ガレリアかめおか でP泊しましたが、アッカムイさんのブログにでていた 寅さん もP泊していましたよ。
Re: ごくろうさま。
ボランティアは、とりあえず終わりました。
寅さんとは、「いまどこ?」って、時々連絡を取ります。
ひょうひょうと旅を続けていますね。
九州は暖かいです。
寅さんとは、「いまどこ?」って、時々連絡を取ります。
ひょうひょうと旅を続けていますね。
九州は暖かいです。
おつかれさまです。
南相馬では、お疲れさまでした。あれから、もう半日お手伝いをして参りました。
現実を目の当たりにし、このことを多くの人に伝えなきゃ!と思いました!
たくさんの人に出会えたいい旅でした。
また、会いたいですね。
お体に気をつけてくださいね。
現実を目の当たりにし、このことを多くの人に伝えなきゃ!と思いました!
たくさんの人に出会えたいい旅でした。
また、会いたいですね。
お体に気をつけてくださいね。
Re: おつかれさまです。
無事に奈良に着いたんですね。
若い人たちが多かったことが、うれしいことでした。
ボランティアに来た人達は、多くのことを学びましたね。
その中には、普通の生活では学べないことが多い。
ボランティアは、被災者のためにあり、さらに、自分のためにもなっている。
そういうものなんですね。
お疲れ様でした。
若い人たちが多かったことが、うれしいことでした。
ボランティアに来た人達は、多くのことを学びましたね。
その中には、普通の生活では学べないことが多い。
ボランティアは、被災者のためにあり、さらに、自分のためにもなっている。
そういうものなんですね。
お疲れ様でした。
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ご報告拝見させていただいておりました。
今後は、健康で楽しい旅を
続けられることをお祈りしております。