まるい国東半島の中心に、二子山(ふたごさん)。
その中腹に、両子寺(ふたごじ)。
7年前一度行ってるけど、霧雨の日だった。
今回、再度。
見所の一番は、参道の石段入り口の、石の仁王像。
半島最大と云われる。
奥の院は、半分岩の中。
その後ろの岩屋洞窟に、行ける。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
両子山を中心に、四方にたくさんの谷。 6つの地区に分けている。
県道29は、半島横断道路。 いい道。 これを利用しなと、大変な道も。

石段の参道の上の方に駐車場。 大きな仁王像は、ずっと下。 最後に見る。
少し上がって、案内。

案内は読みにくいので、寺のHPを紹介。
六郷満願とある。 6つの地区にある、天台寺院の総称。
他の説明は、この後時々。

受付で300円を。 ここに出る。 書院・客殿の建物。 お店もここに。
右を見たら、護摩堂。
普通は、ここでお参りを済ませて、奥に。

何でもある。 国東半島は、石の文化。

護摩堂の後ろに、変わった門。 釘抜き門。 以前、尾道の近くで見ている。
何かの境界につくられる。
長い参道の石段を上がって来ると、ここに着く。
入り口の意味。 今は、少し下がった所で、閉鎖。

奥の院に向かう。 中央に、石段。

HPでも紹介している、道祖神。 さいのかみ、とある。
さいは塞と書いて、塞(ふさ)ぐの意味ですね。
これも、境界にあって、塞いで隙間をなくして通しませんよ、の意味。
信州方面の山の中で出会った。
※ 手はお互い握っている。 そうでないのがあって、写真に撮れないのも。

金田一京助の歌碑。 最後の部分は、たゆることなし。
※ 彼は、苦しい時代の石川啄木を助けた。
※ 知里(ちり )幸恵のアイヌ神謡集は、彼がいたのでまとめることが出来た。
でも、東京の京助の自宅で、若くして亡くなる。
アイヌ記念館 知里幸恵が遺した「アイヌ神謡集」~旭川市~ 他 (2011/9/5)
隣に、息子の晴彦の歌碑も。 ここに来たら、父の自分を叱咤(しった)する声が、聞こえるって。

石の鬼橋を渡って、石段をのぼる。 手前に、仁王像。

ちょっとだけ弱そうな仁王像。 九州の石の仁王様は、みんなこの感じ。

右から上がって来た。 向こうに、大講堂。 行き忘れた。 右写真は、以前の記事から。

寺なのに鳥居。
国東半島の付け根に、宇佐八幡宮。
その影響を受けて、長い時代、神仏習合の時代が続いた。
名残は今も。
ここを登って、さらに行く。

鳥居の下の左に、国東(くにさき)塔。

説明に、逆修の塔として造ることも、とある。
生前に自分を供養する変わったの。 和泉式部も造っている。(四国に)
四国最南端の景勝地、足摺岬 和泉式部の逆修の塔 おばあちゃんのこと~土佐清水市~ 他 (2011/1/21)
特徴は、赤の部分。
※ 仏像の下には、蓮華の花のような台座がある。 それが、国東塔にはある。 ここのは、逆さま。
次に出会う説明が、分かりやすい。

石段の途中で、右に少し入った。 墓地。 2つ、国東塔があった。
赤〇は、松平候公内室の墓。 奥の大きいのは、藩主松平候の墓とも。
どうして紹介しているのか。 国東塔で、文字が読めたからか。 ※ 杵築(きつき)藩のこと。

杵築藩を含めて、戦国時代は今の大分市を中心に広く、大友宗麟(そうりん)の領地。
彼はキリシタン。 仏教寺院をことごとく焼いた。 ※ 最後は島津に負ける。
それがあって、九州の東側北部には、文化財が極端に少ない。
古い仏像も、書物も。 歴史が、分かりにくくなっている。
追い打ちをかけたのが、明治の廃仏毀釈。
奥の院が見えた。 左上にも、国東塔。

後に、磨崖仏も。 梵字(ぼんじ)が書いてあるそうだが、読めない。

国東塔の説明によっては、使う言葉が多少変わる。 それでも、下のは分かりやすい。
前半は、一般的なのを説明。
ここのには、下向きのレンゲ台座があるとある。 分かりますね。
物によっては、一番右の写真のように、上向きのもあったり。
仏像のように大事だから、こうしたのでしょうか。

奥の院。 半分は、岩にめり込んでいる。 後に、奥の院岩屋洞窟。

中はこう。 本尊は、十一面千手観音立像。 京都の仏師が彫った。 新しい。

岩屋洞窟の中。 霊水も出ている。 こういう所に入るのは好き。 神秘。

戻って来た。

前で紹介した、釘抜き門の下に来た。 反対を見たら、こう。 釘抜き門が見える。

山門。 ずっと下に、仁王像。 昔はみんな、ここを来た。 遠くから歩いて。

山門から。 赤い橋のこっちに、小さく見える。

赤い橋の手前から、上を。
この雰囲気がいい。 国東半島の紹介は、まずこの風景の写真。
説明は読めなかったので、HPのを紹介。
どれが、仁王門でしょう。 上のは山門。 仁王さんの入る場所は無い。 あれば、出て来たと分かる。
学校の門のような意味でしょうか。

横から。

口は、阿吽(あうん)。 開いたのと閉じたの。
笑ってるようにも、泣いてるようにも、見えてくる。

山門。

左に駐車場。 右には、池がある。

両子寺は、国東半島の代表的は寺。 そして、見事な石の仁王像。
国東の仏教文化を支えたのは、庶民。
大きなエネルギーを使いました。
心の拠り所がなかったら、つらかったのでしょうね。
今の私たちもそうですけど。
【その他】 前回撮った写真。 3月だったので、花。
この頃のカメラは、暗いレンズだったけど、望遠がきいた。
右は、ギョイコウ(御衣黄)。


【今日の歌】 Vanessa Mae Destiny ヴァネッサ・メイは、シンガポール出身のバイオリニスト。
【道の駅】 くにさき
【明日の予定】 山の中のどこか。 文殊仙寺かな。 初めて。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
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その中腹に、両子寺(ふたごじ)。
7年前一度行ってるけど、霧雨の日だった。
今回、再度。
見所の一番は、参道の石段入り口の、石の仁王像。
半島最大と云われる。
奥の院は、半分岩の中。
その後ろの岩屋洞窟に、行ける。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
両子山を中心に、四方にたくさんの谷。 6つの地区に分けている。


県道29は、半島横断道路。 いい道。 これを利用しなと、大変な道も。

石段の参道の上の方に駐車場。 大きな仁王像は、ずっと下。 最後に見る。
少し上がって、案内。


案内は読みにくいので、寺のHPを紹介。
六郷満願とある。 6つの地区にある、天台寺院の総称。
他の説明は、この後時々。


受付で300円を。 ここに出る。 書院・客殿の建物。 お店もここに。
右を見たら、護摩堂。
普通は、ここでお参りを済ませて、奥に。


何でもある。 国東半島は、石の文化。

護摩堂の後ろに、変わった門。 釘抜き門。 以前、尾道の近くで見ている。
何かの境界につくられる。
長い参道の石段を上がって来ると、ここに着く。
入り口の意味。 今は、少し下がった所で、閉鎖。

奥の院に向かう。 中央に、石段。

HPでも紹介している、道祖神。 さいのかみ、とある。
さいは塞と書いて、塞(ふさ)ぐの意味ですね。
これも、境界にあって、塞いで隙間をなくして通しませんよ、の意味。
信州方面の山の中で出会った。
※ 手はお互い握っている。 そうでないのがあって、写真に撮れないのも。


金田一京助の歌碑。 最後の部分は、たゆることなし。
※ 彼は、苦しい時代の石川啄木を助けた。
※ 知里(ちり )幸恵のアイヌ神謡集は、彼がいたのでまとめることが出来た。
でも、東京の京助の自宅で、若くして亡くなる。
アイヌ記念館 知里幸恵が遺した「アイヌ神謡集」~旭川市~ 他 (2011/9/5)
隣に、息子の晴彦の歌碑も。 ここに来たら、父の自分を叱咤(しった)する声が、聞こえるって。


石の鬼橋を渡って、石段をのぼる。 手前に、仁王像。

ちょっとだけ弱そうな仁王像。 九州の石の仁王様は、みんなこの感じ。



右から上がって来た。 向こうに、大講堂。 行き忘れた。 右写真は、以前の記事から。


寺なのに鳥居。
国東半島の付け根に、宇佐八幡宮。
その影響を受けて、長い時代、神仏習合の時代が続いた。
名残は今も。
ここを登って、さらに行く。

鳥居の下の左に、国東(くにさき)塔。

説明に、逆修の塔として造ることも、とある。
生前に自分を供養する変わったの。 和泉式部も造っている。(四国に)
四国最南端の景勝地、足摺岬 和泉式部の逆修の塔 おばあちゃんのこと~土佐清水市~ 他 (2011/1/21)
特徴は、赤の部分。
※ 仏像の下には、蓮華の花のような台座がある。 それが、国東塔にはある。 ここのは、逆さま。
次に出会う説明が、分かりやすい。


石段の途中で、右に少し入った。 墓地。 2つ、国東塔があった。
赤〇は、松平候公内室の墓。 奥の大きいのは、藩主松平候の墓とも。
どうして紹介しているのか。 国東塔で、文字が読めたからか。 ※ 杵築(きつき)藩のこと。


杵築藩を含めて、戦国時代は今の大分市を中心に広く、大友宗麟(そうりん)の領地。
彼はキリシタン。 仏教寺院をことごとく焼いた。 ※ 最後は島津に負ける。
それがあって、九州の東側北部には、文化財が極端に少ない。
古い仏像も、書物も。 歴史が、分かりにくくなっている。
追い打ちをかけたのが、明治の廃仏毀釈。
奥の院が見えた。 左上にも、国東塔。

後に、磨崖仏も。 梵字(ぼんじ)が書いてあるそうだが、読めない。

国東塔の説明によっては、使う言葉が多少変わる。 それでも、下のは分かりやすい。
前半は、一般的なのを説明。
ここのには、下向きのレンゲ台座があるとある。 分かりますね。
物によっては、一番右の写真のように、上向きのもあったり。
仏像のように大事だから、こうしたのでしょうか。



奥の院。 半分は、岩にめり込んでいる。 後に、奥の院岩屋洞窟。


中はこう。 本尊は、十一面千手観音立像。 京都の仏師が彫った。 新しい。



岩屋洞窟の中。 霊水も出ている。 こういう所に入るのは好き。 神秘。



戻って来た。

前で紹介した、釘抜き門の下に来た。 反対を見たら、こう。 釘抜き門が見える。


山門。 ずっと下に、仁王像。 昔はみんな、ここを来た。 遠くから歩いて。

山門から。 赤い橋のこっちに、小さく見える。

赤い橋の手前から、上を。

この雰囲気がいい。 国東半島の紹介は、まずこの風景の写真。
説明は読めなかったので、HPのを紹介。
どれが、仁王門でしょう。 上のは山門。 仁王さんの入る場所は無い。 あれば、出て来たと分かる。
学校の門のような意味でしょうか。


横から。

口は、阿吽(あうん)。 開いたのと閉じたの。
笑ってるようにも、泣いてるようにも、見えてくる。


山門。


左に駐車場。 右には、池がある。

両子寺は、国東半島の代表的は寺。 そして、見事な石の仁王像。
国東の仏教文化を支えたのは、庶民。
大きなエネルギーを使いました。
心の拠り所がなかったら、つらかったのでしょうね。
今の私たちもそうですけど。
【その他】 前回撮った写真。 3月だったので、花。
この頃のカメラは、暗いレンズだったけど、望遠がきいた。
右は、ギョイコウ(御衣黄)。




【今日の歌】 Vanessa Mae Destiny ヴァネッサ・メイは、シンガポール出身のバイオリニスト。
【道の駅】 くにさき
【明日の予定】 山の中のどこか。 文殊仙寺かな。 初めて。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)

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