函館、尾道、長崎と、坂道の美しい町はある。
でも、人が歩いて、写真に撮って、一番魅力の大きいのは杵築(きつき)でしょうか。
今回 国東半島に来て、写真を撮り直したかった場所は、2ヶ所。
両子寺の仁王像と、杵築の坂道。
今日は、国東半島見学の締めくくり。
酢屋の坂には、和服の人がいた。
子供たちが、楽しそうに下って行った。
いい風景だった。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
杵築は、杵築藩の城下町として発展。

古い町並みは、杵築城の西一帯に。

ふるさと産業館に、観光案内所。 車はここに。
案内を丁寧にしていただき、地図をいただいた。

時計回りの感じで。 オレンジ〇は、帰りに通る。
城の下近くから、勘定場の坂。

北台(きただい)武家屋敷の通り。

江戸末期の建物。

杵築藩には、学習館と云う藩校があった。 設立には、三浦梅園が関わっている。
この門は、杵築小学校の裏門として、今も利用。

一部を復元したのかな。

女性グループが楽しそうに散策。

どうしてこの状態で残ったのでしょう。 昔を粗末にした町の方が多いのに。

能見(のみ)邸とある。 藩主に近い能見家でしょうか。
今は、茶屋として。
※ 江戸時代に入っての杵築藩は、能見松平家が治める。
能見松平家は、三河の能見からスタートし、あちこち動いてここに。

命を懸けて戦って、藩の重鎮になって、この生活を手に入れるんですね。

振り返って撮ったのかな。 人がいる方がいい。

いつかまた来て、お城や武家屋敷に入ろうと思う。 今回は坂道。

酢屋の坂の上に来た。 反対側に小学校。
子供たちが、くもの子を散らすように出てくる。 にぎやかに。

ここが、酢屋の坂。 向こうの登りは、塩屋の坂。

石畳。 修理してる人がいた。

和服の2人が、下って行く。 ちょうどいい。

いい風景です。 下って登る、それがいいのか。 両側の石垣も。

子供たちは、この風景の中で育つんですね。

子供たちは、仕事してる人に挨拶して。 ずっとおしゃべり。

坂の下に来た。 左右に道。

このように。 白壁の古い町並み。

塩屋の坂を上る。 印の場所に来た。

坂を上って、右に中根邸。
※ 説明の中ほどに、中根家は藩主と共に杵築に来たとある。
どこから来たんだろう。 初代藩主は高田藩から来てるから、そこからか。

中は、無料で見学できる。 障子が美しい。

広い庭。 手入れをしてる女性の方がいた。

展望台への道から、この様に。

ここを登って、展望台。 左は、きつき城下町資料館。

杵築の町並み。

杵築城。 江戸時代の初めに壊れて、その後は建っていない。
復元ではなく、模擬天守。 絵図か何かを元に、造ったのでしょうか。

戻って、向こうは塩屋の坂。 ここから左の道を。

南台武家屋敷の通り。

途中で、右に曲がった。

小さな飴屋の坂。 少し右に、塩屋の坂。

上の後、小学校まで戻る。
車道の左に、番所の坂。 子供たちの通学路。

子供たちが離れるのを待って撮影。 いい坂だねとか、子供たちと少しお話し。
挨拶してくれる子供も。 みんな明るい。

藩主の能見松平家は、幕末まで続く。
いい町並みを、後世に残してくれましたね。
国東半島には、再度来るので、その時にまたここに。
城跡と武家屋敷の紹介は、その時にしますね。
杵築の坂道は、魅力いっぱい。
【今日の一句】 「 杵築の坂道は 人が似合う 子供達そして着物姿が 」 雨の日の傘も似合いそう。
【今日の歌】 つまさき坂
【道の駅】 佐賀関
【明日の予定】 四国に渡るか、・・。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
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でも、人が歩いて、写真に撮って、一番魅力の大きいのは杵築(きつき)でしょうか。
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両子寺の仁王像と、杵築の坂道。
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ふるさと産業館に、観光案内所。 車はここに。
案内を丁寧にしていただき、地図をいただいた。


時計回りの感じで。 オレンジ〇は、帰りに通る。


城の下近くから、勘定場の坂。

北台(きただい)武家屋敷の通り。

江戸末期の建物。


杵築藩には、学習館と云う藩校があった。 設立には、三浦梅園が関わっている。
この門は、杵築小学校の裏門として、今も利用。


一部を復元したのかな。


女性グループが楽しそうに散策。

どうしてこの状態で残ったのでしょう。 昔を粗末にした町の方が多いのに。

能見(のみ)邸とある。 藩主に近い能見家でしょうか。
今は、茶屋として。
※ 江戸時代に入っての杵築藩は、能見松平家が治める。
能見松平家は、三河の能見からスタートし、あちこち動いてここに。


命を懸けて戦って、藩の重鎮になって、この生活を手に入れるんですね。

振り返って撮ったのかな。 人がいる方がいい。

いつかまた来て、お城や武家屋敷に入ろうと思う。 今回は坂道。


酢屋の坂の上に来た。 反対側に小学校。
子供たちが、くもの子を散らすように出てくる。 にぎやかに。

ここが、酢屋の坂。 向こうの登りは、塩屋の坂。

石畳。 修理してる人がいた。

和服の2人が、下って行く。 ちょうどいい。


いい風景です。 下って登る、それがいいのか。 両側の石垣も。

子供たちは、この風景の中で育つんですね。


子供たちは、仕事してる人に挨拶して。 ずっとおしゃべり。

坂の下に来た。 左右に道。

このように。 白壁の古い町並み。


塩屋の坂を上る。 印の場所に来た。


坂を上って、右に中根邸。
※ 説明の中ほどに、中根家は藩主と共に杵築に来たとある。
どこから来たんだろう。 初代藩主は高田藩から来てるから、そこからか。


中は、無料で見学できる。 障子が美しい。


広い庭。 手入れをしてる女性の方がいた。

展望台への道から、この様に。

ここを登って、展望台。 左は、きつき城下町資料館。

杵築の町並み。

杵築城。 江戸時代の初めに壊れて、その後は建っていない。
復元ではなく、模擬天守。 絵図か何かを元に、造ったのでしょうか。

戻って、向こうは塩屋の坂。 ここから左の道を。

南台武家屋敷の通り。

途中で、右に曲がった。

小さな飴屋の坂。 少し右に、塩屋の坂。

上の後、小学校まで戻る。
車道の左に、番所の坂。 子供たちの通学路。

子供たちが離れるのを待って撮影。 いい坂だねとか、子供たちと少しお話し。
挨拶してくれる子供も。 みんな明るい。

藩主の能見松平家は、幕末まで続く。
いい町並みを、後世に残してくれましたね。
国東半島には、再度来るので、その時にまたここに。
城跡と武家屋敷の紹介は、その時にしますね。
杵築の坂道は、魅力いっぱい。
【今日の一句】 「 杵築の坂道は 人が似合う 子供達そして着物姿が 」 雨の日の傘も似合いそう。
【今日の歌】 つまさき坂
【道の駅】 佐賀関
【明日の予定】 四国に渡るか、・・。
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コメント
今、ケツにいます、
こんちは、凄い10年もキャンピングカーの放浪、憧れますわ、私も、キャブコンで家内と大分県を廻ってます。福岡の道の駅、桜街道おおとうに寄られ時は、連絡ください、近くなんです。
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