没後100年,青木繁展は、同じものを見ることは今後出来ないだろうと云う程、多くの作品が集まっていた。
この作品展は、3月25日から5月15日まで。
当初、始まったらすぐ見る予定だったが、私が東北に行ってきたので、今日になった。
今日は、宙太さんにたくさんの所を案内していただいた。
石橋美術館は、ブリヂストン創業者の石橋正二郎の収集した美術コレクションが、中心。
数日前から、九州は夏の暑さになった。 バラが急に咲きだしたと聞いた。
日曜日が最終。 多くの人が来ていた。
花は雨に濡れて、生き生き。
青木繁の代表作は、これでしょうか。 教科書でも見た。 題は「海の幸」
白っぽい2つの顔は、後で描いた。
正面は本人。 その右は、結婚して別れることになる、福田たね。
青木繁。 28歳で亡くなる。 結核で。 今年は、没後100年。
これも、代表作だそう。 わだつみのいろこの宮。 題材は神話からと説明にあった。
上とこの絵の2つは、重要文化財。
上の絵は当初、展覧会のようなので、高い評価を受けなかった。
ところが、夏目漱石は「それから」の中で、
『青木といふ人が海の底に立ってゐる背の高い女を描いた。代助は多くの出品作のうつで、あれ丈が好い気もちに出来てゐると思った』
と書いた。 高く評価した。 漱石には、見る目があった。
私は、下の絵が気に入った。 題名は「女の顔」。 福田たねを描いた。
後で知ったが、この絵は、ある美術雑誌5月号の表紙を飾っていた。
小野小町です。
「花の色はうつりにけりな いたづらにわが身世にふる ながめせしまに」
窓の向こうの庭。
ここにも絵がある感じ。
呼んで振り返った時に、パチリ。
坂本繁二郎と言う人の、アトリエ。 移築してここに。
バラです。 匂いをかいだが、どの花も、はっきり匂わなかった。
有馬家の第15代当主に、有馬 頼寧(ありま よりやす)という人がいた。
日本中央競馬会第2代理事長になった。
この人が、有馬記念をつくった。 ※ 宙太さんが、教えてくれた。
本丸跡には、篠山神社があった。 ※ 丹波篠山から、有馬氏がここの城主として、江戸時代の初めに来た。
ここまで。
【その他】 音楽に載せて震災の写真を紹介する予定ですが、仮の題と使う写真がだいたい決まりました。
札幌のTさんに見てもらうこともあり、ブログに載せます。
仮の題は 東日本大震災 2011年3月11日 「未来への鎮魂」
※ 未来への鎮魂、と云う言葉は、宙太さんの発想。
晩に、何かないかいと言ったら、瞬間、上の言葉が口から出ました。
枚数は、増えるかもしれないし、減るかもしれない。 順不同。
また、写真に、撮影場所を書き込む。
※ 最終的には、私の写真が半分、アメリカメディアのが半分、でしょうか。
【道の駅】 くるめ
【明日の予定】 この町のどこか
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行は6位、 旅行全体で18位です。 放浪の旅は43位です。
記事は役立ったでしょうか。
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この作品展は、3月25日から5月15日まで。
当初、始まったらすぐ見る予定だったが、私が東北に行ってきたので、今日になった。
今日は、宙太さんにたくさんの所を案内していただいた。
石橋美術館は、ブリヂストン創業者の石橋正二郎の収集した美術コレクションが、中心。

数日前から、九州は夏の暑さになった。 バラが急に咲きだしたと聞いた。

日曜日が最終。 多くの人が来ていた。

花は雨に濡れて、生き生き。


青木繁の代表作は、これでしょうか。 教科書でも見た。 題は「海の幸」
白っぽい2つの顔は、後で描いた。
正面は本人。 その右は、結婚して別れることになる、福田たね。

青木繁。 28歳で亡くなる。 結核で。 今年は、没後100年。

これも、代表作だそう。 わだつみのいろこの宮。 題材は神話からと説明にあった。
上とこの絵の2つは、重要文化財。

上の絵は当初、展覧会のようなので、高い評価を受けなかった。
ところが、夏目漱石は「それから」の中で、
『青木といふ人が海の底に立ってゐる背の高い女を描いた。代助は多くの出品作のうつで、あれ丈が好い気もちに出来てゐると思った』
と書いた。 高く評価した。 漱石には、見る目があった。
私は、下の絵が気に入った。 題名は「女の顔」。 福田たねを描いた。
後で知ったが、この絵は、ある美術雑誌5月号の表紙を飾っていた。

小野小町です。
「花の色はうつりにけりな いたづらにわが身世にふる ながめせしまに」

窓の向こうの庭。



ここにも絵がある感じ。


呼んで振り返った時に、パチリ。

坂本繁二郎と言う人の、アトリエ。 移築してここに。

バラです。 匂いをかいだが、どの花も、はっきり匂わなかった。



有馬家の第15代当主に、有馬 頼寧(ありま よりやす)という人がいた。
日本中央競馬会第2代理事長になった。
この人が、有馬記念をつくった。 ※ 宙太さんが、教えてくれた。

本丸跡には、篠山神社があった。 ※ 丹波篠山から、有馬氏がここの城主として、江戸時代の初めに来た。

ここまで。








【その他】 音楽に載せて震災の写真を紹介する予定ですが、仮の題と使う写真がだいたい決まりました。
札幌のTさんに見てもらうこともあり、ブログに載せます。
仮の題は 東日本大震災 2011年3月11日 「未来への鎮魂」
※ 未来への鎮魂、と云う言葉は、宙太さんの発想。
晩に、何かないかいと言ったら、瞬間、上の言葉が口から出ました。
枚数は、増えるかもしれないし、減るかもしれない。 順不同。
また、写真に、撮影場所を書き込む。
※ 最終的には、私の写真が半分、アメリカメディアのが半分、でしょうか。

































【道の駅】 くるめ
【明日の予定】 この町のどこか
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行は6位、 旅行全体で18位です。 放浪の旅は43位です。
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コメント
久留米での再会
Re: 久留米での再会
真っ直ぐ九州に戻って来たかいが、ありました。
青木繁を知ったこと。
雨にぬれたバラの美しさ。
青木旧宅。
ラーメン。(とんこつラーメン発祥の地)
そして、宙太さんによる解説。
みんな良かった。
その全てを準備して待っていてくれて、ありがとうございました。
来年もまた、九州の魅力をお願いします。
> 2011年 5月12日(木)は、いい一日でした。少し雨が降り、心配しながらの久留米案内でしたが、バラや青木繁の芸術探訪も出来、うれしい限りでした。
> なんといっても一年ぶりの再会がとてもよかった。
> 東日本大震災の、2ヶ月弱のボランティア活動後の九州への再訪だったので、若干心配でした。しかしながら、それは私の杞憂でした。キャンピングカーの中で喋るあなたは元気そのもの。安心しました。
>
> 文化センターのバラは、ほんとにきれいでしたね。雨上がりの花は絶品です。園内の猫に語りかけるアッカムイ21さんの優しさに感動しました。猫ちゃんのきれいに撮れています。ポーズがいい。
> 石橋美術館内から撮った風景や花もいいアングルで撮れています。別世界の雰囲気があります。
>
> 青木旧宅でのくつろぎの時間も今回の旅のポイントではないでしょうか。ゆっくりと時間を過ごし、いっぱい写真を撮られましたね。近所のボランティアの女性もいい人でした。役人にない、心からの親切がにじみ出ていました。同じ筑後人として誇りに思いました。あのもてなしが、観光ボランティアの原点でしょうか。郷土を、青木を愛するが故のもてなしでしょうか。このもてなしが東日本の復興にも絶対必要でしょう。
> いろんな所を回りましたが、この青木旧宅での時間がなんとなく印象に残りました。旧宅復旧のための苦労話を聞いたせいか、余計印象深いです。いろんな苦労があり、いろんなドラマがあります。
> 今回、生家やゆかりの家などは、現在地に残さなければならないと確信しました。そして、運営利用は近所の人が行なう。どうもこれが鉄則ですね。そうすると、郷土愛や、ボランティア精神が自然と生まれてきそうです。
>
> これからも九州の旅が続きそうですが、のんびりと風景と人情と、美味しい食べ物を楽しんでください。
> 楽しくて、幸せな再会でした。ありがとうございました。
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なんといっても一年ぶりの再会がとてもよかった。
東日本大震災の、2ヶ月弱のボランティア活動後の九州への再訪だったので、若干心配でした。しかしながら、それは私の杞憂でした。キャンピングカーの中で喋るあなたは元気そのもの。安心しました。
文化センターのバラは、ほんとにきれいでしたね。雨上がりの花は絶品です。園内の猫に語りかけるアッカムイ21さんの優しさに感動しました。猫ちゃんのきれいに撮れています。ポーズがいい。
石橋美術館内から撮った風景や花もいいアングルで撮れています。別世界の雰囲気があります。
青木旧宅でのくつろぎの時間も今回の旅のポイントではないでしょうか。ゆっくりと時間を過ごし、いっぱい写真を撮られましたね。近所のボランティアの女性もいい人でした。役人にない、心からの親切がにじみ出ていました。同じ筑後人として誇りに思いました。あのもてなしが、観光ボランティアの原点でしょうか。郷土を、青木を愛するが故のもてなしでしょうか。このもてなしが東日本の復興にも絶対必要でしょう。
いろんな所を回りましたが、この青木旧宅での時間がなんとなく印象に残りました。旧宅復旧のための苦労話を聞いたせいか、余計印象深いです。いろんな苦労があり、いろんなドラマがあります。
今回、生家やゆかりの家などは、現在地に残さなければならないと確信しました。そして、運営利用は近所の人が行なう。どうもこれが鉄則ですね。そうすると、郷土愛や、ボランティア精神が自然と生まれてきそうです。
これからも九州の旅が続きそうですが、のんびりと風景と人情と、美味しい食べ物を楽しんでください。
楽しくて、幸せな再会でした。ありがとうございました。