昨日の渉成園は、東本願寺の一部。
そんなことで、今日の記事は東本願寺。(写真は昨日撮影)
京都の駅前に、西本願寺と東本願寺。
2つとも広大な敷地の中に。
どちらも見ごたえ十分。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
京都駅から歩いて5分ほど。 信号待ちの方が長いかも。

南北に烏丸(からすま)通。 下には、地下鉄が。

大きな山門。 御影堂門。

門の正面に、御影堂。 親鸞の像がある。

人は、こんなに小さかったのか。

修復は終わっている。 2階に見えるけど、1階。
無料なので、暑い日はお堂の中で涼むことが出来る。
京都人の生活に溶け込んでいる。
高さとかではなく、床面の広さで、木造建築では世界一と、Wikipediaに。

左の阿弥陀堂も大きい。

御影堂の前。

御影堂門。

本願寺は石山本願寺として、大阪城の辺りにあった。
戦う教団でもあったが、信長に負けた。
秀吉の時代に、今の西本願寺に移った。
直ぐに跡継ぎ騒動が起きる。
分かれて出た方が、後に家康に助けられ、今の東本願寺の地でスタート。
通称の西本願寺は、本願寺派。
東本願は、大谷派。
阿弥陀堂。 御影堂から渡り廊下で行ける。
御影堂に入るけど、中は撮れない。 奥の方は、閉まっていて見えない。

下は、YouTubeから。

御影堂の修復は、日建グループが施工した。 工事完了後に撮影。 そこのHPからお借り。

阿弥陀堂に行く。 途中に何かが。

※ 西本願寺は世界遺産だけど、東本願寺はそうでない。
西本願寺は、創建時の建物が残っている。
しかし、東本願寺の建物はみんな新しい。
幕末の禁門の変で、焼かれてしまった。 全て。
東本願寺が、幕府と関係が深かったことと関係があるのか。
明治に入って、寺の再建。 木材がいる。
そんな中起きたのが、下の事故。
今の上越市の山の中で、木材を運ぶとき、雪崩が起きた。

尾神岳殉難と呼んでいる。 木は、黒姫神社にあった。

事故現場の正確な場所は分からない。
殉難碑の場所は分かる。 その近くと、ある記事にあった。

赤〇に、殉難碑。 神社が2つ。
どっちの神社かな。 下の方のソリの説明から考えて、右の方の神社かなと。
下が、その碑。(上越観光ネットから)
右写真は、木のあった黒姫神社。 はこびだす前か。 このソリは、現在東本願寺にある。

髪の毛でつくったロープ。 木材の運搬に使った。

説明に、刈羽郡(かりわぐん)とある。 上の地図の右の神社の辺りは、明治時代は刈羽郡だった。 今は、上越市。
このように残すことは、事故のことは決して忘れませんよ、と云う意味ですね。

阿弥陀堂に。

西本願寺と東本願寺は分かれているけど、現在は仲が悪いわけではないよう。
宗教によっては、話しもしない、というところも。
※ 浄土真宗は、恐ろしさをあまり感じない、穏やかな宗教の印象。
阿弥陀堂前。

建物の大きさに、圧倒されました。
誰でも、いつでもお参りに来てください。
東本願寺の、そんな姿勢を感じました。
お寺は、生き方を学ぶところでしょうか。
【今日の動画】 京都 東と西 二つの本願寺ってなぜ?
【今日の一句】 「 お東さんに行って 少し心が落ち着いて それがご利益 」
【停泊場所】 亀岡市運動公園駐車場
【明日の予定】 どこかを少し。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
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人は、こんなに小さかったのか。

修復は終わっている。 2階に見えるけど、1階。
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京都人の生活に溶け込んでいる。
高さとかではなく、床面の広さで、木造建築では世界一と、Wikipediaに。

左の阿弥陀堂も大きい。

御影堂の前。

御影堂門。

本願寺は石山本願寺として、大阪城の辺りにあった。
戦う教団でもあったが、信長に負けた。
秀吉の時代に、今の西本願寺に移った。
直ぐに跡継ぎ騒動が起きる。
分かれて出た方が、後に家康に助けられ、今の東本願寺の地でスタート。
通称の西本願寺は、本願寺派。
東本願は、大谷派。
阿弥陀堂。 御影堂から渡り廊下で行ける。

御影堂に入るけど、中は撮れない。 奥の方は、閉まっていて見えない。

下は、YouTubeから。


御影堂の修復は、日建グループが施工した。 工事完了後に撮影。 そこのHPからお借り。


阿弥陀堂に行く。 途中に何かが。

※ 西本願寺は世界遺産だけど、東本願寺はそうでない。
西本願寺は、創建時の建物が残っている。
しかし、東本願寺の建物はみんな新しい。
幕末の禁門の変で、焼かれてしまった。 全て。
東本願寺が、幕府と関係が深かったことと関係があるのか。
明治に入って、寺の再建。 木材がいる。
そんな中起きたのが、下の事故。
今の上越市の山の中で、木材を運ぶとき、雪崩が起きた。


尾神岳殉難と呼んでいる。 木は、黒姫神社にあった。

事故現場の正確な場所は分からない。
殉難碑の場所は分かる。 その近くと、ある記事にあった。


赤〇に、殉難碑。 神社が2つ。
どっちの神社かな。 下の方のソリの説明から考えて、右の方の神社かなと。

下が、その碑。(上越観光ネットから)
右写真は、木のあった黒姫神社。 はこびだす前か。 このソリは、現在東本願寺にある。


髪の毛でつくったロープ。 木材の運搬に使った。



説明に、刈羽郡(かりわぐん)とある。 上の地図の右の神社の辺りは、明治時代は刈羽郡だった。 今は、上越市。
このように残すことは、事故のことは決して忘れませんよ、と云う意味ですね。


阿弥陀堂に。

西本願寺と東本願寺は分かれているけど、現在は仲が悪いわけではないよう。
宗教によっては、話しもしない、というところも。
※ 浄土真宗は、恐ろしさをあまり感じない、穏やかな宗教の印象。
阿弥陀堂前。

建物の大きさに、圧倒されました。
誰でも、いつでもお参りに来てください。
東本願寺の、そんな姿勢を感じました。
お寺は、生き方を学ぶところでしょうか。
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【今日の一句】 「 お東さんに行って 少し心が落ち着いて それがご利益 」
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【明日の予定】 どこかを少し。
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(2008年4月~2010年9月までの.記事)

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