小さいけど、今年2回目の登山。
昨日の展覧会で、けしけし山の頂上に、青木繁の碑があると知ったので登ってみた。
標高差300㍍。 天気もいいし、ハイキングの感じ。
青木繁は生前、肉親への手紙の中に、下の内容のことを書いた。
「骨灰は、ついでのときに高良山の奥のケシケシ山の松樹の根に埋めてください。
小生はあの山のさみしい頂より、思い出多い筑紫平野をながめて、この世の怨恨と憤懣と呪詛とを捨てて、
静かに永遠の平安な眠りに就きたいと思います」
亡くなったのが3月25日なので、毎年3月下旬、「けしけし祭り」が山の上で行われる。
けしけし山は、兜山(かぶとやま)の別名。 標高316㍍。
正面に見える。
道の駅が、上の方に。
櫨(ハゼ)並木の通りを歩いた。 山は、正面少し右に。
道の横に、青木繁の碑があった。
櫨並木の説明。 ※ ハゼの実で蝋(ろう)を作る様子は、下のブログにあります。
内子の街を散歩 ~八日市・護国の町並み 和蝋燭 内子座 他 内子町~ 他 (2011/2/5)
最後にある歌が、上の石碑に書いてあった。 山の上のも同じ。
ポピーかな。 花の上の空気が揺れる暖かさ。
山の麓まで、こんな小路が続いた。 地蔵さんのある祠が多い。
永勝寺。 右に石段を上る。 帰りに寄ることに。
川は、そろそろ無くなる。
カエルさんが、お出迎え。
右は、急な斜面。 頂上まで、300㍍程。(ナビで確認)
山の上全体がキャンプ場になっていて、頂上の少し手前に石碑はあった。
青木繁之碑と書いてあるよう。
歌は、裏に書いてあった。
したのを見たら、何とか読める。
青木繁は、ここからの故郷の風景が好きだったんですね。
「けしけし祭り」の参加者は、ここでかっぽ酒を飲む。
※ かっぽ酒とは 、ある説明ではこうでした。
「かっぽ酒」とは、青竹の筒にお酒を入れ、囲炉裏や焚き火で燗を付けたものです。
名前の由来は、お酒を注ぐ時にカポカポと音を立てるところから来ています。
木が育っているので、久留米の町は木の隙間に。
兜山の頂上。 道の駅から、2時間かかった。
狭いけど、ここから下が見えた。 筑後川が作った平野。
キャンプ場の一部。
アゲハ蝶です。 名前は?
山を下って、永勝寺に寄った。
どこの寺も歴史はあるが、ここも古い。 こんな感じ。
680年、天武天皇が皇后の病気平癒を祈願して薬師寺建立を発願されたが、その頃開創されたと伝えられている。
平安時代には白河天皇からも帰依を受け大いに栄えた。
また、島根県出雲市の一畑寺、愛媛県西予市の善福寺とともに日本三薬師と呼ばれ、鎮西一の大寺として隆盛を
誇ったと伝えられている。
戦国時代は、何度も兵火に遭っている。
羅漢像がたくさんあった。
展望台があった。 私は、正面の道を向こうから来た。
本堂にこんなのがあった。 震災の被災者に向けて言ってるよう。
「・・・行きぬいて いこうよ!」の表現が好き。
元来た道を戻らないで、小さな山を一つ越えて、隣の沢に動いた。
千光寺の墓所に出た。
懐良親王(かねながしんのう)の墓があった。
この人は、南北時代、九州で活躍した人だが、墓はいくつかある。
千光寺の寺伝では、大保原の戦いの後、近くの谷山城で亡くなったとされている。
※ 谷山城は、地図では永勝寺の上の方にあったが、道が分からなかった。
歴史の隅っこには登場する人達の墓が、いくつかあった。
千光寺には、2009年5月25日に、少しだけ寄った。 その時のブログの一部。
大きな花ですよ。
この道を戻った。
小さな山なのに、疲れる。 冬の間、運動不足だった。
青木繁は、自分がこんなに大きく評価されるなんて、少しも思わないで死んだんでしょうね。
絵の評価は、評価する側から、妬まれたりしたら正当に評価されない。
音楽や小説の賞もいっぱいある。
どのくらい信用できるのかな。
九州は、北海道の真夏の暑さです。
【道の駅】 くるめ
【明日の予定】 九重山に近づきます。 明後日の、日曜日に登る予定です。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【その他】 札幌のTさんに送るため、載せています。
※ ある程度トリミングして、地名を入れた。
この写真を、YouTubeの画面に合わせて、Tさんがトリミングします。
【ランキング】 国内旅行は6位、 旅行全体で18位です。 放浪の旅は47位です。
記事は役立ったでしょうか。
気に入った所などがありましたら、クリックをよろしく。
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※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
昨日の展覧会で、けしけし山の頂上に、青木繁の碑があると知ったので登ってみた。
標高差300㍍。 天気もいいし、ハイキングの感じ。
青木繁は生前、肉親への手紙の中に、下の内容のことを書いた。
「骨灰は、ついでのときに高良山の奥のケシケシ山の松樹の根に埋めてください。
小生はあの山のさみしい頂より、思い出多い筑紫平野をながめて、この世の怨恨と憤懣と呪詛とを捨てて、
静かに永遠の平安な眠りに就きたいと思います」
亡くなったのが3月25日なので、毎年3月下旬、「けしけし祭り」が山の上で行われる。
けしけし山は、兜山(かぶとやま)の別名。 標高316㍍。
正面に見える。

道の駅が、上の方に。
櫨(ハゼ)並木の通りを歩いた。 山は、正面少し右に。

道の横に、青木繁の碑があった。

櫨並木の説明。 ※ ハゼの実で蝋(ろう)を作る様子は、下のブログにあります。
内子の街を散歩 ~八日市・護国の町並み 和蝋燭 内子座 他 内子町~ 他 (2011/2/5)
最後にある歌が、上の石碑に書いてあった。 山の上のも同じ。

ポピーかな。 花の上の空気が揺れる暖かさ。

山の麓まで、こんな小路が続いた。 地蔵さんのある祠が多い。

永勝寺。 右に石段を上る。 帰りに寄ることに。

川は、そろそろ無くなる。

カエルさんが、お出迎え。

右は、急な斜面。 頂上まで、300㍍程。(ナビで確認)

山の上全体がキャンプ場になっていて、頂上の少し手前に石碑はあった。

青木繁之碑と書いてあるよう。

歌は、裏に書いてあった。

したのを見たら、何とか読める。

青木繁は、ここからの故郷の風景が好きだったんですね。
「けしけし祭り」の参加者は、ここでかっぽ酒を飲む。
※ かっぽ酒とは 、ある説明ではこうでした。
「かっぽ酒」とは、青竹の筒にお酒を入れ、囲炉裏や焚き火で燗を付けたものです。
名前の由来は、お酒を注ぐ時にカポカポと音を立てるところから来ています。
木が育っているので、久留米の町は木の隙間に。


兜山の頂上。 道の駅から、2時間かかった。

狭いけど、ここから下が見えた。 筑後川が作った平野。

キャンプ場の一部。

アゲハ蝶です。 名前は?

山を下って、永勝寺に寄った。

どこの寺も歴史はあるが、ここも古い。 こんな感じ。
680年、天武天皇が皇后の病気平癒を祈願して薬師寺建立を発願されたが、その頃開創されたと伝えられている。
平安時代には白河天皇からも帰依を受け大いに栄えた。
また、島根県出雲市の一畑寺、愛媛県西予市の善福寺とともに日本三薬師と呼ばれ、鎮西一の大寺として隆盛を
誇ったと伝えられている。
戦国時代は、何度も兵火に遭っている。
羅漢像がたくさんあった。

展望台があった。 私は、正面の道を向こうから来た。

本堂にこんなのがあった。 震災の被災者に向けて言ってるよう。
「・・・行きぬいて いこうよ!」の表現が好き。

元来た道を戻らないで、小さな山を一つ越えて、隣の沢に動いた。

千光寺の墓所に出た。
懐良親王(かねながしんのう)の墓があった。
この人は、南北時代、九州で活躍した人だが、墓はいくつかある。
千光寺の寺伝では、大保原の戦いの後、近くの谷山城で亡くなったとされている。
※ 谷山城は、地図では永勝寺の上の方にあったが、道が分からなかった。


歴史の隅っこには登場する人達の墓が、いくつかあった。

千光寺には、2009年5月25日に、少しだけ寄った。 その時のブログの一部。

大きな花ですよ。

この道を戻った。

小さな山なのに、疲れる。 冬の間、運動不足だった。
青木繁は、自分がこんなに大きく評価されるなんて、少しも思わないで死んだんでしょうね。
絵の評価は、評価する側から、妬まれたりしたら正当に評価されない。
音楽や小説の賞もいっぱいある。
どのくらい信用できるのかな。
九州は、北海道の真夏の暑さです。
【道の駅】 くるめ
【明日の予定】 九重山に近づきます。 明後日の、日曜日に登る予定です。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【その他】 札幌のTさんに送るため、載せています。
※ ある程度トリミングして、地名を入れた。
この写真を、YouTubeの画面に合わせて、Tさんがトリミングします。

































【ランキング】 国内旅行は6位、 旅行全体で18位です。 放浪の旅は47位です。
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コメント
けしけし山
Re: けしけし山
けしけし山が兜山と分かったので、あとは、ヤフーの地図です。
大体分かったら十分で、あとは途中で会う人に聞く。
お寺の情報などは、久留米市のHPで知りました。
いつもの旅の方法と、同じですね。
卑弥呼の時代から人がいたから、たくさんの歴史が地域に埋もれてる感じがします。
調べる時間がなかったので写真だけでしたが、この町にはいつかまた来ます。
けしけし山の頂上には車道がありました。
上は、キャンプ場ですから。
青木繁は、何度もけしけし山に行っていますね。
何かの思い出と久留米平野の風景が重なっている。
そんなことを想像します。
大体分かったら十分で、あとは途中で会う人に聞く。
お寺の情報などは、久留米市のHPで知りました。
いつもの旅の方法と、同じですね。
卑弥呼の時代から人がいたから、たくさんの歴史が地域に埋もれてる感じがします。
調べる時間がなかったので写真だけでしたが、この町にはいつかまた来ます。
けしけし山の頂上には車道がありました。
上は、キャンプ場ですから。
青木繁は、何度もけしけし山に行っていますね。
何かの思い出と久留米平野の風景が重なっている。
そんなことを想像します。
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地元の者も徒歩では行かないのでは。
行く道順は、道の駅で聞かれましたか。
けしけし祭りのときは、順光寺からバスでいきます。40分くらいかけていきます。結構遠いです。
登り口はもっと南の方で、高良大社の方をいきます。徒歩ではそちらの方が近いでしょう。
古い神社にも遭遇され、筑後地方の歴史を垣間見られたことでしょう。