上杉謙信の拠点は、春日山城。 今の上越市に。
川中島の合戦の地は、長野市の近く。
そこに謙信が行くときは、真っ直ぐ南に行けばいい。
北国(ほっこく)街道を通って。
では、関東に行くときは、どの道を通ったのでしょう。
自分は、考えたことがなかった。
通った道は、松之山街道(旧三国街道)なんですね。
いくつも山を越えて、東に向かう。
途中で安全に宿泊したり休憩する場所が必要。
その役割を果たしたのが、今日見学の直峰城(のうみねじょう)。
直峰城は、春日山城の出城の役割も。 ※ 出城は役場で云えば、支所の感じ。
※ 26日は1日雨だったので、写真は27日の午前中に撮影。
午後は、松之山街道を歩く。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
場所は、上越市安塚(やすづか)区。

城山(じょうやま)の上に、直峰城跡。

道の駅やすづかから向かった。 国道403。
正面に、添景寺(てんけいじ)。 景は、謙信の後を継いだ、上杉景勝の景。 上杉氏の祈願所だった。
この道を行って、途中から山に登る道。 終点まで、2㌔程か。

曲がったら駐車場。 8時過ぎ。 誰もいない。

城跡への道は、建物の右に見える。 右写真は、別の道。 こっちから戻って来ることに。

下の安塚区の中心街。

説明がある。
城の城主は、色々変わった。 この地域は、誰を大事にしているのか。
謙信時代ではなく、そのずっと前の、風間信昭なんですね。 5月8日には、お祭りも。
この人は、南北朝の時代、南朝側について戦った。 南朝は、後醍醐天皇。
調べたら、後醍醐天皇の子供の宗良(むねよし)親王の元でも戦っている。
※ 宗良親王は晩年、井伊谷(いいのや)で暮らした。 大河の直虎の地。
この人を祀ってる井伊谷宮という神社もある。 墓も。
龍潭寺は、直虎・直政 ゆかりの寺。 井伊家の墓所。 庭園は小堀遠州作と。~浜松市~ 他 (2017/4/5)
※ 春日山城の城主は、謙信・景勝と続く。
景勝は、会津に移る。
その後一時期、掘秀治が城主になる。
秀治は若かったので、秀吉の命で秀治の親類に当たる掘直政を、補佐役にする。
堀家は、掘直政の方が力のある武将になっていく。
直政は家康とも近く、家康の指示で、京都の高台寺を建てる。(秀吉の妻のねねの寺)
直政の4男は、掘直重。 この人が、須坂藩の初代藩主になっていく。
須坂には春と秋に行く。 、城跡をよく歩く。
上に書いた掘秀治の家臣が、ここの城主になったことが、最後に書いてある。

左から登って、右から下りてくる。

朝の8時ころから動き回るなんて久しぶり。 天気よし。
ウグイスが鳴きだした。 山鳩も。
途中に屋敷跡とか。 古地図があるから分かるのか。

桜が終わると、初夏に向かう。 急に花が多くなる。
ネズミがかじったクルミ。 シャガの花。

整備されている。 右に何かある。

空堀。 上まで行ってお終い。

向こうから来て、上がっていく。 エンレイソウ。 白でなく、濃い紫の花。

着いた。 神社のよう物が。 石碑と。

説明は、さっき読んだのに近い。 大ケヤキはどれかって探した。 ?。
大正時代の石碑。

下に、安塚区の中心街。 高田高校の分校もある。 昔は、安塚町だった。

上越市の中心街方向。 高田平野。
※ 上越平野ではない。 上越市と云う名前は、合併によって生まれた。
市民の声を無視して、決められた経緯が。
東京と新潟を結ぶ新幹線は、上越新幹線。 ここを通っていない。
この地方の人に親しまれている名前は、頚城(くびき)。 頚城郡とかにも使われて。
くびき市にしたいという声は、今もある。 他の名前も。

北の方向。 遠くに山。 左は尾神岳。
見えないけど、その向こうに米山。 993㍍。 この辺で一番高い。 米山までが、上越市。
桜の花が大きい。 八重で濃いピンク。 種類は分からない。 八重は1週間ほど遅い。

次から次と花。 楽しくなる。
カタクリですね。 山の下は、終わっていた。 右はイカリソウ。 怒(いか)りそうではなく、錨(⚓)草。

南の方。 集落が見える。 棚田も。

戻る道が見つけられず困っていた。 仕方ないから、元来た道を戻る。

あれ、見たことない風景。 別の道を歩いていた。 これを下りたかった。
名前が書いてあるけど、他では見ない名前。

謙信の死後、ここの城主は上杉景勝の敵になっていたんですね。
上杉家の跡継ぎをめぐるお家騒動が、御館の乱(おたてのらん)。 景勝と景虎の戦い。 (この景虎は謙信の若い時の名前と同じ)
この時、景勝の重臣に直江信綱(なおえ のぶつな)という人がいた。
妻は直江 船(せん)。 船は夫が亡くなった後、景勝の命令で、樋口兼続に嫁ぐ。
樋口兼続は、直江兼続に名前を変える。
彼は、大河ドラマ 天地人の主人公。 調べてみて、初めて知りました。

敵だった武田勝頼が味方になり、それが大きかったよう。
結果的に勝つ。
勝ったけど、景勝軍は疲弊(ひへい)する。 力を失う。
秀吉に助けを求めて、家臣として活躍することに。
そして会津に出世の形で行く。
最後は、家康に逆らったから、小さな米沢藩に。
小さな城跡だけど、地域は大事にしている。 快適な道。

駐車場の近くに来たら、観音堂跡。

城主の菩提寺は、賞泉寺とある。 行ってみたい。

この後、駐車場に戻った。
一休みして、松之山街道を歩くことに。
明治・大正より、はるか昔が大事にされる。
どうしてでしょう。
【記事の紹介】 上杉謙信の居城 春日山城 跡 ~上越市~ 他 (2010/10/23)
※ 上の記事の時、道の駅 雪のふるさとやすづかに停泊している。 記憶がない。
【今日の一句】 「 城跡に 若草の風 足取り軽く 」 ※ 足取り軽くを、別のことばにしたい。 歴史を感じるもの。
【今日の歌】 若草の髪かざり チェリッシュ 1973
【道の駅】 雪のふるさとやすづか
【明日の予定】 松之山街道(旧三国街道)を歩く。(27日午後)
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
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川中島の合戦の地は、長野市の近く。
そこに謙信が行くときは、真っ直ぐ南に行けばいい。
北国(ほっこく)街道を通って。
では、関東に行くときは、どの道を通ったのでしょう。
自分は、考えたことがなかった。
通った道は、松之山街道(旧三国街道)なんですね。
いくつも山を越えて、東に向かう。
途中で安全に宿泊したり休憩する場所が必要。
その役割を果たしたのが、今日見学の直峰城(のうみねじょう)。
直峰城は、春日山城の出城の役割も。 ※ 出城は役場で云えば、支所の感じ。
※ 26日は1日雨だったので、写真は27日の午前中に撮影。
午後は、松之山街道を歩く。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
場所は、上越市安塚(やすづか)区。


城山(じょうやま)の上に、直峰城跡。

道の駅やすづかから向かった。 国道403。
正面に、添景寺(てんけいじ)。 景は、謙信の後を継いだ、上杉景勝の景。 上杉氏の祈願所だった。
この道を行って、途中から山に登る道。 終点まで、2㌔程か。


曲がったら駐車場。 8時過ぎ。 誰もいない。

城跡への道は、建物の右に見える。 右写真は、別の道。 こっちから戻って来ることに。


下の安塚区の中心街。

説明がある。
城の城主は、色々変わった。 この地域は、誰を大事にしているのか。
謙信時代ではなく、そのずっと前の、風間信昭なんですね。 5月8日には、お祭りも。
この人は、南北朝の時代、南朝側について戦った。 南朝は、後醍醐天皇。
調べたら、後醍醐天皇の子供の宗良(むねよし)親王の元でも戦っている。
※ 宗良親王は晩年、井伊谷(いいのや)で暮らした。 大河の直虎の地。
この人を祀ってる井伊谷宮という神社もある。 墓も。
龍潭寺は、直虎・直政 ゆかりの寺。 井伊家の墓所。 庭園は小堀遠州作と。~浜松市~ 他 (2017/4/5)


※ 春日山城の城主は、謙信・景勝と続く。
景勝は、会津に移る。
その後一時期、掘秀治が城主になる。
秀治は若かったので、秀吉の命で秀治の親類に当たる掘直政を、補佐役にする。
堀家は、掘直政の方が力のある武将になっていく。
直政は家康とも近く、家康の指示で、京都の高台寺を建てる。(秀吉の妻のねねの寺)
直政の4男は、掘直重。 この人が、須坂藩の初代藩主になっていく。
須坂には春と秋に行く。 、城跡をよく歩く。
上に書いた掘秀治の家臣が、ここの城主になったことが、最後に書いてある。


左から登って、右から下りてくる。

朝の8時ころから動き回るなんて久しぶり。 天気よし。
ウグイスが鳴きだした。 山鳩も。
途中に屋敷跡とか。 古地図があるから分かるのか。


桜が終わると、初夏に向かう。 急に花が多くなる。
ネズミがかじったクルミ。 シャガの花。



整備されている。 右に何かある。

空堀。 上まで行ってお終い。


向こうから来て、上がっていく。 エンレイソウ。 白でなく、濃い紫の花。


着いた。 神社のよう物が。 石碑と。


説明は、さっき読んだのに近い。 大ケヤキはどれかって探した。 ?。
大正時代の石碑。


下に、安塚区の中心街。 高田高校の分校もある。 昔は、安塚町だった。

上越市の中心街方向。 高田平野。
※ 上越平野ではない。 上越市と云う名前は、合併によって生まれた。
市民の声を無視して、決められた経緯が。
東京と新潟を結ぶ新幹線は、上越新幹線。 ここを通っていない。
この地方の人に親しまれている名前は、頚城(くびき)。 頚城郡とかにも使われて。
くびき市にしたいという声は、今もある。 他の名前も。


北の方向。 遠くに山。 左は尾神岳。
見えないけど、その向こうに米山。 993㍍。 この辺で一番高い。 米山までが、上越市。
桜の花が大きい。 八重で濃いピンク。 種類は分からない。 八重は1週間ほど遅い。


次から次と花。 楽しくなる。
カタクリですね。 山の下は、終わっていた。 右はイカリソウ。 怒(いか)りそうではなく、錨(⚓)草。


南の方。 集落が見える。 棚田も。


戻る道が見つけられず困っていた。 仕方ないから、元来た道を戻る。

あれ、見たことない風景。 別の道を歩いていた。 これを下りたかった。
名前が書いてあるけど、他では見ない名前。


謙信の死後、ここの城主は上杉景勝の敵になっていたんですね。
上杉家の跡継ぎをめぐるお家騒動が、御館の乱(おたてのらん)。 景勝と景虎の戦い。 (この景虎は謙信の若い時の名前と同じ)
この時、景勝の重臣に直江信綱(なおえ のぶつな)という人がいた。
妻は直江 船(せん)。 船は夫が亡くなった後、景勝の命令で、樋口兼続に嫁ぐ。
樋口兼続は、直江兼続に名前を変える。
彼は、大河ドラマ 天地人の主人公。 調べてみて、初めて知りました。


敵だった武田勝頼が味方になり、それが大きかったよう。
結果的に勝つ。
勝ったけど、景勝軍は疲弊(ひへい)する。 力を失う。
秀吉に助けを求めて、家臣として活躍することに。
そして会津に出世の形で行く。
最後は、家康に逆らったから、小さな米沢藩に。
小さな城跡だけど、地域は大事にしている。 快適な道。


駐車場の近くに来たら、観音堂跡。

城主の菩提寺は、賞泉寺とある。 行ってみたい。


この後、駐車場に戻った。
一休みして、松之山街道を歩くことに。
明治・大正より、はるか昔が大事にされる。
どうしてでしょう。
【記事の紹介】 上杉謙信の居城 春日山城 跡 ~上越市~ 他 (2010/10/23)
※ 上の記事の時、道の駅 雪のふるさとやすづかに停泊している。 記憶がない。
【今日の一句】 「 城跡に 若草の風 足取り軽く 」 ※ 足取り軽くを、別のことばにしたい。 歴史を感じるもの。
【今日の歌】 若草の髪かざり チェリッシュ 1973
【道の駅】 雪のふるさとやすづか
【明日の予定】 松之山街道(旧三国街道)を歩く。(27日午後)
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)

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