十日町市の松代(まつだい)の道の駅にいるが、この町を歩ける地図がない。
それでも、歩いてみることにした。
何かがあると思って。 松代はここ。 私鉄の駅と道の駅が一緒になっている。
鉄道の名前は、ほくほく線。
線路の敷設が、国鉄 北越北線として始まったため、公募でこの名前になった。
ほくほく線は、犀潟(さいがた)と十日町の間。 59.5㌔。
山の中なのに、小さなカーブがない。 線路が真っ直ぐ。
秘密は、ほとんど、トンネルの中。 駅が12あって、駅が近づいたら、列車はトンネルから顔を出す。
トンネルは14あって、総延長は約40㌔。 全体の3分の2。
私鉄(第3セクター)だけど、大幅な黒字。
特急「はくたか」が走っている。
富山・石川方面から東京へ最短時間で行くには、この線路を使うことになる。
のんびりとした普通列車も走っている。
特急が追い越せるように、トンネルの中にも、普通列車が除ける場所がある。
畑に、変わった作品が展示してある。 アートっていう感じ。
建物の中にも、レストランや何かがある。 全体が能舞台と呼ばれる。 ※ 建物には行ってない。
山の上には、小さなお城。(新しい) これから、そこに行く。
山道を登って行くと、こんな作品が。 たくさんある。
これが芸術なら、何でも芸術になると思った。
松代の中心街が見えてきた。
こんな道を。 この辺りには棚田があって、一番高い所に来た。
名前が分からない。 ※ 鳥の図鑑はあるのだが、どこかに行った。
地図があった。 こんな所を散歩している。
頂上まであと少し。
谷間の田んぼは、どこも棚田。 棚田の散策地図は、道の駅にあった。 大まかなその地図で歩いている。
お城に着いた。 本物の石垣ではなかった。
城の中も、全部がアート。 こんな感じ。 金色に塗装したものが、壁全体にくっ付いていた。
こういう建物は、少なくとも、資料館にしてほしい。
窓がなく、濁った空気を吸うのはつらい。
何とか屋上に出て、この風景。
城は下の方で、オレンジの所を、時計回りで歩いてる。
上の方に、松之山街道。 この時点では、街道はどこを通っているか分かっていない。
これは、謙信が松代を通った時の図。 水を飲んでいるのか。
松之山街道は、稲田から塩沢まで。
謙信が関東に出陣の時は、松之山街道を通って、三国街道に出た。 ※ 三国街道は、高崎で中山道に合流する。
謙信の書いた文書に、こんなのがある。
「春日山をたち、松代・塩沢を経て三国峠を越え、沼田に着く」
この道は、謙信道とも呼ばれ、松代は中継地だった。
※ 道筋は部分的には分かったが、全体が正確に分からない。
地図の道は、おおざっぱ。 街道の地図が見つかったら、書きなおす。
こんな道を下る。
紅葉のようには、どの植物も美しくは終われない。
大根はまだ元気。 大根は冷蔵庫にいつもある。
包丁で切ることはない、ハサミで。 薄く切って味噌汁に。 時々、生のままで食べる。 あまい。
畑の後始末。
道の名前も「ほくほく」だった。
この道は、バイパス。 商店街のあるほくほく通りは、1本山側。
昔、泊まる所を宿駅(しゅくえき)と言った。
旧道。 昔ながらの家並み。
山側に入ると、玉石の石垣があった。 この石垣は、この町の特徴。
道端に、水琴窟。 1滴でなく、多めの水が落ちていた。
パキ~ンではないが、甕の中で響いていた。 チョビ~ンかな。
この地方では、このような板張りの家が目立つ。
豪雪地帯。 重い雪がこんなにも降ったら大変。 除雪機が強くないと、雪は飛ばないのではないか。
突き当たった辺りで右に曲がったら、道の駅がある。
この辺りから、100㍍程左に行ったら、松之山街道はあった。 知らなかった。
里芋が干してある。
夕暮れが早い。 少し前、高校生が汽車に乗り込んだ。
上杉謙信が、どの道を動いていたかは、今まで分からなかった。
それが、今日分かった。
松代は、昔も今も、交通の要衝としての地だった。
【道の駅】 まつだいふるさと会館
【明日の予定】 西に動きます。 古道を歩くか、上越市に一気に行くかも。
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【ランキング】 国内旅行は 4位、 旅行全体で8位 です。 放浪の旅は、30位。
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それでも、歩いてみることにした。
何かがあると思って。 松代はここ。 私鉄の駅と道の駅が一緒になっている。
鉄道の名前は、ほくほく線。
線路の敷設が、国鉄 北越北線として始まったため、公募でこの名前になった。


ほくほく線は、犀潟(さいがた)と十日町の間。 59.5㌔。
山の中なのに、小さなカーブがない。 線路が真っ直ぐ。
秘密は、ほとんど、トンネルの中。 駅が12あって、駅が近づいたら、列車はトンネルから顔を出す。
トンネルは14あって、総延長は約40㌔。 全体の3分の2。
私鉄(第3セクター)だけど、大幅な黒字。
特急「はくたか」が走っている。
富山・石川方面から東京へ最短時間で行くには、この線路を使うことになる。
のんびりとした普通列車も走っている。
特急が追い越せるように、トンネルの中にも、普通列車が除ける場所がある。

畑に、変わった作品が展示してある。 アートっていう感じ。
建物の中にも、レストランや何かがある。 全体が能舞台と呼ばれる。 ※ 建物には行ってない。

山の上には、小さなお城。(新しい) これから、そこに行く。

山道を登って行くと、こんな作品が。 たくさんある。
これが芸術なら、何でも芸術になると思った。


松代の中心街が見えてきた。

こんな道を。 この辺りには棚田があって、一番高い所に来た。


名前が分からない。 ※ 鳥の図鑑はあるのだが、どこかに行った。

地図があった。 こんな所を散歩している。

頂上まであと少し。

谷間の田んぼは、どこも棚田。 棚田の散策地図は、道の駅にあった。 大まかなその地図で歩いている。

お城に着いた。 本物の石垣ではなかった。

城の中も、全部がアート。 こんな感じ。 金色に塗装したものが、壁全体にくっ付いていた。
こういう建物は、少なくとも、資料館にしてほしい。
窓がなく、濁った空気を吸うのはつらい。



何とか屋上に出て、この風景。

城は下の方で、オレンジの所を、時計回りで歩いてる。
上の方に、松之山街道。 この時点では、街道はどこを通っているか分かっていない。

これは、謙信が松代を通った時の図。 水を飲んでいるのか。

松之山街道は、稲田から塩沢まで。
謙信が関東に出陣の時は、松之山街道を通って、三国街道に出た。 ※ 三国街道は、高崎で中山道に合流する。
謙信の書いた文書に、こんなのがある。
「春日山をたち、松代・塩沢を経て三国峠を越え、沼田に着く」
この道は、謙信道とも呼ばれ、松代は中継地だった。
※ 道筋は部分的には分かったが、全体が正確に分からない。
地図の道は、おおざっぱ。 街道の地図が見つかったら、書きなおす。

こんな道を下る。

紅葉のようには、どの植物も美しくは終われない。

大根はまだ元気。 大根は冷蔵庫にいつもある。
包丁で切ることはない、ハサミで。 薄く切って味噌汁に。 時々、生のままで食べる。 あまい。

畑の後始末。

道の名前も「ほくほく」だった。

この道は、バイパス。 商店街のあるほくほく通りは、1本山側。

昔、泊まる所を宿駅(しゅくえき)と言った。

旧道。 昔ながらの家並み。

山側に入ると、玉石の石垣があった。 この石垣は、この町の特徴。

道端に、水琴窟。 1滴でなく、多めの水が落ちていた。
パキ~ンではないが、甕の中で響いていた。 チョビ~ンかな。


この地方では、このような板張りの家が目立つ。

豪雪地帯。 重い雪がこんなにも降ったら大変。 除雪機が強くないと、雪は飛ばないのではないか。

突き当たった辺りで右に曲がったら、道の駅がある。
この辺りから、100㍍程左に行ったら、松之山街道はあった。 知らなかった。

里芋が干してある。

夕暮れが早い。 少し前、高校生が汽車に乗り込んだ。

上杉謙信が、どの道を動いていたかは、今まで分からなかった。
それが、今日分かった。
松代は、昔も今も、交通の要衝としての地だった。
【道の駅】 まつだいふるさと会館
【明日の予定】 西に動きます。 古道を歩くか、上越市に一気に行くかも。
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