昔、東北さらに蝦夷から、千石船で物が運ばれた。
南下した船は下関を通って、大阪へ。 戻る時も物を積んで。
その通り道に、佐渡の島はあった。
寄港地として栄えたのが、宿寝木(しゅくねぎ)の港。
港の前の狭い土地に、家々が密集して建てられた。
その家々は今に残って、重伝建地区に。
今日は、江戸時代の匂いのする宿寝木を歩いた。
少し離れた所の、洞窟にも。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
場所は、佐渡の南の端。 右地図の赤〇に停泊。

印と赤の〇に行く。

車は、民族博物館の駐車場に。 (駐車場は、行ってみたら、この先にもあった)

下の地図があった。 民俗博物館の写真は、宿寝木のHPから。
船は千石(せんごく)船。 (北前船も、同じ仲間)
※ 千石船は、米が千石(2500俵)積める船。 漠然と大きいではなく。
北前船は、千石船より大きい。

少し歩くと郵便局。 ここにも駐車場。 〇から下りて行った。

庚申塔があったり。

共同井戸に出た。 向こうに上がっていく道も。
人が歩いて歩いて、石がすり減っている。 水を運んだ。

まず、白山神社。 ボタンの季節が来ている。

上の右に、称光寺。 時宗。 宿寝木の全ての家が、ここの檀家だそう。

本堂。 開かれたのは、鎌倉末期。 岩が削りやすいので、こんなのが。

戻って白山神社を。 白山信仰は広くに。 宿寝木の集落は、時代と共に大きく。

集落の中を歩く。 洗い場があるということは、排水は流さなかったんですね。
洪水を起こしたことも。

右への道が斜め。 三角の土地に家。 JRのCMで吉永小百合が来た。(写真は案内所で撮影。動画は最後に)

上の写真から、右に入って。 説明を読むと、上の写真は船の前の部分に。
昔の洪水の時、船が浮かんでいるように見えた。(案内所の人の話)

尖がった所は、階段。 写真は、宿寝木のHpから。
元に戻って、少し行って振り返った。 窓の造りが繊細。

先に行く。 右写真は、左の小路を見た。

清九郎(せいくろう)という家。 有料。 写真は、宿寝木のHpから。 仲は広い。
左向こうから来た。
曲がり角に、この家。 この後は、後の道に。
世界地図のことが。
この地図を作るために、どんな活躍があったかは、調べたけど分からない。
情報を集めて、紹介したということかな。

寺から歩いて来て、海に出る。 道の名前は、世捨小路。
云われは分からない。 土地の人も。
不思議な名前。 どうしてこう呼ぶかを知りたい。
(本土で自分の全てを捨てて、この地で隠れるように暮らした者が名付けたのか。 想像)

海に出て広場。 お店。 狭いけど駐車場も。 この後、右向こうに行く。 屋根に石。

上の写真の右。

新しく見える家は、改修工事が終わった。 新築は出来ない。(重伝建地区なので)
使える古い部材は使って、全く同じに。

奥に来て、右に曲がる。 左の家が面白い。

伊三郎と云う家。 軒下に飾り。 昨日、お店に1つだけあった。
姓は石塚。 石の字が見える。

奥の方。 窓にも工夫が。

道を進むとこの家。 一番下の横板(腰板)は、船で使ってた板だという。
船大工が建てた家が多い。
懐かしい昭和の顔。 自分は右端の子のような顔だったな。

さらに奥に。 一瞬間違って、「やめました」と呼んでしまった。
そうではなく、定休日。 かわいい道祖神。

小路の中を見た。 家はどこも大きい。 裕福な時代があったと分かりますね。

広場に戻った。 観光案内所。 ここの中に、JRのポスターはあった。
屋根に石。

10分ほど、案内所の人とお話し。 石は屋根から落ちないのかと聞いた。
石には穴があって、ボルトで留めていた。 昔は、載せたまま。 落ちにくくして。
後の木は、屋根の板。 ※ 寺や神社で使う、杮(こけら)葺の板より厚い。
今は、瓦の家が多い。

海側から見た。 案内所の人。

港。 たらい舟。 何かを探している。

左を見たら、穴。 隧道(トンネル)になっていて、通れる。

真っ暗。 大丈夫か。 穴は貯蔵庫に利用したり。 通り抜けた向こうで、昔は製塩も。

写真だから明るいけど、やっと歩ける明るさ。

風化しやすい岩。 右を行く。 不安。

上への道を来た。

大きな家の所に、駐車。 洞窟は、右遠くにある。 右に小さく幸福地蔵。

信仰の山、岩屋山。 洞窟は、正面を登る。

上がってきた。

上がって来て、振り返った。 地蔵さんが88ある。 左を上がると小さなお堂。

岩屋さん洞窟。 少し不気味。

石仏が所狭しと。

奥は深いそう。 囲炉裏で酒を飲むのか。 磨崖仏。 年代は分からない。

別の所に。 横井戸があるというので来た。

山の中の水脈まで横に掘った。 そこから水を引いている。 田んぼに使う水。
高い所で水を確保しないと、田んぼに流れない。
考えた人がいたんですね。

最後に、幸福地蔵。

石ではないよう。 コンクリートか。 黒いのは蜂の巣。 集落を見守っている。
この後戻る。

宿寝木の集落は、家が寄り添うように建っていた。
今の時代に残ったことが、不思議。
船大工の技術が生かされた、懐かしい雰囲気が漂う路地。
歩くと、江戸時代に迷い込んだような気分。
重伝建地区になったから、いつまでも大事にされる。
佐渡島の大きな財産ですね。
【今日の一句】 「 宿寝木の小路 歩くと 懐かしい声が聞こえてくるような 」
【停泊場所】 小木港近くのパーキング
【明日の予定】 北に。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
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その通り道に、佐渡の島はあった。
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港の前の狭い土地に、家々が密集して建てられた。
その家々は今に残って、重伝建地区に。
今日は、江戸時代の匂いのする宿寝木を歩いた。
少し離れた所の、洞窟にも。
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車は、民族博物館の駐車場に。 (駐車場は、行ってみたら、この先にもあった)

下の地図があった。 民俗博物館の写真は、宿寝木のHPから。
船は千石(せんごく)船。 (北前船も、同じ仲間)
※ 千石船は、米が千石(2500俵)積める船。 漠然と大きいではなく。
北前船は、千石船より大きい。



少し歩くと郵便局。 ここにも駐車場。 〇から下りて行った。


庚申塔があったり。

共同井戸に出た。 向こうに上がっていく道も。
人が歩いて歩いて、石がすり減っている。 水を運んだ。


まず、白山神社。 ボタンの季節が来ている。


上の右に、称光寺。 時宗。 宿寝木の全ての家が、ここの檀家だそう。


本堂。 開かれたのは、鎌倉末期。 岩が削りやすいので、こんなのが。


戻って白山神社を。 白山信仰は広くに。 宿寝木の集落は、時代と共に大きく。


集落の中を歩く。 洗い場があるということは、排水は流さなかったんですね。
洪水を起こしたことも。


右への道が斜め。 三角の土地に家。 JRのCMで吉永小百合が来た。(写真は案内所で撮影。動画は最後に)


上の写真から、右に入って。 説明を読むと、上の写真は船の前の部分に。
昔の洪水の時、船が浮かんでいるように見えた。(案内所の人の話)


尖がった所は、階段。 写真は、宿寝木のHpから。


元に戻って、少し行って振り返った。 窓の造りが繊細。

先に行く。 右写真は、左の小路を見た。


清九郎(せいくろう)という家。 有料。 写真は、宿寝木のHpから。 仲は広い。
左向こうから来た。



曲がり角に、この家。 この後は、後の道に。
世界地図のことが。
この地図を作るために、どんな活躍があったかは、調べたけど分からない。
情報を集めて、紹介したということかな。



寺から歩いて来て、海に出る。 道の名前は、世捨小路。
云われは分からない。 土地の人も。
不思議な名前。 どうしてこう呼ぶかを知りたい。
(本土で自分の全てを捨てて、この地で隠れるように暮らした者が名付けたのか。 想像)


海に出て広場。 お店。 狭いけど駐車場も。 この後、右向こうに行く。 屋根に石。

上の写真の右。


新しく見える家は、改修工事が終わった。 新築は出来ない。(重伝建地区なので)
使える古い部材は使って、全く同じに。

奥に来て、右に曲がる。 左の家が面白い。

伊三郎と云う家。 軒下に飾り。 昨日、お店に1つだけあった。
姓は石塚。 石の字が見える。


奥の方。 窓にも工夫が。


道を進むとこの家。 一番下の横板(腰板)は、船で使ってた板だという。
船大工が建てた家が多い。
懐かしい昭和の顔。 自分は右端の子のような顔だったな。


さらに奥に。 一瞬間違って、「やめました」と呼んでしまった。
そうではなく、定休日。 かわいい道祖神。



小路の中を見た。 家はどこも大きい。 裕福な時代があったと分かりますね。

広場に戻った。 観光案内所。 ここの中に、JRのポスターはあった。
屋根に石。



10分ほど、案内所の人とお話し。 石は屋根から落ちないのかと聞いた。
石には穴があって、ボルトで留めていた。 昔は、載せたまま。 落ちにくくして。
後の木は、屋根の板。 ※ 寺や神社で使う、杮(こけら)葺の板より厚い。
今は、瓦の家が多い。

海側から見た。 案内所の人。

港。 たらい舟。 何かを探している。

左を見たら、穴。 隧道(トンネル)になっていて、通れる。

真っ暗。 大丈夫か。 穴は貯蔵庫に利用したり。 通り抜けた向こうで、昔は製塩も。



写真だから明るいけど、やっと歩ける明るさ。


風化しやすい岩。 右を行く。 不安。


上への道を来た。

大きな家の所に、駐車。 洞窟は、右遠くにある。 右に小さく幸福地蔵。

信仰の山、岩屋山。 洞窟は、正面を登る。

上がってきた。


上がって来て、振り返った。 地蔵さんが88ある。 左を上がると小さなお堂。

岩屋さん洞窟。 少し不気味。

石仏が所狭しと。


奥は深いそう。 囲炉裏で酒を飲むのか。 磨崖仏。 年代は分からない。


別の所に。 横井戸があるというので来た。

山の中の水脈まで横に掘った。 そこから水を引いている。 田んぼに使う水。
高い所で水を確保しないと、田んぼに流れない。
考えた人がいたんですね。



最後に、幸福地蔵。

石ではないよう。 コンクリートか。 黒いのは蜂の巣。 集落を見守っている。
この後戻る。


宿寝木の集落は、家が寄り添うように建っていた。
今の時代に残ったことが、不思議。
船大工の技術が生かされた、懐かしい雰囲気が漂う路地。
歩くと、江戸時代に迷い込んだような気分。
重伝建地区になったから、いつまでも大事にされる。
佐渡島の大きな財産ですね。
【今日の一句】 「 宿寝木の小路 歩くと 懐かしい声が聞こえてくるような 」
【停泊場所】 小木港近くのパーキング
【明日の予定】 北に。
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