かつては、日本最大の金銀山だったという。
観光施設は、昔の坑道を利用している。
江戸時代のコースと明治のコースの分かれて。
見所は、江戸時代の宗太夫(そうだゆう)抗。
海から少し入った、山の中にあった。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
両津港に近い道の駅から向かった。

道沿いに案内がずっとある。

駐車場から上がってきた。 少し行って右に入った。 右写真を行く。 後に大きなお店。

ここが入り口。 宗太夫坑は江戸時代の中心の坑道。 ※ 間歩(まぶ)は、坑道のこと。
赤の部分が、宗太夫坑。 見学に40分。
最初は緑の、道游(どうゆう)抗。 こっちは明治に入っての坑道。 坑道の外も歩く。
道游抗。 長いトンネルを行く。 涼しい感じ。

いろんな説明。
鉱脈が露出していたので、発見された。 上から掘った部分も。 山が割れるようになった所が。
深さは800㍍まで。 1㌧の石から、多くて8㌘の金。
江戸時代は幕府んが中心になって。 明治に入って、明治政府。

明治に入って、近代的な掘り方に。 坑道はアリの巣のように。 総延長は400㌔。 気が遠くなる長さ。
彫り出された金の量は、全部で78㌧。 今の金額にしたら、およそ4000億円。 多いのか?

小さなトロッコが走った。 鉱石や資材や人を運ぶ。

今いる辺りの上に、右写真のような「道游の割戸」がある。 どうゆうのわれと。
上から掘って、山が割れた感じに。
左の穴は、トロッコが来たらここに退避。
出て来て、正面に機械などを展示。 後で行く。 左から後ろの山に行く。

5分ほどで、上で紹介した道游の割戸。 上から掘って、こうなった。 少し前、ここの地底にいた。
山の上に出ていた鉱脈を、3人の男が発見した。

道端に、白のオドリコソウがあった。 隣は以前撮影。 右端は、Wikipedia。 人に見えますね。

戻って来て、こんなトロッコ。 部品などを自作する機械などが並んでいた。

資料室にあった写真。 明治初期には、金山一帯に10万人が住んでいたそう。

トンネルを抜けて、山の向こうに。 右に曲がったら、スタート地点に。

彫り出された石は、ここに運ばれた。

さっきの山が見えた。

最初の地点に戻って、今度は江戸時代の宗太夫坑(そうだゆうこう)。
水を上に揚げている。 無宿人とかが佐渡に送られて、こんな仕事に。
坑道の崩れやすい所を補強。 木は島外からも。

汲んだ水を、上の引っ張り上げるのか。

一休みかな。

島から出れたのだろうか。 きっと死ぬまで働いた。 肺をやられる。
「早く外に出て酒を飲んで、馴染みの女にも会いてえなあ」って云ってる。
ここも水の作業。

手掘りだ。 どのくらいの明るさでしょう。 油を燃やしますね。 危険な作業。 たてにも穴は続く。

江戸時代は金貨が使われた。 どうしても、金でなければ駄目だったんですね。 それで掘るのか。
鑽(たがね)で掘る。 2日に1本の消費。 こんなの。
鑽は、鏨とも書く。

労働時間は、どうなっていたのでしょう。
採掘する坑道は、請負業者がするとある。 金を採掘するとは、別の仕事ですね。
金が減ってきたら、以前は捨てられた石も集めて運んだ。

金を多量に含む坑道が発見された。 これから掘る。 まず、お祝いの儀式。

坑道を出たら、資料館。 お店の2階。

作業の流れは、決まっている。 小さな家で寝て。
鉱石から金を取り出す技術が、出来上がっていたんですね。

この船で海の向こうに。

12.5㌔の金。 本物。 穴から取り出せたら、何かプレゼント。 自分は持つのがやっと。
鉄の3倍近い重さ。 こんな小さいのに、どうしてと思うほど重い。 これで6000万円。

色んな小判。 レプリカかな。 右は本物。

佐渡と云えば金山。
見学して晩に調べて、やっと全体がある程度分かった。 そんな状態。
金額は全体で1400円。
高いけど、今まで見た金山の中では一番見応えがあったでしょうか。
※ この後、島の北側を1周しました。 日にちが無いので、そうしました。
木下順二が鶴女房を聞いたところにも行って来ました。 碑がありました。
場所は、先日伝説館で民話を聞いた人から、教えてもらっていました。
最北の灯台にも。 そこは映画の舞台に。
まだ写真を集めただけ。 少し遅れるけど、アップします。
【記事の紹介】
足尾銅山跡は、足尾銅山観光として、利用されていた。 延長1200㌔の坑道。~日光市~ 他 (2014/6/7)
別子銅山跡 マイントピア別子 東平地区はマチュピチュのよう 別子銅山記念館~新居浜市~ 他 (2016/3/8)
神子畑鋳鉄橋 生野銀山 ~朝来市~ 他 (2011/6/26)
鯛生金山 他 (2009/05/23)
土肥金山 ~250㎏の巨大金塊~ 他 (2009/11/4)
【道の駅】 芸能とトキの里
【明日の予定】 気になる所をいくつか。 佐渡にはあと1日半。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
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見所は、江戸時代の宗太夫(そうだゆう)抗。
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道沿いに案内がずっとある。

駐車場から上がってきた。 少し行って右に入った。 右写真を行く。 後に大きなお店。


ここが入り口。 宗太夫坑は江戸時代の中心の坑道。 ※ 間歩(まぶ)は、坑道のこと。


赤の部分が、宗太夫坑。 見学に40分。
最初は緑の、道游(どうゆう)抗。 こっちは明治に入っての坑道。 坑道の外も歩く。

道游抗。 長いトンネルを行く。 涼しい感じ。

いろんな説明。
鉱脈が露出していたので、発見された。 上から掘った部分も。 山が割れるようになった所が。
深さは800㍍まで。 1㌧の石から、多くて8㌘の金。
江戸時代は幕府んが中心になって。 明治に入って、明治政府。



明治に入って、近代的な掘り方に。 坑道はアリの巣のように。 総延長は400㌔。 気が遠くなる長さ。
彫り出された金の量は、全部で78㌧。 今の金額にしたら、およそ4000億円。 多いのか?


小さなトロッコが走った。 鉱石や資材や人を運ぶ。

今いる辺りの上に、右写真のような「道游の割戸」がある。 どうゆうのわれと。
上から掘って、山が割れた感じに。


左の穴は、トロッコが来たらここに退避。

出て来て、正面に機械などを展示。 後で行く。 左から後ろの山に行く。

5分ほどで、上で紹介した道游の割戸。 上から掘って、こうなった。 少し前、ここの地底にいた。
山の上に出ていた鉱脈を、3人の男が発見した。


道端に、白のオドリコソウがあった。 隣は以前撮影。 右端は、Wikipedia。 人に見えますね。



戻って来て、こんなトロッコ。 部品などを自作する機械などが並んでいた。


資料室にあった写真。 明治初期には、金山一帯に10万人が住んでいたそう。



トンネルを抜けて、山の向こうに。 右に曲がったら、スタート地点に。


彫り出された石は、ここに運ばれた。


さっきの山が見えた。

最初の地点に戻って、今度は江戸時代の宗太夫坑(そうだゆうこう)。
水を上に揚げている。 無宿人とかが佐渡に送られて、こんな仕事に。


坑道の崩れやすい所を補強。 木は島外からも。


汲んだ水を、上の引っ張り上げるのか。

一休みかな。

島から出れたのだろうか。 きっと死ぬまで働いた。 肺をやられる。
「早く外に出て酒を飲んで、馴染みの女にも会いてえなあ」って云ってる。
ここも水の作業。


手掘りだ。 どのくらいの明るさでしょう。 油を燃やしますね。 危険な作業。 たてにも穴は続く。

江戸時代は金貨が使われた。 どうしても、金でなければ駄目だったんですね。 それで掘るのか。
鑽(たがね)で掘る。 2日に1本の消費。 こんなの。



労働時間は、どうなっていたのでしょう。
採掘する坑道は、請負業者がするとある。 金を採掘するとは、別の仕事ですね。


金が減ってきたら、以前は捨てられた石も集めて運んだ。


金を多量に含む坑道が発見された。 これから掘る。 まず、お祝いの儀式。

坑道を出たら、資料館。 お店の2階。

作業の流れは、決まっている。 小さな家で寝て。
鉱石から金を取り出す技術が、出来上がっていたんですね。



この船で海の向こうに。


12.5㌔の金。 本物。 穴から取り出せたら、何かプレゼント。 自分は持つのがやっと。
鉄の3倍近い重さ。 こんな小さいのに、どうしてと思うほど重い。 これで6000万円。

色んな小判。 レプリカかな。 右は本物。


佐渡と云えば金山。
見学して晩に調べて、やっと全体がある程度分かった。 そんな状態。
金額は全体で1400円。
高いけど、今まで見た金山の中では一番見応えがあったでしょうか。
※ この後、島の北側を1周しました。 日にちが無いので、そうしました。
木下順二が鶴女房を聞いたところにも行って来ました。 碑がありました。
場所は、先日伝説館で民話を聞いた人から、教えてもらっていました。
最北の灯台にも。 そこは映画の舞台に。
まだ写真を集めただけ。 少し遅れるけど、アップします。
【記事の紹介】
足尾銅山跡は、足尾銅山観光として、利用されていた。 延長1200㌔の坑道。~日光市~ 他 (2014/6/7)
別子銅山跡 マイントピア別子 東平地区はマチュピチュのよう 別子銅山記念館~新居浜市~ 他 (2016/3/8)
神子畑鋳鉄橋 生野銀山 ~朝来市~ 他 (2011/6/26)
鯛生金山 他 (2009/05/23)
土肥金山 ~250㎏の巨大金塊~ 他 (2009/11/4)
【道の駅】 芸能とトキの里
【明日の予定】 気になる所をいくつか。 佐渡にはあと1日半。
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(2008年4月~2010年9月までの.記事)

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