江戸幕府を倒すのに、多くの人達が関わった。
関鉄之介もその1人。
井伊直弼は、安政の大獄で、新しい時代を見つめるたくさんの者達を弾圧して殺した。
若い者を育てた吉田松陰も犠牲になった。
しかし、桜田門外の変で、井伊直弼は殺された。
襲撃の方法などを考え、現場を指揮したのが、関鉄之介。
坂本龍馬と同じように、彼も新しい時代に向けて、大きな役割を果たした。
ただ、幕府にはまだ力が残っており、捕まって処刑される。
あと5年生き延びたら、大政奉還で時代は変わっていた。
今日は、捕まった地に行ってみた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
新潟県北部の、関川村。

そこの、湯沢温泉。

ここは、関川村の道の駅。 小さな村に大きな道の駅。

赤〇が湯沢温泉。 ここで関鉄之介は捕まった。 間違って、オレンジの〇にも石碑。

資料をいただけるかと思って、情報センターに。 映画があった時のですね。

展望室から、道の駅。

左側に、古い家並みがある。 右の映画が撮影された。 小さい時の井上真央がいる。 最近動き始めている。

国道を挟んだ、ずっと向こうに湯沢温泉。

情報センターでは、歴史とみちの館に連絡を取ってくれた。
そこにやって来た。

この資料を中心に、3枚いただいた。

この後、湯沢温泉に。 その前にここ。
自分は、ここに一度来ている。

ここで捕まったとの碑。 ここは間違いと書いてある。

湯沢温泉に向かった。 道は左にカーブするけど、真っ直ぐ行って右の沢に入る。

右にです。 川に沿って。 車は、この近くに停めて歩く。
この写真の後ろに、共同浴場。

小さな温泉街に入ってきた。 風情がある。 右にお寺。

捕まった温泉旅館は、突き当りの右にあった。 後で行く。
石碑は、少し行って右の広場に。 少し前、軽トラの人に聞いていた。

右にお寺の本堂。 左向こうに見えた。

就縛(しゅうばく)の碑とある。 捕まってお縄になった地ですね。

鉄之介を支援していた者の裏切りがあったりして、追い詰められていた。
元々、支援者がいたために逃げられていた。
捕まるまで1年半。 多くの仲間は死んでいた。
彼は九州の方にも行っていた。
桜田門外の変が、義のある戦いだったことを理解してもらうために、薩摩藩にかけ合ったりしていた。
時代は動いていたため、難しかった。
それが叶うのは、明治に入ってから。 幕府がつぶれてから。
最後、北方面に逃げてきたのは信頼のおける人間がいたから。
鉄之介が来た時の、潜伏していた田屋の建物は、右。

上の文に、若い者たちを集めてとある。 逃げるだけが目的ではなかったと分かりますね。
今はそこに、普通の家。 関鉄之介 就縛の処とある。

関鉄之介の写真は見つからない。
切腹してるのは、有村次左衛門の兄。 治左衛門だけが、実行犯18名の中で薩摩藩士。 脱藩して。
キエ~イって声を上げて直弼の首を切り落とした。
映画では大沢たかおが、鉄之介を。
桜田門の前の雪は、真っ赤に染まった。

関鉄之介が逃げてきたルートの地図は、ネットにない。
赤〇を通ったことは、分かっている。
このルートの難所は、那須越え。
会津中街道と呼ばれる道。 江戸と会津の最短の道。

那須高原の沼ッ原湿原の中を、会津中街道が通っていた。
右に行ったら、三斗小屋宿跡。 鉄之介は、そこにいたことが分かっている。(数日間)
ここから4㌔程。 ※ そこから2㌔離れて、三斗小屋温泉。 ランプの宿。
この写真を撮った時、距離が表示してなかったので、行けなかった。
温泉は宿泊だけ。 日帰り入浴はない。
一度は行ってみたい。

これは、那須に登った時。 途中の馬の背のような場所に来た。
矢印の方句に、温泉。 さらに下に、鉄之介が宿泊した三斗小屋宿跡。
会津中街道は、正面の山の向こうの谷を、左から右に。 途中、大峠を越えて。

上の写真から、三本槍岳の頂上に来た。 那須連山の最高峰。
鉄之介は、左向こうの谷を通って、下に見える今の下郷町に入った。
さらに北に進んだと思われる。 途中で、会津西街道に合流。
いろんな人たちの協力があって、湯沢温泉まで来た。
ただ、ほんの一部だが裏切る者が現れた。
湯沢共同浴場に入って、戻ることに。

小さな湯の花が見えた。 43度くらいの温まる温泉。 200円。
自分だけ。 湯船の湯で洗う。 一番好きなタイプ。

暑い一日だった。 外は30度ほど。
井伊直弼は、歴代の悪党。 幕府に忠臣の、土方歳三のような魅力は無かった。
歴史の流れを変えた、関鉄之助の行動の意義は大きい。
歴史の教科書には、誰を載せるべきか。
見直される時代が、きっと来ます。
世の中を変えるために動いた人間が、クローズアップされる時が。
その時は間違いなく、関鉄之介の名前があがると思います。
国を思う気持ちは、龍馬と同じ。
彼は、関川村の人達にも好かれていました。
同じ「関」が付きますし。
【記事の紹介】
関川村には、あったかい空気が流れていた。 ここは、関鉄之介の潜伏地だった。 ~新潟県と山形県の県境~ (2010/10/12)
【今日の一句】 「 鉄之助 あれから155年 カジカ鳴く 」
温泉街を流れる川で、カジカガエルが鳴いていた。 鳥の声のよう。 美しい。
【道の駅】 関川
【明日の予定】 関川村の散策
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
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関鉄之介もその1人。
井伊直弼は、安政の大獄で、新しい時代を見つめるたくさんの者達を弾圧して殺した。
若い者を育てた吉田松陰も犠牲になった。
しかし、桜田門外の変で、井伊直弼は殺された。
襲撃の方法などを考え、現場を指揮したのが、関鉄之介。
坂本龍馬と同じように、彼も新しい時代に向けて、大きな役割を果たした。
ただ、幕府にはまだ力が残っており、捕まって処刑される。
あと5年生き延びたら、大政奉還で時代は変わっていた。
今日は、捕まった地に行ってみた。
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新潟県北部の、関川村。


そこの、湯沢温泉。

ここは、関川村の道の駅。 小さな村に大きな道の駅。

赤〇が湯沢温泉。 ここで関鉄之介は捕まった。 間違って、オレンジの〇にも石碑。

資料をいただけるかと思って、情報センターに。 映画があった時のですね。


展望室から、道の駅。

左側に、古い家並みがある。 右の映画が撮影された。 小さい時の井上真央がいる。 最近動き始めている。


国道を挟んだ、ずっと向こうに湯沢温泉。

情報センターでは、歴史とみちの館に連絡を取ってくれた。
そこにやって来た。


この資料を中心に、3枚いただいた。

この後、湯沢温泉に。 その前にここ。
自分は、ここに一度来ている。

ここで捕まったとの碑。 ここは間違いと書いてある。


湯沢温泉に向かった。 道は左にカーブするけど、真っ直ぐ行って右の沢に入る。

右にです。 川に沿って。 車は、この近くに停めて歩く。
この写真の後ろに、共同浴場。

小さな温泉街に入ってきた。 風情がある。 右にお寺。

捕まった温泉旅館は、突き当りの右にあった。 後で行く。
石碑は、少し行って右の広場に。 少し前、軽トラの人に聞いていた。

右にお寺の本堂。 左向こうに見えた。

就縛(しゅうばく)の碑とある。 捕まってお縄になった地ですね。

鉄之介を支援していた者の裏切りがあったりして、追い詰められていた。
元々、支援者がいたために逃げられていた。
捕まるまで1年半。 多くの仲間は死んでいた。
彼は九州の方にも行っていた。
桜田門外の変が、義のある戦いだったことを理解してもらうために、薩摩藩にかけ合ったりしていた。
時代は動いていたため、難しかった。
それが叶うのは、明治に入ってから。 幕府がつぶれてから。
最後、北方面に逃げてきたのは信頼のおける人間がいたから。
鉄之介が来た時の、潜伏していた田屋の建物は、右。


上の文に、若い者たちを集めてとある。 逃げるだけが目的ではなかったと分かりますね。
今はそこに、普通の家。 関鉄之介 就縛の処とある。


関鉄之介の写真は見つからない。
切腹してるのは、有村次左衛門の兄。 治左衛門だけが、実行犯18名の中で薩摩藩士。 脱藩して。
キエ~イって声を上げて直弼の首を切り落とした。
映画では大沢たかおが、鉄之介を。
桜田門の前の雪は、真っ赤に染まった。

関鉄之介が逃げてきたルートの地図は、ネットにない。
赤〇を通ったことは、分かっている。
このルートの難所は、那須越え。
会津中街道と呼ばれる道。 江戸と会津の最短の道。

那須高原の沼ッ原湿原の中を、会津中街道が通っていた。
右に行ったら、三斗小屋宿跡。 鉄之介は、そこにいたことが分かっている。(数日間)
ここから4㌔程。 ※ そこから2㌔離れて、三斗小屋温泉。 ランプの宿。
この写真を撮った時、距離が表示してなかったので、行けなかった。
温泉は宿泊だけ。 日帰り入浴はない。
一度は行ってみたい。

これは、那須に登った時。 途中の馬の背のような場所に来た。
矢印の方句に、温泉。 さらに下に、鉄之介が宿泊した三斗小屋宿跡。
会津中街道は、正面の山の向こうの谷を、左から右に。 途中、大峠を越えて。

上の写真から、三本槍岳の頂上に来た。 那須連山の最高峰。
鉄之介は、左向こうの谷を通って、下に見える今の下郷町に入った。
さらに北に進んだと思われる。 途中で、会津西街道に合流。

いろんな人たちの協力があって、湯沢温泉まで来た。
ただ、ほんの一部だが裏切る者が現れた。
湯沢共同浴場に入って、戻ることに。

小さな湯の花が見えた。 43度くらいの温まる温泉。 200円。
自分だけ。 湯船の湯で洗う。 一番好きなタイプ。

暑い一日だった。 外は30度ほど。
井伊直弼は、歴代の悪党。 幕府に忠臣の、土方歳三のような魅力は無かった。
歴史の流れを変えた、関鉄之助の行動の意義は大きい。
歴史の教科書には、誰を載せるべきか。
見直される時代が、きっと来ます。
世の中を変えるために動いた人間が、クローズアップされる時が。
その時は間違いなく、関鉄之介の名前があがると思います。
国を思う気持ちは、龍馬と同じ。
彼は、関川村の人達にも好かれていました。
同じ「関」が付きますし。
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関川村には、あったかい空気が流れていた。 ここは、関鉄之介の潜伏地だった。 ~新潟県と山形県の県境~ (2010/10/12)
【今日の一句】 「 鉄之助 あれから155年 カジカ鳴く 」
温泉街を流れる川で、カジカガエルが鳴いていた。 鳥の声のよう。 美しい。
【道の駅】 関川
【明日の予定】 関川村の散策
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