古い敷石の道を復活させて、未来に残すことに、どんな意味(意義)があるのでしょう。
深い森の中に、黒沢峠敷石道は続いていた。
この越後米沢街道は、明治の中頃まで使われた。
街道には多くの峠があり、十三峠と呼ばれた。 その1つが、黒沢峠。
長く土や葉に埋もれていた古道は、地域の保存会によって復活された。
自然の中を、歴史を感じながらの、楽しい道に。
昔、峠を越える人々は、何を思って歩いたのでしょう。
歴史に名を残した、多くの人も通った道。
(写真をクリックして一瞬で大きくならない時が。 再度開き直したら大丈夫な時があります)
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
国道の入り口には案内が。 数㌔入る。

スタート地点まで車で行ける。 グーグルの地図には、歩ける道は出る。 登山道など、点線で。

米沢から見たら、越後に行くので越後街道。
越後側から見たら、米沢に行くので米沢街道。
それで、越後米沢街道と呼ばれる。 (地図は小国町のHPからお借り)

自分は、道が不安だったので、少し手前の広い駐車場に停めた。
黒沢峠祭りをするので、いろいろある。

上の道は林道で、敷石道は右に入る。 頂上まで40分。 ※ 車で来た道は、旧街道か。

敷石道の整備などがある。 そのためにここ。 昨年の祭りのポスター。

街道は江戸時代前からあったけど、敷石が敷かれたのは、江戸時代の遅くに。
明治の中ころまで使われた。
※ 青苧(あおお)は、カラムシと呼ばれる繊維を取る植物。
元々は、上越地方でつくられた。 上杉景勝が米沢に移封になった時に持ってきた。
米沢で盛んになって、逆に越後に。 今は、昭和村だけで栽培。(以前行っている)
人も馬も通った。 兼続も、良寛さんも西郷さんも。
そして、イザベラ・バードというイギリスの女性も。
旅記録作家の感じ。 明治11年の夏に通った。 北の方の金山町で彼女の碑を見た。
点線を歩く。

イザベラ・バードの写真。 ※ 最後に、彼女の黒沢峠の文を紹介。
さあ出発。 ここから敷石道。

少しして石切り場。 岩は谷に転がっている。 そんなのを使ったのか。
敷石だと、雨が降っても歩ける。 今日は時々小雨。
濡れた石は滑る。 砂岩かなって感じる。
ただ草鞋(わらじ)をはいてたら滑りにくい。 ※ 今も釣り人は使う時が。
人は真ん中を歩く。 すり減っている。

人は2本足だから、上手に石の上に足が置ける。 4つ足の馬や牛も、上手に歩くのか。

クマの恐怖はきっとあった。 ※ 自分は対策している。 鐘など。

どうしてこんな形に。

一里塚に着いた。 こんもりした土。 直江兼続が整備したとある。

ブナの森は、空気がさわやか。 鳥が鳴いて。 クマの糞はない。

開けた所に出た。 何かが。

茶屋の跡。 中央奥に、石碑があった。 何かの像が彫ってあったのか。 縁取りが特徴。

説明。 上杉斉憲(なりのり)は米沢藩12代藩主。 名君と。 13代が最期の藩主だから、1つ前。
右写真。 明治に入って撮ったのか。 景勝の直系。 (直系は今に続いている。 宇宙関係で著名な人も)

茶屋の土台石が残っている。 旅人は茶屋で一休み。 カタツムリと遊んで。

さらに進んで、右に谷。 ヤマフジ。 ここで一息。 旅人は、鳥の声や花に心いやされて。

この道は米沢に向かっている。 海の物を背にしている人も。
牛追い唄とかはなかったのか。 クマを追い払うためにも。
チゴユリが咲いて。
見えた。 頂上かな。

黒石峠の頂上。 426㍍。 ここまで来たら後は下り。 旅人は、きっと一休み。
左に行けば、旧道。 最初の場所に着く。

少し下ってみた。 荒れ気味なので、行かない。

旧道。 少しだけ行ってみた。 敷石道の下りの風景を撮る。

戻る。 茶屋跡に。
小国町は、ワラビの畑がどこにでも。 夕方、道の駅でアク抜きしたのを買った。 美味しかった。

この様な形の石も。 斜面が緩いと、これで十分。 滑るのは下る時。 一里塚。

下りの人は、越後に向かう。 家族を米沢に残してきた人も。
中には、好きな人が越後で待ってる人も。 足取り軽くなる。

石はこの様にも。 どれ1つ持つのも大変。 完成したら、長く使える。 旅人は助かる。
アヅマヒキガエルか。 大きい。 ジャンプの瞬間を撮った。
あわててボケた。 右にいる。 自慢できる格好ではない。

里が近づくと一安心。 ミツバは、豆腐の味噌汁に。 味が濃く無農薬。

着きました。

今の時代、遠い先人の人達の汗は、何で感じ取れるでしょう。
何も残ってない町だってあります。
敷石道を歩いて、先人の苦労や知恵が学べます。
昔を大事にすることが、今の大事にし、良くすることにつながります。
黒沢峠敷石道保存会の人達が取り組む意義は、そこにあると思うでしょうか。
敷石道は、地域の自然に親しむ道でもあります。
ずっと残るといいですね。
※ イザベラ・バードの黒沢峠の記事は、ここにあります。 7月12日です。(日本語訳が2つ出る。後が正確か)
【今日の一句】 「 あの山の向こうには 家族が そして・・・」
【道の駅】 いいで(飯豊町)
【明日の予定】 雨の予報。 どうしましょう。 27日からは、いい日が続く。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
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深い森の中に、黒沢峠敷石道は続いていた。
この越後米沢街道は、明治の中頃まで使われた。
街道には多くの峠があり、十三峠と呼ばれた。 その1つが、黒沢峠。
長く土や葉に埋もれていた古道は、地域の保存会によって復活された。
自然の中を、歴史を感じながらの、楽しい道に。
昔、峠を越える人々は、何を思って歩いたのでしょう。
歴史に名を残した、多くの人も通った道。
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スタート地点まで車で行ける。 グーグルの地図には、歩ける道は出る。 登山道など、点線で。

米沢から見たら、越後に行くので越後街道。
越後側から見たら、米沢に行くので米沢街道。
それで、越後米沢街道と呼ばれる。 (地図は小国町のHPからお借り)

自分は、道が不安だったので、少し手前の広い駐車場に停めた。
黒沢峠祭りをするので、いろいろある。

上の道は林道で、敷石道は右に入る。 頂上まで40分。 ※ 車で来た道は、旧街道か。


敷石道の整備などがある。 そのためにここ。 昨年の祭りのポスター。


街道は江戸時代前からあったけど、敷石が敷かれたのは、江戸時代の遅くに。
明治の中ころまで使われた。
※ 青苧(あおお)は、カラムシと呼ばれる繊維を取る植物。
元々は、上越地方でつくられた。 上杉景勝が米沢に移封になった時に持ってきた。
米沢で盛んになって、逆に越後に。 今は、昭和村だけで栽培。(以前行っている)
人も馬も通った。 兼続も、良寛さんも西郷さんも。
そして、イザベラ・バードというイギリスの女性も。
旅記録作家の感じ。 明治11年の夏に通った。 北の方の金山町で彼女の碑を見た。
点線を歩く。


イザベラ・バードの写真。 ※ 最後に、彼女の黒沢峠の文を紹介。



さあ出発。 ここから敷石道。


少しして石切り場。 岩は谷に転がっている。 そんなのを使ったのか。


敷石だと、雨が降っても歩ける。 今日は時々小雨。
濡れた石は滑る。 砂岩かなって感じる。
ただ草鞋(わらじ)をはいてたら滑りにくい。 ※ 今も釣り人は使う時が。


人は真ん中を歩く。 すり減っている。


人は2本足だから、上手に石の上に足が置ける。 4つ足の馬や牛も、上手に歩くのか。


クマの恐怖はきっとあった。 ※ 自分は対策している。 鐘など。

どうしてこんな形に。


一里塚に着いた。 こんもりした土。 直江兼続が整備したとある。


ブナの森は、空気がさわやか。 鳥が鳴いて。 クマの糞はない。


開けた所に出た。 何かが。

茶屋の跡。 中央奥に、石碑があった。 何かの像が彫ってあったのか。 縁取りが特徴。


説明。 上杉斉憲(なりのり)は米沢藩12代藩主。 名君と。 13代が最期の藩主だから、1つ前。
右写真。 明治に入って撮ったのか。 景勝の直系。 (直系は今に続いている。 宇宙関係で著名な人も)


茶屋の土台石が残っている。 旅人は茶屋で一休み。 カタツムリと遊んで。




さらに進んで、右に谷。 ヤマフジ。 ここで一息。 旅人は、鳥の声や花に心いやされて。


この道は米沢に向かっている。 海の物を背にしている人も。
牛追い唄とかはなかったのか。 クマを追い払うためにも。
チゴユリが咲いて。



見えた。 頂上かな。

黒石峠の頂上。 426㍍。 ここまで来たら後は下り。 旅人は、きっと一休み。
左に行けば、旧道。 最初の場所に着く。


少し下ってみた。 荒れ気味なので、行かない。

旧道。 少しだけ行ってみた。 敷石道の下りの風景を撮る。

戻る。 茶屋跡に。
小国町は、ワラビの畑がどこにでも。 夕方、道の駅でアク抜きしたのを買った。 美味しかった。



この様な形の石も。 斜面が緩いと、これで十分。 滑るのは下る時。 一里塚。


下りの人は、越後に向かう。 家族を米沢に残してきた人も。
中には、好きな人が越後で待ってる人も。 足取り軽くなる。

石はこの様にも。 どれ1つ持つのも大変。 完成したら、長く使える。 旅人は助かる。
アヅマヒキガエルか。 大きい。 ジャンプの瞬間を撮った。
あわててボケた。 右にいる。 自慢できる格好ではない。



里が近づくと一安心。 ミツバは、豆腐の味噌汁に。 味が濃く無農薬。


着きました。

今の時代、遠い先人の人達の汗は、何で感じ取れるでしょう。
何も残ってない町だってあります。
敷石道を歩いて、先人の苦労や知恵が学べます。
昔を大事にすることが、今の大事にし、良くすることにつながります。
黒沢峠敷石道保存会の人達が取り組む意義は、そこにあると思うでしょうか。
敷石道は、地域の自然に親しむ道でもあります。
ずっと残るといいですね。
※ イザベラ・バードの黒沢峠の記事は、ここにあります。 7月12日です。(日本語訳が2つ出る。後が正確か)
【今日の一句】 「 あの山の向こうには 家族が そして・・・」
【道の駅】 いいで(飯豊町)
【明日の予定】 雨の予報。 どうしましょう。 27日からは、いい日が続く。
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(2008年4月~2010年9月までの.記事)

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