江戸時代の中頃から、庶民も出羽三山への参詣が出来るようになった。
仲間(講)でお金を積み立てて、毎年何名かが行く仕組み。
お参りだけど、半分は今の観光旅行。
楽しく、有意義な旅だ。 仲間の分もお参りして。
今日の本道寺は、月山や湯殿山への登拝口。
登山口のようなもの。
本道寺の下には、旅籠などの集落が出来た。
参詣客でにぎわった。
集落は、夏場働けばあとは遊んで暮らせたという。
本道寺は、明治に入って口之宮湯殿山神社になった。
しかし、建物は変わっても、境内には石碑など寺時代の物ばかりが残っていた。
面白いものを探してみた。
(写真をクリックして一瞬で大きくならない時が。 再度開き直したら大丈夫な時があります。 改善に時間を)
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
参詣と云っても大変。 登山と一緒。
一番高い所は月山。 そこに月山神社。
ずっと北に、羽黒山。
湯殿山も羽黒山も、独立した山ではなく、月山の稜線にある低い山。
こっちからの人は、湯殿山までが多いのか。

寒河江ダムの下の、山の中腹に。 深い谷。

山への参詣道は、7つあったと云われる。 地図の点線。 ※ 地図は山形観光からお借り。
自分も以前行った。 上の方から。 花を見ながら。

旧本道寺。 今は、口之宮湯殿山神社。 登拝口にあるからこの名前に。

上の四角い石碑は、旧本道寺代参塔群。
寺にいっぱいお金を納めれば、寺が代わりに行ってくれる。 楽だ。 その記念の石塔。
普通は1月に1回行ってくれる。 お金次第では、毎日のも。
若い者が行くと思うが、それも修行か。

こっちから4番目のが読みやすかった。 やっかいな字が1つ。 刕。
※ 刕は、州の字と同じ。 例えば、利の字の右は、立刀(りっとう)。 刀の意味。
州は立刀の部分が3つ。 つまり刀が3つ。 刕と同じ。
そんなことで、奥州東安達郡と読める。 安達太良(あだたら)山のある辺り。 二本松市一帯。

近くにこれも。 1つだけでも何とか読みたい。 こっちから3番目がかろうじて。
中央だけ。
一番上は梵字(ぼんじ)。 本道寺は真言宗。 真言宗の仏は、大日如来。 それを表している。
その下は、奉 参詣湯殿山 御宝前 三十三度。
御宝前は、お寺にお礼のお金(ご祝儀)を渡したという意味か。

面倒なのを読むのはお終い。
右は、集落の下からの参道。

ここに石段。

お地蔵さま。 神社にはない物ばかり。
明治の廃仏毀釈で、多くの物を壊した。 地域の人達は、申し訳ない思いで大事にするのか。

正面に、神社の拝殿。 昔の本殿はどこに? 後で分かる。
芭蕉の句碑。 下の方に袂(たもと)が読める。 大井沢の大日寺跡で見たのと同じ。
「 かたられぬ 湯殿にぬらす 袂哉(かな)」
※ ここに芭蕉は来てない。
出羽三山に8日間いたけど、羽黒山から月山に行って湯殿山に下った。
また月山に戻って羽黒山に。 疲労困ぱいだったという。

別当寺は神社を管理する寺。 神仏習合の時代、普通にあった。
神社の神官より上の地位。
湯殿山の神社には、4つの別当寺。
大井沢の大日寺、朝日村の大日坊と注連 寺、そしてここ本道寺。
湯殿山四ヶ寺と呼ばれた。 本道寺は、その中心だった。

文化財の説明。 下は、仏足石以外は見学できない。(申し込まないと)
ネットの写真で紹介。

下に、金剛力士像。 廃仏毀釈で、この像はある寺に。 その寺は、仙台ホテルに売ってしまった。
しかし、2005年にホテルは戻してくれた。 ただで。 寺を離れて130年が経っていた。
弘法大師像も見える。 これは買い戻した。 上と一緒に今の神社の拝殿にある。
ここの神社は、旧本道寺と一体の感じ。 寺は神社を恨み続ける場合もあるのに。
右写真の左下のが、月山登拝図。

下が、出羽三山女講中参詣図。 白装束の人が列になったと云うけど、この感じだった。(西川町の文化財からお借り)

下のも、同じ。 図の下の方に書いてあるので間違いないと思う。
みんな楽しそう。 老若男女。 うっかりお参りを忘れる者はいないでしょうね。
(韓国の人のサイトからお借り。 サイト名は読めない)

神社の拝殿。

左方向から。

正面にに、湯殿山の扁額。 左に開山堂と。 お寺時代、ここに開山堂があったのか。

白石とあったので気になった。
薄いけど、十郎と読める。 白石で十郎とあれば、片倉小十郎のことか。
押印に景貞とある。 調べてみて分かった。
仙台藩の白石領の10代目の領主は、片倉景貞。 初代と同じ、片倉小十郎とも呼ばれた。
※ 四角の中には、予想ではこう。
「 寛文六年、開山堂建立の際、仙台白石の領主 片倉小十郎殿より寄進になった〇〇額であります。」
(寄進の寄は別の字。 〇〇額は扁額の意味ですね)

寄進した景貞は、片倉家10代目。

※ 余談 信繁信繁(幸村)は、大阪城が落ちる直前、娘の阿梅(おうめ)と息子の大八を、
敵方の片倉小十郎(景綱)に預けた。
小十郎の息子 重長は、大阪の陣で大活躍。 信繁を困らせた。
片倉家に入った阿梅は、後に重長の妻になる。(先妻が亡くなった後)
白石城は、木造での復元。 片倉小十郎の息子重長の妻は、真田幸村の娘、阿梅(おうめ)姫。~白石市~ 他 (2014/10/12)
仏足石。

一番右の説明の最後が面白い。 どんな思いでいるかが伝わってくる。

拝殿左に、地蔵堂。 赤〇の中の像は、見たことがる。

下のがそれ。 許由(きょゆう)という人。 川の縁で、耳を洗っている図。 右は、九州のある神社で。
※ 帝が後を継いでくれと言った。 けがらわしいことを聞いたと、耳を洗っている。
そんな内容。

隣に、石碑が。 初めて見る、八日塔。

八日塔は、山形県、福島県、長野県にあるよう。
8日の日に、集まってお祈りして、少し食べて。 楽しい集まりかな。
本道寺の梵字は、全部これ。
説明は、近くの砂子関にある八日塔のもの。

本殿。

反対側から。

上の写真の左に像。 最初わらっていた。 別から見たら、泣いていた。

拝殿横に、社務所のような建物。 その裏に池。 久しぶりに見る、モリアオガエルの卵。

泡の中で大きくなったら、池に落ちる。 葉っぱが白いので、出てる最中か。 かわいい。(Wikipediaから)

離れた所に広い空き地。 昔はたくさんの堂宇があった。 下が見えた。

最初、この石段を登って来た。

ところが、ここにも石段があった。 狛犬がある。

石段が古い。 昔の参道は、これだった。
ということは、この後(うしろ)に本道寺の本堂はあった。 今の拝殿より、ずっと大きかった。(ある資料)
※ 戊辰戦争の時、会津やこの地方は幕府方に付いた。
本道寺は幕府の祈願所だったこともあり、新政府軍に焼かれた。
大きな切り株。

見える所で、150年以上かな。 200年は越える杉だった。 多くの参詣者を見た。

下から見た、古い石段。

※ 追記 山門と山門の扁額を撮るのを忘れたので、次の日の朝行って来ました。
石段を下った。 山門が見えてきた。

下まで行って、振り返った。

集落のことが。
本道寺の山門。 町の文化財になっていない。 後に建てたのか。
昔は、仁王門だったかも。

これが有名だという。 すごい字だと、素人目にも。

昔の参道は、途中から、最後に見た古い石段に、きっとつながっていた。

いつの時代か、また寺に戻せないのか。
仁王像だって弘法大師の像だって、寺の方が似合う。
像を拝殿に置くのは心配。 火事があったらお終い。
コンクリートで、小さくていいから、宝物殿をつくればいい。
今日は、いろんな物を見ました。
【今日の一句】 「 いつまでも続く 廃仏毀釈の後悔 そして償い 」
【道の駅】 にしかわ
【明日の予定】 岩根沢三社神社に。 西川町最終日です。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
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仲間(講)でお金を積み立てて、毎年何名かが行く仕組み。
お参りだけど、半分は今の観光旅行。
楽しく、有意義な旅だ。 仲間の分もお参りして。
今日の本道寺は、月山や湯殿山への登拝口。
登山口のようなもの。
本道寺の下には、旅籠などの集落が出来た。
参詣客でにぎわった。
集落は、夏場働けばあとは遊んで暮らせたという。
本道寺は、明治に入って口之宮湯殿山神社になった。
しかし、建物は変わっても、境内には石碑など寺時代の物ばかりが残っていた。
面白いものを探してみた。
(写真をクリックして一瞬で大きくならない時が。 再度開き直したら大丈夫な時があります。 改善に時間を)
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
参詣と云っても大変。 登山と一緒。
一番高い所は月山。 そこに月山神社。
ずっと北に、羽黒山。
湯殿山も羽黒山も、独立した山ではなく、月山の稜線にある低い山。
こっちからの人は、湯殿山までが多いのか。


寒河江ダムの下の、山の中腹に。 深い谷。

山への参詣道は、7つあったと云われる。 地図の点線。 ※ 地図は山形観光からお借り。
自分も以前行った。 上の方から。 花を見ながら。

旧本道寺。 今は、口之宮湯殿山神社。 登拝口にあるからこの名前に。


上の四角い石碑は、旧本道寺代参塔群。
寺にいっぱいお金を納めれば、寺が代わりに行ってくれる。 楽だ。 その記念の石塔。
普通は1月に1回行ってくれる。 お金次第では、毎日のも。
若い者が行くと思うが、それも修行か。



こっちから4番目のが読みやすかった。 やっかいな字が1つ。 刕。
※ 刕は、州の字と同じ。 例えば、利の字の右は、立刀(りっとう)。 刀の意味。
州は立刀の部分が3つ。 つまり刀が3つ。 刕と同じ。
そんなことで、奥州東安達郡と読める。 安達太良(あだたら)山のある辺り。 二本松市一帯。


近くにこれも。 1つだけでも何とか読みたい。 こっちから3番目がかろうじて。
中央だけ。
一番上は梵字(ぼんじ)。 本道寺は真言宗。 真言宗の仏は、大日如来。 それを表している。
その下は、奉 参詣湯殿山 御宝前 三十三度。
御宝前は、お寺にお礼のお金(ご祝儀)を渡したという意味か。


面倒なのを読むのはお終い。
右は、集落の下からの参道。


ここに石段。

お地蔵さま。 神社にはない物ばかり。
明治の廃仏毀釈で、多くの物を壊した。 地域の人達は、申し訳ない思いで大事にするのか。



正面に、神社の拝殿。 昔の本殿はどこに? 後で分かる。
芭蕉の句碑。 下の方に袂(たもと)が読める。 大井沢の大日寺跡で見たのと同じ。
「 かたられぬ 湯殿にぬらす 袂哉(かな)」
※ ここに芭蕉は来てない。
出羽三山に8日間いたけど、羽黒山から月山に行って湯殿山に下った。
また月山に戻って羽黒山に。 疲労困ぱいだったという。


別当寺は神社を管理する寺。 神仏習合の時代、普通にあった。
神社の神官より上の地位。
湯殿山の神社には、4つの別当寺。
大井沢の大日寺、朝日村の大日坊と注連 寺、そしてここ本道寺。
湯殿山四ヶ寺と呼ばれた。 本道寺は、その中心だった。

文化財の説明。 下は、仏足石以外は見学できない。(申し込まないと)
ネットの写真で紹介。

下に、金剛力士像。 廃仏毀釈で、この像はある寺に。 その寺は、仙台ホテルに売ってしまった。
しかし、2005年にホテルは戻してくれた。 ただで。 寺を離れて130年が経っていた。
弘法大師像も見える。 これは買い戻した。 上と一緒に今の神社の拝殿にある。
ここの神社は、旧本道寺と一体の感じ。 寺は神社を恨み続ける場合もあるのに。
右写真の左下のが、月山登拝図。


下が、出羽三山女講中参詣図。 白装束の人が列になったと云うけど、この感じだった。(西川町の文化財からお借り)

下のも、同じ。 図の下の方に書いてあるので間違いないと思う。
みんな楽しそう。 老若男女。 うっかりお参りを忘れる者はいないでしょうね。
(韓国の人のサイトからお借り。 サイト名は読めない)

神社の拝殿。

左方向から。

正面にに、湯殿山の扁額。 左に開山堂と。 お寺時代、ここに開山堂があったのか。

白石とあったので気になった。
薄いけど、十郎と読める。 白石で十郎とあれば、片倉小十郎のことか。
押印に景貞とある。 調べてみて分かった。
仙台藩の白石領の10代目の領主は、片倉景貞。 初代と同じ、片倉小十郎とも呼ばれた。
※ 四角の中には、予想ではこう。
「 寛文六年、開山堂建立の際、仙台白石の領主 片倉小十郎殿より寄進になった〇〇額であります。」
(寄進の寄は別の字。 〇〇額は扁額の意味ですね)


寄進した景貞は、片倉家10代目。

※ 余談 信繁信繁(幸村)は、大阪城が落ちる直前、娘の阿梅(おうめ)と息子の大八を、
敵方の片倉小十郎(景綱)に預けた。
小十郎の息子 重長は、大阪の陣で大活躍。 信繁を困らせた。
片倉家に入った阿梅は、後に重長の妻になる。(先妻が亡くなった後)
白石城は、木造での復元。 片倉小十郎の息子重長の妻は、真田幸村の娘、阿梅(おうめ)姫。~白石市~ 他 (2014/10/12)
仏足石。

一番右の説明の最後が面白い。 どんな思いでいるかが伝わってくる。



拝殿左に、地蔵堂。 赤〇の中の像は、見たことがる。

下のがそれ。 許由(きょゆう)という人。 川の縁で、耳を洗っている図。 右は、九州のある神社で。
※ 帝が後を継いでくれと言った。 けがらわしいことを聞いたと、耳を洗っている。
そんな内容。



隣に、石碑が。 初めて見る、八日塔。

八日塔は、山形県、福島県、長野県にあるよう。
8日の日に、集まってお祈りして、少し食べて。 楽しい集まりかな。
本道寺の梵字は、全部これ。
説明は、近くの砂子関にある八日塔のもの。


本殿。

反対側から。

上の写真の左に像。 最初わらっていた。 別から見たら、泣いていた。


拝殿横に、社務所のような建物。 その裏に池。 久しぶりに見る、モリアオガエルの卵。

泡の中で大きくなったら、池に落ちる。 葉っぱが白いので、出てる最中か。 かわいい。(Wikipediaから)


離れた所に広い空き地。 昔はたくさんの堂宇があった。 下が見えた。

最初、この石段を登って来た。

ところが、ここにも石段があった。 狛犬がある。

石段が古い。 昔の参道は、これだった。
ということは、この後(うしろ)に本道寺の本堂はあった。 今の拝殿より、ずっと大きかった。(ある資料)
※ 戊辰戦争の時、会津やこの地方は幕府方に付いた。
本道寺は幕府の祈願所だったこともあり、新政府軍に焼かれた。
大きな切り株。


見える所で、150年以上かな。 200年は越える杉だった。 多くの参詣者を見た。


下から見た、古い石段。

※ 追記 山門と山門の扁額を撮るのを忘れたので、次の日の朝行って来ました。
石段を下った。 山門が見えてきた。



下まで行って、振り返った。



集落のことが。

本道寺の山門。 町の文化財になっていない。 後に建てたのか。
昔は、仁王門だったかも。

これが有名だという。 すごい字だと、素人目にも。


昔の参道は、途中から、最後に見た古い石段に、きっとつながっていた。


いつの時代か、また寺に戻せないのか。
仁王像だって弘法大師の像だって、寺の方が似合う。
像を拝殿に置くのは心配。 火事があったらお終い。
コンクリートで、小さくていいから、宝物殿をつくればいい。
今日は、いろんな物を見ました。
【今日の一句】 「 いつまでも続く 廃仏毀釈の後悔 そして償い 」
【道の駅】 にしかわ
【明日の予定】 岩根沢三社神社に。 西川町最終日です。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)

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