大井沢の旧大日寺も、寒河江ダム近くの旧本道寺も、建物は残っていない。
火事で燃えたり、戊辰戦争で焼かれたり。
ところが、今日行く所は残っている。
ほとんど昔の寺の建物のまま、神社になって。
名前は、岩根沢三山神社。 さんざん神社。
建物は、旧日月寺本堂。 にちがつ寺。 今は、三山神社本殿。
その本殿が巨大。 建物はこれだけ。
中に、客殿や庫裏などみんな組み込んで。
向拝(玄関)の彫物も見事。
三山神社は、廃仏毀釈の難しい時代を器用に生き抜いていた。
そのことで、貴重な神仏混淆の歴史の財産が残った。
(写真をクリックして一瞬で大きくならない時が。 再度開き直したら大丈夫な時があります。 改善に時間を)
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
右地図に3つの山が見える。

月山への登拝口だけど、頂上までは遠い。

門前の家並みの向こうに見えている。 どかんとある感じ。

月山の登山口まで11㌔。 そこから頂上まで11㌔。
普通の登山より、厳しい。 修行の登山。

どう見たって神社の建物ではない。 寺。
※ もしかして、これは仁王門だったのか。
廃仏毀釈で、仁王像の置く部分だけ改修し無くした。(全くの予想。調べてない)

本当の名前は長い。 寺時代は、月山神社の別当寺だった。
※ 昨日まで見た2つは、湯殿山神社の別当寺だった。、

元は日月寺。 少しの改修で、廃仏毀釈を乗り切ったと。
ここは、登拝口。 生まれ変わりの旅、とある。 月山に登るのは、そういう事なのか。

下は、月山朝日観光協会の資料。 分かりやすいので載せます。
建物は、複合建築と。 彫物の説明も。

本殿の正面。

まるい虹梁(こうりょう)の下に、彫物。 見ごたえがあるので、最後に紹介。

湯殿山の額。 見所は、賄(まかない)部屋のこと。

中は有料で500円。 ここから入る。

受付で薄い紙をもらった。 体のあちこちに触れた。 ここに浮かべた。
もろもろの罪や汚れは、これで払われた。 すっきりした。
本殿の方に。 神楽のお面の絵馬。

ここは大広間。 左奥は、客殿か。 神楽の舞。

本殿前から、外。 湯殿山とある。 寺時代の物か、どうでしょう。

本殿。 神様はここに。 昔は、ここに本尊を置いた。
その本尊は、今どこかにあるのだろうか。 あるとすれば、羽黒山の出羽三山歴史博物館か。

客殿や大広間を見る。 欄間(らんま)の彫刻。
右は水行をしてるのか。 絵馬は願いが叶ったら奉納。

神楽で使うお面かな。 右は、雲流と書いてある。

天台宗のお話の世界。

昔の写真。 こんなの見るの好き。
昔あった、三山線の終点駅。 間沢駅 ここから遠くない。
賑わった時代があった。


こっちは、賄(まかない)部屋。

参詣者の食事は、ここで。 寝る間所は、大広間か。

大黒柱に、大黒様。

反対側から。 恵比寿様も。 下に少しだけ、階段が見える。 行く。

向こうから上がってきた。 昔のカレンダー。

なまくら坊主に見える。 上から目線でいわれたら、せっかく持っていた気持が失せて行く。

右の池にせり出した部分は、今も羽黒山にありますよ。

本殿前を再度。

両側に獅子。

虹梁下は、このように。

深い彫の龍。

メインはこれ。 故事による。 子供が大きな甕(かめ)に落ちた。
別の子供は、助けるために甕を割った。 出てくる子供が見える。 命の大切さの教訓か。

50年間に225回月山に登った人の石碑。 奪衣婆(だつえば)が、「また来たらいいよ」と言った。

見事でしたね。 やっと残った建物。
写真などもあって、神仏混淆時代を垣間見ることが出来ました。
器用に(賢く)生き延びた、岩根沢三社神社の見学でした。
【今日の一句】 「 信じることで 強く生きた人たちがいた 」 生まれ変わるんだ、って。
【動画の紹介】 岩根沢太々神楽・倭姫舞 10分。 少しだけでも。
【道の駅】 にしかわ
【明日の予定】
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
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ほとんど昔の寺の建物のまま、神社になって。
名前は、岩根沢三山神社。 さんざん神社。
建物は、旧日月寺本堂。 にちがつ寺。 今は、三山神社本殿。
その本殿が巨大。 建物はこれだけ。
中に、客殿や庫裏などみんな組み込んで。
向拝(玄関)の彫物も見事。
三山神社は、廃仏毀釈の難しい時代を器用に生き抜いていた。
そのことで、貴重な神仏混淆の歴史の財産が残った。
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月山への登拝口だけど、頂上までは遠い。


門前の家並みの向こうに見えている。 どかんとある感じ。

月山の登山口まで11㌔。 そこから頂上まで11㌔。
普通の登山より、厳しい。 修行の登山。


どう見たって神社の建物ではない。 寺。
※ もしかして、これは仁王門だったのか。
廃仏毀釈で、仁王像の置く部分だけ改修し無くした。(全くの予想。調べてない)

本当の名前は長い。 寺時代は、月山神社の別当寺だった。
※ 昨日まで見た2つは、湯殿山神社の別当寺だった。、


元は日月寺。 少しの改修で、廃仏毀釈を乗り切ったと。
ここは、登拝口。 生まれ変わりの旅、とある。 月山に登るのは、そういう事なのか。


下は、月山朝日観光協会の資料。 分かりやすいので載せます。
建物は、複合建築と。 彫物の説明も。


本殿の正面。

まるい虹梁(こうりょう)の下に、彫物。 見ごたえがあるので、最後に紹介。

湯殿山の額。 見所は、賄(まかない)部屋のこと。


中は有料で500円。 ここから入る。

受付で薄い紙をもらった。 体のあちこちに触れた。 ここに浮かべた。
もろもろの罪や汚れは、これで払われた。 すっきりした。

本殿の方に。 神楽のお面の絵馬。


ここは大広間。 左奥は、客殿か。 神楽の舞。


本殿前から、外。 湯殿山とある。 寺時代の物か、どうでしょう。


本殿。 神様はここに。 昔は、ここに本尊を置いた。
その本尊は、今どこかにあるのだろうか。 あるとすれば、羽黒山の出羽三山歴史博物館か。

客殿や大広間を見る。 欄間(らんま)の彫刻。
右は水行をしてるのか。 絵馬は願いが叶ったら奉納。


神楽で使うお面かな。 右は、雲流と書いてある。


天台宗のお話の世界。


昔の写真。 こんなの見るの好き。
昔あった、三山線の終点駅。 間沢駅 ここから遠くない。
賑わった時代があった。




こっちは、賄(まかない)部屋。

参詣者の食事は、ここで。 寝る間所は、大広間か。

大黒柱に、大黒様。


反対側から。 恵比寿様も。 下に少しだけ、階段が見える。 行く。


向こうから上がってきた。 昔のカレンダー。


なまくら坊主に見える。 上から目線でいわれたら、せっかく持っていた気持が失せて行く。

右の池にせり出した部分は、今も羽黒山にありますよ。


本殿前を再度。

両側に獅子。


虹梁下は、このように。

深い彫の龍。


メインはこれ。 故事による。 子供が大きな甕(かめ)に落ちた。
別の子供は、助けるために甕を割った。 出てくる子供が見える。 命の大切さの教訓か。

50年間に225回月山に登った人の石碑。 奪衣婆(だつえば)が、「また来たらいいよ」と言った。


見事でしたね。 やっと残った建物。
写真などもあって、神仏混淆時代を垣間見ることが出来ました。
器用に(賢く)生き延びた、岩根沢三社神社の見学でした。
【今日の一句】 「 信じることで 強く生きた人たちがいた 」 生まれ変わるんだ、って。
【動画の紹介】 岩根沢太々神楽・倭姫舞 10分。 少しだけでも。
【道の駅】 にしかわ
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