上野の西郷さんの像は、高村光雲作。
(Wikipedia)
その息子が、高村光太郎ですね。
彼は東京のアトリエが焼けて、花巻に来ていた。
暮らした家が、高村山荘。
花巻と云えば、宮沢賢治。
賢治を世に出すことに光太郎は貢献している。
そんな縁があって、花巻に来たよう。
暮らしたのは7年間だけど、花巻が彼を一番大事にしていた。
(写真をクリックして一瞬で大きくならない時が。 再度開き直したら大丈夫な時があります。 改善に時間を)
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
山荘は、山の麓に。

山荘だけでなく、立派な記念館も。

広い駐車場には、お店。 これは入場券売り場。 550円。
光太郎散歩道がある。

自分は高村光太郎について、少ししか知らない。
下は、十和田湖畔にある、乙女の像。(以前撮影) 見たとき、いいとは思わなかった。

下は二本松市の霞ヶ城公園にあった、智恵子抄の詩碑。 安達太良山が正面に。
智恵子は二本松の出身。
二本松の菊人形 ~霞ヶ城公園にて~ 明日、安達太良山へ。 (2009/10/11)

これは、安達太良山の中腹にある、智恵子が言った言葉。(3度登って毎回見た)
花を探しに、安達太良山へ。 ベニサラサドウダン、ムラサキヤシオ、イワカガミ、ミネズオウ他。~二本松市~ 他 (2016/5/31)

智恵子と光太郎。 右がよく見る写真。 似合うヘアースタイルにすればいいのに。

下は、Wikipediaの文。
彼は、戦時中作家の中では先頭になって戦争を賛美した。 その詩も書いた。
戦後その姿勢のままでは、生きられない。 後悔する。
そのことがあって、今の時代も彼は、作家として損をしている。
※ 戦時中大町桂月が、「君死にたまうなかれ」と詠った与謝野晶子を強く非難した。
桂月は、後に作家として大きな評価はされていない。

最初に、高村光太郎記念館。 山法師の花が、今とばかりに。

中の写真は撮れない。

ここからの写真は、記念館のHPなどからお借り。
高村光太郎の記念館としては、ここが一番なよう。
花巻に来てなかったら、これは出来なかった。
中央の顔の像は、父の光雲。

いいなと思う像は、いっぱいあった。

彼は、詩人でもあった。

智恵子の切り絵。 それに光太郎が文。
ここに来る前に、千恵子は亡くなっている。
彼女は画家としては、なかなか認められなかった。
心の病に陥っていく。

よく見る写真の他に、こんなのも。 美人さんの面影がありますね。

記念館では、山荘での生活のビデオなんかも見た。
次は、高村山荘に。

ずいぶん立派だ。 実際は、この中にあるよう。 ガクアジサイが咲きだした。

山荘を保存するため、それを覆(おお)う建物を作った。 第一套屋(うわや)。
山荘と第一套屋を覆う、第二套屋もつくった。
上の写真は、第二套屋。 下の中身については、この後に。

右端のトイレの部分。 光の部分は、穴が開いてるんですね。

第二套屋(うわや)と第一套屋の隙間。 見学はここから。

ここで、7年間1人で暮らした。 畑を作って。

ガラス越しに撮るから大変。

失敗したなと後悔の日々でしょうか。 この生活は償いでも。 冬は隙間風。

ここで塑像などはつくってない。 書くことでしょうか。

地域の人達に支えられて。

ここで7年間。

宮沢賢治の最期を看取ったのは、赤〇の佐藤隆房。 (花巻病院を創設。 院長)
※ 黄色〇は奥様か。
この人が、家を失った光太郎を花巻に呼んだよう。
光太郎は、最初は賢治の弟の家に身を寄せた。 その後、佐藤家に。 山荘が出来るまで。
宮沢賢治がお世話になった恩返しでしょうか。

上も下も、通路にあった写真。 光太郎は、ヨーロッパに行っている。

展望台に行ってみる。

南方面。 来客をここに誘ったと上に。

下に下りたら、上で紹介した佐藤隆房の碑。

光太郎の詩碑。

早池峰山のことが書いてある。 見えるんですね。
※ 自分は、10日後くらいに行く。 ハヤチネウスユキソウを撮りに。
終わったら、北海道に向かう。 恐山に寄って。

戻ってきてこう。

花の向こうに。

7年後、十和田湖の乙女の像を作るため、東京に行く。
記念館のビデオに、バスに乗ったその時の映像があった。
高村光太郎は、花巻に来なかったらどうなったでしょう。
他の地で、ここまで大事にしてくれるところは、生まれたでしょうか。
彼は、花巻、そしてこの地域の人達に、感謝しましたね。
【今日の一句】 「 山荘には 2つの套屋(うわや) それが人々の心 」
【今日の歌】 智恵子抄
【道の駅】 石鳥谷(いしどりや)
【明日の予定】 花巻温泉でバラを見る。 午後は雨の予報。 盛岡のモンベルに。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
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その息子が、高村光太郎ですね。
彼は東京のアトリエが焼けて、花巻に来ていた。
暮らした家が、高村山荘。
花巻と云えば、宮沢賢治。
賢治を世に出すことに光太郎は貢献している。
そんな縁があって、花巻に来たよう。
暮らしたのは7年間だけど、花巻が彼を一番大事にしていた。
(写真をクリックして一瞬で大きくならない時が。 再度開き直したら大丈夫な時があります。 改善に時間を)
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山荘は、山の麓に。


山荘だけでなく、立派な記念館も。

広い駐車場には、お店。 これは入場券売り場。 550円。
光太郎散歩道がある。


自分は高村光太郎について、少ししか知らない。
下は、十和田湖畔にある、乙女の像。(以前撮影) 見たとき、いいとは思わなかった。

下は二本松市の霞ヶ城公園にあった、智恵子抄の詩碑。 安達太良山が正面に。
智恵子は二本松の出身。
二本松の菊人形 ~霞ヶ城公園にて~ 明日、安達太良山へ。 (2009/10/11)


これは、安達太良山の中腹にある、智恵子が言った言葉。(3度登って毎回見た)
花を探しに、安達太良山へ。 ベニサラサドウダン、ムラサキヤシオ、イワカガミ、ミネズオウ他。~二本松市~ 他 (2016/5/31)


智恵子と光太郎。 右がよく見る写真。 似合うヘアースタイルにすればいいのに。


下は、Wikipediaの文。
彼は、戦時中作家の中では先頭になって戦争を賛美した。 その詩も書いた。
戦後その姿勢のままでは、生きられない。 後悔する。
そのことがあって、今の時代も彼は、作家として損をしている。
※ 戦時中大町桂月が、「君死にたまうなかれ」と詠った与謝野晶子を強く非難した。
桂月は、後に作家として大きな評価はされていない。


最初に、高村光太郎記念館。 山法師の花が、今とばかりに。


中の写真は撮れない。

ここからの写真は、記念館のHPなどからお借り。
高村光太郎の記念館としては、ここが一番なよう。
花巻に来てなかったら、これは出来なかった。
中央の顔の像は、父の光雲。

いいなと思う像は、いっぱいあった。


彼は、詩人でもあった。


智恵子の切り絵。 それに光太郎が文。
ここに来る前に、千恵子は亡くなっている。
彼女は画家としては、なかなか認められなかった。
心の病に陥っていく。

よく見る写真の他に、こんなのも。 美人さんの面影がありますね。


記念館では、山荘での生活のビデオなんかも見た。
次は、高村山荘に。

ずいぶん立派だ。 実際は、この中にあるよう。 ガクアジサイが咲きだした。


山荘を保存するため、それを覆(おお)う建物を作った。 第一套屋(うわや)。
山荘と第一套屋を覆う、第二套屋もつくった。
上の写真は、第二套屋。 下の中身については、この後に。


右端のトイレの部分。 光の部分は、穴が開いてるんですね。


第二套屋(うわや)と第一套屋の隙間。 見学はここから。


ここで、7年間1人で暮らした。 畑を作って。

ガラス越しに撮るから大変。


失敗したなと後悔の日々でしょうか。 この生活は償いでも。 冬は隙間風。

ここで塑像などはつくってない。 書くことでしょうか。


地域の人達に支えられて。


ここで7年間。

宮沢賢治の最期を看取ったのは、赤〇の佐藤隆房。 (花巻病院を創設。 院長)
※ 黄色〇は奥様か。
この人が、家を失った光太郎を花巻に呼んだよう。
光太郎は、最初は賢治の弟の家に身を寄せた。 その後、佐藤家に。 山荘が出来るまで。
宮沢賢治がお世話になった恩返しでしょうか。


上も下も、通路にあった写真。 光太郎は、ヨーロッパに行っている。


展望台に行ってみる。


南方面。 来客をここに誘ったと上に。

下に下りたら、上で紹介した佐藤隆房の碑。

光太郎の詩碑。

早池峰山のことが書いてある。 見えるんですね。
※ 自分は、10日後くらいに行く。 ハヤチネウスユキソウを撮りに。
終わったら、北海道に向かう。 恐山に寄って。


戻ってきてこう。

花の向こうに。

7年後、十和田湖の乙女の像を作るため、東京に行く。
記念館のビデオに、バスに乗ったその時の映像があった。
高村光太郎は、花巻に来なかったらどうなったでしょう。
他の地で、ここまで大事にしてくれるところは、生まれたでしょうか。
彼は、花巻、そしてこの地域の人達に、感謝しましたね。
【今日の一句】 「 山荘には 2つの套屋(うわや) それが人々の心 」
【今日の歌】 智恵子抄
【道の駅】 石鳥谷(いしどりや)
【明日の予定】 花巻温泉でバラを見る。 午後は雨の予報。 盛岡のモンベルに。
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