城跡に、石垣がなかった。
山の斜面が急なので、必要なかったのか。
そういう面があるので、城跡の美しさは、特別ではなかった。
ところが、謙信や兼続が大河ドラマに登場しているので、歴史の舞台を歩いている感じがした。
だから、退屈はしなかった。
※ 今日は、関鉄之介が捕まった日ですね。
映画について書きたい部分はあるのだけど、あの日のブログは、まだ写真だけ。
※ 予告編を。
もし、鉄之介が関川村の高瀬温泉で捕まっていなかったら、北海道に渡っていた。
力を貯めて、今が時と思う日を待つことにしていた。
春日山城跡は、上越市街地の西側にあった。 ここです。
上の図も下の図も、山は棚田のようになっている。
城のある山は、元々春日山。 それで、春日山城になった。
また、山の麓に春日神社がある。 山の名前は、この神社から。 春日神社の本社は、奈良の春日大社。
駐車場の近くに、春日山神社がある。 上とは別の神社で、謙信を祀っている。
城自体は南北朝時代からあったが、今の大きさになったのは、謙信の父の為景、謙信、景勝の時代に。
こんな道を登った。
春日山城が活躍したのは、1500年代。 景勝が会津に移るまで。
このように、平らな所が多くある。 ここには、千貫門という門があった。
右に曲がって、直江屋敷跡。
直江屋敷跡。
直江兼続の出世のカギは、お船(おせん)の婿になったことだった。
お船の父は、謙信の重臣。
また、兼続は、謙信の姉の仙桃院に大事にされた。
仙桃院の子どもが、影勝。 兼続は景勝に仕えることになる。
毘沙門堂が見えてきた。 このお堂は、昔の毘沙門堂の跡に建てた。
お堂の中に毘沙門天が祀ってあり、謙信は、戦いの前にここに来た。
毘沙門天像は景勝が会津に持っていくが、火事で傷んだ。
その像は、昭和に入って修復された。 ここにある像の胎内に、元々の像の一部が入っている。
八合目くらいの高さに来たら、上越市の市街地が見えてきた。
護摩堂が右に。 謙信は出陣前には、ここに籠って戦勝を祈願した。 昔は、右上に建物はあった。
ここが一番高い。 本丸跡。 天守を持った建物はなかった。
上越市街地。 ※ 直江津市と高田市が合併して、上越市。
直江津港。
この港を開いたのは、直江兼続。 それで、直江津と呼ばれるようになった。 津は港の意味。
(※ もしかしてと疑って調べてみたら、兼続と関係があった)
本丸跡のとなり。 天守台と呼ばれる。
天守台の直ぐ下に、井戸があった。 山の頂上から、10㍍程しか下ってない。
水面が見える。 こんな場所に水が湧くなんて不思議だ。 普通は、深い井戸を掘る。
景勝の屋敷跡。
景勝は、関ヶ原で初め西軍に付いたため、米沢30万石の小さな大名になってしまった。
※ その前は、会津120万石の大名。 1598年に、秀吉の命で会津に移っている。
でも、米沢藩の藩政確立に力を尽くした。 そんなことがあって、悪く言われない。
この道を通って戻ったのだが、山の下におりてしまった。 延々と歩いた。
ここに出た。
再び山に登って、春日山神社の近くに。
ここを行くと神社。
山の下の、埋蔵文化財センターで、「謙信公と春日山城展」があった。
左から、兼続、謙信、景勝の鎧。 本物。
謙信は、義と共に生きた。 これは、川中島で信玄を襲った時か。 信玄は鉄の軍配で受けた。
大河ドラマのセットを再現。
上の写真の左の衣装は、阿部寛扮する謙信が着ていたもの。
実際にあったんでしょうね。
この植物が、外にあった。 この植物から採った繊維が、青苧(あおそ)。 麻と同じ。
越後上布がつくられ、小千谷縮も青苧から。
今日は、城跡を歩きながら、歴史の舞台を歩いた感じかな。
春日城跡は、自然豊かなので、6月頃に登ったら、花もいっぱいあって楽しく散策できそう。
※ 今まで行った城跡で、石垣のきれいだった所を紹介しますね。
竹田城跡 岡城阯
【道の駅】 雪のふるさと やすづか ここです。
【明日の予定】 ここまで来たら、秘境秋山郷に向かわないとダメかなと。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、こちらです。
8,9月分だけ、タイトル一覧表が出来ています。
【今日の歌】 愛しのナポリタン(YouTube) 久しぶり。 東山紀之が結婚したので。
【ランキング】 国内旅行は 4位、 旅行全体で10位 です。 放浪の旅は、37位。
記事は役立ったでしょうか。
気に入った所などがありましたら、クリックをよろしく。
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※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
山の斜面が急なので、必要なかったのか。
そういう面があるので、城跡の美しさは、特別ではなかった。
ところが、謙信や兼続が大河ドラマに登場しているので、歴史の舞台を歩いている感じがした。
だから、退屈はしなかった。
※ 今日は、関鉄之介が捕まった日ですね。
映画について書きたい部分はあるのだけど、あの日のブログは、まだ写真だけ。
※ 予告編を。
もし、鉄之介が関川村の高瀬温泉で捕まっていなかったら、北海道に渡っていた。
力を貯めて、今が時と思う日を待つことにしていた。
春日山城跡は、上越市街地の西側にあった。 ここです。


上の図も下の図も、山は棚田のようになっている。

城のある山は、元々春日山。 それで、春日山城になった。
また、山の麓に春日神社がある。 山の名前は、この神社から。 春日神社の本社は、奈良の春日大社。
駐車場の近くに、春日山神社がある。 上とは別の神社で、謙信を祀っている。

城自体は南北朝時代からあったが、今の大きさになったのは、謙信の父の為景、謙信、景勝の時代に。
こんな道を登った。

春日山城が活躍したのは、1500年代。 景勝が会津に移るまで。
このように、平らな所が多くある。 ここには、千貫門という門があった。

右に曲がって、直江屋敷跡。

直江屋敷跡。

直江兼続の出世のカギは、お船(おせん)の婿になったことだった。
お船の父は、謙信の重臣。
また、兼続は、謙信の姉の仙桃院に大事にされた。
仙桃院の子どもが、影勝。 兼続は景勝に仕えることになる。

毘沙門堂が見えてきた。 このお堂は、昔の毘沙門堂の跡に建てた。
お堂の中に毘沙門天が祀ってあり、謙信は、戦いの前にここに来た。

毘沙門天像は景勝が会津に持っていくが、火事で傷んだ。
その像は、昭和に入って修復された。 ここにある像の胎内に、元々の像の一部が入っている。


八合目くらいの高さに来たら、上越市の市街地が見えてきた。

護摩堂が右に。 謙信は出陣前には、ここに籠って戦勝を祈願した。 昔は、右上に建物はあった。

ここが一番高い。 本丸跡。 天守を持った建物はなかった。

上越市街地。 ※ 直江津市と高田市が合併して、上越市。

直江津港。
この港を開いたのは、直江兼続。 それで、直江津と呼ばれるようになった。 津は港の意味。
(※ もしかしてと疑って調べてみたら、兼続と関係があった)

本丸跡のとなり。 天守台と呼ばれる。

天守台の直ぐ下に、井戸があった。 山の頂上から、10㍍程しか下ってない。
水面が見える。 こんな場所に水が湧くなんて不思議だ。 普通は、深い井戸を掘る。

景勝の屋敷跡。
景勝は、関ヶ原で初め西軍に付いたため、米沢30万石の小さな大名になってしまった。
※ その前は、会津120万石の大名。 1598年に、秀吉の命で会津に移っている。
でも、米沢藩の藩政確立に力を尽くした。 そんなことがあって、悪く言われない。

この道を通って戻ったのだが、山の下におりてしまった。 延々と歩いた。

ここに出た。


再び山に登って、春日山神社の近くに。

ここを行くと神社。

山の下の、埋蔵文化財センターで、「謙信公と春日山城展」があった。
左から、兼続、謙信、景勝の鎧。 本物。

謙信は、義と共に生きた。 これは、川中島で信玄を襲った時か。 信玄は鉄の軍配で受けた。

大河ドラマのセットを再現。

上の写真の左の衣装は、阿部寛扮する謙信が着ていたもの。

実際にあったんでしょうね。

この植物が、外にあった。 この植物から採った繊維が、青苧(あおそ)。 麻と同じ。
越後上布がつくられ、小千谷縮も青苧から。

今日は、城跡を歩きながら、歴史の舞台を歩いた感じかな。
春日城跡は、自然豊かなので、6月頃に登ったら、花もいっぱいあって楽しく散策できそう。
※ 今まで行った城跡で、石垣のきれいだった所を紹介しますね。
竹田城跡 岡城阯
【道の駅】 雪のふるさと やすづか ここです。
【明日の予定】 ここまで来たら、秘境秋山郷に向かわないとダメかなと。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、こちらです。
8,9月分だけ、タイトル一覧表が出来ています。
【今日の歌】 愛しのナポリタン(YouTube) 久しぶり。 東山紀之が結婚したので。
【ランキング】 国内旅行は 4位、 旅行全体で10位 です。 放浪の旅は、37位。
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コメント
謙信
Re: 謙信
映画見たんですね。
鉄之介の魅力は大きいですね。
歴史上の人物の評価は、時代と共に変わって行くので、鉄之介の評価は今後楽しみ。
事件にかかわった人物を追う、江戸幕府の執念は並大抵でない。
謙信は、信玄と同じで、地元ではヒーローでしたよ。
鉄之介の魅力は大きいですね。
歴史上の人物の評価は、時代と共に変わって行くので、鉄之介の評価は今後楽しみ。
事件にかかわった人物を追う、江戸幕府の執念は並大抵でない。
謙信は、信玄と同じで、地元ではヒーローでしたよ。
中世山城
お邪魔します。
春日山城について一言。
中世の山城は、山全体の地形を利用した『要凱ヨウガイ』なのです。したがって、天守閣や石垣は無いのです。城跡近くの案内や、埋蔵センターなどで当時の春日山城の復元図があると思いますので、見て下さい。
今回は、来て下さり有り難うございました。
敬具
春日山城について一言。
中世の山城は、山全体の地形を利用した『要凱ヨウガイ』なのです。したがって、天守閣や石垣は無いのです。城跡近くの案内や、埋蔵センターなどで当時の春日山城の復元図があると思いますので、見て下さい。
今回は、来て下さり有り難うございました。
敬具
Re: 中世山城
ご指導ありがとうございます。
埋蔵センターに行ってきました。
復元図は、ブログに載せてあります。
いつかもう一度お邪魔して、詳しく勉強しますね。
埋蔵センターに行ってきました。
復元図は、ブログに載せてあります。
いつかもう一度お邪魔して、詳しく勉強しますね。
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関鉄之介の捕まった日でしたか。彼も北海道に渡っていたら、別の人生があった気がします。あれだけの志のある人だから、立派な開拓民になり、北海道のために尽くしたことでしょう。本当に惜しい人物です。
映画も迫力のある映画でした。