早明浦(さめうら)ダムへの途中、ある人を祀った神社があった。
昔何があったのかなと、寄ってみた。
祀られた人は、高橋安之丞という人で、義人と呼ばれていた。
江戸時代の初め、この村を飢饉から救おうとしたが、命を落とした。
左の旧道に入って行く。
義民とある。
義農というのは、四国の鬼北町で聞いた。
※ 関連ブログ 鬼北町日吉と武左衛門一揆 ~ここは愛媛県だが、四万十川流域~ 他 (2011/2/18)
左にお墓。 帰りに寄る。
若宮神社。
下の説明板があったが、読みにくい。
こう書いてあった。
高橋安之丞若宮八幡宮(通称 若宮様)
農民・高橋安之丞は、慶安3年(1650)頃に、上八川村田野々(現、小甲田(こさるた)・連行(れんぎょう)
柿藪(かきやぶ)の庄屋、高橋右衛門の長男として生まれた。
父親の後を継ぎ、村人の世話や新田開発を積極的に行い飢饉に備えて稗作を奨励したりした。
また、楮や茶を栽培させて、村人の生活を向上させた。
貞享4年(1687)、前年からの旱魃で上八川地方は五穀が実らず、飢餓に苦しむ者が続出した。
そこで彼は、救済策を講じたうえ、年貢の減免を領主土佐藩仕置役 岡部嘉右衛門へ直訴した。
しかし、安之丞を陥れ様ようと偽りの密告をした者のため捕らえられ、詳しい調べもなされないまま、
元禄元年(1688)10月、高知城で処刑されてしまった。
そこで当時の村の農民たちは、安之丞の霊を鎮め守護神として祭る彼の首塚を造った。
その後、氏子たちの手によって荘厳な神社や墓が建立された。
以来、県内外からの参拝者が絶えたことがない。
非業の死を遂げた、義民・高橋安之丞は、
死語300年を経た今も、氏子や村人の心の中に深く生き続けている。
(祭典 3月2日・7月2日・12月2日)
平成4年(1992)3月 吾北村教育委員会
安之丞の胴体は、彼の恩義を受けたことのある杓田村(しゃくたむら・現、高知市)の農民清兵衛らによって
埋葬され高知市長尾山町に若宮神社として祭られている。
ポイントは ① 安之丞は庄屋の長男だった。 農民のために活躍していた。
② 飢餓から農民を救おうと、年貢の減免をお願いしたが、誰かに陥(おとし)いれられた。
③ その結果、処刑された。
若宮神社の御神体が、安之丞。
神社に祀るということは、安之丞の行いを、子子孫孫まで伝え、決して忘れないと云うことの意志表示かな。
灯籠などが、いっぱいあった。 みな寄進されたもの。
寺の整備は十分でない。 きっと、お年寄りが少ししか住んでいない。
一般公開されていないが、本殿の彫り物も、見応えがあるそうだ。
いの町のHPに、小さいけど写真があった。
誰が、安之丞を陥れたかだが、こんなのがネットにあった。(郷土を救った人びと―義人を祀る神社―)
この村には高橋安之丞を嫉み、折あらば自分が庄屋にならんと欲する川橋三蔵というものがいた。
三蔵は高橋安之丞の訴願を知ると、岡部嘉右衛門を訪ね
「高橋安之丞の訴願は嘘であり、彼が減税の上前を私腹に入れる謀りごと」であると讒訴した。
彼の首が、どうしてここにあるかだが、こんな伝説が。(ほっとひと息、仁淀川より)
その首は、生前恩顧を蒙っていた、杓田村の百姓清部衛が盗み、ひそかに安之丞の家に届けた。
帰りお墓を通ったら、お参りしている人がいた。
安之丞の子孫は、この地にいると、途中で会った人が教えてくれた。
途中で見た、流れ橋。 両側に鎖がついている。
早明浦ダムは、吉野川の上流。
「四国のいのち」とも呼ばれる、四国最大のダム。
ここの水は、奪い合いをするぐらい大事にされている。 ダムは、無駄になっていないようだ。
早明浦ダムは、高知県にある。
でも、高知県は、このダムの水をほんの少ししか使っていない。 たった、4%。
だから、日照りになってダムの水が無くなっても、あんまり気にならない。
土佐町の市街地が見える。 ※ 海の近くにあるのは、土佐市。
ダムの水の半分は、徳島県が使っている。 あとは、香川県。
関係ないような愛媛県も、19%使っている。
この割合は、それを決めた頃、その県にどんな政治家がいたかが、影響を与えたようだ。
(具体的には、香川県には大平総理や、社会党の成田委員長がいた)
ダムの上流も、杉林が多い。 山に保水力がないから、雨が降ったら直ぐ流れる。
雨が降らないと、川の水は極端に減る。
この問題を解決しないで、ダムをいっぱい作った。
早明浦ダムも、ここ数日の雨で、やっと水が溜まった。
※ 四国で、昔、国策に反して杉を植えなかった町があった。 今の四万十町。
きっと、先人の知恵でそうした。
津波から人々を守った村と似ている。
雨が続くので、困りました。
【道の駅】 土佐さめうら
【明日の予定】 梅雨に入ったようです。 台風も近づいています。
剣山に近づきますが、登れる日が来るでしょうか。
大変な山ではないので、多少の雨でも、行くかもしれない。
月曜日辺りに何とか。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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昔何があったのかなと、寄ってみた。
祀られた人は、高橋安之丞という人で、義人と呼ばれていた。
江戸時代の初め、この村を飢饉から救おうとしたが、命を落とした。
左の旧道に入って行く。

義民とある。
義農というのは、四国の鬼北町で聞いた。
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左にお墓。 帰りに寄る。

若宮神社。

下の説明板があったが、読みにくい。

こう書いてあった。
高橋安之丞若宮八幡宮(通称 若宮様)
農民・高橋安之丞は、慶安3年(1650)頃に、上八川村田野々(現、小甲田(こさるた)・連行(れんぎょう)
柿藪(かきやぶ)の庄屋、高橋右衛門の長男として生まれた。
父親の後を継ぎ、村人の世話や新田開発を積極的に行い飢饉に備えて稗作を奨励したりした。
また、楮や茶を栽培させて、村人の生活を向上させた。
貞享4年(1687)、前年からの旱魃で上八川地方は五穀が実らず、飢餓に苦しむ者が続出した。
そこで彼は、救済策を講じたうえ、年貢の減免を領主土佐藩仕置役 岡部嘉右衛門へ直訴した。
しかし、安之丞を陥れ様ようと偽りの密告をした者のため捕らえられ、詳しい調べもなされないまま、
元禄元年(1688)10月、高知城で処刑されてしまった。
そこで当時の村の農民たちは、安之丞の霊を鎮め守護神として祭る彼の首塚を造った。
その後、氏子たちの手によって荘厳な神社や墓が建立された。
以来、県内外からの参拝者が絶えたことがない。
非業の死を遂げた、義民・高橋安之丞は、
死語300年を経た今も、氏子や村人の心の中に深く生き続けている。
(祭典 3月2日・7月2日・12月2日)
平成4年(1992)3月 吾北村教育委員会
安之丞の胴体は、彼の恩義を受けたことのある杓田村(しゃくたむら・現、高知市)の農民清兵衛らによって
埋葬され高知市長尾山町に若宮神社として祭られている。
ポイントは ① 安之丞は庄屋の長男だった。 農民のために活躍していた。
② 飢餓から農民を救おうと、年貢の減免をお願いしたが、誰かに陥(おとし)いれられた。
③ その結果、処刑された。
若宮神社の御神体が、安之丞。
神社に祀るということは、安之丞の行いを、子子孫孫まで伝え、決して忘れないと云うことの意志表示かな。

灯籠などが、いっぱいあった。 みな寄進されたもの。

寺の整備は十分でない。 きっと、お年寄りが少ししか住んでいない。

一般公開されていないが、本殿の彫り物も、見応えがあるそうだ。
いの町のHPに、小さいけど写真があった。

誰が、安之丞を陥れたかだが、こんなのがネットにあった。(郷土を救った人びと―義人を祀る神社―)
この村には高橋安之丞を嫉み、折あらば自分が庄屋にならんと欲する川橋三蔵というものがいた。
三蔵は高橋安之丞の訴願を知ると、岡部嘉右衛門を訪ね
「高橋安之丞の訴願は嘘であり、彼が減税の上前を私腹に入れる謀りごと」であると讒訴した。

彼の首が、どうしてここにあるかだが、こんな伝説が。(ほっとひと息、仁淀川より)
その首は、生前恩顧を蒙っていた、杓田村の百姓清部衛が盗み、ひそかに安之丞の家に届けた。
帰りお墓を通ったら、お参りしている人がいた。

安之丞の子孫は、この地にいると、途中で会った人が教えてくれた。
途中で見た、流れ橋。 両側に鎖がついている。

早明浦ダムは、吉野川の上流。
「四国のいのち」とも呼ばれる、四国最大のダム。

ここの水は、奪い合いをするぐらい大事にされている。 ダムは、無駄になっていないようだ。

早明浦ダムは、高知県にある。
でも、高知県は、このダムの水をほんの少ししか使っていない。 たった、4%。
だから、日照りになってダムの水が無くなっても、あんまり気にならない。
土佐町の市街地が見える。 ※ 海の近くにあるのは、土佐市。

ダムの水の半分は、徳島県が使っている。 あとは、香川県。
関係ないような愛媛県も、19%使っている。
この割合は、それを決めた頃、その県にどんな政治家がいたかが、影響を与えたようだ。
(具体的には、香川県には大平総理や、社会党の成田委員長がいた)

ダムの上流も、杉林が多い。 山に保水力がないから、雨が降ったら直ぐ流れる。
雨が降らないと、川の水は極端に減る。
この問題を解決しないで、ダムをいっぱい作った。
早明浦ダムも、ここ数日の雨で、やっと水が溜まった。
※ 四国で、昔、国策に反して杉を植えなかった町があった。 今の四万十町。
きっと、先人の知恵でそうした。
津波から人々を守った村と似ている。

雨が続くので、困りました。
【道の駅】 土佐さめうら
【明日の予定】 梅雨に入ったようです。 台風も近づいています。
剣山に近づきますが、登れる日が来るでしょうか。
大変な山ではないので、多少の雨でも、行くかもしれない。
月曜日辺りに何とか。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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