1947年9月、9歳の美空和枝を載せた路線バスは、本山村を出発し、現大豊町の大杉駅に向かっていた。
左の谷底には、吉野川の支流穴内川が見えている。
少し先の坂を下って、橋を渡ったら駅。 もうすぐだ。
その時、前から突然トラックが来た。
バスは避けることが出来ず、衝突。
そのはずみで、谷の方に横転。
谷底に転落と思われたバスは、かろうじて大きな桜の木に引っ掛かった。
後ろの方に立っていた美空和枝は、大人の下敷きになり、またガラスの破片で左手首を大きく切った。
鼻血を流して気絶し、瞳孔も開き仮死状態になった。
しかし、たまたま村に居合わせた医師に救命措置をしてもらった。
そのお陰で、その夜、意識を取り戻すことが出来た。
大豊町の大杉の位置。
一度来ているが、写真が小さいので、撮り直した。
道の駅から400㍍の所に、八坂神社がある。 その境内に大杉はある。
その直ぐ近くに、美空ひばりの歌碑。
正面に大杉が見える。 左に行ったら、歌碑。
左が南大杉。 根元の周囲が約20㍍。 高さ、約60㍍。
右は北大杉。 〃 16.5㍍。 〃 57㍍。
国の特別天然記念物。
この人達に写真を撮ってほしいと言われた。
撮った後、私のカメラでも適当に撮るからねと言ったら、みんな上を向いた。
3000年だそう。
パンフレットには、歴史の鼓動が聞こえてくるようです、とあった。
大杉があったから、ここの神社を建てた。
こう考えるのが自然だけど、スサノオノミコトが植えたという伝説がある。
神社の下に、ひばりの歌碑があった。
左は、遺影碑と呼んでた。 歌が流れる。
「川の流れのように」「龍馬残影」「悲しき口笛」の3曲。 ※ 龍馬は、ここの大杉を見に来ている。
ひばりは、バス事故の治療の後、日本一の歌手になれるようにと、八坂神社にお願いした。
そして、15歳の時、お礼にやってきた。 下の写真は、その時の物。
中村メイコ夫婦が書いた。 ひばりの歌は永遠に眠らじ、とある。
神社への石段があって、そこを下りると、ここに来る。 旧道からの神社への入り口。
ひばりは、ここで写真を撮った。
ここでの事故は、1947年。 「悲しき口笛」は2年後。
ここに来たのは、1952年。 その年、「津軽のふるさと」「りんご追分」を出している。
もう認められている。
いろんな情報は、料金所の人からいただいていた。
バスの事故現場に向かった。 川は、穴内川。 右に、大杉駅が見える。
右奥に役場が見えている。
旧道は、国道の左上を通っており、事故があった場所は、役場の正面の少し向こう。
バスは、この駅に向かっていた。
左に行ったら、旧道。 役場の上が見えている。
私は、向こうから来た。 バスは、手前から向こうへ。
バスが横転したのは、この場所。 昔はもっと狭い道。
国道から見たら、左の看板の字が読める。 少し向こうの木は、桜の木。(後で植えたと思う)
国道からは、このように。
ひばり食堂があったので、入ってみた。
他のお客さんに運ばれて来るのを見て、びっくり。
さすが、大杉の町。 何もかも、特大。
私は、半年ぶりのカツ丼。 半分ちょっと食べておしまい。
駅に渡る橋の上から撮影。
当時は水量も多く、崖も急だったため、桜の木に引っ掛からなかったら、全員助からなかったと言われている。
旧道を戻った。
後で知ったのだが、この旅館の斜め向かいに、昔、別館があった。
事故当日の夜、ひばりはそこに泊まったという。
ひばりは高知の病院に入院したとあるが、地元の病院にもいたそう。
これは、料金所の人が言った。
ひばりの母親は、近くの子供たちに、和枝が退屈するから、病院に遊びに行ってね、とお願いしたそうだ。
行った人がいるんですよ、と教えてくれた。
梅雨の季節に入り、カニさんは元気。
ひばりは、事故の後、「大杉のように」なれますようにとお願いした。
再度来た時は、歌手として成長できたお礼を言って、「日本一の大杉のように」と、お願いした。
この時はもう、日本一は、ひばりの視界に入っていた。
大杉のあるこの地は、
ひばりが、助かったことに感謝し、将来への気持ち(覚悟)を固めた地であったように思う。
※ 参考文献は、Wikipediaの他に、『ひばり自伝』美空ひばり、『美空ひばり』竹中労 等。
そして、料金所の方。
※ ひばりは、音丸と云う人の公演の、前座として同行していた。 音丸(wikipedia)
母親がお願いした。
【道の駅】 貞光ゆうゆう館
【明日の予定】 天気次第
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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左の谷底には、吉野川の支流穴内川が見えている。
少し先の坂を下って、橋を渡ったら駅。 もうすぐだ。
その時、前から突然トラックが来た。
バスは避けることが出来ず、衝突。
そのはずみで、谷の方に横転。
谷底に転落と思われたバスは、かろうじて大きな桜の木に引っ掛かった。
後ろの方に立っていた美空和枝は、大人の下敷きになり、またガラスの破片で左手首を大きく切った。
鼻血を流して気絶し、瞳孔も開き仮死状態になった。
しかし、たまたま村に居合わせた医師に救命措置をしてもらった。
そのお陰で、その夜、意識を取り戻すことが出来た。
大豊町の大杉の位置。
一度来ているが、写真が小さいので、撮り直した。
道の駅から400㍍の所に、八坂神社がある。 その境内に大杉はある。
その直ぐ近くに、美空ひばりの歌碑。

正面に大杉が見える。 左に行ったら、歌碑。

左が南大杉。 根元の周囲が約20㍍。 高さ、約60㍍。
右は北大杉。 〃 16.5㍍。 〃 57㍍。
国の特別天然記念物。
この人達に写真を撮ってほしいと言われた。
撮った後、私のカメラでも適当に撮るからねと言ったら、みんな上を向いた。

3000年だそう。
パンフレットには、歴史の鼓動が聞こえてくるようです、とあった。

大杉があったから、ここの神社を建てた。
こう考えるのが自然だけど、スサノオノミコトが植えたという伝説がある。

神社の下に、ひばりの歌碑があった。

左は、遺影碑と呼んでた。 歌が流れる。
「川の流れのように」「龍馬残影」「悲しき口笛」の3曲。 ※ 龍馬は、ここの大杉を見に来ている。

ひばりは、バス事故の治療の後、日本一の歌手になれるようにと、八坂神社にお願いした。
そして、15歳の時、お礼にやってきた。 下の写真は、その時の物。

中村メイコ夫婦が書いた。 ひばりの歌は永遠に眠らじ、とある。

神社への石段があって、そこを下りると、ここに来る。 旧道からの神社への入り口。
ひばりは、ここで写真を撮った。

ここでの事故は、1947年。 「悲しき口笛」は2年後。
ここに来たのは、1952年。 その年、「津軽のふるさと」「りんご追分」を出している。
もう認められている。

いろんな情報は、料金所の人からいただいていた。
バスの事故現場に向かった。 川は、穴内川。 右に、大杉駅が見える。
右奥に役場が見えている。
旧道は、国道の左上を通っており、事故があった場所は、役場の正面の少し向こう。

バスは、この駅に向かっていた。

左に行ったら、旧道。 役場の上が見えている。

私は、向こうから来た。 バスは、手前から向こうへ。
バスが横転したのは、この場所。 昔はもっと狭い道。
国道から見たら、左の看板の字が読める。 少し向こうの木は、桜の木。(後で植えたと思う)

国道からは、このように。

ひばり食堂があったので、入ってみた。

他のお客さんに運ばれて来るのを見て、びっくり。
さすが、大杉の町。 何もかも、特大。
私は、半年ぶりのカツ丼。 半分ちょっと食べておしまい。

駅に渡る橋の上から撮影。
当時は水量も多く、崖も急だったため、桜の木に引っ掛からなかったら、全員助からなかったと言われている。

旧道を戻った。
後で知ったのだが、この旅館の斜め向かいに、昔、別館があった。
事故当日の夜、ひばりはそこに泊まったという。

ひばりは高知の病院に入院したとあるが、地元の病院にもいたそう。
これは、料金所の人が言った。
ひばりの母親は、近くの子供たちに、和枝が退屈するから、病院に遊びに行ってね、とお願いしたそうだ。
行った人がいるんですよ、と教えてくれた。

梅雨の季節に入り、カニさんは元気。

ひばりは、事故の後、「大杉のように」なれますようにとお願いした。
再度来た時は、歌手として成長できたお礼を言って、「日本一の大杉のように」と、お願いした。
この時はもう、日本一は、ひばりの視界に入っていた。
大杉のあるこの地は、
ひばりが、助かったことに感謝し、将来への気持ち(覚悟)を固めた地であったように思う。
※ 参考文献は、Wikipediaの他に、『ひばり自伝』美空ひばり、『美空ひばり』竹中労 等。
そして、料金所の方。
※ ひばりは、音丸と云う人の公演の、前座として同行していた。 音丸(wikipedia)
母親がお願いした。
【道の駅】 貞光ゆうゆう館
【明日の予定】 天気次第
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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コメント
美空ひばりの歌碑
Re: 美空ひばりの歌碑
ひばりの魅力である歌の表現力は、子供の頃に完成している感じがします。
魅力を具体的に語るのは難しいですね。
誰か教えてほしいです。
魅力を具体的に語るのは難しいですね。
誰か教えてほしいです。
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「津軽のふるさと」は流行歌にかかわらず、オペラ歌手も選んで歌いますね。やはり叙情歌として、完成された歌のせいでしょうか。いつも思うのですが、歌詞が感動的です。これからも末永く歌われていくことでしょうね。