強い雨は、ずっと降り続けた。 外には、出られない。
午後2時半頃、やっと止んだ。
西の山の中に、お堂や寺院がある。 そこを散歩することにした。
期待は、天井画の圓流院(えんりゅういん)。
梅雨入りして、毎日雨。
この先どうするかは、大山を登ってから。
登山道の入り口から少し入った所。
地蔵は、蓮浄院地蔵。 少し左に、昔志賀直哉が泊った、宿坊蓮浄院があった。 ※ これについては昨日のに。
現在地にいる。 今日は、その右側を歩く。
登山道は、ずっと尾根ですね。 近く見えるけど、3時間はかかるという。
雨で、緑が濃い。 ※ カメラの設定にも問題あるのか。
杉の木が並んでいる。 道が古くからあることが分かる。
圓流院。 大山寺の塔頭(たっちゅう)。
※ 塔頭は、誰かが住み始めて、小さな寺のようになったもの。 そんな感じ。 大山寺の支院の一つになっている。
お堂の中。 寝っころがって天井を見ている人がいる。
天井には、水木しげるの妖怪の絵。
大山のシンボルは、からす天狗。
それを、水木しげるに描いてもらったという。
※ からす天狗は、京都の鞍馬の山にもいた。
義経が牛若丸だったとき、からす天狗から剣を習った。 そんな伝説がある。
その場所はここ。
こんな写真があった。
目玉おやじのモデルは、ギンリョウソウなのかな。
※ 今までに撮った、ギンリョウソウ。 ユウレイタケとも言う。
その①(紋別市で) その②(伊達市) その③(吾妻山)
『西の魔女が死んだ』(梨木香歩 作)の中で、ギンリョウソウが、下のように出てくる。
不思議な植物として、表現されている。 ※ 映画にもなった。
穴の脇は更に深い洞のようになっていて、その一面に美しい銀色の花が咲いていたのだ。
暗い林の奥の、そのまた暗い、ほとんど陽も届かないはずの場所に。
その植物は二十センチくらいの、葉を持たない銀白色の鱗をつけた茎の先に、やはり銀細工のような小さな蘭に似た花をつけていた。
それが何十本となく、まるで茸かつくしのように地面から生えているのを見るのは不思議な光景だった。
ギンリョウソウは、白い服を着た幽霊が、すっと立ってるように見える。
帰る時、天井絵が本物でないような気がしたので、受付の人に聞いて見た。
天井の絵は、プリントした物だと教えてくれた。
何しに来たのかなと、思った。 力が抜けた。
※ 玄関の隅に、1枚だけ、原画が飾ってあった。 帰りに気付いた。
この寺のために描いたのは、数枚と云うことも分かった。
四国で、絵金蔵を見た時と同じだ。 これで400円。
これからは、本物かどうか、受付で確認してから入る。
本物でないと、もちろん入らない。
阿弥陀堂に向かった。
阿弥陀堂が見えてきた。
室町末期の建造物。 大山寺にある建物で、一番古い。
屋根は、こけら葺だそう。(薄い板が何層にも貼ってある) ※ こけらは、木くずの意味。
調べたら、こんなことが分かった。
こけらは「杮」と書く。 字は、柿(かき)に似ているが、違うそうだ。
こけら葺は、屋根に重厚さを感じるでしょうか。
こんな説明。 中の仏像も、重要文化財とある。
※ 良円と云う仏師は、ここの仏像が代表作のよう。 仏師としての存在は確かだが、詳しくは分からない。
木造阿弥陀如来三尊(写真は、鳥取県観光協会) 公開は、月に1回。
森の中を、東に歩いた。
この道は、旧大山道で、この石の門が大山への入り口。 向こうから入ってくる。
門の左向こうに、小さく地蔵が見える。
この道は「木の目」と呼ばれたので、地蔵は「木の目山王」と言われる。
この場所を守っている。
「これ! そこを通る者・・・」とか、言いそう。
更に行くと、三輪平太と云う人の、墓があった。
湧水があったが、沢水も混ざっていたので、飲まなかった。
命をかけて仕事をしているということか。
柱が短くなった所は、天井が低いそうだ。
※ 具体的には、拝殿の所が廊下より低いそう。
昨日撮影した、拝殿のところ。 ここの天井が、廊下より低いのか。 廊下は、どこ?
(山に登った帰り、確認しましょうか)
平太は恨みを買ったとあるが、妬みのよう。
今の時代(社会)も、そんなのが多い。 自分を人と比べてばかりいるから、そうなるのかな。
※ 三輪平太が、京都でどんな建物を作ったかは、分からない。
野球のバットの材料になる、アオダモの木の花。 通りがかりの人が教えてくれた。
旧大山道。 戻っている。 この辺りに、昔、周囲10㍍の欅(けやき)の木があった。
赤い法衣を着た、若い坊さんの亡霊が出たという。
昔、ここにも欅の老木があった。 弁慶が馬をつないだという。
この地蔵さんは、弁慶地蔵。 弁慶は、いつやってきたんだろう。 民話か?
今いる駐車場。
お店を探したが、人の動きがないので、やってるかが分かりにくい。
食堂とかは、全部閉まっていた。
餓讖(がしん)地蔵。 天保、天明の飢饉の後につくった。
草の根も食べた、とある。
※ 福島県相馬市にあった、天明大飢饉の「餓死供養碑」。
この地域の地図。
初めて山を見る。
稜線を登って行く。 頂上は、右に見えてるどこかのよう。

歩いていたら、昔のお堂や宿坊の跡が、いたる所にある。
栄えた頃、お坊さんが、少なくても数千人いたという。
寺や町の様子が、イメージできない。
その時代の大山を歩いてみたいかな。
【今日の歌】 数日前紹介はしているが、いいので再度。
【停泊場所】 昨晩に同じ
【明日の予定】 天気が悪そう。
大山に登れなかったら、松江城に行く。 現存天守です。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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午後2時半頃、やっと止んだ。
西の山の中に、お堂や寺院がある。 そこを散歩することにした。
期待は、天井画の圓流院(えんりゅういん)。
梅雨入りして、毎日雨。
この先どうするかは、大山を登ってから。
登山道の入り口から少し入った所。
地蔵は、蓮浄院地蔵。 少し左に、昔志賀直哉が泊った、宿坊蓮浄院があった。 ※ これについては昨日のに。

現在地にいる。 今日は、その右側を歩く。
登山道は、ずっと尾根ですね。 近く見えるけど、3時間はかかるという。

雨で、緑が濃い。 ※ カメラの設定にも問題あるのか。

杉の木が並んでいる。 道が古くからあることが分かる。

圓流院。 大山寺の塔頭(たっちゅう)。
※ 塔頭は、誰かが住み始めて、小さな寺のようになったもの。 そんな感じ。 大山寺の支院の一つになっている。

お堂の中。 寝っころがって天井を見ている人がいる。

天井には、水木しげるの妖怪の絵。

大山のシンボルは、からす天狗。
それを、水木しげるに描いてもらったという。
※ からす天狗は、京都の鞍馬の山にもいた。
義経が牛若丸だったとき、からす天狗から剣を習った。 そんな伝説がある。
その場所はここ。

こんな写真があった。
目玉おやじのモデルは、ギンリョウソウなのかな。
※ 今までに撮った、ギンリョウソウ。 ユウレイタケとも言う。
その①(紋別市で) その②(伊達市) その③(吾妻山)

『西の魔女が死んだ』(梨木香歩 作)の中で、ギンリョウソウが、下のように出てくる。
不思議な植物として、表現されている。 ※ 映画にもなった。
穴の脇は更に深い洞のようになっていて、その一面に美しい銀色の花が咲いていたのだ。
暗い林の奥の、そのまた暗い、ほとんど陽も届かないはずの場所に。
その植物は二十センチくらいの、葉を持たない銀白色の鱗をつけた茎の先に、やはり銀細工のような小さな蘭に似た花をつけていた。
それが何十本となく、まるで茸かつくしのように地面から生えているのを見るのは不思議な光景だった。
ギンリョウソウは、白い服を着た幽霊が、すっと立ってるように見える。
帰る時、天井絵が本物でないような気がしたので、受付の人に聞いて見た。
天井の絵は、プリントした物だと教えてくれた。
何しに来たのかなと、思った。 力が抜けた。
※ 玄関の隅に、1枚だけ、原画が飾ってあった。 帰りに気付いた。
この寺のために描いたのは、数枚と云うことも分かった。
四国で、絵金蔵を見た時と同じだ。 これで400円。
これからは、本物かどうか、受付で確認してから入る。
本物でないと、もちろん入らない。
阿弥陀堂に向かった。

阿弥陀堂が見えてきた。

室町末期の建造物。 大山寺にある建物で、一番古い。

屋根は、こけら葺だそう。(薄い板が何層にも貼ってある) ※ こけらは、木くずの意味。
調べたら、こんなことが分かった。
こけらは「杮」と書く。 字は、柿(かき)に似ているが、違うそうだ。

こけら葺は、屋根に重厚さを感じるでしょうか。
こんな説明。 中の仏像も、重要文化財とある。

※ 良円と云う仏師は、ここの仏像が代表作のよう。 仏師としての存在は確かだが、詳しくは分からない。
木造阿弥陀如来三尊(写真は、鳥取県観光協会) 公開は、月に1回。

森の中を、東に歩いた。
この道は、旧大山道で、この石の門が大山への入り口。 向こうから入ってくる。
門の左向こうに、小さく地蔵が見える。

この道は「木の目」と呼ばれたので、地蔵は「木の目山王」と言われる。
この場所を守っている。
「これ! そこを通る者・・・」とか、言いそう。

更に行くと、三輪平太と云う人の、墓があった。

湧水があったが、沢水も混ざっていたので、飲まなかった。

命をかけて仕事をしているということか。
柱が短くなった所は、天井が低いそうだ。
※ 具体的には、拝殿の所が廊下より低いそう。

昨日撮影した、拝殿のところ。 ここの天井が、廊下より低いのか。 廊下は、どこ?
(山に登った帰り、確認しましょうか)

平太は恨みを買ったとあるが、妬みのよう。
今の時代(社会)も、そんなのが多い。 自分を人と比べてばかりいるから、そうなるのかな。
※ 三輪平太が、京都でどんな建物を作ったかは、分からない。
野球のバットの材料になる、アオダモの木の花。 通りがかりの人が教えてくれた。

旧大山道。 戻っている。 この辺りに、昔、周囲10㍍の欅(けやき)の木があった。
赤い法衣を着た、若い坊さんの亡霊が出たという。

昔、ここにも欅の老木があった。 弁慶が馬をつないだという。

この地蔵さんは、弁慶地蔵。 弁慶は、いつやってきたんだろう。 民話か?

今いる駐車場。

お店を探したが、人の動きがないので、やってるかが分かりにくい。
食堂とかは、全部閉まっていた。

餓讖(がしん)地蔵。 天保、天明の飢饉の後につくった。

草の根も食べた、とある。

※ 福島県相馬市にあった、天明大飢饉の「餓死供養碑」。
この地域の地図。

初めて山を見る。

稜線を登って行く。 頂上は、右に見えてるどこかのよう。

歩いていたら、昔のお堂や宿坊の跡が、いたる所にある。
栄えた頃、お坊さんが、少なくても数千人いたという。
寺や町の様子が、イメージできない。
その時代の大山を歩いてみたいかな。
【今日の歌】 数日前紹介はしているが、いいので再度。
【停泊場所】 昨晩に同じ
【明日の予定】 天気が悪そう。
大山に登れなかったら、松江城に行く。 現存天守です。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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