今日も、朝から雨が降った。
明日の天気がいいと分かっているので、登山は考えなかった。
松江市に向かって走った。
松江城は、三大湖城の一つだという。 濠(ほり)が、宍道湖とつながっているからか。
※ 諏訪湖の高島城も、湖城。 (高島城の復元した城は、昔と違う。 ?。)
ここから入る。 石垣は、自然石を使っている。 野良積みと云うそう。
この建物は、興雲閣。 明治天皇の宿泊場所として建てた。 でも、泊ることは無かった。
30年くらい前に、一度来ている。
秀吉、家康に仕えた、堀尾氏がつくった。
明治に入って、天守閣以外は、みんな壊された。
※ 城や寺は、いらないと考えた。 一部の者が、その考えを主導したのかな。
一目、大きい。 板張りの黒が目立つ。 安定感があって、美しい。 ※ 黒くて美しいのは、松本城。
※ 見えづらいが、板は横張り。 備中松山城は、縦に張ってあった。
茶席があった。
あんたがたは、呼び込みかい、と言って、パチリ。
1階。 深い井戸があった。
柱など、ほとんどの物は、古い材料の感じがした。
左の鎧が、後藤又兵衛のとあった。(そう伝えられている、ということで)
この人。
後藤又兵衛には、面白い話がある。 豊臣秀頼と共に、生存説。
Wikipediaにはこう。(概略)
大阪夏の陣で戦死した後藤又兵衛は影武者だった。
大坂城落城の前に、豊臣秀頼を護衛し、真田幸村と共に、瀬戸内海から豊後国日出に上陸した。
薩摩国の島津氏を頼りに、九州に来た。(計画していた)
上陸後、秀頼一行との再会を誓い日田の地で別れた。
又兵衛は、かつて黒田氏が中津を領していた頃の知人である女性・お豊のいる伊福の里に向かう。
お豊や里の人々と平穏な日々を過ごしていたが、やがて秀頼の病死を知る。
又兵衛は、豊臣家再興の夢が断たれた悲しみから、承応3年(1654年)1月29日、お豊の家で自刃した。
後藤又兵衛と伊福の里の紙芝居
※ 後藤又兵衛は、鳥取と関わりがあるので、それであるのか。
義経他、色んな人の生存説がある。 どれかは、実際にあった。 そう思うかな。
城を作っている時、殿様の堀尾吉晴が、作業している人に、ふるまってる。 古い絵ではない。
中は、5階。
現存する天守は、全国に12しかない。 この城も、現存天守。 価値が高い。
ここを登ったら、最上階。
四方が見渡せる。
天気が良ければ、写真中央に、大山が見える。
宍道湖(しんじこ)。 シジミで知られている。
※ 全国のシジミ漁獲量1万9295トン中、約39%の7500トンが、宍道湖産。(平成12年度)
この城を作る時、石垣が崩れた。
工夫は人柱がなければ、石垣は完成しないと言った。
盆踊りを開催し、その中で最も美しく、もっとも踊りの上手な少女が生け贄にされた。
娘は踊りの最中にさらわれ、事情もわからず埋め殺されたという。
その後、城主に祟りがあった。
お濠(ほり)が見える。
階段の手すりとかも古い。 グラグラしない。 堅い木で作られている。
別の方向から。
小泉八雲の旧居に向かった。 八雲が、この神社に散歩で良く来たという。
船が、よく通る。
ここが、旧居。
彼は、明治23年の4月から、1年3カ月ここに住む。
彼の名前は、ラフカディオ・ハーン。 また、小泉八雲。
八雲は、「ハウン」と読め、「ハーン」となる。 これについては、調べたが分からない。
高浜虚子の句があった。 この人は、どこにでも顔を出している。 よく見る。
「くわれもす 八雲旧居の 秋の蚊に」
武家屋敷が並んでいる。
ここの武家屋敷に入った。 こんな門が、長屋門。 ※ 長屋のような門。
左の砂の山を刀で何回か切ると、刀が切れるようになるとあった。
二百数十年を経ていると、説明にある。
昔の物を展示。
庭。
いろんな提灯がある。
駐車場に戻る途中、船が通った。
天気は回復して来た。
上だけ見えた。
途中にあった、安来(やすぎ)駅。
安来節は、この地で生まれた。
※ 安来節の思い出
私が、最初に赴任したのは、根室の幌茂尻小学校。
お祭りの後とか、PTA会長さんのお家に、先生方みんな呼ばれた。
会長さんは、いつも、安来節を踊った。 ザルを持って。
カラオケとか無いから、伴奏なしで歌謡曲や民謡を歌った。
その時の校長は、先日チシマザクラを紹介した、根室の清隆寺の住職さんのお兄さん。
でも、3年目の時に、病気で亡くなった。
私は4年生を担任しており、秋のある日、教室で「野ばら」をリコーダーで練習していた。
演奏の途中、緊急のブザーが鳴って、職員室に行った。 亡くなったことを知らされた。
「野ばら」は、リコーダーの3重奏。
旅に出る時、物を整理していたら、練習風景を録音したテープだ出てきた。
今、車に積んでいる。 カセットの機械がないので聞いてないが。
35年前のこと。
安来節を聞くと、楽しかった宴会を思い出す。
野ばらは、悲しい思い出と重なる。
松江城は、残存天守の12の城の中でも、魅力は上位にあるように思う。
城があるということで、その街が、しっとりした感じになる。
本物の城の価値は、大きい。
【道の駅】 昨晩に同じ
【明日の予定】 大山に登る
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行は8位、 旅行全体で26位です。
記事は役立ったでしょうか。
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明日の天気がいいと分かっているので、登山は考えなかった。
松江市に向かって走った。
松江城は、三大湖城の一つだという。 濠(ほり)が、宍道湖とつながっているからか。
※ 諏訪湖の高島城も、湖城。 (高島城の復元した城は、昔と違う。 ?。)

ここから入る。 石垣は、自然石を使っている。 野良積みと云うそう。

この建物は、興雲閣。 明治天皇の宿泊場所として建てた。 でも、泊ることは無かった。

30年くらい前に、一度来ている。

秀吉、家康に仕えた、堀尾氏がつくった。
明治に入って、天守閣以外は、みんな壊された。
※ 城や寺は、いらないと考えた。 一部の者が、その考えを主導したのかな。

一目、大きい。 板張りの黒が目立つ。 安定感があって、美しい。 ※ 黒くて美しいのは、松本城。
※ 見えづらいが、板は横張り。 備中松山城は、縦に張ってあった。

茶席があった。
あんたがたは、呼び込みかい、と言って、パチリ。

1階。 深い井戸があった。

柱など、ほとんどの物は、古い材料の感じがした。

左の鎧が、後藤又兵衛のとあった。(そう伝えられている、ということで)

この人。

後藤又兵衛には、面白い話がある。 豊臣秀頼と共に、生存説。
Wikipediaにはこう。(概略)
大阪夏の陣で戦死した後藤又兵衛は影武者だった。
大坂城落城の前に、豊臣秀頼を護衛し、真田幸村と共に、瀬戸内海から豊後国日出に上陸した。
薩摩国の島津氏を頼りに、九州に来た。(計画していた)
上陸後、秀頼一行との再会を誓い日田の地で別れた。
又兵衛は、かつて黒田氏が中津を領していた頃の知人である女性・お豊のいる伊福の里に向かう。
お豊や里の人々と平穏な日々を過ごしていたが、やがて秀頼の病死を知る。
又兵衛は、豊臣家再興の夢が断たれた悲しみから、承応3年(1654年)1月29日、お豊の家で自刃した。
後藤又兵衛と伊福の里の紙芝居
※ 後藤又兵衛は、鳥取と関わりがあるので、それであるのか。
義経他、色んな人の生存説がある。 どれかは、実際にあった。 そう思うかな。
城を作っている時、殿様の堀尾吉晴が、作業している人に、ふるまってる。 古い絵ではない。

中は、5階。

現存する天守は、全国に12しかない。 この城も、現存天守。 価値が高い。
ここを登ったら、最上階。

四方が見渡せる。

天気が良ければ、写真中央に、大山が見える。

宍道湖(しんじこ)。 シジミで知られている。
※ 全国のシジミ漁獲量1万9295トン中、約39%の7500トンが、宍道湖産。(平成12年度)

この城を作る時、石垣が崩れた。
工夫は人柱がなければ、石垣は完成しないと言った。
盆踊りを開催し、その中で最も美しく、もっとも踊りの上手な少女が生け贄にされた。
娘は踊りの最中にさらわれ、事情もわからず埋め殺されたという。
その後、城主に祟りがあった。

お濠(ほり)が見える。


階段の手すりとかも古い。 グラグラしない。 堅い木で作られている。

別の方向から。

小泉八雲の旧居に向かった。 八雲が、この神社に散歩で良く来たという。

船が、よく通る。

ここが、旧居。
彼は、明治23年の4月から、1年3カ月ここに住む。

彼の名前は、ラフカディオ・ハーン。 また、小泉八雲。
八雲は、「ハウン」と読め、「ハーン」となる。 これについては、調べたが分からない。

高浜虚子の句があった。 この人は、どこにでも顔を出している。 よく見る。
「くわれもす 八雲旧居の 秋の蚊に」

武家屋敷が並んでいる。

ここの武家屋敷に入った。 こんな門が、長屋門。 ※ 長屋のような門。

左の砂の山を刀で何回か切ると、刀が切れるようになるとあった。

二百数十年を経ていると、説明にある。

昔の物を展示。

庭。

いろんな提灯がある。

駐車場に戻る途中、船が通った。

天気は回復して来た。

上だけ見えた。

途中にあった、安来(やすぎ)駅。

安来節は、この地で生まれた。

※ 安来節の思い出
私が、最初に赴任したのは、根室の幌茂尻小学校。
お祭りの後とか、PTA会長さんのお家に、先生方みんな呼ばれた。
会長さんは、いつも、安来節を踊った。 ザルを持って。
カラオケとか無いから、伴奏なしで歌謡曲や民謡を歌った。
その時の校長は、先日チシマザクラを紹介した、根室の清隆寺の住職さんのお兄さん。
でも、3年目の時に、病気で亡くなった。
私は4年生を担任しており、秋のある日、教室で「野ばら」をリコーダーで練習していた。
演奏の途中、緊急のブザーが鳴って、職員室に行った。 亡くなったことを知らされた。
「野ばら」は、リコーダーの3重奏。
旅に出る時、物を整理していたら、練習風景を録音したテープだ出てきた。
今、車に積んでいる。 カセットの機械がないので聞いてないが。
35年前のこと。
安来節を聞くと、楽しかった宴会を思い出す。
野ばらは、悲しい思い出と重なる。
松江城は、残存天守の12の城の中でも、魅力は上位にあるように思う。
城があるということで、その街が、しっとりした感じになる。
本物の城の価値は、大きい。
【道の駅】 昨晩に同じ
【明日の予定】 大山に登る
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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コメント
松江城
Re: 松江城
松江は、魅力のある町です。
大山の山を一緒に下りた2人の女性は、2人とも鳥取県の人です。
こう言ってました。
鳥取市に行くことは滅多にないが、松江市にはよく行きますよ、って。
松江市のことを、いい街と言ってました。
松江市のとなりは、出雲市です。
この二つの町で、文化圏を作っているようです。 出雲文化圏。
出雲文化圏はの東の端は、鳥取県の5日に歩いた琴浦町と言われています。
普段の旅で、名物を探して食べようという発想は無いんですよ。
贅沢な旅ではないので。
松江では、何も食べていません。
魚を焼いたり煮たりした定食を食べることがあります。
普段食べられないので。
> 松江城はきれいな城ですね。町並みがきれなので、城はよりきれいに見えます。以前から気になっていた町のひとつです。宍道湖、小泉八雲、武家屋敷……。旅人から好まれる要素を持っています。
> 美味しい食べ物は何ですか。シジミはあまりに有名ですが。他になにがあるでしょうか。ここに寅さんも来た事があるでしょうね。
大山の山を一緒に下りた2人の女性は、2人とも鳥取県の人です。
こう言ってました。
鳥取市に行くことは滅多にないが、松江市にはよく行きますよ、って。
松江市のことを、いい街と言ってました。
松江市のとなりは、出雲市です。
この二つの町で、文化圏を作っているようです。 出雲文化圏。
出雲文化圏はの東の端は、鳥取県の5日に歩いた琴浦町と言われています。
普段の旅で、名物を探して食べようという発想は無いんですよ。
贅沢な旅ではないので。
松江では、何も食べていません。
魚を焼いたり煮たりした定食を食べることがあります。
普段食べられないので。
> 松江城はきれいな城ですね。町並みがきれなので、城はよりきれいに見えます。以前から気になっていた町のひとつです。宍道湖、小泉八雲、武家屋敷……。旅人から好まれる要素を持っています。
> 美味しい食べ物は何ですか。シジミはあまりに有名ですが。他になにがあるでしょうか。ここに寅さんも来た事があるでしょうね。
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美味しい食べ物は何ですか。シジミはあまりに有名ですが。他になにがあるでしょうか。ここに寅さんも来た事があるでしょうね。