明日、大山の山開き。
今日はその前夜祭で、たいまつ行列。
大神山神社の参道が、幻想的な炎の帯で染め上がった。
炎の行列は、晩の7時半から。
午後から、散歩。 人が多い。 ヤタガラスもいる。
地蔵さんを描いた絵を見に行った。 完成して、後始末をしていた。
描いた高校生は、地蔵さんのかすかな笑顔に、もちろん気づいていた。
今晩使うたいまつ。 参加者は、500円で買う。
今日の参加者は、1600人くらいかなって、地元の人が。
お店の前に。 涼しさを感じる。
この坂を、たいまつを持った人たちが、下りてくる。
歩いてない道を、歩くことに。 宿坊通り。
大山寺宿坊。 今は使っていない。 県民の建物100選に入ってる。
草に隠れて、句碑があった。 読めない。
※ 山頭火も来ているが、別の所に泊まった。
古くて味があるが、新築の時は、きっと輝いていた。
大関荒岩は、この町の出身。 明治時代の関取。 体は小さいが、強かった。
※ 荒岩亀之助(絵 Wikipedia)
呼んだら、こっちに来て座った。 すこし、お話し。
猫と友達になるには、最初の一言が大事。
「散歩してるのか」とか、前から友達だった様な云い方が、いいよう。
宿坊通りから離れて、寂静山(じゃくじょうさん)の頂上を目指している。 小さな山。
大山の右の斜面を、初めて見た。
この斜面を、右の方から登った。 これだも、登りが延々と続く。
大山の僧は、僧と言っても僧兵で、いざという時は戦った。
この道は、若い層が、修行で走り回った道。
寂静山頂上からの、大山。
頂上は、中央と右端の中間辺り。 やっと分かってきた。
人が写るかもしれないと、適当に撮った。 人はいた。
頂上の石塔。 こんな石塔は、宝篋印塔。(当初、宝篋と云う物を入れたので、この名前)
ある女の人が命を断った場所に、石碑と松があった。
その人が好きだった僧は、戦で死んでしまった。
地図があった。 時計回りで歩いてる。
この地図の中には、昔は、数えきれないくらいの、お堂や宿坊があった。
大山寺に着いて、ここを川原に下りていく。
板の橋。
平らな所があったら、たいていは、昔建物があった。
左奥に、深い大きな穴がある。 昔、そこに雪を入れて踏み固めた。 氷室と呼んだ。
蚕(かいこ)の種を保存したとあった。
夏前には種を取り出して、その氷のような堅い雪は、大山氷として米子に持って行った。
まだ雪があった。
湧水があって、利生水(りしょうすい)と呼ばれた。 女の人の髪を美しくすると。
ここに出てきた。 左は駐車場。 あの橋を、毎日渡ってる。
車の戻って、食事をして、少し昼寝。
7時を過ぎて、再度街に。 この写真は、7時33分に撮影。 薄暗くなってきた。
たいまつの行列は、山の中腹の大神山神社を出発している。
参道を登って行ったら、下りてきた。 見物人も大勢いる。
何の為にこれをするかは、どこにも書いてない。
火を送り届ける行事は、いろいろある。 オリンピックも。
ここのは、山の安全や、五穀豊穣を願っていると思う。
カメラマンの数も多い。 三脚を使ってる人もいる。 テレビ局も。
ここを過ぎたら、真っ直ぐの参道になる。
山から溶岩が流れてくるようでもある。
幻想的は光景。
参加者は、満足の表情。 圧倒される何かがある。
行列の後ろの方。
「元気」という文字を作ろうとしたが、なかなか上手くいかない。
※ 一度完成した後かもしれない。 放送では、再度作ろうとしているようだった。
「元気」は、もちろん、震災を意識している。
小さなろうそくの火だって、見てるだけで退屈しない。
元々、火には、人の心を湧き立たせる何かがあるのか。
大神山神社からの参道が、炎で埋まった。
滅多に見られない光景だった。
大山には、松江に行った日を含めたら、5日間いた。
山と石畳の魅力、これが大きかったでしょうか。
【道の駅】 ポート赤碕 夜中に移動した。
【明日の予定】 コナンの北栄町か。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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今日はその前夜祭で、たいまつ行列。
大神山神社の参道が、幻想的な炎の帯で染め上がった。
炎の行列は、晩の7時半から。
午後から、散歩。 人が多い。 ヤタガラスもいる。

地蔵さんを描いた絵を見に行った。 完成して、後始末をしていた。
描いた高校生は、地蔵さんのかすかな笑顔に、もちろん気づいていた。


今晩使うたいまつ。 参加者は、500円で買う。
今日の参加者は、1600人くらいかなって、地元の人が。

お店の前に。 涼しさを感じる。

この坂を、たいまつを持った人たちが、下りてくる。

歩いてない道を、歩くことに。 宿坊通り。

大山寺宿坊。 今は使っていない。 県民の建物100選に入ってる。

草に隠れて、句碑があった。 読めない。
※ 山頭火も来ているが、別の所に泊まった。

古くて味があるが、新築の時は、きっと輝いていた。

大関荒岩は、この町の出身。 明治時代の関取。 体は小さいが、強かった。

※ 荒岩亀之助(絵 Wikipedia)
呼んだら、こっちに来て座った。 すこし、お話し。
猫と友達になるには、最初の一言が大事。
「散歩してるのか」とか、前から友達だった様な云い方が、いいよう。

宿坊通りから離れて、寂静山(じゃくじょうさん)の頂上を目指している。 小さな山。
大山の右の斜面を、初めて見た。
この斜面を、右の方から登った。 これだも、登りが延々と続く。

大山の僧は、僧と言っても僧兵で、いざという時は戦った。
この道は、若い層が、修行で走り回った道。

寂静山頂上からの、大山。
頂上は、中央と右端の中間辺り。 やっと分かってきた。

人が写るかもしれないと、適当に撮った。 人はいた。

頂上の石塔。 こんな石塔は、宝篋印塔。(当初、宝篋と云う物を入れたので、この名前)

ある女の人が命を断った場所に、石碑と松があった。
その人が好きだった僧は、戦で死んでしまった。
地図があった。 時計回りで歩いてる。
この地図の中には、昔は、数えきれないくらいの、お堂や宿坊があった。

大山寺に着いて、ここを川原に下りていく。

板の橋。

平らな所があったら、たいていは、昔建物があった。

左奥に、深い大きな穴がある。 昔、そこに雪を入れて踏み固めた。 氷室と呼んだ。
蚕(かいこ)の種を保存したとあった。
夏前には種を取り出して、その氷のような堅い雪は、大山氷として米子に持って行った。

まだ雪があった。

湧水があって、利生水(りしょうすい)と呼ばれた。 女の人の髪を美しくすると。

ここに出てきた。 左は駐車場。 あの橋を、毎日渡ってる。

車の戻って、食事をして、少し昼寝。
7時を過ぎて、再度街に。 この写真は、7時33分に撮影。 薄暗くなってきた。
たいまつの行列は、山の中腹の大神山神社を出発している。

参道を登って行ったら、下りてきた。 見物人も大勢いる。

何の為にこれをするかは、どこにも書いてない。
火を送り届ける行事は、いろいろある。 オリンピックも。
ここのは、山の安全や、五穀豊穣を願っていると思う。

カメラマンの数も多い。 三脚を使ってる人もいる。 テレビ局も。

ここを過ぎたら、真っ直ぐの参道になる。

山から溶岩が流れてくるようでもある。
幻想的は光景。

参加者は、満足の表情。 圧倒される何かがある。

行列の後ろの方。

「元気」という文字を作ろうとしたが、なかなか上手くいかない。
※ 一度完成した後かもしれない。 放送では、再度作ろうとしているようだった。
「元気」は、もちろん、震災を意識している。

小さなろうそくの火だって、見てるだけで退屈しない。
元々、火には、人の心を湧き立たせる何かがあるのか。
大神山神社からの参道が、炎で埋まった。
滅多に見られない光景だった。
大山には、松江に行った日を含めたら、5日間いた。
山と石畳の魅力、これが大きかったでしょうか。
【道の駅】 ポート赤碕 夜中に移動した。
【明日の予定】 コナンの北栄町か。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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