大覚寺を見学するのは初めて。
以前、境内にある大沢池を歩いただけ。
皇室との関係が強い寺。
普通の寺と、何かが違うのでしょうか。
楽しみは、紅葉と嵯峨菊。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
嵯峨嵐山駅から歩く。

嵯峨嵐山の嵯峨は、嵯峨天皇の嵯峨。 嵯峨天皇の離宮が大覚寺。
存在の大きな寺。
適当な道を歩いた。 ここに出た。
門跡とある。 住職が皇室関係の時、こう呼ぶよう。

着いた。 右に行けば名古曽の滝。 百人一首に歌がありますね。

池が大きい。 滝は右上。 滝は、今は滝の跡。

真言宗大覚寺派の本山。

嵯峨菊がある。 立派な入り口は、式台(大玄関)と呼ばれる。 普通の人は入れない。

受付を済ませて、敷台に。 拝観料は500円。 観光客が記念撮影。
嵯峨菊は背が高いのが分かりますね。 2㍍程。

上の説明に御所から移築されたと。 華道のこと、狩野永徳のことなど。
この籠は後宇多天皇が使ったとある。
大覚寺ではこの人を大切に扱っている。
寺が廃れた時代があって、それを再興したのがこの天皇。

後宇多天皇は、右の系図の右の方に。
天皇を誰にするかでもめた時代。 後醍醐天皇の時、南朝と北朝に分かれる。
この時代は複雑。 ちょっと調べたくらいでは、整理されて頭に入らない。

寝殿の前に来た。 寺なのに寝殿。 寝殿は御所にあるもの。
嵯峨菊は、どこにでもこのように。

御所から移築していた。 江戸時代。 重要文化財。
東福門院が使用していたとある。 彼女は、後水野尾天皇に嫁いで中宮に。
※ 東福門院は、幕府から皇室に送り込まれた。
皇室の力を弱める狙いがあったよう。
そんなことだから、彼女は宮中での居心地はよくなかった。
宮尾登美子が「東福門院の涙」と云う題で小説を書いている。(途中まで読んだ状態)
彼女は、仏にすがった。 念持仏を持っていた。 聖観音像。
その像は今、東山の光雲寺にある。
聖観音像と向き合い、日々を暮らした。
これほど美しく、優しい表情の像を自分は見たことない。(特別に撮影の許可をいただく)

この寝殿で東福門院は暮らし、聖観音像もこの寝殿にあった。
※ 東福門院は秀忠に嫁いだ江(ごう)の娘ですね。 5女だったかな。
江は信長の妹お市の娘ですね。 浅井三姉妹の一番下。
彼女の血は、今の天皇にも流れている。
説明の最後にある白川の砂は、昨日行った白川の砂ですね。
光雲寺 聖観音像は、やはり美しかった。 哲学の道、永観堂の紅葉、他。~京都市~ 他 (2014/11/25)
南禅寺塔頭、光雲寺の庭。 江(ごう)の5女、東福門院和子(まさこ)の菩提寺。~京都市~ 他 (2014/11/20)

渡り廊下を歩いて次に。 建物が多い。 右は、途中で見た部屋。

京都のの寺の庭は、どこも完璧。

嵯峨嵐山駅から少し離れているせいか、外人は少ない。
御影堂を通って。

御霊殿。 この建物も、他から。

中はこのように。 中央に、後水尾天皇の像。
天井はこのように。 龍は奥でちゃんと見えない。 右下に少し。

隣に、五大堂。 大覚寺の本堂。 仏像があるけど新しい。
※ 重要文化財や国宝は、霊宝館(宝物館)にある。
木造の建物は、火事の危険があるからですね。

五大堂の前に嵯峨菊が展示。

糸のような花びら。 門外不出。 ※ 嵯峨嵐山駅の隣に小さな庭があって、そこで見られる。(特別にかな)

花の数まで決まっている。

背が高い方が、建物から見下ろしたとき、見栄えがいいよう。

五大堂の隣に、大沢池の観月台。
説明に、芭蕉の句と百人一首の歌。 どっちも有名。

広い池。 ため池だったかな。

右写真の奥に、名古曽の滝跡。
大沢池・名古曽(なこそ)の滝跡から、広沢池へ ~京都市~ モーツァルト、ピアノソナタ第11番 K.331 第1楽章 (2012/6/6)
六角堂はコンクリートで。 心経殿と呼ばれる。
小さな宝物館。 天皇の直筆の文書など。 薬師如来像も。
開扉は60年に一度。 公開する意味でしょうか。 管理のために開けるのは当然ですね。
奥にこの後行く、霊明殿。

ちょっとした中庭がこう。 紅葉でなくても満足。

右の建物は、宮御殿。 この後、説明が。 これも移築。
右写真の右に、霊明殿。 椿と紅葉。

霊明殿。 これも移築。 建てたのは、斎藤実(まこと)。 彼は二二六事件で倒れた総理大臣。
※ 斎藤実については下の記事に少しだけ。
自立の道を選んだ小さな村、東成瀬村。 神社の屋根を必死に支える力士像。 斎藤実が遺した田子内橋。~東成瀬村~ 他 (2017/6/16)

堂内の写真は斜めからが多い。 正面に行って撮影禁止を見る前に撮ってしまう。 見ると・・・。
アップでは撮らないように。 わるく書かないように。
※ 撮影禁止にしないと、写真を悪用されたりしたときに、寺側は戦いにくい。
大覚寺での撮影禁止は、数ヶ所。 少ない。 どれが禁止だったか忘れた。

向こうから来ていた。

正寝殿。 後宇多院が院政を行った部屋を再現したもの。 古い。 重要文化財。

何をしてるのでしょう。

隣の部屋。 この建物は、客殿として使っているよう。

狩野派の絵。 別なのもあった。 狩野派は、信長・秀吉・徳川家の心をとらえた。

こんな菊も。 商店街でも見る。

外に出てから。

華道嵯峨御流という流派。

こんな道を通って。 途中で左に曲がって駅に。 真っ直ぐ行ったら、清凉寺に。

久しぶりに見所の多い寺を見学。
紅葉のことを忘れそうになって。
嵯峨菊が良かったですね。 品がある。
東福門院が暮らした建物に出会ったのも収穫。
【今日の歌】 Misaki IWASA - Saba kaidô 鯖街道 岩佐美咲
大覚寺から出たとき、和服の女性とすれ違った。 落ち着いた灰色っぽい和服。
プロが着付けをした感じ。 ヘアスタイルも決まっていた。 目が合った。
一瞬、岩佐美咲かと思った。 お忍びで。 後ろ姿の写真を撮ればよかった。
彼女は京都を歌っている。 鯖街道。
※ 鯖街道は小浜と京都を結ぶ道。 ※ 昨日買った鯖のへしこも、小浜産。
語尾が、キュンとなる歌い方。 ポップス演歌の感じ。
歌詞の中に、根来(ねごり)坂と小入(おにゅう)谷が。
場所は、下の地図。
鯖街道はいくつかあって、歌の鯖街道は最短ルートの様街道。
下の地図は、そのルートの一番大変な所。

5年前に歩いた根来坂。 クマがいる山の中。
鯖街道、根来~針畑越えルートを歩く ~小浜市~ 夏が来る( 大黒摩季) 他 (2012/5/27)
京の食文化を担った、鯖街道。 京極高次(お初)の小浜城跡。~小浜市~ 他 (2014/11/2)
自分は、根来峠(ねごりとうげ)の2㌔手前で引き返した。 時間が足りなかった。
右は、最短ルートの全体。
歌詞でも言ってるけど、18里。 約72㌔。
夏は、この距離を1日で魚を小浜から京都に運んだ。
明るいうちに、根来峠を越えたと思われる。
朝野9時に小浜を出たとして、京都に着いたのは、早朝でしょうか。
塩漬けで運ぶから、着いた時には、ちょうどいい塩加減。

岩佐美咲「鞆の浦慕情」 この曲で岩佐美咲を知った。
鞆の浦の港町めぐり ~龍馬がやって来ていた。 福山市~ 他 (2011/12/15)
【停泊場所】 亀岡市運動公園駐車場
【明日の予定】 明日は天気がいい。 歩き回りたい。 行ったことのない圓光寺かな。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
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以前、境内にある大沢池を歩いただけ。
皇室との関係が強い寺。
普通の寺と、何かが違うのでしょうか。
楽しみは、紅葉と嵯峨菊。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
嵯峨嵐山駅から歩く。

嵯峨嵐山の嵯峨は、嵯峨天皇の嵯峨。 嵯峨天皇の離宮が大覚寺。
存在の大きな寺。

適当な道を歩いた。 ここに出た。
門跡とある。 住職が皇室関係の時、こう呼ぶよう。

着いた。 右に行けば名古曽の滝。 百人一首に歌がありますね。

池が大きい。 滝は右上。 滝は、今は滝の跡。

真言宗大覚寺派の本山。

嵯峨菊がある。 立派な入り口は、式台(大玄関)と呼ばれる。 普通の人は入れない。


受付を済ませて、敷台に。 拝観料は500円。 観光客が記念撮影。
嵯峨菊は背が高いのが分かりますね。 2㍍程。


上の説明に御所から移築されたと。 華道のこと、狩野永徳のことなど。
この籠は後宇多天皇が使ったとある。
大覚寺ではこの人を大切に扱っている。
寺が廃れた時代があって、それを再興したのがこの天皇。

後宇多天皇は、右の系図の右の方に。
天皇を誰にするかでもめた時代。 後醍醐天皇の時、南朝と北朝に分かれる。
この時代は複雑。 ちょっと調べたくらいでは、整理されて頭に入らない。


寝殿の前に来た。 寺なのに寝殿。 寝殿は御所にあるもの。
嵯峨菊は、どこにでもこのように。

御所から移築していた。 江戸時代。 重要文化財。
東福門院が使用していたとある。 彼女は、後水野尾天皇に嫁いで中宮に。
※ 東福門院は、幕府から皇室に送り込まれた。
皇室の力を弱める狙いがあったよう。
そんなことだから、彼女は宮中での居心地はよくなかった。
宮尾登美子が「東福門院の涙」と云う題で小説を書いている。(途中まで読んだ状態)
彼女は、仏にすがった。 念持仏を持っていた。 聖観音像。
その像は今、東山の光雲寺にある。
聖観音像と向き合い、日々を暮らした。
これほど美しく、優しい表情の像を自分は見たことない。(特別に撮影の許可をいただく)

この寝殿で東福門院は暮らし、聖観音像もこの寝殿にあった。
※ 東福門院は秀忠に嫁いだ江(ごう)の娘ですね。 5女だったかな。
江は信長の妹お市の娘ですね。 浅井三姉妹の一番下。
彼女の血は、今の天皇にも流れている。
説明の最後にある白川の砂は、昨日行った白川の砂ですね。
光雲寺 聖観音像は、やはり美しかった。 哲学の道、永観堂の紅葉、他。~京都市~ 他 (2014/11/25)
南禅寺塔頭、光雲寺の庭。 江(ごう)の5女、東福門院和子(まさこ)の菩提寺。~京都市~ 他 (2014/11/20)

渡り廊下を歩いて次に。 建物が多い。 右は、途中で見た部屋。


京都のの寺の庭は、どこも完璧。

嵯峨嵐山駅から少し離れているせいか、外人は少ない。
御影堂を通って。


御霊殿。 この建物も、他から。

中はこのように。 中央に、後水尾天皇の像。

天井はこのように。 龍は奥でちゃんと見えない。 右下に少し。


隣に、五大堂。 大覚寺の本堂。 仏像があるけど新しい。
※ 重要文化財や国宝は、霊宝館(宝物館)にある。
木造の建物は、火事の危険があるからですね。


五大堂の前に嵯峨菊が展示。

糸のような花びら。 門外不出。 ※ 嵯峨嵐山駅の隣に小さな庭があって、そこで見られる。(特別にかな)


花の数まで決まっている。


背が高い方が、建物から見下ろしたとき、見栄えがいいよう。

五大堂の隣に、大沢池の観月台。
説明に、芭蕉の句と百人一首の歌。 どっちも有名。


広い池。 ため池だったかな。

右写真の奥に、名古曽の滝跡。
大沢池・名古曽(なこそ)の滝跡から、広沢池へ ~京都市~ モーツァルト、ピアノソナタ第11番 K.331 第1楽章 (2012/6/6)


六角堂はコンクリートで。 心経殿と呼ばれる。
小さな宝物館。 天皇の直筆の文書など。 薬師如来像も。
開扉は60年に一度。 公開する意味でしょうか。 管理のために開けるのは当然ですね。
奥にこの後行く、霊明殿。


ちょっとした中庭がこう。 紅葉でなくても満足。

右の建物は、宮御殿。 この後、説明が。 これも移築。
右写真の右に、霊明殿。 椿と紅葉。


霊明殿。 これも移築。 建てたのは、斎藤実(まこと)。 彼は二二六事件で倒れた総理大臣。
※ 斎藤実については下の記事に少しだけ。
自立の道を選んだ小さな村、東成瀬村。 神社の屋根を必死に支える力士像。 斎藤実が遺した田子内橋。~東成瀬村~ 他 (2017/6/16)


堂内の写真は斜めからが多い。 正面に行って撮影禁止を見る前に撮ってしまう。 見ると・・・。
アップでは撮らないように。 わるく書かないように。
※ 撮影禁止にしないと、写真を悪用されたりしたときに、寺側は戦いにくい。
大覚寺での撮影禁止は、数ヶ所。 少ない。 どれが禁止だったか忘れた。

向こうから来ていた。

正寝殿。 後宇多院が院政を行った部屋を再現したもの。 古い。 重要文化財。

何をしてるのでしょう。


隣の部屋。 この建物は、客殿として使っているよう。

狩野派の絵。 別なのもあった。 狩野派は、信長・秀吉・徳川家の心をとらえた。


こんな菊も。 商店街でも見る。

外に出てから。

華道嵯峨御流という流派。


こんな道を通って。 途中で左に曲がって駅に。 真っ直ぐ行ったら、清凉寺に。

久しぶりに見所の多い寺を見学。
紅葉のことを忘れそうになって。
嵯峨菊が良かったですね。 品がある。
東福門院が暮らした建物に出会ったのも収穫。
【今日の歌】 Misaki IWASA - Saba kaidô 鯖街道 岩佐美咲
大覚寺から出たとき、和服の女性とすれ違った。 落ち着いた灰色っぽい和服。
プロが着付けをした感じ。 ヘアスタイルも決まっていた。 目が合った。
一瞬、岩佐美咲かと思った。 お忍びで。 後ろ姿の写真を撮ればよかった。
彼女は京都を歌っている。 鯖街道。
※ 鯖街道は小浜と京都を結ぶ道。 ※ 昨日買った鯖のへしこも、小浜産。
語尾が、キュンとなる歌い方。 ポップス演歌の感じ。
歌詞の中に、根来(ねごり)坂と小入(おにゅう)谷が。
場所は、下の地図。
鯖街道はいくつかあって、歌の鯖街道は最短ルートの様街道。
下の地図は、そのルートの一番大変な所。

5年前に歩いた根来坂。 クマがいる山の中。

鯖街道、根来~針畑越えルートを歩く ~小浜市~ 夏が来る( 大黒摩季) 他 (2012/5/27)
京の食文化を担った、鯖街道。 京極高次(お初)の小浜城跡。~小浜市~ 他 (2014/11/2)
自分は、根来峠(ねごりとうげ)の2㌔手前で引き返した。 時間が足りなかった。
右は、最短ルートの全体。
歌詞でも言ってるけど、18里。 約72㌔。
夏は、この距離を1日で魚を小浜から京都に運んだ。
明るいうちに、根来峠を越えたと思われる。
朝野9時に小浜を出たとして、京都に着いたのは、早朝でしょうか。
塩漬けで運ぶから、着いた時には、ちょうどいい塩加減。


岩佐美咲「鞆の浦慕情」 この曲で岩佐美咲を知った。
鞆の浦の港町めぐり ~龍馬がやって来ていた。 福山市~ 他 (2011/12/15)
【停泊場所】 亀岡市運動公園駐車場
【明日の予定】 明日は天気がいい。 歩き回りたい。 行ったことのない圓光寺かな。
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(2008年4月~2010年9月までの.記事)

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