今日は、倉吉と三朝(みささ)温泉。
どちらも、歩く楽しみがある。
倉吉市は、昔、伯耆(ほうき)と言われた地域の、中心地。 城下町。
山陰に来ると、赤瓦が目立つ。 ※ これは、島根県の石見地方で生産される、石州瓦。
白壁と赤瓦が特徴。 板は、焼いて黒く。
歩いていたら、これが目に入った。 先行上映している、とある。
どこで撮影したんだろうと思った。 ポスターもいい。
市内には、無料の駐車場が何カ所かあった。 標示も分かりやすく、便利。
土蔵の中は、お土産屋さんになっていた。
川は、玉川。 一枚岩の橋もあった。
昔、琴桜っていう横綱がいた。 倉吉が、出身地だった。
のんびり歩くのにいい。 なつかしい雰囲気がする。 鳥取県の伝建地区は、ここだけ。
写真は載せてないが、あっちこっち歩いた。
桜田門外の変で死んだのは、井伊直弼だが、彼に開国の思想を注ぎ込んだのは、倉吉の吉祥院の住職だった。
その寺の境内には、後の代の井伊家の人の歌が、歌碑になってあった。
※ 桜田門外の変、予告編(YouTube) 関鉄之介が生き延びていればな~、って思う。
ある商家に入った。 間口が細く、奥に長い。 贅を尽くしていた。
小さな中庭。
2階の和室。 床柱は、黒檀(こくたん)だという。 高いようだ。
三朝(みささ)温泉に向かった。 日本屈指のラドン温泉とある。
河川敷の駐車場に停めて、歩きだした。
感じのいい橋があったので、写真を撮り始めた。
橋の名前がいい。 それも入るように撮った。
最初に撮った場所は、左の家の前の、少し橋に近づいて。
橋の名前は、こう。 あれ・・と思いながら、振り返った。
そうしたら、横に、このポスターがあった。 驚いた。
何か、吸い寄せられるように、この橋に来た。
※ 三朝温泉のHP。
※ 話は、こんな感じ始まる。
朋子(上原多香子)は東京のデザイン事務所に勤めていたがリストラされてしまう。
転職先が見つかるまでの間実家に戻ることにする。
彼女の家は鳥取県の三朝町で老舗旅館・大橋を営んでいたが、経営は決して順調ではなかった。
5年ぶりに帰省した朋子は、大橋で板前として働く幼なじみの圭太(水上剣星)から
大橋の厳しい状況を聞かされ……。
(地図は、大人のお湯旅より)
温泉本通りを歩いた。 足湯があった。
感じいいですね。
歓楽街の雰囲気に。 昔は、こんなのが多かった。
今の温泉街は、ここからの脱却を図っていますね。
三朝橋。
上の写真の右に、この像が。 この地には、三朝小唄というのがある。
「泣いて別れりゃ 空まで曇る 雲りゃ三朝が 雨となる」
これで始まる。 野口雨情作詞、中山晋平作曲。 こんな歌。 三朝小唄(YouTube)
大綱引き資料館「陣所の館」。 毎年5月4日に、綱引きの行事がある。
山の中の道を散歩。
昔、京都の寺の住職が、体の調子が悪く、この温泉に来た。
すっかり治ったお礼に、この寺を建てた。
斉藤茂吉の、歌碑があった。
「親しきは うすくれなゐの合歓の花 むらがり匂ふ 旅のやどりに」
恋谷橋が見えた。
今いる場所は、恋谷地区。 これは、こいだに、と濁る。 橋は、こいたに。
こんな名前、誰が考えたんでしょう。
橋の上に。
自分では、どうしようもない、とめられない、と言っているのか。
こんなのが。 明日行く。
株湯に向かっている。 向こうから来て、ここから右に行く。
株湯。 三朝温泉は、ここの温泉が始まり。
入った。 確かにラドン温泉だった。
湯気を吸ったら、頭の中が、フワッとした。
温度は42度か43度あるので、長くは入れない。
夕方も少し歩いた。
同じ場所の、8時頃。
あるお店で、お酒を飲んだ。 久しぶり。
たくさんおしゃべりしているうちに、飲みすぎた。
歌もうたった。
感じのいいお店だった。 ひとも。
何時頃か分からないが、帰る時蛍を見た。 3匹ほど、あるお家の庭先に。
揺れて見えた。 捕まえてきて、放したそう。
【停泊場所】 三朝(みささ)温泉の川原の駐車場。
【明日の予定】 三徳山
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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どちらも、歩く楽しみがある。
倉吉市は、昔、伯耆(ほうき)と言われた地域の、中心地。 城下町。
山陰に来ると、赤瓦が目立つ。 ※ これは、島根県の石見地方で生産される、石州瓦。
白壁と赤瓦が特徴。 板は、焼いて黒く。

歩いていたら、これが目に入った。 先行上映している、とある。
どこで撮影したんだろうと思った。 ポスターもいい。

市内には、無料の駐車場が何カ所かあった。 標示も分かりやすく、便利。
土蔵の中は、お土産屋さんになっていた。

川は、玉川。 一枚岩の橋もあった。

昔、琴桜っていう横綱がいた。 倉吉が、出身地だった。
のんびり歩くのにいい。 なつかしい雰囲気がする。 鳥取県の伝建地区は、ここだけ。

写真は載せてないが、あっちこっち歩いた。
桜田門外の変で死んだのは、井伊直弼だが、彼に開国の思想を注ぎ込んだのは、倉吉の吉祥院の住職だった。
その寺の境内には、後の代の井伊家の人の歌が、歌碑になってあった。
※ 桜田門外の変、予告編(YouTube) 関鉄之介が生き延びていればな~、って思う。
ある商家に入った。 間口が細く、奥に長い。 贅を尽くしていた。

小さな中庭。

2階の和室。 床柱は、黒檀(こくたん)だという。 高いようだ。

三朝(みささ)温泉に向かった。 日本屈指のラドン温泉とある。
河川敷の駐車場に停めて、歩きだした。
感じのいい橋があったので、写真を撮り始めた。
橋の名前がいい。 それも入るように撮った。
最初に撮った場所は、左の家の前の、少し橋に近づいて。

橋の名前は、こう。 あれ・・と思いながら、振り返った。

そうしたら、横に、このポスターがあった。 驚いた。
何か、吸い寄せられるように、この橋に来た。

※ 三朝温泉のHP。
※ 話は、こんな感じ始まる。
朋子(上原多香子)は東京のデザイン事務所に勤めていたがリストラされてしまう。
転職先が見つかるまでの間実家に戻ることにする。
彼女の家は鳥取県の三朝町で老舗旅館・大橋を営んでいたが、経営は決して順調ではなかった。
5年ぶりに帰省した朋子は、大橋で板前として働く幼なじみの圭太(水上剣星)から
大橋の厳しい状況を聞かされ……。

(地図は、大人のお湯旅より)
温泉本通りを歩いた。 足湯があった。

感じいいですね。

歓楽街の雰囲気に。 昔は、こんなのが多かった。
今の温泉街は、ここからの脱却を図っていますね。

三朝橋。

上の写真の右に、この像が。 この地には、三朝小唄というのがある。

「泣いて別れりゃ 空まで曇る 雲りゃ三朝が 雨となる」
これで始まる。 野口雨情作詞、中山晋平作曲。 こんな歌。 三朝小唄(YouTube)

大綱引き資料館「陣所の館」。 毎年5月4日に、綱引きの行事がある。

山の中の道を散歩。
昔、京都の寺の住職が、体の調子が悪く、この温泉に来た。
すっかり治ったお礼に、この寺を建てた。

斉藤茂吉の、歌碑があった。
「親しきは うすくれなゐの合歓の花 むらがり匂ふ 旅のやどりに」

恋谷橋が見えた。
今いる場所は、恋谷地区。 これは、こいだに、と濁る。 橋は、こいたに。
こんな名前、誰が考えたんでしょう。

橋の上に。

自分では、どうしようもない、とめられない、と言っているのか。

こんなのが。 明日行く。

株湯に向かっている。 向こうから来て、ここから右に行く。

株湯。 三朝温泉は、ここの温泉が始まり。

入った。 確かにラドン温泉だった。
湯気を吸ったら、頭の中が、フワッとした。
温度は42度か43度あるので、長くは入れない。
夕方も少し歩いた。

同じ場所の、8時頃。

あるお店で、お酒を飲んだ。 久しぶり。
たくさんおしゃべりしているうちに、飲みすぎた。
歌もうたった。
感じのいいお店だった。 ひとも。
何時頃か分からないが、帰る時蛍を見た。 3匹ほど、あるお家の庭先に。
揺れて見えた。 捕まえてきて、放したそう。
【停泊場所】 三朝(みささ)温泉の川原の駐車場。
【明日の予定】 三徳山
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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