国宝の鉄宝塔があるという。
一体何なんでしょう。
奈良から遠く離れた所に、東大寺別院。
それも不思議。
紅葉の魅力もあって、阿弥陀寺に行ってきた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
山裾から、石段を上がっていく。

文化財収蔵庫とある。

源平の時代、戦乱で東大寺は焼けた。
復興を中心になって進めたのは、重源(ちょうげん)。
木材が必要になった。
阿弥陀寺の奥から、木材を切り出すことになった。 大木、130本程。
現場で指揮したのは重源。
その時代に、重源が阿弥陀寺をつくった。
再建した大仏殿は、江戸時代に焼けた。
しかし、国宝の南大門はその時に建てたもの。(写真は以前撮影)
切り出された木材は南大門にも使われた。

仁王門。 今は修復中。 そのため、仁王様は収蔵庫にある。

仁王門を過ぎて右手に、建物が。
昔のお風呂。 木材を切り出す人が使った。
※ 古いもの。 国重要有形民族文化財。 重要文化財の下か。

石風呂。 決まった日に、誰でもが入れる。

石菖(せきしょう)を敷くとある。 細い葉の植物。
右の句の、石菖香るは分かるけど、その右が読めない。
老い〇ちり。 〇の中は何でしょう。

石室に入る感じ。 ※ 真っ暗で撮れない。 小さなストロボをリュックに入れとくかな。

参道に戻って。 本道への道は左だった。 知らないで右に。

楽しくなる石段。 右に、ヤマモモの巨木。

上がった所に、鐘楼。
後で見る鉄宝塔に、この鐘の先代のことが書いてある。

遅い秋の日差しの中で、おだやかな表情。

大きな宝篋印塔。 新しい念仏堂とかがあった。
古い時代は、この辺りに本堂があったのでしょうか。
今は、下の写真の向こうにある。 谷っぽい。

石段を下りて、こう。

開山堂。 ここに以前は、重源上人の座像があった。
今の時代は、火災に遭ったら焼けるので、普通置かない。
像は収蔵庫(宝物館)にある。 後で見る。

お堂はいっぱいある。

川も庭になって。
〇の中に華の字。 「か」の他に「はな」「はる」と読めますね。 いい字です。
東大寺もここも、華厳宗ですね。 筆者は、北河原公典。 東大寺関係の人。(上の方)

本堂。 1731年毛利氏により、再建。

普通はここを上がって来る。
※ 住職さんは、古い向こうが本当の道ですよと言った。
今の皇太子夫婦も、以前向こうの道からと。(自分が着た道)

本堂に入っていい。

奉納された絵馬がずらりと。 何の絵だか分からない。
教訓と云うか、教えの絵ではあるんですね。

いちばん右端。 どれか1つと思って、真ん中を調べてみた。
左は老いた母親。 仏様を描いた絵を息子に渡す。 息子は仏のおかげで戦いを生き延びる。 そんな絵。

上の絵について詳しくは下に。 ※ 観音霊験記というHPからお借り。




鳳凰の絵も。

池の向こうに護摩堂。

本堂の屋根。 遠くに月。 家より大きい。

収蔵庫(宝物館)。 400円。 住職さんが説明してくれる。

こうです。

※ 防府市の文化財からお借り。
まずこれ。 水晶の五輪塔は小さい。 外に展示していた。 本来は、鉄宝塔の中に。
鉄宝塔の下の部分に、鐘のことなどが書いてある。
重源挫創。 この寺の木造は、どれも、快慶一派の作と考えられている。
手の先とか無い。 大分傷んでいて、今後修復の時が来るかもしれなと、住職さんが。
仁王門に収まると、像の後は狭い。
今は、後から離れて見ることができる。 今だけですよと、住職さん。
2つの背中は違った。 左は、背骨の凸凹があった。
中央左に、湯田と見える。
湯田が初めて文献に出てきたのは、これでだそう。
湯田は、今は湯田温泉。 瑠璃光寺五重塔 湯田温泉 ~山口市~ 他 (2010/5/6)
焼くのではなく、墨を付けるのかな。 柄の部分が木だから。
山門を出た所に。

重源がここに座った。 園芸用のユリか。 こんな秋深くに。
上の右写真の徳地(とくぢ)は、以前通ったことがある。 その時の記事の一部。

この道を下って。

住職さんの説明があって、それが良かった。
たくさん人がいたら、自由に質問できない。
自分は寺に行ったとき、石段を登っていくときが一番好き。
昔のままの石段を。
【記事の紹介】 山頭火は、防府市で生まれた。 生家跡は、市街地の中に。~防府市~ 他 (2015/3/14)
【今日の歌】 レクイエム~麦畑のひばり 岡林信康 2010
※ 彼は今、亀岡市に住んでいます。 場所を探そうとはしないけど。
君に捧げるLOVESONG 岡林信康 HD
【道の駅】 きららあじす
【明日の予定】 変わった自然がある。 石がごろごろ。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
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一体何なんでしょう。
奈良から遠く離れた所に、東大寺別院。
それも不思議。
紅葉の魅力もあって、阿弥陀寺に行ってきた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
山裾から、石段を上がっていく。


文化財収蔵庫とある。

源平の時代、戦乱で東大寺は焼けた。
復興を中心になって進めたのは、重源(ちょうげん)。
木材が必要になった。
阿弥陀寺の奥から、木材を切り出すことになった。 大木、130本程。
現場で指揮したのは重源。
その時代に、重源が阿弥陀寺をつくった。
再建した大仏殿は、江戸時代に焼けた。
しかし、国宝の南大門はその時に建てたもの。(写真は以前撮影)
切り出された木材は南大門にも使われた。



仁王門。 今は修復中。 そのため、仁王様は収蔵庫にある。

仁王門を過ぎて右手に、建物が。

昔のお風呂。 木材を切り出す人が使った。
※ 古いもの。 国重要有形民族文化財。 重要文化財の下か。


石風呂。 決まった日に、誰でもが入れる。

石菖(せきしょう)を敷くとある。 細い葉の植物。
右の句の、石菖香るは分かるけど、その右が読めない。
老い〇ちり。 〇の中は何でしょう。


石室に入る感じ。 ※ 真っ暗で撮れない。 小さなストロボをリュックに入れとくかな。


参道に戻って。 本道への道は左だった。 知らないで右に。

楽しくなる石段。 右に、ヤマモモの巨木。


上がった所に、鐘楼。
後で見る鉄宝塔に、この鐘の先代のことが書いてある。


遅い秋の日差しの中で、おだやかな表情。


大きな宝篋印塔。 新しい念仏堂とかがあった。
古い時代は、この辺りに本堂があったのでしょうか。
今は、下の写真の向こうにある。 谷っぽい。

石段を下りて、こう。


開山堂。 ここに以前は、重源上人の座像があった。
今の時代は、火災に遭ったら焼けるので、普通置かない。
像は収蔵庫(宝物館)にある。 後で見る。


お堂はいっぱいある。

川も庭になって。
〇の中に華の字。 「か」の他に「はな」「はる」と読めますね。 いい字です。
東大寺もここも、華厳宗ですね。 筆者は、北河原公典。 東大寺関係の人。(上の方)


本堂。 1731年毛利氏により、再建。

普通はここを上がって来る。
※ 住職さんは、古い向こうが本当の道ですよと言った。
今の皇太子夫婦も、以前向こうの道からと。(自分が着た道)

本堂に入っていい。


奉納された絵馬がずらりと。 何の絵だか分からない。
教訓と云うか、教えの絵ではあるんですね。

いちばん右端。 どれか1つと思って、真ん中を調べてみた。
左は老いた母親。 仏様を描いた絵を息子に渡す。 息子は仏のおかげで戦いを生き延びる。 そんな絵。

上の絵について詳しくは下に。 ※ 観音霊験記というHPからお借り。




鳳凰の絵も。

池の向こうに護摩堂。

本堂の屋根。 遠くに月。 家より大きい。

収蔵庫(宝物館)。 400円。 住職さんが説明してくれる。

こうです。

※ 防府市の文化財からお借り。
まずこれ。 水晶の五輪塔は小さい。 外に展示していた。 本来は、鉄宝塔の中に。
鉄宝塔の下の部分に、鐘のことなどが書いてある。
国宝 | 工芸品 | |
てつほうとう(すいしょうごりんとうとも) | ||
鉄宝塔(水晶五輪塔共) | 1基 | |
所有: | 宗教法人 阿弥陀寺 | |
所在: | 防府市大字牟礼 | |
指定: | 昭和29年(1954)3月20日 |
写真をクリックすると拡大します。 |
重源挫創。 この寺の木造は、どれも、快慶一派の作と考えられている。
重要文化財 | 彫刻 | |
もくぞうちょうげんざぞう | ||
木造重源坐像 | 1躯 | |
所有: | 宗教法人 阿弥陀寺 | |
所在: | 防府市大字牟礼 | |
指定: | 昭和25年(1950)8月29日 |
写真をクリックすると拡大します。 |
手の先とか無い。 大分傷んでいて、今後修復の時が来るかもしれなと、住職さんが。
仁王門に収まると、像の後は狭い。
今は、後から離れて見ることができる。 今だけですよと、住職さん。
2つの背中は違った。 左は、背骨の凸凹があった。
重要文化財 | 彫刻 | |
もくぞうこんごうりきしりゅうぞう | ||
木造金剛力士立像 | 2躯 | |
所有: | 宗教法人 阿弥陀寺 | |
所在: | 防府市大字牟礼 | |
指定: | 昭和31年(1956)6月28日 |
(左)吽形 (右)阿形 写真をクリックすると拡大します。 |
中央左に、湯田と見える。
湯田が初めて文献に出てきたのは、これでだそう。
湯田は、今は湯田温泉。 瑠璃光寺五重塔 湯田温泉 ~山口市~ 他 (2010/5/6)
重要文化財 | 書跡 | |
しほんぼくしょあみだじでんばたちゅうもんならびにめんじょじょう | ||
紙本墨書阿弥陀寺田畠注文並免除状 | 1巻 | |
所有: | 宗教法人 阿弥陀寺 | |
所在: | 防府市大字牟礼 | |
指定: | 昭和25年(1950)8月29日 |
|
焼くのではなく、墨を付けるのかな。 柄の部分が木だから。
重要文化財 | 考古資料 | |
てついんとうだいじつちいん | ||
鉄印 東大寺槌印 | 1顆 | |
所有: | 宗教法人 阿弥陀寺 | |
所在: | 防府市大字牟礼 | |
指定: | 昭和25年(1950)8月29日 |
写真をクリックすると拡大します。 |
山門を出た所に。

重源がここに座った。 園芸用のユリか。 こんな秋深くに。


上の右写真の徳地(とくぢ)は、以前通ったことがある。 その時の記事の一部。

この道を下って。

住職さんの説明があって、それが良かった。
たくさん人がいたら、自由に質問できない。
自分は寺に行ったとき、石段を登っていくときが一番好き。
昔のままの石段を。
【記事の紹介】 山頭火は、防府市で生まれた。 生家跡は、市街地の中に。~防府市~ 他 (2015/3/14)
【今日の歌】 レクイエム~麦畑のひばり 岡林信康 2010
※ 彼は今、亀岡市に住んでいます。 場所を探そうとはしないけど。
君に捧げるLOVESONG 岡林信康 HD
【道の駅】 きららあじす
【明日の予定】 変わった自然がある。 石がごろごろ。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)

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