大分県には磨崖仏が多い。
どうしてでしょう。
磨崖仏を造る文化があったと、まず云えますね。
また、阿蘇山の火砕流によって出来た岩が彫りやすかった、と云うのも。
大きいというのは、それだけで魅力。
造る苦労は大変だから。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
豊後大野市。 でも、竹田市の中心地に近い。 買物は竹田市か。

自分は、上の方から山道走って向かった。 道はどこもいい。

広い駐車場やトイレが整備されている。 人がやって来ると分かる。
普光寺は右端に。

寺は右に行く。
説明が。 標高が高くなると、道に雪がある。

車道はお寺に。 道は直ぐに細く。
参道は、真ん中の道。 家の右を通って。

普光寺山門。 節分の行事があったので、この姿。
※ 最後に色々なことを、住職さんの奥様に教えていただく。

山門は解体修理が終わった状態。
解体した時に、下の文書を発見。
1758年とある。 この山門は古いと分かる。
※ それ以後、何度かの修復があったでしょうね。
もしかして見えるのかと探したけど、ダメ。 内部だそう。
※ 見える所なら、消えてしまう。
こんな線彫りがあったり。

普光寺は真言宗。
ということは、正面は大師堂でしょうか。 本堂は右で。
左の谷を見たら、下の下の写真だった。

急にこの風景なので、声が出そう。 見えた。 見える。

右の護摩堂と比べたら、大きな磨崖仏と分かる。
仏を祀る穴は龕(がん)と呼ばれる。 洞窟のよう。
清水寺のように、懸崖(けんがい)造り。

800年前に彫られた。
文書は残っていないそう。 特徴から鎌倉時代と分かるのでしょうか。
ほんとうに優しい顔かな。
※ ネットで、「磨崖仏 日本一の大きさ」で検索すると、ここが多くヒットする。
日本最大級の大きさは、間違いなさそう。

見学開始。 真ん中の大きいのが不動明王。
ここから見た表情は、確かに怒ってはいない。
向かって右の矜羯羅(こんがら)童子は、どうして泣いてるのって表情。
※ 「こんがらかる」が、矜羯羅(こんがら)童子と関係あるかは、はっきりしない。
※ お不動様が泣いてたら、私どうしていいか頭がこんがらかる、って言ってるかも。
左は、制多迦童子(せいたかどうじ)。

2つの龕(がん)。

下に来た。

親しみある表情だな~って見てたら、そう見えて来るでしょうか。
像は風雨で摩耗したよう。

真下から。
途中から右に行くと、右の写真。 岩を削っての石段。
広い空間に。 ここが本堂の役割を果たした時代があったのか。
一番上に大日如来。

みんな同じ。 同じ人に彫ってもらって寄進したのか。 決まった額を寄進したら、こうか。

先ほど紹介した大日如来。 仏の中でも、位は上。

左側。 中央右に4体の磨崖仏。

磨崖仏は岩にくっ付いている。 どこかに行きたくても、行けない、歩けない。
阿弥陀如来、小矜羯羅童子、小不動明王、小制多迦童子像が。
※ 説明には、左から上の順とあった。(説明は、向かってと考えられる)
もしかして、間違いでないかと。
左からの順は、小制多迦童子、小不動明王、小矜羯羅童子、阿弥陀如来ではと。
阿弥陀如来は右端と思ったので、像の形を調べてみました。
色が残っている。
上の写真の右。

中央に品のいいのが。

舞台から見た、本堂など。 初夏にはアジサイが一面に。

隣の龕(がん)には護摩堂。

護摩堂の向こうの岩壁に、磨崖仏。 多聞天像。
※ 奥様の話では、ここの護摩堂は、別の場所にあった。(後で行く)
そっちの環境が悪くなって、こちに移築。
ここの龕(がん)には、外にも磨崖仏はあった。
その3つは状態がよくなく、取り壊す形で龕を広げた。(穴を大きくした)
そこに、護摩堂を。 今の形。
※ 多聞天が単独であったら毘沙門天。
この名前で、他にもあったと分かる。(他には3つ。 四天王と呼ばれて)

中に仏像は無い。

多聞天を穴の奥から。

戻る。

大きな不動明王を横から。

これを彫る時、どんな作業場を造ったでしょう。
危険でなかったのか。
きっと上から彫った。 だいたいの形を、まず大雑把にか。

※ 右写真は遊び。 横幅を広げてみた。

お不動様の向こうに行く。
ここに建物がきっとあった。 礎石を探した。
他の物が目に入って、探すのを忘れた。
実は、ここにあの護摩堂があった。(奥様から聞く)
ここは、雨が貯まりやすく、建物のためによくない。

上の写真の右上。

たくさん並んで。
奥様の話では、イノシシが倒すことが。
廃仏毀釈で傷んだのも多いと。 古い物かどうか知りたい。

上の写真の右の石塔に、享保とある。 下の庚子も読める。
これで、1720年(享保5年)と分かる。 山門が1758年でしたね。 似た時代。

写真を見たら、何か書いてある。
部分的にしか読めないけど、1816年(文化13年 丙子の年かなと。) 自信は無い。

どれもきっと古い。

別の名所にも。

一番左端に、板碑。

戻って来たら奥様がいてお話し。
今までの文で、説明に無かったのは、ほとんど奥様から聞いたこと。
お茶と飴をいただいた。

面白い石像があるという。 それを探す。 場所は教えていだいた。
この道を上がって、駐車場に。

駐車場から300㍍程来た。 遠くに見えるのは、傾山か。
旧道は、左から来たよう。 曲がり角なので石仏が案内。

この石仏。 普光寺はあっちあっちって、指さして。
右写真、安永七と読めますね。 1720年。
300年間、人に道を教えて。
※ 三界萬霊塔の上に石仏。 三界萬霊塔は、過去・今・未来の全ての霊を弔っている。

この姿。 あっちだよ。 弘法大師か。

大きな磨崖仏でした。
小さいのもいっぱい。 満足。
初夏に九州にいる時があったら、再度見学に。
花に囲まれた磨崖仏を見たい。
微笑んでいるかも知れない。
【記事の紹介】
岩部山三十三観音は、巨岩に彫った磨崖仏だった。 江戸時代に金毛和尚が。 ヒメサユリ咲いて。~南陽市~ 他 (2017/5/27)
財前家墓地の国東塔は、重要文化財。 誰の先祖かって・・。 熊野磨崖仏は、高さ8㍍。~杵築市・豊後高田市~ 他 (2016/1/29)
龍泉寺は白滝山の直下に。 頂上からは、瀬戸内の島々が。 たくさんの磨崖仏。~三原市~ 他 (2016/11/17)
高瀬石仏は、石窟の中にある磨崖仏。 珍しい深沙大将があった。~大分市~ 他 (2015/3/6)
穏やかな表情のお不動様、犬飼石仏。 智福寺跡。 六字名号。 ~豊後大野市~ 他 (2015/3/4)
国宝 臼杵石仏は、 岩から飛び出した、優れた磨崖仏群。~臼杵市~ 他 (2014/3/30)
清水磨崖仏群。 日本一の大五輪塔、月輪大梵字、他。~南九州市~ 他 (2014/1/30)
東洋のナイヤガラ原尻の滝 5連アーチの石橋 緒方宮迫西石仏・東石仏 他 (2010/3/26)
鋸山は、日本寺の羅漢霊場だった ~高さ31㍍の石仏と千五百羅漢 千葉県鋸南町~ 他 (2010/7/2)
【懸崖作りを】
清水寺のライトアップはスケールが大きい。 紅葉の向こうに京都の灯り。 平成の大改修。~京都市~ 他 (2017/11/16)
三徳山三仏寺投入堂 ~三朝町~ 他 (2011/6/7)
恵門之不動の本堂は、そそり立つ岩壁の中腹に、めり込んでいた。~土庄町小部~ 他 (2012/12/5)
【今日の歌】 【鉄道PV】臼杵川を渡れば2
※ この曲は元々は、鉄道と関わりのあった歌かな。(?)
※ 昨日と同じ曲。 別パターン。 臼杵石仏が出て来る。
臼杵城跡 二王座歴史の道 早春賦の館 ~臼杵市~ 他 (2013/3/10)
【道の駅】 ながゆ温泉
【明日の予定】 豊後大野市のどこかかな。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
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どうしてでしょう。
磨崖仏を造る文化があったと、まず云えますね。
また、阿蘇山の火砕流によって出来た岩が彫りやすかった、と云うのも。
大きいというのは、それだけで魅力。
造る苦労は大変だから。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
豊後大野市。 でも、竹田市の中心地に近い。 買物は竹田市か。


自分は、上の方から山道走って向かった。 道はどこもいい。

広い駐車場やトイレが整備されている。 人がやって来ると分かる。
普光寺は右端に。

寺は右に行く。
説明が。 標高が高くなると、道に雪がある。


車道はお寺に。 道は直ぐに細く。
参道は、真ん中の道。 家の右を通って。

普光寺山門。 節分の行事があったので、この姿。
※ 最後に色々なことを、住職さんの奥様に教えていただく。

山門は解体修理が終わった状態。
解体した時に、下の文書を発見。
1758年とある。 この山門は古いと分かる。
※ それ以後、何度かの修復があったでしょうね。
もしかして見えるのかと探したけど、ダメ。 内部だそう。
※ 見える所なら、消えてしまう。

こんな線彫りがあったり。


普光寺は真言宗。
ということは、正面は大師堂でしょうか。 本堂は右で。
左の谷を見たら、下の下の写真だった。

急にこの風景なので、声が出そう。 見えた。 見える。

右の護摩堂と比べたら、大きな磨崖仏と分かる。
仏を祀る穴は龕(がん)と呼ばれる。 洞窟のよう。
清水寺のように、懸崖(けんがい)造り。

800年前に彫られた。
文書は残っていないそう。 特徴から鎌倉時代と分かるのでしょうか。
ほんとうに優しい顔かな。
※ ネットで、「磨崖仏 日本一の大きさ」で検索すると、ここが多くヒットする。
日本最大級の大きさは、間違いなさそう。


見学開始。 真ん中の大きいのが不動明王。
ここから見た表情は、確かに怒ってはいない。
向かって右の矜羯羅(こんがら)童子は、どうして泣いてるのって表情。
※ 「こんがらかる」が、矜羯羅(こんがら)童子と関係あるかは、はっきりしない。
※ お不動様が泣いてたら、私どうしていいか頭がこんがらかる、って言ってるかも。
左は、制多迦童子(せいたかどうじ)。


2つの龕(がん)。


下に来た。

親しみある表情だな~って見てたら、そう見えて来るでしょうか。
像は風雨で摩耗したよう。

真下から。

途中から右に行くと、右の写真。 岩を削っての石段。


広い空間に。 ここが本堂の役割を果たした時代があったのか。
一番上に大日如来。

みんな同じ。 同じ人に彫ってもらって寄進したのか。 決まった額を寄進したら、こうか。


先ほど紹介した大日如来。 仏の中でも、位は上。

左側。 中央右に4体の磨崖仏。

磨崖仏は岩にくっ付いている。 どこかに行きたくても、行けない、歩けない。
阿弥陀如来、小矜羯羅童子、小不動明王、小制多迦童子像が。
※ 説明には、左から上の順とあった。(説明は、向かってと考えられる)
もしかして、間違いでないかと。
左からの順は、小制多迦童子、小不動明王、小矜羯羅童子、阿弥陀如来ではと。
阿弥陀如来は右端と思ったので、像の形を調べてみました。
色が残っている。

上の写真の右。

中央に品のいいのが。


舞台から見た、本堂など。 初夏にはアジサイが一面に。

隣の龕(がん)には護摩堂。

護摩堂の向こうの岩壁に、磨崖仏。 多聞天像。
※ 奥様の話では、ここの護摩堂は、別の場所にあった。(後で行く)
そっちの環境が悪くなって、こちに移築。
ここの龕(がん)には、外にも磨崖仏はあった。
その3つは状態がよくなく、取り壊す形で龕を広げた。(穴を大きくした)
そこに、護摩堂を。 今の形。
※ 多聞天が単独であったら毘沙門天。
この名前で、他にもあったと分かる。(他には3つ。 四天王と呼ばれて)


中に仏像は無い。

多聞天を穴の奥から。

戻る。

大きな不動明王を横から。

これを彫る時、どんな作業場を造ったでしょう。
危険でなかったのか。
きっと上から彫った。 だいたいの形を、まず大雑把にか。

※ 右写真は遊び。 横幅を広げてみた。


お不動様の向こうに行く。
ここに建物がきっとあった。 礎石を探した。
他の物が目に入って、探すのを忘れた。
実は、ここにあの護摩堂があった。(奥様から聞く)
ここは、雨が貯まりやすく、建物のためによくない。

上の写真の右上。

たくさん並んで。
奥様の話では、イノシシが倒すことが。
廃仏毀釈で傷んだのも多いと。 古い物かどうか知りたい。

上の写真の右の石塔に、享保とある。 下の庚子も読める。
これで、1720年(享保5年)と分かる。 山門が1758年でしたね。 似た時代。


写真を見たら、何か書いてある。
部分的にしか読めないけど、1816年(文化13年 丙子の年かなと。) 自信は無い。


どれもきっと古い。

別の名所にも。


一番左端に、板碑。

戻って来たら奥様がいてお話し。
今までの文で、説明に無かったのは、ほとんど奥様から聞いたこと。
お茶と飴をいただいた。

面白い石像があるという。 それを探す。 場所は教えていだいた。
この道を上がって、駐車場に。

駐車場から300㍍程来た。 遠くに見えるのは、傾山か。
旧道は、左から来たよう。 曲がり角なので石仏が案内。

この石仏。 普光寺はあっちあっちって、指さして。
右写真、安永七と読めますね。 1720年。
300年間、人に道を教えて。
※ 三界萬霊塔の上に石仏。 三界萬霊塔は、過去・今・未来の全ての霊を弔っている。


この姿。 あっちだよ。 弘法大師か。

大きな磨崖仏でした。
小さいのもいっぱい。 満足。
初夏に九州にいる時があったら、再度見学に。
花に囲まれた磨崖仏を見たい。
微笑んでいるかも知れない。
【記事の紹介】
岩部山三十三観音は、巨岩に彫った磨崖仏だった。 江戸時代に金毛和尚が。 ヒメサユリ咲いて。~南陽市~ 他 (2017/5/27)
財前家墓地の国東塔は、重要文化財。 誰の先祖かって・・。 熊野磨崖仏は、高さ8㍍。~杵築市・豊後高田市~ 他 (2016/1/29)
龍泉寺は白滝山の直下に。 頂上からは、瀬戸内の島々が。 たくさんの磨崖仏。~三原市~ 他 (2016/11/17)
高瀬石仏は、石窟の中にある磨崖仏。 珍しい深沙大将があった。~大分市~ 他 (2015/3/6)
穏やかな表情のお不動様、犬飼石仏。 智福寺跡。 六字名号。 ~豊後大野市~ 他 (2015/3/4)
国宝 臼杵石仏は、 岩から飛び出した、優れた磨崖仏群。~臼杵市~ 他 (2014/3/30)
清水磨崖仏群。 日本一の大五輪塔、月輪大梵字、他。~南九州市~ 他 (2014/1/30)
東洋のナイヤガラ原尻の滝 5連アーチの石橋 緒方宮迫西石仏・東石仏 他 (2010/3/26)
鋸山は、日本寺の羅漢霊場だった ~高さ31㍍の石仏と千五百羅漢 千葉県鋸南町~ 他 (2010/7/2)
【懸崖作りを】
清水寺のライトアップはスケールが大きい。 紅葉の向こうに京都の灯り。 平成の大改修。~京都市~ 他 (2017/11/16)
三徳山三仏寺投入堂 ~三朝町~ 他 (2011/6/7)
恵門之不動の本堂は、そそり立つ岩壁の中腹に、めり込んでいた。~土庄町小部~ 他 (2012/12/5)
【今日の歌】 【鉄道PV】臼杵川を渡れば2
※ この曲は元々は、鉄道と関わりのあった歌かな。(?)
※ 昨日と同じ曲。 別パターン。 臼杵石仏が出て来る。
臼杵城跡 二王座歴史の道 早春賦の館 ~臼杵市~ 他 (2013/3/10)
【道の駅】 ながゆ温泉
【明日の予定】 豊後大野市のどこかかな。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)

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