天橋立を考えていたが、この町に、伝建地区があった。
通称、ちりめん街道。
ここは、機音(はたおと)響く、丹後ちりめんの里だった。
道の駅の名前は、シルクのまちかや。
「まちかや」って何だろう、と思った。
違った。 シルクの町、加悦、だった。
ちりめんの原料がシルク(絹)。
ここは、今は与謝野町だが、合併する前は、加悦町。
和泉式部が歩いた道は、下のようだった。
生野というところは狭いが、生野の道は、少し広い。
その中で、細野峠の道が、今でも残っている。 昨年歩いた。
ちりめん街道。 町のHPから。
ちりめん街道まで、3㌔ほど歩いた。 地図では、目の前にあったんだが。
ちりめん街道は通称で、もともとは、「京住環」や「網野街道」と呼ばれていた。
※ 街道の代わりに、往還はたまに見ますね。 往は行くで、還は帰るかな。
旧街道を歩いてる。 機織の音が聞こえ始めた。 工場での音、の感じ。
街道から、中に入った。 左右は、丹後ちりめんを織る工場。
宝巌寺。 山門は1818年の建物。
良くみると、門の上の方に、歩けるような回縁というのがある。
天満宮。
右端の山が、大江山。
石段を、下を向いて歩いていた。 顔を上げたそこに、シマヘビがいた。
びっくり。 へびさんは、私以上に驚いて、飛び跳ねるように逃げた。
ここは、加悦。 「かや」と読むが、どうしてそう読むかが分からない。
分かったことは、
① 昔、ここは、加悦氏が治めていた。
② 朝鮮半島に、伽耶(かや)と呼ばれるところがあり、そこの人たちが来たであろう、と云うこと。
拝殿。
古い家。 ※ 伝建築では、古いほうが価値がある。
与謝野晶子と鉄幹の、歌があった。
※ 鉄幹の父が、与謝野町の出身。 なお、自民党の与謝野馨は、鉄幹と晶子の孫。
鉄幹は、こんな歌を。
「飛ぶ雲に 秋の日あたり そのもとに 大江の山の 盛れるうす紅」
右の建物から、機織の音が聞こえた。
見学できるとあった。 こんなのが、一番うれしい。
ちりめんは、縮緬と書く。 小千谷縮みと一緒で、布が縮んだ感じ。
どちらも、強く撚りをかけた糸と、そうでない糸を組み合わせて、布に「しわ」を生み出す。
ここには、織る機械が、5台程あった。
作業している人は、縦糸に触って、糸の状態を何度も確認していた。
小千谷縮みの材料は「麻」だったが、縮緬は「絹」。 違いは、そこのよう。
左から来たけど、曲がって向こうへ。
加悦の町は、経済発展の時代、取り残された。 それが、結果的によかった。
あの時代、いくら儲けても、そんなのすぐに消えた。 バブルだった。
丹後縮緬の良さも、見直されてきた。
旧尾藤家住宅。 ここに入った。
尾藤家は、江戸時代からの、ちりめん問屋。
この建物は、江戸時代末期のもの。
この部屋は、天井が高い。
これが、ちりめん。
織るときの糸には、糊がついていて、織り終わったら、布を洗うそう。
右は、洗い終わった。
布に、模様を付けることができる。 これを使う。 どう使うかは?
夏になったので、こんなのにした。 御簾(みす)。
障子に、小窓。
下のほうをずらすと、開く。 風が入る。
障子の代わりに、葦戸(よしど)。
洋館が見える。 昭和のはじめに建てた。
洋館の2階。
尾藤家は、北前舟、鉄道、銀行、醤油店などの経営で、財を成していく。
1階の和室。
この洋館の設計者と、甲子園球場の設計者は同じだそう。
これを頂いた。 ※ 車に飾った。
昔のままの、旅館。 井筒屋旅館。
この道を戻った。 子供たちとお話。
糸巻きランプ。 広瀬創作工芸さん。
明かりが点くと、こう。 ※ 広瀬創作工芸のHPより。
旧道。
古墳があるというので、山に向かった。
途中で、草が刈ってないから行けないよ、って地元の人が教えてくれた。
ただ、普通の小さな山のように見えた。
アジサイの季節です。 梅雨の時期は、生き生き。
ちりめんじゃこは、ちりめんのように、でこぼこ(しわしわ)なので、そう呼ぶそう。
機織の音が聞こえる、伝建地区の町並み、珍しいですね。
ちりめん街道は、昔を残しているだけでなく、今も生きている。
聞こえる音で、そんな感じがした。
【道の駅】 同じ
【明日の予定】 天橋立
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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通称、ちりめん街道。
ここは、機音(はたおと)響く、丹後ちりめんの里だった。
道の駅の名前は、シルクのまちかや。
「まちかや」って何だろう、と思った。
違った。 シルクの町、加悦、だった。
ちりめんの原料がシルク(絹)。
ここは、今は与謝野町だが、合併する前は、加悦町。
和泉式部が歩いた道は、下のようだった。
生野というところは狭いが、生野の道は、少し広い。
その中で、細野峠の道が、今でも残っている。 昨年歩いた。

ちりめん街道。 町のHPから。

ちりめん街道まで、3㌔ほど歩いた。 地図では、目の前にあったんだが。

ちりめん街道は通称で、もともとは、「京住環」や「網野街道」と呼ばれていた。
※ 街道の代わりに、往還はたまに見ますね。 往は行くで、還は帰るかな。
旧街道を歩いてる。 機織の音が聞こえ始めた。 工場での音、の感じ。

街道から、中に入った。 左右は、丹後ちりめんを織る工場。

宝巌寺。 山門は1818年の建物。
良くみると、門の上の方に、歩けるような回縁というのがある。

天満宮。

右端の山が、大江山。

石段を、下を向いて歩いていた。 顔を上げたそこに、シマヘビがいた。
びっくり。 へびさんは、私以上に驚いて、飛び跳ねるように逃げた。

ここは、加悦。 「かや」と読むが、どうしてそう読むかが分からない。
分かったことは、
① 昔、ここは、加悦氏が治めていた。
② 朝鮮半島に、伽耶(かや)と呼ばれるところがあり、そこの人たちが来たであろう、と云うこと。
拝殿。

古い家。 ※ 伝建築では、古いほうが価値がある。

与謝野晶子と鉄幹の、歌があった。
※ 鉄幹の父が、与謝野町の出身。 なお、自民党の与謝野馨は、鉄幹と晶子の孫。

鉄幹は、こんな歌を。
「飛ぶ雲に 秋の日あたり そのもとに 大江の山の 盛れるうす紅」

右の建物から、機織の音が聞こえた。

見学できるとあった。 こんなのが、一番うれしい。

ちりめんは、縮緬と書く。 小千谷縮みと一緒で、布が縮んだ感じ。
どちらも、強く撚りをかけた糸と、そうでない糸を組み合わせて、布に「しわ」を生み出す。
ここには、織る機械が、5台程あった。
作業している人は、縦糸に触って、糸の状態を何度も確認していた。

小千谷縮みの材料は「麻」だったが、縮緬は「絹」。 違いは、そこのよう。

左から来たけど、曲がって向こうへ。

加悦の町は、経済発展の時代、取り残された。 それが、結果的によかった。
あの時代、いくら儲けても、そんなのすぐに消えた。 バブルだった。
丹後縮緬の良さも、見直されてきた。

旧尾藤家住宅。 ここに入った。

尾藤家は、江戸時代からの、ちりめん問屋。
この建物は、江戸時代末期のもの。
この部屋は、天井が高い。

これが、ちりめん。
織るときの糸には、糊がついていて、織り終わったら、布を洗うそう。
右は、洗い終わった。

布に、模様を付けることができる。 これを使う。 どう使うかは?

夏になったので、こんなのにした。 御簾(みす)。

障子に、小窓。

下のほうをずらすと、開く。 風が入る。

障子の代わりに、葦戸(よしど)。

洋館が見える。 昭和のはじめに建てた。

洋館の2階。

尾藤家は、北前舟、鉄道、銀行、醤油店などの経営で、財を成していく。
1階の和室。

この洋館の設計者と、甲子園球場の設計者は同じだそう。

これを頂いた。 ※ 車に飾った。

昔のままの、旅館。 井筒屋旅館。

この道を戻った。 子供たちとお話。

糸巻きランプ。 広瀬創作工芸さん。

明かりが点くと、こう。 ※ 広瀬創作工芸のHPより。

旧道。

古墳があるというので、山に向かった。

途中で、草が刈ってないから行けないよ、って地元の人が教えてくれた。
ただ、普通の小さな山のように見えた。
アジサイの季節です。 梅雨の時期は、生き生き。

ちりめんじゃこは、ちりめんのように、でこぼこ(しわしわ)なので、そう呼ぶそう。
機織の音が聞こえる、伝建地区の町並み、珍しいですね。
ちりめん街道は、昔を残しているだけでなく、今も生きている。
聞こえる音で、そんな感じがした。
【道の駅】 同じ
【明日の予定】 天橋立
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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