旧安諦(あで)村の地図が、道の駅あらぎの里にあった。
それで、見学することに。
そうしたら、そこは紀子様の先祖の地と分かった。
面白さがプラスされたでしょうか。
少しずつ、有田(ありだ)川の上流に向かっている。
源流に近づいたら、そこは高野山。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
紀伊半島の山の中には、人の少ない所がある。
そこの国道は、林道と同じ。
うっかり入り込んだら、大変。
四国にも似た所が。 九州は、道の改善がハイピッチ。

高野山から熊野本宮に向かう熊野古道は、小辺路(こへち)と呼ばれる。
その中に、絶景のポイントがある。
果無(はてなし)集落。 天空の郷と呼ばれる。
そこに行きたい。 明日の夕方には、近くまで。
横断する便利な道は無い。 天川村にも行きたい。 今回行けるか。
×の部分は、自分の車は通れない。

印を見学。 赤〇に停泊。
※ かつらぎ町は北の方に長い。 北の方の隣に、九度山町がある。
九度山は、真田昌幸と信繁が上田を夢見て暮らした土地。 住居跡に今は・・。~九度山町~ 他 (2016/10/4)

旧安諦(あで)村の中心街。 今は、有田川町板尾。 時計回りで動く。

家並の手前に、空き地があった。 そこに車。

有田川。 まだ水量は豊富。

こんな所を。

左はバイパス。 右は旧道。 手前の平屋の家は、有田川町の役場の支所。

ここから左に。 阿弥陀堂がある。
少し前まで、地域の女性の方と話していた。
最後に、紀子様のひいおじいちゃんは、安諦(あで)の出身ですよねと聞いた。
そうですよと。
子孫の方が今も住んでいて、場所を教えてくれた。
この後、家の前を通った。
※ ここですとは、ここでは書けないですね。

紀子様の旧姓は川嶋。
曽祖父(そうそふ・ひいおじいちゃん)の名前は、川嶋庄一郎。
Wikipediaでは下のように。 要約。
1870年(明治3年)4月14日、和歌山県有田郡山保田組板尾村(現・有田川町)の農業・松浦平吉( - 1876年)の
三男として生れた。
※ 板尾村は、明治の中頃合併して、安諦(あで)村に。
幼名は力松。 (松浦力松)
1876年(明治9年)3月16日に父の平吉が亡くなり、一家は貧しい生活を強いられ苦労するが、
力松は二人の兄とともに母をよく助けた。
また、寺子屋で一度習ったことは二度と忘れなかったことから「袋耳」の異名があった。
地元の開明小学校(現・有田川町立安諦小学校)を卒業後和歌山県師範学校に進み、1889年(明治22年)
学力操行共に優等を以て卒業する。
その後東京高等師範学校に入学するが、その優秀さが、跡取りを探していた和歌山市本町8丁の資産家で地主の
川嶋庄右衛門の目に留まった。
松浦力松は、東京高等師範学校卒業直前の1894年(明治27年)3月、川嶋家の婿養子となるに当たって、当主の
庄右衛門の一字をとって庄一郎と改名し、同月25日に庄右衛門の長女・志まと結婚した。
この地に生まれ育ち、この地の小学校にと、分かりますね。
川嶋家に婿養子に入り結婚。
紀子様は、川嶋庄一郎(松浦平吉)のひ孫になります。
※ 松浦の名前を忘れないで。 最後に出て来ます。(表札でなく)
この道を行って右に。 家の前の雰囲気がいい。きっと、景色もいい。

※ 川嶋庄一郎の写真は見つからない。
子供の、川嶋孝彦の写真はある。
紀子様のおじいちゃん。(Wikpedia)
紀子様は、結婚する前この地に来ている。(先ほど教えていただいた)
登った左に阿弥陀堂。 つまさき上りの坂。 (今日の歌は決まった)

この道を上がってきた。 いい風景がいっぱい。
※ 紀子様も見た風景。 心に焼き付いたでしょうね。
子供たちが走り回っている。 4名いる。

向こうに阿弥陀堂。 右の木の陰。

広場になっている。 昔何があったのでしょう。
安諦小学校は、最初は阿弥陀堂での寺子屋からスタート。
右写真。 四角いのは宝篋印塔(ほうきょういんとう)。 まるいのは五輪塔。

先への道の風景。

戻って、小学校に上がってきた。 自分の車が、橋の右向こうに小さく。

安諦小学校のグランド。 右から来た。

児童数は、10名ほどでしょうか。 さっき4名見た。
※ HPはこの2年間、書かれていない。
松浦力松もここを卒業。

校歌です。

中学校。 やってるのかな。

反対側に。 向こうで、バイパスと旧道が合流。
左を見たら、木の根が私をにらむ。 クマか?
※ 余談 和歌山県のクマの生息数は約200頭。
紀伊半島のクマは、近い将来絶滅の不安。 他との行き来は出来ない。

このお家の前も、雰囲気がいい。 ※ 朝顔の花を見ながら冷たいビール。 スイカもいいな。

向こうに戻る。

有田川に吊橋。

大きなトラックは行けない。

雪解けの冷たい水は、海に急ぐ。

戻る。

八重咲の梅。
※ 余談 八重と云えば綾瀬はるかを思い出す。
彼女や吉永小百合は、年を重ねても、心は若くなっていく。
自分も、そんな生き方をしたい。
花の季節です。

お店もある。 簡易郵便局か。

ここにも。 酒が売っている。

さっきは、ここを右に行った。

支所の隣の建物に、これ。
紀子様の曽祖父の名前は、川嶋庄一郎(松浦平吉)でしたね。
松浦とあります。 説明はいいですね。
この後、下の寺に向かうが、道が不安で戻った。

自分の車の近くに、神社があった。

車で北の方に入って来た。 校歌にあった、雨山の方に。
ここは案内にもあった、徳善寺。

振り返って。

停泊場所を探しながら、奥に。 有田川町の一番奥の集落。

観光地ではないけど、有田川沿いの小さな集落を歩いてみました。
どこも古い歴史がある。
北海道とは違いますね。 そだね~って。
【今日の歌】 つまさき坂 永井龍雲
【停泊場所】 印の場所。 明日は赤〇を通って。

【明日の予定】 果無(はてなし)集落に向かいます。
集落には明後日。 熊野古道の小辺路(こへち)にあります。 ミニ登山。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
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それで、見学することに。
そうしたら、そこは紀子様の先祖の地と分かった。
面白さがプラスされたでしょうか。
少しずつ、有田(ありだ)川の上流に向かっている。
源流に近づいたら、そこは高野山。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
紀伊半島の山の中には、人の少ない所がある。
そこの国道は、林道と同じ。
うっかり入り込んだら、大変。
四国にも似た所が。 九州は、道の改善がハイピッチ。

高野山から熊野本宮に向かう熊野古道は、小辺路(こへち)と呼ばれる。
その中に、絶景のポイントがある。
果無(はてなし)集落。 天空の郷と呼ばれる。
そこに行きたい。 明日の夕方には、近くまで。
横断する便利な道は無い。 天川村にも行きたい。 今回行けるか。
×の部分は、自分の車は通れない。

印を見学。 赤〇に停泊。
※ かつらぎ町は北の方に長い。 北の方の隣に、九度山町がある。
九度山は、真田昌幸と信繁が上田を夢見て暮らした土地。 住居跡に今は・・。~九度山町~ 他 (2016/10/4)

旧安諦(あで)村の中心街。 今は、有田川町板尾。 時計回りで動く。

家並の手前に、空き地があった。 そこに車。

有田川。 まだ水量は豊富。

こんな所を。

左はバイパス。 右は旧道。 手前の平屋の家は、有田川町の役場の支所。

ここから左に。 阿弥陀堂がある。
少し前まで、地域の女性の方と話していた。
最後に、紀子様のひいおじいちゃんは、安諦(あで)の出身ですよねと聞いた。
そうですよと。
子孫の方が今も住んでいて、場所を教えてくれた。
この後、家の前を通った。
※ ここですとは、ここでは書けないですね。


紀子様の旧姓は川嶋。
曽祖父(そうそふ・ひいおじいちゃん)の名前は、川嶋庄一郎。
Wikipediaでは下のように。 要約。
1870年(明治3年)4月14日、和歌山県有田郡山保田組板尾村(現・有田川町)の農業・松浦平吉( - 1876年)の
三男として生れた。
※ 板尾村は、明治の中頃合併して、安諦(あで)村に。
幼名は力松。 (松浦力松)
1876年(明治9年)3月16日に父の平吉が亡くなり、一家は貧しい生活を強いられ苦労するが、
力松は二人の兄とともに母をよく助けた。
また、寺子屋で一度習ったことは二度と忘れなかったことから「袋耳」の異名があった。
地元の開明小学校(現・有田川町立安諦小学校)を卒業後和歌山県師範学校に進み、1889年(明治22年)
学力操行共に優等を以て卒業する。
その後東京高等師範学校に入学するが、その優秀さが、跡取りを探していた和歌山市本町8丁の資産家で地主の
川嶋庄右衛門の目に留まった。
松浦力松は、東京高等師範学校卒業直前の1894年(明治27年)3月、川嶋家の婿養子となるに当たって、当主の
庄右衛門の一字をとって庄一郎と改名し、同月25日に庄右衛門の長女・志まと結婚した。
この地に生まれ育ち、この地の小学校にと、分かりますね。
川嶋家に婿養子に入り結婚。
紀子様は、川嶋庄一郎(松浦平吉)のひ孫になります。
※ 松浦の名前を忘れないで。 最後に出て来ます。(表札でなく)
この道を行って右に。 家の前の雰囲気がいい。きっと、景色もいい。


※ 川嶋庄一郎の写真は見つからない。
子供の、川嶋孝彦の写真はある。

紀子様は、結婚する前この地に来ている。(先ほど教えていただいた)
登った左に阿弥陀堂。 つまさき上りの坂。 (今日の歌は決まった)

この道を上がってきた。 いい風景がいっぱい。
※ 紀子様も見た風景。 心に焼き付いたでしょうね。
子供たちが走り回っている。 4名いる。

向こうに阿弥陀堂。 右の木の陰。

広場になっている。 昔何があったのでしょう。
安諦小学校は、最初は阿弥陀堂での寺子屋からスタート。
右写真。 四角いのは宝篋印塔(ほうきょういんとう)。 まるいのは五輪塔。


先への道の風景。

戻って、小学校に上がってきた。 自分の車が、橋の右向こうに小さく。

安諦小学校のグランド。 右から来た。

児童数は、10名ほどでしょうか。 さっき4名見た。
※ HPはこの2年間、書かれていない。
松浦力松もここを卒業。

校歌です。


中学校。 やってるのかな。

反対側に。 向こうで、バイパスと旧道が合流。
左を見たら、木の根が私をにらむ。 クマか?
※ 余談 和歌山県のクマの生息数は約200頭。
紀伊半島のクマは、近い将来絶滅の不安。 他との行き来は出来ない。


このお家の前も、雰囲気がいい。 ※ 朝顔の花を見ながら冷たいビール。 スイカもいいな。


向こうに戻る。

有田川に吊橋。

大きなトラックは行けない。

雪解けの冷たい水は、海に急ぐ。


戻る。

八重咲の梅。
※ 余談 八重と云えば綾瀬はるかを思い出す。
彼女や吉永小百合は、年を重ねても、心は若くなっていく。
自分も、そんな生き方をしたい。
花の季節です。

お店もある。 簡易郵便局か。

ここにも。 酒が売っている。

さっきは、ここを右に行った。

支所の隣の建物に、これ。
紀子様の曽祖父の名前は、川嶋庄一郎(松浦平吉)でしたね。
松浦とあります。 説明はいいですね。
この後、下の寺に向かうが、道が不安で戻った。

自分の車の近くに、神社があった。


車で北の方に入って来た。 校歌にあった、雨山の方に。
ここは案内にもあった、徳善寺。


振り返って。

停泊場所を探しながら、奥に。 有田川町の一番奥の集落。

観光地ではないけど、有田川沿いの小さな集落を歩いてみました。
どこも古い歴史がある。
北海道とは違いますね。 そだね~って。
【今日の歌】 つまさき坂 永井龍雲
【停泊場所】 印の場所。 明日は赤〇を通って。

【明日の予定】 果無(はてなし)集落に向かいます。
集落には明後日。 熊野古道の小辺路(こへち)にあります。 ミニ登山。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)

※ プロフィール・・・。 ⇒


【ランキング】 国内旅行、1位。 旅行全体、3位です。
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