日本海の波は荒い。
若狭湾があって、その中に小さな伊根湾がある。
伊根湾の入り口には青島がある。
それで、湾の中は波は穏やか。
そこに、伊根の舟屋が生まれた。
下の方に、天橋立が見える。
道の駅は、丘の上にある。 そこから撮影。
手前が湾の奥。 向こうは、若狭湾。
湾の左側。 この後、こっちを歩く。
海にくっ付くように、舟屋が並んでる。 津波がある地域は、作れない。
海に向かって、車庫があるようだ。 この家を、舟屋と呼んでる。
舟屋に入らない、大きな船もある。
右側の方。
港で釣り。
南から見た地図。 (観光協会のHPより)
地図の右の方を歩き始めた。 舟屋を覗いた。 これなら、2㍍の波があっても大変。
船が入る所がある。
すっかり大きくなった、ツバメの子。
舟屋の裏は、こんな通り。 右が舟屋。
コンクリートの部分は、昔は、きっと石垣だった。
船を、濡らさないようにしている。
ここは、また別。 今は使っていない。
おばあちゃんがいて、話を聞かせてもらった。
海は、直ぐ深くなっている。
おばあちゃん、落ちないでねと言った。 そして、水泳の話になった。
子供のころは、砂浜で水泳の授業があった。
だれでもが、泳げるようになった。
普段は、舟屋の前で泳いで遊んだ。 事故は無かったわけではなく、たまにはあった。
1年に1回、子供たちみんな、湾の中を1周した。 船が付いて。
話してくれたのは、左の方。
右が舟屋で、道の向こうが母屋。 左は蔵。
以前、この地域は、6月から秋まで、漁協の大きな船で、釧路まで漁に出掛けたそう。
だから、この地域に、北海道から嫁いでいる人もいると言う。
中には、北海道に住みついた人も。
おばあちゃんは、どこからここに来たのと、聞いた。
近くだよと、言った。
今の旦那さんが好きになって来たんだと言ったら、首と手を両方振った。
親に、行けと言われて来たと言った。
畑は作ってるかいと聞いたら、猿とイノシシで大変なので、今は作ってないそう。
猿知恵はすごいと言った。
ここには、浦島太郎伝説があるが、それは、誰でもが知っている。
神社の宮司さんが、紙芝居を見せてくれるそう。
昔はミカンを作っていた。 酸っぱかったので、出荷しなかった。
作っても、猿のエサになったので、作らなくなった。
こんな感じで、たくさん聞かせてくれた。
こんなに淡い緑色って、他にあるだろうか。
時々、このように空いている。
路地の奥に、井戸が見えた。
おばあちゃんがいて、今は水道を使うと、教えてくれた。
昔は、みんなここを使っていた。
この水で冷や麦をしたら、美味しかったそう。
話しを聞いただけで、冷や麦が食べたくなった。
井戸水は、使えば使う程、水はきれいになって行く。
大きな船は、舟屋には入らない。
船は小さくても、今は、無線のアンテナに高さがあるため、入らないことが多い。
舟屋を使う家は、少なくなったという。
町全体で、伝建地区への指定を取り組んだ。
使わなくても、取り壊すことはできない。 それは覚悟していた。
漁と観光で生きると、決めていた。
立派な家が多い。 今は、今風の家を建てることはできない。 特に、壁の色は限定される。
神社とお寺は、山の上。 後で行く。
道は、見える家まで。 ここで、引き返した。
向こうに戻る。 左は青島。 人は住んでいない。 釣りしている人がいる。
こんな魚。 熱帯魚みたい。
舟屋の中。 2階に、人が住んでる場合もある。 民宿にも。
神社へ上がった。 小さな子供もやって来た。 神社で鈴を鳴らすのが楽しみ。
背中に「おてんば娘」と書いた、法被を着ていた。
ある漁師さんが、網を直していた。
もし原発の事故があったら、若狭湾はお終いと、言った。
※ 若狭湾には、14基の原子力発電所がある。 密集地帯。
どこの町も、過疎化を何とかしようと、誘致した。
しかし、恩恵を大きく受けるのは、一部の人間ということに、今はみんな気付いている。
このアゲハをよく見る。 白い斑点が特徴。 名前を知りたい。
こんな道を、戻っている。 左の蔵に、こて絵が見える。
いいですね。 左官屋さんが、鏝(こて)を使ってつくった。
珍しい塔が、2つあった。 隔夜供養塔と六十六部供養塔。
※ 大阪市のHPに、こんな説明が。
六十六部廻国巡礼とは、法華経を書写して全国の六十六カ国の霊場に1部ずつ納経して
満願結縁する巡礼行をいう。 鎌倉・室町時代に行われた。
時間は少ないが、湾の反対側に来た。
こんな道。 左が海。
向こうから来た。 こっちには、時々店があった。
船が、舟屋に入ってる。
ずっとあるけど、途中まで行って、引き返す。
酒造会社。 京の春という酒を作っている。 晩に飲んだ。
ヨットで旅してる人もいた。
戻っている。 旅館のような建物もある。
これで、猿を捕まえる。
おばあちゃんが、バイクに乗ってやってきた。 80歳だという。
畑が、猿にやられていないか、見に来た。
おばあちゃんの畑は、左の青い網が見える所。 横も上も、全部囲わないと、猿に食べられる。
舟屋は、観光資源として残す。 実際は、大きな船で漁に出る。
これが、伊根の人達が選んだ道だった。
天橋立から、少し足を延ばしたら、伊根。
他では見られない町並み。 ふしぎと波の無い一角。
海の水はきれい。 釣りもできる。 海の幸は豊富。
少し北に、浦島太郎の伝説もある。 丘の上には、道の駅。
これからが、楽しみな町です。
【道の駅】 舟屋の里公園
【明日の予定】 丹後半島の北へ
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行は8位、 旅行全体で24位です。
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若狭湾があって、その中に小さな伊根湾がある。
伊根湾の入り口には青島がある。
それで、湾の中は波は穏やか。
そこに、伊根の舟屋が生まれた。
下の方に、天橋立が見える。
道の駅は、丘の上にある。 そこから撮影。
手前が湾の奥。 向こうは、若狭湾。

湾の左側。 この後、こっちを歩く。

海にくっ付くように、舟屋が並んでる。 津波がある地域は、作れない。

海に向かって、車庫があるようだ。 この家を、舟屋と呼んでる。
舟屋に入らない、大きな船もある。

右側の方。

港で釣り。

南から見た地図。 (観光協会のHPより)

地図の右の方を歩き始めた。 舟屋を覗いた。 これなら、2㍍の波があっても大変。
船が入る所がある。

すっかり大きくなった、ツバメの子。

舟屋の裏は、こんな通り。 右が舟屋。

コンクリートの部分は、昔は、きっと石垣だった。

船を、濡らさないようにしている。

ここは、また別。 今は使っていない。
おばあちゃんがいて、話を聞かせてもらった。

海は、直ぐ深くなっている。
おばあちゃん、落ちないでねと言った。 そして、水泳の話になった。
子供のころは、砂浜で水泳の授業があった。
だれでもが、泳げるようになった。
普段は、舟屋の前で泳いで遊んだ。 事故は無かったわけではなく、たまにはあった。
1年に1回、子供たちみんな、湾の中を1周した。 船が付いて。
話してくれたのは、左の方。
右が舟屋で、道の向こうが母屋。 左は蔵。

以前、この地域は、6月から秋まで、漁協の大きな船で、釧路まで漁に出掛けたそう。
だから、この地域に、北海道から嫁いでいる人もいると言う。
中には、北海道に住みついた人も。
おばあちゃんは、どこからここに来たのと、聞いた。
近くだよと、言った。
今の旦那さんが好きになって来たんだと言ったら、首と手を両方振った。
親に、行けと言われて来たと言った。
畑は作ってるかいと聞いたら、猿とイノシシで大変なので、今は作ってないそう。
猿知恵はすごいと言った。
ここには、浦島太郎伝説があるが、それは、誰でもが知っている。
神社の宮司さんが、紙芝居を見せてくれるそう。
昔はミカンを作っていた。 酸っぱかったので、出荷しなかった。
作っても、猿のエサになったので、作らなくなった。
こんな感じで、たくさん聞かせてくれた。
こんなに淡い緑色って、他にあるだろうか。

時々、このように空いている。

路地の奥に、井戸が見えた。

おばあちゃんがいて、今は水道を使うと、教えてくれた。
昔は、みんなここを使っていた。
この水で冷や麦をしたら、美味しかったそう。
話しを聞いただけで、冷や麦が食べたくなった。
井戸水は、使えば使う程、水はきれいになって行く。

大きな船は、舟屋には入らない。
船は小さくても、今は、無線のアンテナに高さがあるため、入らないことが多い。
舟屋を使う家は、少なくなったという。
町全体で、伝建地区への指定を取り組んだ。
使わなくても、取り壊すことはできない。 それは覚悟していた。
漁と観光で生きると、決めていた。

立派な家が多い。 今は、今風の家を建てることはできない。 特に、壁の色は限定される。

神社とお寺は、山の上。 後で行く。

道は、見える家まで。 ここで、引き返した。

向こうに戻る。 左は青島。 人は住んでいない。 釣りしている人がいる。

こんな魚。 熱帯魚みたい。

舟屋の中。 2階に、人が住んでる場合もある。 民宿にも。

神社へ上がった。 小さな子供もやって来た。 神社で鈴を鳴らすのが楽しみ。
背中に「おてんば娘」と書いた、法被を着ていた。

ある漁師さんが、網を直していた。
もし原発の事故があったら、若狭湾はお終いと、言った。
※ 若狭湾には、14基の原子力発電所がある。 密集地帯。
どこの町も、過疎化を何とかしようと、誘致した。
しかし、恩恵を大きく受けるのは、一部の人間ということに、今はみんな気付いている。

このアゲハをよく見る。 白い斑点が特徴。 名前を知りたい。

こんな道を、戻っている。 左の蔵に、こて絵が見える。

いいですね。 左官屋さんが、鏝(こて)を使ってつくった。

珍しい塔が、2つあった。 隔夜供養塔と六十六部供養塔。
※ 大阪市のHPに、こんな説明が。
六十六部廻国巡礼とは、法華経を書写して全国の六十六カ国の霊場に1部ずつ納経して
満願結縁する巡礼行をいう。 鎌倉・室町時代に行われた。

時間は少ないが、湾の反対側に来た。

こんな道。 左が海。

向こうから来た。 こっちには、時々店があった。

船が、舟屋に入ってる。

ずっとあるけど、途中まで行って、引き返す。

酒造会社。 京の春という酒を作っている。 晩に飲んだ。

ヨットで旅してる人もいた。

戻っている。 旅館のような建物もある。

これで、猿を捕まえる。

おばあちゃんが、バイクに乗ってやってきた。 80歳だという。
畑が、猿にやられていないか、見に来た。
おばあちゃんの畑は、左の青い網が見える所。 横も上も、全部囲わないと、猿に食べられる。

舟屋は、観光資源として残す。 実際は、大きな船で漁に出る。
これが、伊根の人達が選んだ道だった。
天橋立から、少し足を延ばしたら、伊根。
他では見られない町並み。 ふしぎと波の無い一角。
海の水はきれい。 釣りもできる。 海の幸は豊富。
少し北に、浦島太郎の伝説もある。 丘の上には、道の駅。
これからが、楽しみな町です。
【道の駅】 舟屋の里公園
【明日の予定】 丹後半島の北へ
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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コメント
Re: タイトルなし
京の春、呑みましたよ。 すぐ無くなった。
波が穏やかなので、ボートに乗って釣りをしたいと思いました。
お金がかかることは出来ないけど。
丹後半島、駆け抜けるにはもったいなほど、見所があります。
あと少しいます。
波が穏やかなので、ボートに乗って釣りをしたいと思いました。
お金がかかることは出来ないけど。
丹後半島、駆け抜けるにはもったいなほど、見所があります。
あと少しいます。
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確か10年ほど前に
雪の降るなか シーカヤック で 漕ぎました
海から 観る 舟屋の雪景色 素敵でした
おんな杜氏の「邦?ちゃん」が仕込む
向井酒造 の 「京の春」 うまい 酒 です
彼女は、シーカヤッカーでも あります
丹後半島周遊ですね