小町が、晩年少し住んで、その地で亡くなったと云う所があった。
京丹後市大宮町五十河(いかが)。
証拠はあるのかと云うと、ある。 妙性寺という寺が、古文書を持っていた。
可能性はあるのか。
途中、琴引浜に寄った。 鳴き砂があった。 でも、鳴かせられなかった。
琴引浜は、間人(たいざ)から10㌔ほど。
夏は海水浴場。 今は、人はいない。
どうやったら鳴くか、それを勉強していなかった。
手や足で、いろいろやったが、はっきりは鳴かなかった。
※ 鳴かせ方は、晩に調べていて分かった。
※ 今日は、鳴き砂会館は休みだった。
手で砂を勢いよくこすったら、「キュッ」ではないが、「ヒュー」に近い音が少しした。
琴引浜には、もう一度行かなければならない。
小町隠棲、また終焉の地と云っている、五十河(いかが)の里は、天橋立に近い所にあった。
小町の舎(あらか)。 資料館。
立派な建物。 秋田の雄勝にある小町堂より、お金がかかっている。
五十河という地域は、40戸ほど。 小さな谷にある。
小町の像。 作者の名前はない。
普通でしょうか。
強烈に、美しさと知性を感じる像を、誰か作らないかな。
※ こんな絵がある。ちがった雰囲気。 知性を感じる。
資料館の中。
表情が、なんとかならないか。
これが証拠なんですね。 小町が来たという、根拠。 小町由来記。(複製)
すぐ近くの妙性寺(みょうしょうじ)に残っていたという。
小町のことについて、書いてある。 この地域とは関係なく。
こうなんですね。
小町は福知山から天橋立への旅の途中、五十河の上田甚兵衛宅に滞在した。
五十河にどれだけかいて、一緒に天橋立へ向かった。
長尾坂を越える途中で腹痛になり、甚兵衛さんが背負ってここに戻って来た。
看病したが亡くなった。
長尾峠は、今は小野峠。 ここから、2㌔くらい。
秋田の雄勝にしても、伝説はあっても、文書とかでは残っていない。
そういう意味では、他と違う。 ※ 京都の随心院は別。 信頼性はありそう。 随心院① 随心院②
問題に感じる点が3つ。
上田甚兵衛と「奇しき縁」で来たとあるが、それは大事な部分だが書いてない。
小町は、それなりの年齢になっても、つまりおばあちゃんになっても「姫」と言われたのか。
文書にこれだけはっきり書いているのに、なぜ、月日を書いてないのか。
もし月日が書いてあれば、小町にとっての、貴重な資料になる。
小町の、生没年は分かっていない。
それでも、古文書の資料があると云うのは、説得力があるでしょうか。
和泉式部の絵も、あった。
式部は、小町より100年以上後の人。 当然、小町の歌はみんな知っていたでしょうね。
小町のお墓は、すぐ近くにあった。 左の建物は、お蕎麦屋さん。 美味しいと、後で聞いた。
地図があった。 この地図の中を歩く。
ここにお墓があったので、小町の舎を、このそばに建てた。 そういうことか。
「九重の 花の都に住みはせで はかなや我は 三重にかくるる」
この歌を残したが、Wikipedia等には、小町の歌として載ってない。
理由は何だろう。
上が読みにくかったら、下を。
小町薬師堂。 中に、薬師如来。
妙性寺。 今は、住職さんはいない。 他から、週1回来るそう。
中を見せてもらうことは、できなかった。
この寺の開基は、小町。
寺の中には、位牌や由来記、そして小町象があるという。
下が、小町像。 かわいい。 ※ 「ザ、京都」のHPよりお借り。
妙性寺に来る途中、家の周りの草取りをしている人に会った。
機織りの音が聞こえたので、丹後ちりめんかを聞いた。
後で工場を見せてあげるので、寺へ行った帰り寄ったらいいよ、と言われていた。
ここに2台と、左に1台。 中は、にぎやか。
丹後ちりめんの他に、帯なども織るそう。 この地域の工場も減って、今は4軒。
左の紙が、模様をつくる。
丹後ちりめんの材料は、絹。 元々、高級品。
機械の動きは、複雑。
こんな模様。
松田聖子のブランド。 この商品は、この地域だけでなく、4軒の工場で織っている。
商品は、京都のデパートで購入できる。(大丸かな)
※ 下は、丹後ちりめんの浴衣。 約16万円。 彼女のブランド。
ここで織っている物は、間違いなく高級品。
奥さまが機械を扱っていたが、高い技術が必要と感じた。
旦那様が、この地域を案内してくれた。
狭い地域に、神社が3つもある。
本当の神社は、中にあった。 この地方は、雪が多い。
旦那さんは、中尊寺の金色堂と同じと言った。
旦那さんは、自然は人間が手を入れると、ダメになると言った。
川のことを言っている。 コンクリートで、ガードされていた。
ここは、少し高いので、美味しいコシヒカリが出来る。
遠くに見える家は、笹葺(ささぶき)の家。 一軒だけ残っている。
こんな屋根。 保存に向けて、取り組んでいる。
霧宮神社と三柱神社。 杉の木が大きい。
上が8つに分かれている。 八岐杉。 読みは、やまたすぎ、でいいかな。
ここも、こう。 同じ京都なのに、雪の量は全く違う。
細かい。
駐車場まで戻って来て、案内していただいた人と別れた。
小町の舎の裏にある、山の上に来た。
展望台からの風景。 向こうの山は、ブナ林。 内山山系ブナ林。 貴重。
案内してくれた人は、こう言っていた。
「ブナ林は木漏れ日がいい。 若葉がきれい」と。
実際に、小町はここで亡くなったのか。 それは、分からない。
伝説だとしたら、伝説が生まれる理由があったのか。
調べていたら、次のことが分かった。
「五十河の里を含めた大宮町には、昔、小野一族の荘園があった」
もしかしたら、小野小町が、天橋立に来た時、ここに寄ったかもしれない。
天橋立までは、10㌔ない。
実際に来ていたので、他とは違う、ここだけの伝説が生まれた。
何百年もの後の世に、その伝説を整理し、膨らませたのが、妙性寺の小町由来記。
※ あるサイトに、小町由来記は古いものではなく、江戸時代のものとあった。
そんな風に、思います。
ここの伝説は、他とは違うところがいい。
伝説を大事にした地域づくりを進めても、失敗しないように思うでしょうか。
小町については、なかなか、はっきりしない。
【道の駅】 丹後あじわいの郷
【明日の予定】 コウノトリの郷公園
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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京丹後市大宮町五十河(いかが)。
証拠はあるのかと云うと、ある。 妙性寺という寺が、古文書を持っていた。
可能性はあるのか。
途中、琴引浜に寄った。 鳴き砂があった。 でも、鳴かせられなかった。
琴引浜は、間人(たいざ)から10㌔ほど。
夏は海水浴場。 今は、人はいない。

どうやったら鳴くか、それを勉強していなかった。
手や足で、いろいろやったが、はっきりは鳴かなかった。
※ 鳴かせ方は、晩に調べていて分かった。
※ 今日は、鳴き砂会館は休みだった。

手で砂を勢いよくこすったら、「キュッ」ではないが、「ヒュー」に近い音が少しした。

琴引浜には、もう一度行かなければならない。

小町隠棲、また終焉の地と云っている、五十河(いかが)の里は、天橋立に近い所にあった。
小町の舎(あらか)。 資料館。

立派な建物。 秋田の雄勝にある小町堂より、お金がかかっている。

五十河という地域は、40戸ほど。 小さな谷にある。

小町の像。 作者の名前はない。

普通でしょうか。
強烈に、美しさと知性を感じる像を、誰か作らないかな。
※ こんな絵がある。ちがった雰囲気。 知性を感じる。

資料館の中。


表情が、なんとかならないか。

これが証拠なんですね。 小町が来たという、根拠。 小町由来記。(複製)
すぐ近くの妙性寺(みょうしょうじ)に残っていたという。

小町のことについて、書いてある。 この地域とは関係なく。


こうなんですね。
小町は福知山から天橋立への旅の途中、五十河の上田甚兵衛宅に滞在した。
五十河にどれだけかいて、一緒に天橋立へ向かった。
長尾坂を越える途中で腹痛になり、甚兵衛さんが背負ってここに戻って来た。
看病したが亡くなった。
長尾峠は、今は小野峠。 ここから、2㌔くらい。

秋田の雄勝にしても、伝説はあっても、文書とかでは残っていない。
そういう意味では、他と違う。 ※ 京都の随心院は別。 信頼性はありそう。 随心院① 随心院②

問題に感じる点が3つ。
上田甚兵衛と「奇しき縁」で来たとあるが、それは大事な部分だが書いてない。
小町は、それなりの年齢になっても、つまりおばあちゃんになっても「姫」と言われたのか。
文書にこれだけはっきり書いているのに、なぜ、月日を書いてないのか。
もし月日が書いてあれば、小町にとっての、貴重な資料になる。
小町の、生没年は分かっていない。

それでも、古文書の資料があると云うのは、説得力があるでしょうか。
和泉式部の絵も、あった。
式部は、小町より100年以上後の人。 当然、小町の歌はみんな知っていたでしょうね。

小町のお墓は、すぐ近くにあった。 左の建物は、お蕎麦屋さん。 美味しいと、後で聞いた。

地図があった。 この地図の中を歩く。

ここにお墓があったので、小町の舎を、このそばに建てた。 そういうことか。

「九重の 花の都に住みはせで はかなや我は 三重にかくるる」
この歌を残したが、Wikipedia等には、小町の歌として載ってない。
理由は何だろう。

上が読みにくかったら、下を。

小町薬師堂。 中に、薬師如来。


妙性寺。 今は、住職さんはいない。 他から、週1回来るそう。
中を見せてもらうことは、できなかった。
この寺の開基は、小町。

寺の中には、位牌や由来記、そして小町象があるという。
下が、小町像。 かわいい。 ※ 「ザ、京都」のHPよりお借り。

妙性寺に来る途中、家の周りの草取りをしている人に会った。
機織りの音が聞こえたので、丹後ちりめんかを聞いた。
後で工場を見せてあげるので、寺へ行った帰り寄ったらいいよ、と言われていた。
ここに2台と、左に1台。 中は、にぎやか。

丹後ちりめんの他に、帯なども織るそう。 この地域の工場も減って、今は4軒。
左の紙が、模様をつくる。

丹後ちりめんの材料は、絹。 元々、高級品。
機械の動きは、複雑。

こんな模様。

松田聖子のブランド。 この商品は、この地域だけでなく、4軒の工場で織っている。
商品は、京都のデパートで購入できる。(大丸かな)

※ 下は、丹後ちりめんの浴衣。 約16万円。 彼女のブランド。

ここで織っている物は、間違いなく高級品。
奥さまが機械を扱っていたが、高い技術が必要と感じた。
旦那様が、この地域を案内してくれた。
狭い地域に、神社が3つもある。

本当の神社は、中にあった。 この地方は、雪が多い。
旦那さんは、中尊寺の金色堂と同じと言った。

旦那さんは、自然は人間が手を入れると、ダメになると言った。
川のことを言っている。 コンクリートで、ガードされていた。
ここは、少し高いので、美味しいコシヒカリが出来る。
遠くに見える家は、笹葺(ささぶき)の家。 一軒だけ残っている。

こんな屋根。 保存に向けて、取り組んでいる。

霧宮神社と三柱神社。 杉の木が大きい。

上が8つに分かれている。 八岐杉。 読みは、やまたすぎ、でいいかな。

ここも、こう。 同じ京都なのに、雪の量は全く違う。

細かい。

駐車場まで戻って来て、案内していただいた人と別れた。
小町の舎の裏にある、山の上に来た。

展望台からの風景。 向こうの山は、ブナ林。 内山山系ブナ林。 貴重。
案内してくれた人は、こう言っていた。
「ブナ林は木漏れ日がいい。 若葉がきれい」と。

実際に、小町はここで亡くなったのか。 それは、分からない。
伝説だとしたら、伝説が生まれる理由があったのか。
調べていたら、次のことが分かった。
「五十河の里を含めた大宮町には、昔、小野一族の荘園があった」
もしかしたら、小野小町が、天橋立に来た時、ここに寄ったかもしれない。
天橋立までは、10㌔ない。
実際に来ていたので、他とは違う、ここだけの伝説が生まれた。
何百年もの後の世に、その伝説を整理し、膨らませたのが、妙性寺の小町由来記。
※ あるサイトに、小町由来記は古いものではなく、江戸時代のものとあった。
そんな風に、思います。
ここの伝説は、他とは違うところがいい。
伝説を大事にした地域づくりを進めても、失敗しないように思うでしょうか。
小町については、なかなか、はっきりしない。
【道の駅】 丹後あじわいの郷
【明日の予定】 コウノトリの郷公園
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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