城崎温泉は、但馬屈指の温泉街であり、外湯が充実していた。
洞窟風呂に入った。
玄武岩があるから玄武洞ではなかった。
玄武洞があったので、玄武岩の名前が生まれた。
玄武洞は、城崎に近い。
城崎がある豊岡市や、朝来(あさご)市は、円山川の流域。
下流は大河。 流れが遅く、土や砂を、海まで押し出せない。 川底が、だんだん上がる。
玄武洞前の広場。
これが玄武洞。 ※ 全体を、玄武洞とも呼ぶ。
昔、採石場だったので、人工的に作られた洞窟。
石の断面が、玄武に似ていたので、江戸時代の学者が、玄武洞と名付けた。
※ 玄武は、中国では、北方を守る神。
マグマが冷えて固まった石に名前を付ける時、それは玄武洞の石でもあったので、玄武岩と名付けられた。
ここは、隣の青龍洞。 柱状節理が美しい。 カーブしている。
北海道の層雲峡の柱状節理は、縦に直線。(写真は、上川中部圏ポータルサイト)
根室の車石は、放射状。
右と左で、方向が違う。 採石場だったので、採れるだけ採って、この状態か。
断面は、6角形や5角形が多い。 溶岩は、冷える時に収縮するので、ひびが入るようだ。
北朱雀洞。
若い男の人が、説明してくれた。
溶岩が真っ赤な時、中から空気が噴き出した。 穴がいっぱい。
ホットケーキを焼く時も、こんな穴。
玄武洞は、国の天然記念物になっていた。
数㌔走って、城崎の温泉街。
※ バスとかの駐車場しか入れなかったので、駐車料1000円。
もう少し調べてから行けばよかった。
道は、川沿いに。
城崎温泉には、外湯が7つある。 それが、特徴であり、売り。
右の建物は、一の湯。 洞窟風呂があり、最後に入る。
石垣の石は、石を横に並べて積んでる。 城崎積み。 石は、玄武洞の石。
志賀直哉他、多くの文人に、城崎温泉は愛された。 川沿いの道の散歩は、魅力の一つ。
城崎温泉は、今風の温泉地ではない。 昔からの温泉地、という感じ。
このままでは、集客で苦労するから、脱皮を図っている。 外湯、足湯、歩いて楽しい場所をつくる、など。
川の水は、とにかくきれい。 3年前に、下水道が完備した。 地元に人が教えてくれた。
魚がいっぱい。 カニも。
毎日、ホタルが見られるという。 8時頃から。
まんだら湯。 外湯と云ってもバカにできない。 どこも立派。
石庭が立派と云う、寺に向かった。
極楽寺。
ここの住職さんも、想定外の言葉に、思う所がある。
右の隅に、沢庵和尚の歌。
「来ぬ春を 深雪の底にひきよせて 冬ひとしほの 出湯なりけり」
先日、天橋立で、剣豪岩見重太郎の話しを載せましたが、重太郎が天橋立に行く途中、ここに泊まっている。
あの話は、この地方では、有名なよう。
薬師堂。
毎日来るのかな。 私は、手を合わせるのは、たまに。
ゆのみば。 かすかに、海の味がした。 昆布だしのような。
足湯。 気温が30度くらいあるので、入らなかった。 首にタオルを巻いている。
御所の湯。 感じがいい。
人がいる時、チャンスと思って、シャッターを押す。
※ 反対に、その人が動くのを待つ時もある。 申し訳ないと思いながら。
三木屋。 志賀直哉は、ここで「城崎にて」を書いた。
※ 「城崎にて」は、高校の教科書に載ったことがあったかな。 どこかで、昔読んだ。
東京で事故に遭って、その療養で、ここに来た。 大正2年のこと。
下の部屋は、彼が使った部屋。 ※ 新しい建物になってから。(三木屋さんのHPより)
彼は、城崎温泉を、こう言った。
「湯はよく澄み、山や川が美しく、日本海の魚がうまい。町の人は心温かく、木造建築と調和していた」
ここは、旅館「つたや」
出石(いずし)でのブログに、桂小五郎(木戸孝允)が出石から城崎に寄って、長州に戻ったことを書いた。
城崎では、ここに来ていた。 幾松と再会したのは、この町のよう。
司馬遼太郎も来ていた。
下に、桂小五郎が、蛤御門の変の後、来たとある。
密告されたらお終い。 当時も、大事な人間と知ってる者は知っていたのか。
左側向こう端が、入ると決めてた、一の湯。
洞窟風呂。 夜、ろうそくの灯りの下で入ると、きっと雰囲気がある。
城崎文芸館。 志賀直哉の碑があった。
「城崎にて」と「暗夜行路」を紹介していた。
田中冬時の碑も、少し遠くにあるはずだったが、見つけられなかった。
この人は、鬼無里で、下の文をつくった。
月夜の陵(はか) 田中冬二
信州の戸隠や鬼無里は 早い年には 十一月に もう雪が来る
鬼無里に月夜の陵という 古蹟がある
白鳳の世に皇族が故あって 此処に蟄居(ちっきょ)したが
その墳墓(ふんぼ)と云われている
その史実はもとより 伝説さえ 日に日に忘却されようと している
月夜の陵 なんという美しく また 悲しい名であろう
城崎から海は近い。
近くに水族館もあり、観光地になっている。
竜宮城。
この地方にも、浦島伝説はあるのか。 丹後半島のと同じか。
城崎温泉の魅力は、風情のある川べりの柳と、歓楽色の少ない静かな情緒ある佇まいでしょうか。
ただ、若い人が歩くには、少し退屈。 文学碑と寺と足湯・・・では。
また、温泉には問題があって、全て、かけ流しではない。(Wikipediaより)
城崎温泉が学ぶことのできる温泉地は、全国にいくつかありますね。
※ 一致団結するためには、一番儲けた所が、儲けを全体のために使うくらいでないと、団結はできない。
だから、湯布院温泉や黒川温泉のように、全体で動ける所は、少ない。
自分の所が儲かっていたら、まあいいか、となる。
気付いた時には、手遅れ。 そんな温泉地も、いっぱい。
城崎温泉は、外湯の魅力を活かして、どう変貌するでしょうね。
動いている人がいるようなので、期待できます。
【道の駅】 ようか但馬蔵
【明日の予定】 生野銀山か、この近くの山の中。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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洞窟風呂に入った。
玄武岩があるから玄武洞ではなかった。
玄武洞があったので、玄武岩の名前が生まれた。
玄武洞は、城崎に近い。
城崎がある豊岡市や、朝来(あさご)市は、円山川の流域。
下流は大河。 流れが遅く、土や砂を、海まで押し出せない。 川底が、だんだん上がる。

玄武洞前の広場。

これが玄武洞。 ※ 全体を、玄武洞とも呼ぶ。
昔、採石場だったので、人工的に作られた洞窟。

石の断面が、玄武に似ていたので、江戸時代の学者が、玄武洞と名付けた。
※ 玄武は、中国では、北方を守る神。


マグマが冷えて固まった石に名前を付ける時、それは玄武洞の石でもあったので、玄武岩と名付けられた。
ここは、隣の青龍洞。 柱状節理が美しい。 カーブしている。
北海道の層雲峡の柱状節理は、縦に直線。(写真は、上川中部圏ポータルサイト)
根室の車石は、放射状。

右と左で、方向が違う。 採石場だったので、採れるだけ採って、この状態か。

断面は、6角形や5角形が多い。 溶岩は、冷える時に収縮するので、ひびが入るようだ。

北朱雀洞。

若い男の人が、説明してくれた。
溶岩が真っ赤な時、中から空気が噴き出した。 穴がいっぱい。
ホットケーキを焼く時も、こんな穴。

玄武洞は、国の天然記念物になっていた。
数㌔走って、城崎の温泉街。
※ バスとかの駐車場しか入れなかったので、駐車料1000円。
もう少し調べてから行けばよかった。

道は、川沿いに。

城崎温泉には、外湯が7つある。 それが、特徴であり、売り。
右の建物は、一の湯。 洞窟風呂があり、最後に入る。

石垣の石は、石を横に並べて積んでる。 城崎積み。 石は、玄武洞の石。

志賀直哉他、多くの文人に、城崎温泉は愛された。 川沿いの道の散歩は、魅力の一つ。

城崎温泉は、今風の温泉地ではない。 昔からの温泉地、という感じ。
このままでは、集客で苦労するから、脱皮を図っている。 外湯、足湯、歩いて楽しい場所をつくる、など。

川の水は、とにかくきれい。 3年前に、下水道が完備した。 地元に人が教えてくれた。
魚がいっぱい。 カニも。

毎日、ホタルが見られるという。 8時頃から。

まんだら湯。 外湯と云ってもバカにできない。 どこも立派。

石庭が立派と云う、寺に向かった。

極楽寺。

ここの住職さんも、想定外の言葉に、思う所がある。

右の隅に、沢庵和尚の歌。
「来ぬ春を 深雪の底にひきよせて 冬ひとしほの 出湯なりけり」

先日、天橋立で、剣豪岩見重太郎の話しを載せましたが、重太郎が天橋立に行く途中、ここに泊まっている。
あの話は、この地方では、有名なよう。


薬師堂。


毎日来るのかな。 私は、手を合わせるのは、たまに。

ゆのみば。 かすかに、海の味がした。 昆布だしのような。

足湯。 気温が30度くらいあるので、入らなかった。 首にタオルを巻いている。

御所の湯。 感じがいい。
人がいる時、チャンスと思って、シャッターを押す。
※ 反対に、その人が動くのを待つ時もある。 申し訳ないと思いながら。

三木屋。 志賀直哉は、ここで「城崎にて」を書いた。
※ 「城崎にて」は、高校の教科書に載ったことがあったかな。 どこかで、昔読んだ。

東京で事故に遭って、その療養で、ここに来た。 大正2年のこと。
下の部屋は、彼が使った部屋。 ※ 新しい建物になってから。(三木屋さんのHPより)


彼は、城崎温泉を、こう言った。
「湯はよく澄み、山や川が美しく、日本海の魚がうまい。町の人は心温かく、木造建築と調和していた」
ここは、旅館「つたや」

出石(いずし)でのブログに、桂小五郎(木戸孝允)が出石から城崎に寄って、長州に戻ったことを書いた。
城崎では、ここに来ていた。 幾松と再会したのは、この町のよう。

司馬遼太郎も来ていた。

下に、桂小五郎が、蛤御門の変の後、来たとある。
密告されたらお終い。 当時も、大事な人間と知ってる者は知っていたのか。

左側向こう端が、入ると決めてた、一の湯。

洞窟風呂。 夜、ろうそくの灯りの下で入ると、きっと雰囲気がある。

城崎文芸館。 志賀直哉の碑があった。

「城崎にて」と「暗夜行路」を紹介していた。

田中冬時の碑も、少し遠くにあるはずだったが、見つけられなかった。
この人は、鬼無里で、下の文をつくった。
月夜の陵(はか) 田中冬二
信州の戸隠や鬼無里は 早い年には 十一月に もう雪が来る
鬼無里に月夜の陵という 古蹟がある
白鳳の世に皇族が故あって 此処に蟄居(ちっきょ)したが
その墳墓(ふんぼ)と云われている
その史実はもとより 伝説さえ 日に日に忘却されようと している
月夜の陵 なんという美しく また 悲しい名であろう
城崎から海は近い。

近くに水族館もあり、観光地になっている。

竜宮城。

この地方にも、浦島伝説はあるのか。 丹後半島のと同じか。

城崎温泉の魅力は、風情のある川べりの柳と、歓楽色の少ない静かな情緒ある佇まいでしょうか。
ただ、若い人が歩くには、少し退屈。 文学碑と寺と足湯・・・では。
また、温泉には問題があって、全て、かけ流しではない。(Wikipediaより)
城崎温泉が学ぶことのできる温泉地は、全国にいくつかありますね。
※ 一致団結するためには、一番儲けた所が、儲けを全体のために使うくらいでないと、団結はできない。
だから、湯布院温泉や黒川温泉のように、全体で動ける所は、少ない。
自分の所が儲かっていたら、まあいいか、となる。
気付いた時には、手遅れ。 そんな温泉地も、いっぱい。
城崎温泉は、外湯の魅力を活かして、どう変貌するでしょうね。
動いている人がいるようなので、期待できます。
【道の駅】 ようか但馬蔵
【明日の予定】 生野銀山か、この近くの山の中。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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コメント
城崎
Re: 城崎
温泉地も、今は競争。 大変です。
お客は、楽しみがはっきりしていなと、行かない。
美味しいものだけ食べて、満足しない。 毎日食べてる。
黒崎温泉、銀山温泉などとは、違う魅力の温泉が現れるかもしれない。
何かありそうです。
暑いです。
暑いねって、お店の人と話しました。
そうしたら、その人、九州がかわいそうって言いました。
こっちに降る雨も、みんな九州に行ったので、気の毒だと。
今日(25にち)、ミニ扇風機を買いました。 1000円しない。 USBにつなぐ。
顔に、そよ風がきます。 いいもんです。
眼鏡の完成が、何かがあって遅れたので、この辺で、もたもたしています。
7月に入って、立山です、
お客は、楽しみがはっきりしていなと、行かない。
美味しいものだけ食べて、満足しない。 毎日食べてる。
黒崎温泉、銀山温泉などとは、違う魅力の温泉が現れるかもしれない。
何かありそうです。
暑いです。
暑いねって、お店の人と話しました。
そうしたら、その人、九州がかわいそうって言いました。
こっちに降る雨も、みんな九州に行ったので、気の毒だと。
今日(25にち)、ミニ扇風機を買いました。 1000円しない。 USBにつなぐ。
顔に、そよ風がきます。 いいもんです。
眼鏡の完成が、何かがあって遅れたので、この辺で、もたもたしています。
7月に入って、立山です、
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今日、6月24日はとても暑い日でした。こんなとき、浴衣を着て、川べりをそぞろ歩きすれば、涼しさを感じることでしょうか。最近は、近畿地方も暑いと思いますが、暑さ対策はいかがですか。
こちら九州は暑いし、雨は激しいし、天候が荒れています。