旭川に向かいます。
今回はしばらく通ってない、日高町を抜けて。
今日の見学場所は、途中で見つけることに。
久しぶりの青空を見ました。
天気が悪くても、西日本のことを思えば文句は言えません。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
伊達市から赤〇の日高町まで走った。
紫〇は、知里幸恵(ちりゆきえ)の墓。 青〇は、二風谷ダム。 その近くに、びらとり温泉。

登別市に入ったら、この案内。 急に曲がった。

曲がったけど案内がはっきりせず、知里幸恵の墓にたどり着いた。

伯母(おば)の金成(かんなり)マツの碑も。
この人は、知里幸恵の母の姉。

説明が。 左奥に、墓が。 碑も。

金成マツは幸恵の意志を受け継いだ。
幸恵は、7歳で旭川に。
この時、金成マツの養女になる。 (どんな経緯があったかは、調べても分からない)
知里幸恵は金田一京助に見いだされ、アイヌ神謡集を書き上げる。
このことにどんな価値があったのでしょう。 下で紹介の記事にまとめています。
蝦夷地はアイヌの天地だった。
でも、明治に入って、土地は奪われ、アイヌは絶望の淵に立たされていた。
そんな中、アイヌ民族に自信と光を与え、重大な復権・復活の転機を生みだした書物があった。
それは、17歳の少女が綴った『アイヌ神謡集』。
彼女の名前は、知里幸恵(ちりゆきえ)。
完成したその晩に、持病の心臓発作で亡くなる。
金田一京助との出会いが、全ての始まりだった。
アイヌの歌人、バチェラー八重子。 有珠山の流れ山、アルトリ岬。~伊達市~ 他 (2013/7/27)
アイヌ記念館 知里幸恵が遺した「アイヌ神謡集」~旭川市~ 他 (2011/9/5)

銀のしずく記念館には、日を改めて。
右写真は、今回の2人。 幸恵は小さいですね。 旭川時代かな。(Wikipediaから)

※ 知里幸恵は旭川で、北海道庁立の女学校を受験する。
成績はトップだったと云われる。
でも、アイヌであることかクリスチャンのせいだったのか、女学校は合格にしなかった。
この女学校は、後に旭川西高。 私の母校。
上のことは、女学校そして旭川西高の歴史に大きな汚点として残っている。
後に、自由な校風を謳(うた)ったのに。
ここです。 マツの碑も。

野の花を少しだけ供えた。 命日は大正11年9月18日。 20歳とある。(数えですね。満19歳)

手を合わせて戻った。 途中に、登別小学校。
そこに、弟の知里真志保(ましほ)の碑。

「銀のしずく 降れ降れ まわりに」とある。

幸恵と真志保は、アイヌの天才だった。

苫小牧に向かっている。

昨日も見た大きなクマ。 苫前町にはこんなのが。
三毛別羆事件の現場。 開拓民7名が死亡。~苫前町~ 幌加内ソバ、他 (2015/8/22)

久しぶりの青空。

近道して平取(びらとり)へ。

平取町に入ってきた。 左に入れば義経神社。
義経神社は、義経北行伝説の中心地。 ここから神威岬、そして・・。 ガス(霧)の国道。~平取町~ 他 (2017/7/12)

二風谷ダムに。

変わったダムなので見学した。

土が見える。 右に面白い案内。 正面の山かな。 冬でないと分からない。

ダムが出来たときは、10㌔奥までダム湖だった。 Wikipediaには、下のように。
完成した1997年には100年間で550万立方メートル土砂が堆積すると予想されたが、
10年後の2007年には1268万立方メートルが堆積していることが判明し、
100年で堆積する予定の約2.3倍の土砂が、10年で堆積していたことが判明した。
当初の試算では230年で堆積するといわれた土砂が、10年間で堆積したことになる。
試算なんて、ダムを造りたい学者の試算。 適当。
上からさらに10年経って、ダムは完全に土砂で埋まった。
ダムの役割は果たせない。
こうなったら、本来はダムを撤去しなければならない。
でも、上流にに土砂が流れないように、もう1つダムを造ればいいと云う者が出て来る。
困ったこと。
清流沙流(さる)川は、このダムに寄って清流ではなくなった。

管理する人間は、現在は何を管理しているのでしょう。

下流。

こんな時代があった。

今は、観光資源にもならない。 広い芝生の草も伸び放題。

こんな所がある。 アイヌの資料館が。 調べてみたら、自分は見学していない。
次に通った時には。

近くに平取温泉。 膝のためにとやって来た。

人工の炭酸泉があった。 数十万円の設備のよう。
手や足に、右のように泡が。 (この写真は、長湯温泉の七里田温泉で)
炭酸泉の湯温は、38度くらい。 ぬるい。
不思議なことに、5分ほどで顔を汗が流れる。 温まる。

馬の牧場。 日高町に向かう。

快適な道。 沙流川。

森の駅、ほろしりとあった。 ここは、幌尻岳の登山口ではない。
※ 幌尻岳はここから東に30㌔程山の中に。 日高山脈の主峰。 百名山。 自分には無理。

シカが飛び出してくるので要注意。

温泉でカンロ(あじうり)を買った。
日高町の道の駅に。 樹海ロード日高。

大きい。 350円。 甘かった。

ここまで来たら、富良野・美瑛・旭川までひとっ走り。
今まで、日高町は通っただけのよう。
見学場所を見つけたい。
【知里幸恵の紹介】 NHK 北海道スペシャル・知里幸恵 19歳のメッセージ ~「アイヌ神謡集」の世界~
【道の駅】 樹海ロード日高 (日高町)
【明日の予定】 道の駅の近くのどこかを。 そして北上。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
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今回はしばらく通ってない、日高町を抜けて。
今日の見学場所は、途中で見つけることに。
久しぶりの青空を見ました。
天気が悪くても、西日本のことを思えば文句は言えません。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

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伊達市から赤〇の日高町まで走った。
紫〇は、知里幸恵(ちりゆきえ)の墓。 青〇は、二風谷ダム。 その近くに、びらとり温泉。

登別市に入ったら、この案内。 急に曲がった。

曲がったけど案内がはっきりせず、知里幸恵の墓にたどり着いた。

伯母(おば)の金成(かんなり)マツの碑も。
この人は、知里幸恵の母の姉。


説明が。 左奥に、墓が。 碑も。

金成マツは幸恵の意志を受け継いだ。
幸恵は、7歳で旭川に。
この時、金成マツの養女になる。 (どんな経緯があったかは、調べても分からない)
知里幸恵は金田一京助に見いだされ、アイヌ神謡集を書き上げる。
このことにどんな価値があったのでしょう。 下で紹介の記事にまとめています。
蝦夷地はアイヌの天地だった。
でも、明治に入って、土地は奪われ、アイヌは絶望の淵に立たされていた。
そんな中、アイヌ民族に自信と光を与え、重大な復権・復活の転機を生みだした書物があった。
それは、17歳の少女が綴った『アイヌ神謡集』。
彼女の名前は、知里幸恵(ちりゆきえ)。
完成したその晩に、持病の心臓発作で亡くなる。
金田一京助との出会いが、全ての始まりだった。
アイヌの歌人、バチェラー八重子。 有珠山の流れ山、アルトリ岬。~伊達市~ 他 (2013/7/27)
アイヌ記念館 知里幸恵が遺した「アイヌ神謡集」~旭川市~ 他 (2011/9/5)

銀のしずく記念館には、日を改めて。
右写真は、今回の2人。 幸恵は小さいですね。 旭川時代かな。(Wikipediaから)


※ 知里幸恵は旭川で、北海道庁立の女学校を受験する。
成績はトップだったと云われる。
でも、アイヌであることかクリスチャンのせいだったのか、女学校は合格にしなかった。
この女学校は、後に旭川西高。 私の母校。
上のことは、女学校そして旭川西高の歴史に大きな汚点として残っている。
後に、自由な校風を謳(うた)ったのに。
ここです。 マツの碑も。

野の花を少しだけ供えた。 命日は大正11年9月18日。 20歳とある。(数えですね。満19歳)


手を合わせて戻った。 途中に、登別小学校。
そこに、弟の知里真志保(ましほ)の碑。

「銀のしずく 降れ降れ まわりに」とある。

幸恵と真志保は、アイヌの天才だった。


苫小牧に向かっている。

昨日も見た大きなクマ。 苫前町にはこんなのが。
三毛別羆事件の現場。 開拓民7名が死亡。~苫前町~ 幌加内ソバ、他 (2015/8/22)

久しぶりの青空。

近道して平取(びらとり)へ。

平取町に入ってきた。 左に入れば義経神社。
義経神社は、義経北行伝説の中心地。 ここから神威岬、そして・・。 ガス(霧)の国道。~平取町~ 他 (2017/7/12)

二風谷ダムに。

変わったダムなので見学した。

土が見える。 右に面白い案内。 正面の山かな。 冬でないと分からない。


ダムが出来たときは、10㌔奥までダム湖だった。 Wikipediaには、下のように。
完成した1997年には100年間で550万立方メートル土砂が堆積すると予想されたが、
10年後の2007年には1268万立方メートルが堆積していることが判明し、
100年で堆積する予定の約2.3倍の土砂が、10年で堆積していたことが判明した。
当初の試算では230年で堆積するといわれた土砂が、10年間で堆積したことになる。
試算なんて、ダムを造りたい学者の試算。 適当。
上からさらに10年経って、ダムは完全に土砂で埋まった。
ダムの役割は果たせない。
こうなったら、本来はダムを撤去しなければならない。
でも、上流にに土砂が流れないように、もう1つダムを造ればいいと云う者が出て来る。
困ったこと。
清流沙流(さる)川は、このダムに寄って清流ではなくなった。

管理する人間は、現在は何を管理しているのでしょう。

下流。

こんな時代があった。

今は、観光資源にもならない。 広い芝生の草も伸び放題。


こんな所がある。 アイヌの資料館が。 調べてみたら、自分は見学していない。
次に通った時には。

近くに平取温泉。 膝のためにとやって来た。

人工の炭酸泉があった。 数十万円の設備のよう。
手や足に、右のように泡が。 (この写真は、長湯温泉の七里田温泉で)
炭酸泉の湯温は、38度くらい。 ぬるい。
不思議なことに、5分ほどで顔を汗が流れる。 温まる。


馬の牧場。 日高町に向かう。

快適な道。 沙流川。


森の駅、ほろしりとあった。 ここは、幌尻岳の登山口ではない。
※ 幌尻岳はここから東に30㌔程山の中に。 日高山脈の主峰。 百名山。 自分には無理。

シカが飛び出してくるので要注意。

温泉でカンロ(あじうり)を買った。
日高町の道の駅に。 樹海ロード日高。

大きい。 350円。 甘かった。


ここまで来たら、富良野・美瑛・旭川までひとっ走り。
今まで、日高町は通っただけのよう。
見学場所を見つけたい。
【知里幸恵の紹介】 NHK 北海道スペシャル・知里幸恵 19歳のメッセージ ~「アイヌ神謡集」の世界~
【道の駅】 樹海ロード日高 (日高町)
【明日の予定】 道の駅の近くのどこかを。 そして北上。
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