今年に入って、2度不思議な出会い。
小さな女の子と女学生。
女の子は、いつまでも私を見ていた。
おじちゃん何してるの、って感じで。
女学生は、昔から私を知ってるように話しかけてきた。(今就職試験の真っ最中)
※ この女性は誰なんだろって後で考えた。 過去の自分との関わりで。 自分にはわかった。
そんなことがあって、幼い頃の自分に会ってみたいと思うようになった。
会えるなら、生まれた土地の北見市留辺蘂町か。 るべしべ。
上とは別に、幼かった時の記憶を今日は整理します。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
印が北見市留辺蘂町。
赤〇は北見市常呂町。 カーリング娘の拠点はここ。 練習場がある。
※ 伊達のKさんは以前この町に。 選手の1人は教え子。
下の赤〇に車を置いて。(買い物をして)
青〇・・・生まれた家はここにあった。
紫〇・・・親父の姉の家
緑〇・・・親父の兄の家 ※ 兄は父が違うのかな。
黄〇・・・母の弟の家。 母の母がいた。
オレンジ〇・・・こんぴらさん。(金毘羅霊院)
灰色〇・・・2度目に住んだ家。
黒〇・・・北見市役所の支所。
国道から入ってきた。
※ 向こうの山に、母の父親の畑があった。
そこに行ったとき、ジャガイモの変な味を覚えた。 えぐいというか。

向こうに行く。 留辺蘂町の市街地に。 昔はもっと狭い。 両側は田んぼだった。

親父の姉の家。 伯母(おば)。
遊びに行ったら、よく来たよく来たって満面の笑みで迎えてくれた。
後に、自分の生き方に大きな影響を受けた。
留辺蘂から離れてからも、何度か遊びに行っている。
小学生の時、2階で寝ている。
20年ほど前、おじゃました。
みんなでお酒。
あれから、何人も亡くなった。
建物の右に馬屋小屋があった。 物置を兼ねて。
草を切る機械は油断したら指を切ると知った。
少し先を左に行く。

100㍍ほど行くと、留辺蘂小学校のグランド。 少し見えている。
〇辺りに家があった。 自分はそこで生まれた。
※ 右に、曲げわっぱの工場があった。
家の形に、ほんのりと記憶が。
3才ころか。 妹もここで生まれる。
ここから親父の姉の家に向かって、道沿いに小さな川。 遊んだ記憶が。
昔、豆腐は鉄板の小さな箱。 魚を入れて遊んだ。 踏んで、つぶれたことが。

グランドの隅は、プールだった。

広い道に戻った。 少し進むと、右に入る道。

ちょっと歩くと、左に家。 親父の兄の家。
自分の留辺蘂の記憶は、3才のどこかから他に行く5歳の春まで。 昭和30年前後。
昭和29年の夏に、天皇が行幸で来た。
誰かと一緒に瑠辺蘂の駅の近くに行った。 4才の終わり頃。
はっきり記憶がある。
5歳になった秋かな、この家で結婚式があった。
夕方ここに来た。 中から宴会の声が聞こえた。
自分よりずっと年上の従兄(いとこ)の人の結婚式。
※ お子さんに女の子が。 後に、札幌テレビ放送のアナウンサーに。 美人さん。
結婚してやめた。 城之内早苗に似ていた。 秋田美人の雰囲気。(親父の父は秋田市から来た)

元の道に戻って。 昔の国道を横切る。 先に踏み切り。

交差点で右を見た。 〇の辺りに、母の弟の家があった。 しょっちゅう遊びに。
最後向こうから戻って来る。

反対側。 少し行った左に留辺蘂小学校。 姉は1年生までいた。
近くに薬局。 従兄の人が経営。

留辺蘂駅方向。 踏切を渡った記憶がある。 誰かと。
この後行く、2つ目の家が左の方に。
焼いた魚を皿にのせて、線路の右にあった母の弟の家に届けた。
母の両親がいた。

踏切を渡って、お寺。

金毘羅霊院(こんぴられいいん)。 左に池。

冬になったら氷る。 すべって遊んだ。 この時、1歳下の女の子がいた。
40歳過ぎて、紋別で同僚になる。
お寺のお坊さんに、こんぴらじじいって叫んだ。 小さなガキがみんなで。
どうしてそうしたか、不思議。

地図の右に。 右に線路がある。

木の所で左に。 昔、オンコの木があった。
実は、美味しいようで美味しくない。 味を知った。

細い道を入って。

〇辺りに、親父が家を建てた。 小さな家。 部屋は3つ。 1つはせまい。
2年は住んでない。 5歳の春に、ここから旭川のずっと北の中川町に行く。
4才ころは、1人でどこにでも行った。
留辺蘂の道はみんな記憶している。
小さいころから放浪癖。 親がいなくても、何の不安もなかった。

中心街に来た。 向こうに行ったら、駅。

左を見たら役場。 今は支所。
1才ころ、役場の前で写した写真があった。 姉と一緒に。
でも、いつの間にか自分のアルバムから消えていた。
親しそうに遊びに来て、誰かがはがして持って行った。
自分の小さな時の写真は無い。

※ 追記 姉が写真を1枚送ってきた。
留辺蘂の、母の弟の家の前。 線路のそばの家。
後の花は菊のよう。 秋だとしたら自分は5歳になったばかり。 姉は小学校1年生。
久しぶり見る、自分の子供のころの写真。
真っ直ぐ前を見ないのは、昔からか。
ここに載せたら消えないので、載せました。
それにしても、こんな自分だったんだ・・・。
踏切を渡って戻る。

少し歩いてここに。 この辺りに、母の弟の家があった。
弟はトラックの運転手。
運転席に何度か乗せてもらった。
こんな楽しいことは無かった。
以来、汽車に乗るのも楽しくなった。
自分の旅の原点はここにあるような。
毎日のように遊びに行っていた。

ここで左に。 戻る。

最初に紹介した、親父の姉の家。

小さな子供には1人も会わなかった。
昼過ぎだったので、みんな昼寝か。
いつの日か通ったら、また歩いてみます。
日曜日がいいかな。
※ ただ、写真で昔の自分に出会えた。 初めて見る自分。
この後、北見を通って女満別に。 下はそこでの写真。
原生花園の小清水町まで走った。

【今日の歌】 一昨日と同じ曲。 下の記事で臼杵川を渡っている。 めんこい猫が。
臼杵城跡 二王座歴史の道 早春賦の館 ~臼杵市~ 他 (2013/3/10)
【道の駅】 小清水 以前近くでサケ釣りを。
釣れましたよ! 90㌢のサケ。 ~小清水町~ 他 (2011/9/15)
【明日の予定】 小清水原生花園の花を見に。 キスゲの花が一面に咲いていた。(通った)
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
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小さな女の子と女学生。
女の子は、いつまでも私を見ていた。
おじちゃん何してるの、って感じで。
女学生は、昔から私を知ってるように話しかけてきた。(今就職試験の真っ最中)
※ この女性は誰なんだろって後で考えた。 過去の自分との関わりで。 自分にはわかった。
そんなことがあって、幼い頃の自分に会ってみたいと思うようになった。
会えるなら、生まれた土地の北見市留辺蘂町か。 るべしべ。
上とは別に、幼かった時の記憶を今日は整理します。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
印が北見市留辺蘂町。
赤〇は北見市常呂町。 カーリング娘の拠点はここ。 練習場がある。
※ 伊達のKさんは以前この町に。 選手の1人は教え子。

下の赤〇に車を置いて。(買い物をして)
青〇・・・生まれた家はここにあった。
紫〇・・・親父の姉の家
緑〇・・・親父の兄の家 ※ 兄は父が違うのかな。
黄〇・・・母の弟の家。 母の母がいた。
オレンジ〇・・・こんぴらさん。(金毘羅霊院)
灰色〇・・・2度目に住んだ家。
黒〇・・・北見市役所の支所。

国道から入ってきた。
※ 向こうの山に、母の父親の畑があった。
そこに行ったとき、ジャガイモの変な味を覚えた。 えぐいというか。

向こうに行く。 留辺蘂町の市街地に。 昔はもっと狭い。 両側は田んぼだった。

親父の姉の家。 伯母(おば)。
遊びに行ったら、よく来たよく来たって満面の笑みで迎えてくれた。
後に、自分の生き方に大きな影響を受けた。
留辺蘂から離れてからも、何度か遊びに行っている。
小学生の時、2階で寝ている。
20年ほど前、おじゃました。
みんなでお酒。
あれから、何人も亡くなった。
建物の右に馬屋小屋があった。 物置を兼ねて。
草を切る機械は油断したら指を切ると知った。
少し先を左に行く。

100㍍ほど行くと、留辺蘂小学校のグランド。 少し見えている。
〇辺りに家があった。 自分はそこで生まれた。
※ 右に、曲げわっぱの工場があった。
家の形に、ほんのりと記憶が。
3才ころか。 妹もここで生まれる。
ここから親父の姉の家に向かって、道沿いに小さな川。 遊んだ記憶が。
昔、豆腐は鉄板の小さな箱。 魚を入れて遊んだ。 踏んで、つぶれたことが。

グランドの隅は、プールだった。

広い道に戻った。 少し進むと、右に入る道。

ちょっと歩くと、左に家。 親父の兄の家。
自分の留辺蘂の記憶は、3才のどこかから他に行く5歳の春まで。 昭和30年前後。
昭和29年の夏に、天皇が行幸で来た。
誰かと一緒に瑠辺蘂の駅の近くに行った。 4才の終わり頃。
はっきり記憶がある。
5歳になった秋かな、この家で結婚式があった。
夕方ここに来た。 中から宴会の声が聞こえた。
自分よりずっと年上の従兄(いとこ)の人の結婚式。
※ お子さんに女の子が。 後に、札幌テレビ放送のアナウンサーに。 美人さん。
結婚してやめた。 城之内早苗に似ていた。 秋田美人の雰囲気。(親父の父は秋田市から来た)

元の道に戻って。 昔の国道を横切る。 先に踏み切り。

交差点で右を見た。 〇の辺りに、母の弟の家があった。 しょっちゅう遊びに。
最後向こうから戻って来る。

反対側。 少し行った左に留辺蘂小学校。 姉は1年生までいた。
近くに薬局。 従兄の人が経営。

留辺蘂駅方向。 踏切を渡った記憶がある。 誰かと。
この後行く、2つ目の家が左の方に。
焼いた魚を皿にのせて、線路の右にあった母の弟の家に届けた。
母の両親がいた。

踏切を渡って、お寺。

金毘羅霊院(こんぴられいいん)。 左に池。

冬になったら氷る。 すべって遊んだ。 この時、1歳下の女の子がいた。
40歳過ぎて、紋別で同僚になる。
お寺のお坊さんに、こんぴらじじいって叫んだ。 小さなガキがみんなで。
どうしてそうしたか、不思議。

地図の右に。 右に線路がある。

木の所で左に。 昔、オンコの木があった。
実は、美味しいようで美味しくない。 味を知った。

細い道を入って。

〇辺りに、親父が家を建てた。 小さな家。 部屋は3つ。 1つはせまい。
2年は住んでない。 5歳の春に、ここから旭川のずっと北の中川町に行く。
4才ころは、1人でどこにでも行った。
留辺蘂の道はみんな記憶している。
小さいころから放浪癖。 親がいなくても、何の不安もなかった。

中心街に来た。 向こうに行ったら、駅。

左を見たら役場。 今は支所。
1才ころ、役場の前で写した写真があった。 姉と一緒に。
でも、いつの間にか自分のアルバムから消えていた。
親しそうに遊びに来て、誰かがはがして持って行った。
自分の小さな時の写真は無い。

※ 追記 姉が写真を1枚送ってきた。
留辺蘂の、母の弟の家の前。 線路のそばの家。
後の花は菊のよう。 秋だとしたら自分は5歳になったばかり。 姉は小学校1年生。
久しぶり見る、自分の子供のころの写真。
真っ直ぐ前を見ないのは、昔からか。
ここに載せたら消えないので、載せました。
それにしても、こんな自分だったんだ・・・。

踏切を渡って戻る。

少し歩いてここに。 この辺りに、母の弟の家があった。
弟はトラックの運転手。
運転席に何度か乗せてもらった。
こんな楽しいことは無かった。
以来、汽車に乗るのも楽しくなった。
自分の旅の原点はここにあるような。
毎日のように遊びに行っていた。

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最初に紹介した、親父の姉の家。

小さな子供には1人も会わなかった。
昼過ぎだったので、みんな昼寝か。
いつの日か通ったら、また歩いてみます。
日曜日がいいかな。
※ ただ、写真で昔の自分に出会えた。 初めて見る自分。
この後、北見を通って女満別に。 下はそこでの写真。
原生花園の小清水町まで走った。

【今日の歌】 一昨日と同じ曲。 下の記事で臼杵川を渡っている。 めんこい猫が。
臼杵城跡 二王座歴史の道 早春賦の館 ~臼杵市~ 他 (2013/3/10)
【道の駅】 小清水 以前近くでサケ釣りを。
釣れましたよ! 90㌢のサケ。 ~小清水町~ 他 (2011/9/15)
【明日の予定】 小清水原生花園の花を見に。 キスゲの花が一面に咲いていた。(通った)
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(2008年4月~2010年9月までの.記事)

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