賤ヶ岳(しずがだけ)から、下を望むと、余呉湖(よごこ)があった。
この湖の周りで、秀吉と柴田勝家が戦った。
この時、信長の妹のお市と、江を含めた3人の姉妹は、今の福井城の所にあった北ノ庄城にいた。
お市は、勝家に嫁いでいた。
勝家は負けた。
お市は、3人の娘に「織田と浅井の血を絶やさないでほしい」とお願いして、自害した。
助かろうと思えば、お市は助かった。
秀吉はお市が好きだったから。
でも、お市は秀吉が嫌いだった。
琵琶湖と余呉湖の間に、賤ヶ岳はあった。
昼過ぎ、賤ヶ岳の登山口の駐車場に着いた。
雨が降って来た。
止むのを待つことに。 1時間程寝た。 ※ いつでも寝れる。
起きたら、空には青空が。
賤ヶ岳の名前の起源があった。 賤は、賎民の賤。
リフトがあるが、もちろん乗らない。 体力づくりと、お金の節約。
頂上まで、1550㍍。
雨が降ったので、カエルが出てくる。 とび跳ねて逃げる。
いつものように、着地が下手。 前ばかり見て、足元見てない感じ。
7本槍は、秀吉の家来7人のことですね。
知ってるのは、福島正則と加藤清正だけ。 活躍したからそう言われている。
でも、一番活躍したのは、石田光成のよう。
疲れて、もう動けない、となった時から、新しい筋肉は作られると云う。
ずっと急ぎ足で登った。
頂上まで、あと少し。 右に、お堂が。
賤ヶ岳の合戦で、どれだけの人が亡くなったかは、分からない。(調べたが)
数千人ではなく、数万人ではないかな。 戦った人数は、8万人程。
余呉湖は、血で染まったと言う。
供養のため、農民が石仏を作った。 野山に散らばっていた。
それを、ここに集めた。
先を歩いてる人は、木の剪定をしていた。
木を切り出す道が出来た時、初めて木に値打ちが生まれると言った。
頂上。 琵琶湖が見える、見晴らし台。
琵琶湖の南の方。 島は、竹生島(ちくぶじま)。
手前の湾が一番北ではなく、その向こう隣りが、一番北。
右向こうに見える町は、西浅井町。
こっちからは、左に、余呉湖。 右に、長浜市。
戦いは、余呉湖の周りであった。
余呉湖の合戦でもいいが、語呂がよくないか。
これが、余呉湖。 周囲、6.5㌔。 町は、余呉町。
ここの水は、琵琶湖に流している。
別の場所から、琵琶湖の南を。
長浜市方面。
少し高い山が、伊吹山。 昨日登った。
江が生まれ育った、小谷城。 ※ 今は跡だけ。
お市は、ここでも、夫(浅井長政)を亡くしていた。
信長は、自分の後は、柴田勝家に継いでもらいたかった。
お市は、それを知っていたから、嫁いだ。 ※ 写真は、Wikipediaから。

勝家は、北の庄城で、負けが決まった時、お市に秀吉の元に帰るよう言われた。
でも、断わった。
勝家は3姉妹に訳を聞かせ、直ぐに城外に出るように言った。
長女の茶々は15歳。 母と共に死なせて欲しいと歎願し、母にしがみついた。
その茶々を無理に引き離し、秀吉の陣に送った。
秀吉は3人を連れ帰ると、間もなく長女茶々を自分の側室にしてしまった。
これが淀君。
※ こんな話が
前田利家は、勝家を裏切って秀吉についた。
北の庄城には、娘の摩阿姫がいた。
勝家は、摩阿姫を、前田利家の所に返した。
利家は、秀吉についたことを、後悔したかもしれない。
最後は、秀吉のもとを離れ、家康の所に行く。
北の庄が落城したのは、1583年4月24日の午後5時。
2人とも、炎の中に消えた。
勝家57歳、お市の方は37歳だった。
賤ヶ岳の麓には、昔大きな寺があった。 名前は、浄明寺。
戦いで焼けてしまった。 山門の跡に、大日如来堂を建てた。
呼んだらやって来た。
あるお寺に。 これは、きっと親鸞。
この地域は、昔から、三味線や琴の糸を作っていた。 今は、ここだけ。
昔は、小京都っぽい町だった。
この広い道の向こうに、浄明寺はあった。 上の写真のお堂が見える。
この地域と余呉湖は、水上勉の「湖の琴」の舞台になっている。
私は、秀吉より、柴田勝家の方が好きかな。
人間味が感じられる。
お市は、秀吉と勝家の違いを知っていた。
【道の駅】 塩津街道 あぢかまの里
【明日の予定】 夜叉ヶ池。
福井県と岐阜県の県境にある。 標高は、1000㍍ちょっと。
林道を車で走れたら、2時間くらいで着く。
林道が狭かったら、3時間は歩かなければならない。
摩周湖に似た湖。 出る川はない。 水はきれい。
面白い伝説がある。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行は7位、 旅行全体で22位です。
記事は役立ったでしょうか。
気に入った所などがありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
この湖の周りで、秀吉と柴田勝家が戦った。
この時、信長の妹のお市と、江を含めた3人の姉妹は、今の福井城の所にあった北ノ庄城にいた。
お市は、勝家に嫁いでいた。
勝家は負けた。
お市は、3人の娘に「織田と浅井の血を絶やさないでほしい」とお願いして、自害した。
助かろうと思えば、お市は助かった。
秀吉はお市が好きだったから。
でも、お市は秀吉が嫌いだった。
琵琶湖と余呉湖の間に、賤ヶ岳はあった。
昼過ぎ、賤ヶ岳の登山口の駐車場に着いた。
雨が降って来た。
止むのを待つことに。 1時間程寝た。 ※ いつでも寝れる。
起きたら、空には青空が。
賤ヶ岳の名前の起源があった。 賤は、賎民の賤。

リフトがあるが、もちろん乗らない。 体力づくりと、お金の節約。
頂上まで、1550㍍。

雨が降ったので、カエルが出てくる。 とび跳ねて逃げる。
いつものように、着地が下手。 前ばかり見て、足元見てない感じ。
7本槍は、秀吉の家来7人のことですね。
知ってるのは、福島正則と加藤清正だけ。 活躍したからそう言われている。
でも、一番活躍したのは、石田光成のよう。

疲れて、もう動けない、となった時から、新しい筋肉は作られると云う。
ずっと急ぎ足で登った。

頂上まで、あと少し。 右に、お堂が。

賤ヶ岳の合戦で、どれだけの人が亡くなったかは、分からない。(調べたが)
数千人ではなく、数万人ではないかな。 戦った人数は、8万人程。
余呉湖は、血で染まったと言う。
供養のため、農民が石仏を作った。 野山に散らばっていた。
それを、ここに集めた。

先を歩いてる人は、木の剪定をしていた。
木を切り出す道が出来た時、初めて木に値打ちが生まれると言った。

頂上。 琵琶湖が見える、見晴らし台。

琵琶湖の南の方。 島は、竹生島(ちくぶじま)。

手前の湾が一番北ではなく、その向こう隣りが、一番北。

右向こうに見える町は、西浅井町。

こっちからは、左に、余呉湖。 右に、長浜市。

戦いは、余呉湖の周りであった。
余呉湖の合戦でもいいが、語呂がよくないか。

これが、余呉湖。 周囲、6.5㌔。 町は、余呉町。

ここの水は、琵琶湖に流している。

別の場所から、琵琶湖の南を。

長浜市方面。
少し高い山が、伊吹山。 昨日登った。
江が生まれ育った、小谷城。 ※ 今は跡だけ。

お市は、ここでも、夫(浅井長政)を亡くしていた。

信長は、自分の後は、柴田勝家に継いでもらいたかった。
お市は、それを知っていたから、嫁いだ。 ※ 写真は、Wikipediaから。

勝家は、北の庄城で、負けが決まった時、お市に秀吉の元に帰るよう言われた。
でも、断わった。
勝家は3姉妹に訳を聞かせ、直ぐに城外に出るように言った。
長女の茶々は15歳。 母と共に死なせて欲しいと歎願し、母にしがみついた。
その茶々を無理に引き離し、秀吉の陣に送った。
秀吉は3人を連れ帰ると、間もなく長女茶々を自分の側室にしてしまった。
これが淀君。
※ こんな話が
前田利家は、勝家を裏切って秀吉についた。
北の庄城には、娘の摩阿姫がいた。
勝家は、摩阿姫を、前田利家の所に返した。
利家は、秀吉についたことを、後悔したかもしれない。
最後は、秀吉のもとを離れ、家康の所に行く。
北の庄が落城したのは、1583年4月24日の午後5時。
2人とも、炎の中に消えた。
勝家57歳、お市の方は37歳だった。
賤ヶ岳の麓には、昔大きな寺があった。 名前は、浄明寺。
戦いで焼けてしまった。 山門の跡に、大日如来堂を建てた。

呼んだらやって来た。

あるお寺に。 これは、きっと親鸞。

この地域は、昔から、三味線や琴の糸を作っていた。 今は、ここだけ。

昔は、小京都っぽい町だった。

この広い道の向こうに、浄明寺はあった。 上の写真のお堂が見える。

この地域と余呉湖は、水上勉の「湖の琴」の舞台になっている。
私は、秀吉より、柴田勝家の方が好きかな。
人間味が感じられる。
お市は、秀吉と勝家の違いを知っていた。
【道の駅】 塩津街道 あぢかまの里
【明日の予定】 夜叉ヶ池。
福井県と岐阜県の県境にある。 標高は、1000㍍ちょっと。
林道を車で走れたら、2時間くらいで着く。
林道が狭かったら、3時間は歩かなければならない。
摩周湖に似た湖。 出る川はない。 水はきれい。
面白い伝説がある。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行は7位、 旅行全体で22位です。
記事は役立ったでしょうか。
気に入った所などがありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。

※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
コメント
お市の方
Re: お市の方
距離の1.5㌔ですから、すぐです。 小さな山。
ここで勝家は負けて、北の庄城に逃げる。
秀吉軍に取り囲まれてしまう。 今の、福井城のところでしょうか。
墓所は、福井市です。
柴田勝家は、なかなかいい武将ですよ。
お市は、無理やり嫁がされたのではないかもしれない。
ここで勝家は負けて、北の庄城に逃げる。
秀吉軍に取り囲まれてしまう。 今の、福井城のところでしょうか。
墓所は、福井市です。
柴田勝家は、なかなかいい武将ですよ。
お市は、無理やり嫁がされたのではないかもしれない。
2012年8/4(土)山門水源の森 現地交流会のご案内
琵琶湖の固有種ビワマスを育む「山門水源の森」を訪れます。8月上旬の湿原は、サギソウが咲き始める頃です。みなさんのご参加をお待ちしています。
http://www.pref.shiga.jp/d/rimmu/moridukurinet/event/h24/yakamado_240804.pdf
http://www.pref.shiga.jp/d/rimmu/moridukurinet/event/h24/yakamado_240804.pdf
コメントの投稿
トラックバック
https://akkamui.com/tb.php/287-e95ecc88
写真・画像はあまり見かけませんでした。約1500m
、よく登りましたね。山道だから、それなりに難所があったことでしょう。勝家とお市の方の最期の場所。お市の方は享年37歳でしたか。この場所には、二人の墓碑はないのですか。