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キャンピングカーで放浪の旅 Ⅱ

全国を、写真と動画で探訪

米田(よねた)御殿を見学できるのは春と秋に、3日間だけ。
な~んだって諦めた。

今朝、その3日間はいつなんだろうと調べた。
何と、3日間の最後の日が今日だった。

柳原(やまぎわら)義光、 この人は面白い。
白蓮さんの兄。  次女の徳子は吉井勇の妻。(後に離婚)
父の妹の子は、大正天皇。    ※ これらについては、以前に何度か紹介。

跡を継いでいる方に説明していただいた。
嫁いでからのことなども。   2時間ほど。
    ※     ※     ※     ※  ブログタイトル一覧は、右をクリック。 burogutaitoru656.jpg
          ( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。  再度クリックしたら、元に)

柳原義光は名寄から列車で来た。 前年の大正10年に開通。(石北線はまだ)

s-18年8月13日 (1)

道の駅から歩ける。

s-18年8月13日 (2)    s-18年8月13日 (3)

まず知りたいのは、米田御殿はどんな事があって生まれたのか。
下で、概略が分かります。

 興部町史より。

   柳原義光が興部にくることになったのには、平野儀三郎という人とのかかわりがあった。

   平野は米田の長男が東京の学校に通い、寄宿舎生活をしていた10歳のころ、学校の火事で
   大火傷をしたときに助けてくれた米田の恩人で、それが機縁となって両家の交際が続いていた。

   その平野は柳原との交わりがあり、柳原が「北海道に行ってみたい」と言ったとき、「それなら
   興部というところに知人がいるので」と、平野がすすめたという経緯があった。

   来村の報を受けた米田は、平野への恩返しの意も込めて、一世一代のもてなしをと、何カ月も無い
   期間に建物を建て、庭を整え、築山を配した池を造って鯉を放したりと万全を尽くしたのであった。

平野儀三郎への恩返しがまずあったんですね。
柳原は、北海道の何に興味を持っていたのでしょう。

もし、最果ての地でよかったら、興部は十分ですね。

南西側の道路から。  広い庭。  木が育って。  入り口は、反対側に。

s-18年8月13日 (8)

11時過ぎに行ったときは、人がいなかった。
教育委員会に電話したら、連絡とってくれた。

再度来たら、委員会の方もいた。 感謝。

s-18年8月13日 (9)

興部町指定の歴史的資産。  長く保存されることに。

s-18年8月13日 (39)    s-18年8月13日 (40)

米田家を継いでいる女性の方に説明していただく。  その後に、撮影。

玄関を上がると、この部屋。  右に2部屋続く。

s-18年8月13日 (10)

1922年(大正11年)の建造。 間もなく100年。  
ほとんど修理はしてないという。

奥がメインの客室。  ここは寝室か。   古いものが展示してある。

s-18年8月13日 (11)    s-18年8月13日 (12)

明治31年に米田久三郎が興部に入植。 下の写真の人。
後に御殿を建てる常作も一緒に来る。  20才。  写真は後ほど。 

s-18年8月13日 (13)

どこから来たか。
パンフレットには、石川県能美(のみ)郡牧村(現在の金沢市)とある。

※ 調べてみた。 もしかしたら、上は間違っているかも知れない。
  印に、能美郡牧村はあった。 

  そこには、小松空港。  海側には、義経の勧進帳の安宅(あたか)の関。

s-18年8月13日 (4)

全体は、能美郡。
青っぽい所は、現在は小松市。

赤〇の9が、牧村だった。  上牧・下牧の地名が残っている。
黄色〇は、安宅町。

下の記事に、詳しい地図が。

   勧進帳の舞台、安宅関。  義経・弁慶一行は、京の都から奥州平泉 秀衡の元へ。~小松市~ 他 (2015/4/29)

s-18年8月13日 (43)

客間。   クマの毛皮。  
出窓のようなところは、付け書院と呼ばれる。

s-18年8月13日 (14)

この人が御殿をつくった常作。 
奥様はとても賢い方だと、説明していただいた。

  ※ 名寄出身。 東京の大学に。
  ※ 鳩山春子と関わりがあったという。(写真は松本城の記事から)

s-18年8月13日 (15)

鑑定してないけど、価値の高そうな美術品が。  ある建築賞も。

s-18年8月13日 (17)    s-18年8月13日 (16)

大きな爪。

s-18年8月13日 (18)

欄間。  細かな所にも、工夫を凝らして。

s-18年8月13日 (19)

隣の部屋。  写真の後、クマの上の座布団に座ってお話し。
冷たいお茶をいただいた。

写真が見える。

s-18年8月13日 (20)

御殿を建てる前。  一族が集まって。

s-18年8月13日 (26)

建築中。  突貫工事のように一気に。

s-18年8月13日 (25)

伯爵の柳原義光がやって来た。  細い人ですね。
どんなご馳走を食べたのでしょう。  カニ・ホタテなど、海の幸でしょうか。   料理人を呼んで。

玄関が見えますね。  同じです。

s-18年8月13日 (23)

拡大してみると。  主人の常作は一緒に歩いているのか。

s-18年8月13日 (24)

記念写真。  ※ 家系探求のサイトからお借り。 興部町の歴史の中にあるのでしょうか。
椅子に座っている人が6人。

白いシャツに帽子の細い人が、柳原義光。
右は、三室戸敬光子爵。 一緒に来た。

柳原義光の左に、御殿を建てた常作。 左に奥様。
椅子の6人の右端に、常作の両親。 久三郎夫妻。

平野儀三郎は、どこにいるのかな。

s-18年8月13日 (6)

上より8歳若い柳原義光。  貴族院議員でも。
彼の父は、柳原前光。   

前光の妹は柳原愛子(なるこ)。 明治天皇の側室の感じ。  大正天皇を生む。
 ※ 大正天皇は病弱だったが、愛子のせいではないと分かっている。
     (分かったのは後の世。 柳原家は悩む)

右写真の左は、白蓮さん。  
右は、義光の次女の徳子。 歌人の吉井勇の最初の奥様。 スキャンダルを起こす。

徳子を最後まで見捨てなかったのは、白蓮さんくらいかな。
白蓮さんの記事はいっぱいある。 北海道に来た時のを紹介。

   層雲峡清川の白蓮の歌碑の裏には、悲恋伝説が書いてあった。  清川小学校跡。~上川町~ 他 (2015/8/18)
   層雲峡清川に、柳原白蓮の歌碑。  昭和28年、公演に。  アイヌの悲恋物語を聞いて、歌が生まれる。~上川町~ 他 (2015/8/17)

吉井勇と徳子に関わる記事は、下に。

   轟の滝は、落差80㍍、3段の滝。  吉井勇はなぜ、この地、猪野々に隠棲を。~香美市~ 他 (2014/4/7)

2人とも並の美人ではない。 

s-18年8月13日 (5)    s-18年8月13日 (7)

昭和に入っている。 最前列に小さな男の子。
今日説明していただいてる方は、この子に嫁ぐ。  北見北斗を卒業してすぐに。

旦那様は、若くして亡くなる。

s-18年8月13日 (21)

今と同じ玄関。

s-18年8月13日 (22)

部屋の外側の廊下。 縁側がどこまでも。

s-18年8月13日 (27)

興部の大火で、住んでいた家は全焼。 設計者が誰かは分からない。 資料は焼けた。
右の設計図は、復元。

s-18年8月13日 (28)    s-18年8月13日 (29)

古い文書などがいっぱい。  大河に出てる人の文だと説明してくれた。
読める所はないか。

岩倉具視(ともみ)だ。  具視が読める。  鶴瓶が演じている。  鶴瓶そのものだ。

s-18年8月13日 (30)

鑑定してない美術品はいっぱい。   応挙は幽霊画が得意。  足のない幽霊の発明者(?)

   応挙寺まで、散歩。 足の無い幽霊を、最初に描いたのは・・・。~亀岡市~  他  (2013/12/25)

s-18年8月13日 (32)    s-18年8月13日 (31)

説明していただいた女性の方と、座って2時間ほどお話し。
嫁いできてからの苦労なども。

米田家の人達との関わりでは、苦労が少ない。 ありがたい。
仕事やボランティアも、後にする。 知らない世界だったので楽しかった。

最後に外から。

s-18年8月13日 (33)

平成に入って、大きな修理をしたのでしょうか。
とても、状態がいい。

s-18年8月13日 (34)

玄関の反対側から。  広く池が周囲にあった。

s-18年8月13日 (35)    s-18年8月13日 (36)

木が大きくなりすぎましたね。  建物の美しさが分かりにくい。

s-18年8月13日 (37)    s-18年8月13日 (38)

柳原義光は、最果ての地でこんな歓待を受けるとは思わなかった。
嬉しかったでしょうね。

平野儀三郎は、自分を思ってしてくれた米田常作に感謝した。

いい一日になりました。
見学できてよかったです。

詳しくお話を聞くことが出来ました。
それが何よりでした。

【道の駅】    おこっぺ

【明日の予定】    西興部に。   晩に上渚滑の植田牧場に。

 ※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
                         (2008年4月~2010年9月までの
.記事)

         meisigazoupppm.jpg

 ※ プロフィール・・・。 ⇒  ppkkpkk44xxx.jpg  2015021215202259f_20150219173812c9f.jpg  今までの記事には、この2枚だけ。

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  • 米田御殿の見学。 大正11年、柳原義光の来村を受けて米田常作が迎賓館として建造。 丁寧に説明を。~興部町~ 他 (2018/8/13)
  • 2018年08月14日 (火)
  • 10時03分18秒
by AlphaWolfy

akkamui212

Author:akkamui212
2009年4月に放浪の旅をスタートし、十数回目の日本1周に入っています。
「キャンピングカーで放浪の旅」に続き、パートⅡです。
明日は、どこの空の下にいるのかな。


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