明日、白山に登る予定。
ところが、天気予報が、少し怪しくなった。
最終的には、明日朝の空を見て決める。
出発は、少し送らせて、6時。 5時起床。
晩までには、何としても戻ってくる。
今までの中で、一番大変な山になりそう。
大きいカメラを持っていくか、迷っている。
今晩、10時には寝る。
体調も、足の調子もいい。 気力も大丈夫。
断崖絶壁の東尋坊は、4月の初め、海が荒れる。
空に生まれた黒雲は、怨念を載せて、平泉寺白山神社に流れてくる。
道の駅九頭竜の近くに、青葉の笛資料館、があった。
今日は休みだが、下の像が。
こういうことだった。
義経、頼朝の一番上の兄は、義平。 ※ 正室の子ではないので、嫡男(ちゃくなん)ではない。
父の義朝は、平冶の乱で清盛に負けた後、死ぬ。
義平は、父の敵を取るため京に登る。 でも、捕まって、6条の川原で首をはねられる。
大きな活躍をいくつもした人物。
この地は、昔、穴馬と言われた。
平安時代の終わり、義平は、この地の助佐エ衛門の所に来た。(何度か)
しばらくの間世話になった。
助佐エ衛門には娘がいた。 おみつ。
恋仲になった。 おみつは、子を宿した。
父、義朝の死の知らせが入った。 京に行く。
生まれてくる子が、男の子なら京へ、
女の子なら、この笛を吹いて、静かに暮らしてほしいと、言い渡した。
その笛は、「青葉の笛」と呼ばれ、この地に残っている。
子供は女の子で、その子孫が今もこの地にいる。
そんな話。
椎葉村の那須大八郎の話しに似ている。 ※ 那須与一の弟。
後の時代に作られたのでは、と云われている。
ただ、この話は、Wikipediaでも紹介されていて、ここだけの話ではない。
可能性はありそう。
義平の母がこの地方の出身。 家来にも、この地方の者がいる。
義平は、義朝と共に、美濃の方によくいた。
美濃から母のいる越前への最短ルートは、この地を通る。 何度も通って、おかしくない。
まったくの伝説ではないよう思う。
白山神社に向かった。
正式名は、平泉(へいせん)寺白山神社。
寺と神社、両方の名前。 明治の前は、寺でもあった証拠。
※ 今は、5日の朝。
夜からの雨が止んだのは、7時前。
遅かった。
登るのは明日に。
明日の天気は、大丈夫。
今晩は、たくさん酒を飲む。
そうすれば、8時に寝れる。
明日4時に起きて、5時出発。
早く出れば、途中、十分休める。
白山神社。
白山に登るから、お参りに。
大きな灯籠。
木が生えている。
この木は、ここの上に降る雨だけで、生きているのか。
石ころもある。
この上に石を投げて、うまく乗っかると、いい人が見つかるとある。
初めて知った。
突き落とす時の様子はこう。(Wikipedia)
寿永元年(1182)四月五日、平泉寺の僧たちは皆で相談し、東尋坊を海辺見物に誘い出す。
一同が高い岩壁から海を見下ろせるその場所へ着くと、早速岩の上に腰掛けて酒盛りが始まった。
その日は天気も良く眺めの良い景色も手伝ってか、皆次第に酒がすすみその内、
東尋坊も酒に酔って横になり、うとうとと眠り始めた。
東尋坊のその様子をうかがうと一同は目配せをし、真柄覚念に合図を送った。 (真柄覚念は東尋坊の恋敵)
真柄覚念は、ここぞとばかりに東尋坊を絶壁の上から海へ突き落とした。
みんなで落とさないで、恋敵に落とさせた。
すっきりしない。
石段に人がいると、石段は引き立つ。
見た感じはいいけど、コンクリートが多い。
左の建物は、別当と言われ、この神社に付属する小さな寺。
杉の林。
ブナの林では、雑木林の様でまずいのかな。
見える山は、もちろん白山かな。
拝殿まで遠い。
拝殿が見えた。 寺の時は、きっと山門もあった。
斜めから拝殿を。 苔がきれい。
楠正成の墓があるので、行ってみた。
納経所。 書き写したお経を、ここに納める。
お墓は、上がった左に。
これが墓とあるが、調べたら、ここは墓ではなかった。 供養塔の感じ。
※ 一般的に、楠正成の墓とは認められていない。
もどって、ここは、本殿。 寺の時は、本堂だったのか。
拝殿。
池。 水が湧いている。
芭蕉の句碑があった。
「うらやまし うきよの北の 山桜」
※ 芭蕉がここに来て作ったものではない。
暑い日、神社の森の中は、少し涼しい。
石畳、苔、杉の並木、この3つがよかったでしょうか。
東日本大震災写真集です。
曲は、雨に消えたあなた。 ベトナムの曲です。 編曲は、札幌のTさん。
最初これを作って、最後の後奏がよかったので、お願いして、昨日のを作ってもらいました。
※ 写真の3分の2は、アメリカメディアのボストン・ドットコムのHPから。
他は、私が撮ったもの。
【停泊場所】 白山の下にある、市ノ瀬の駐車場。 登山の基地。
登山口はもっと上。 来るまで行ける。
【明日の予定】 この近くのどこか。 少しだけ。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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ところが、天気予報が、少し怪しくなった。
最終的には、明日朝の空を見て決める。
出発は、少し送らせて、6時。 5時起床。
晩までには、何としても戻ってくる。
今までの中で、一番大変な山になりそう。
大きいカメラを持っていくか、迷っている。
今晩、10時には寝る。
体調も、足の調子もいい。 気力も大丈夫。
断崖絶壁の東尋坊は、4月の初め、海が荒れる。
空に生まれた黒雲は、怨念を載せて、平泉寺白山神社に流れてくる。
道の駅九頭竜の近くに、青葉の笛資料館、があった。
今日は休みだが、下の像が。
こういうことだった。
義経、頼朝の一番上の兄は、義平。 ※ 正室の子ではないので、嫡男(ちゃくなん)ではない。
父の義朝は、平冶の乱で清盛に負けた後、死ぬ。
義平は、父の敵を取るため京に登る。 でも、捕まって、6条の川原で首をはねられる。
大きな活躍をいくつもした人物。
この地は、昔、穴馬と言われた。
平安時代の終わり、義平は、この地の助佐エ衛門の所に来た。(何度か)
しばらくの間世話になった。
助佐エ衛門には娘がいた。 おみつ。
恋仲になった。 おみつは、子を宿した。
父、義朝の死の知らせが入った。 京に行く。
生まれてくる子が、男の子なら京へ、
女の子なら、この笛を吹いて、静かに暮らしてほしいと、言い渡した。
その笛は、「青葉の笛」と呼ばれ、この地に残っている。
子供は女の子で、その子孫が今もこの地にいる。
そんな話。

椎葉村の那須大八郎の話しに似ている。 ※ 那須与一の弟。
後の時代に作られたのでは、と云われている。
ただ、この話は、Wikipediaでも紹介されていて、ここだけの話ではない。
可能性はありそう。
義平の母がこの地方の出身。 家来にも、この地方の者がいる。
義平は、義朝と共に、美濃の方によくいた。
美濃から母のいる越前への最短ルートは、この地を通る。 何度も通って、おかしくない。
まったくの伝説ではないよう思う。
白山神社に向かった。
正式名は、平泉(へいせん)寺白山神社。
寺と神社、両方の名前。 明治の前は、寺でもあった証拠。
※ 今は、5日の朝。
夜からの雨が止んだのは、7時前。
遅かった。
登るのは明日に。
明日の天気は、大丈夫。
今晩は、たくさん酒を飲む。
そうすれば、8時に寝れる。
明日4時に起きて、5時出発。
早く出れば、途中、十分休める。
白山神社。
白山に登るから、お参りに。
大きな灯籠。

木が生えている。
この木は、ここの上に降る雨だけで、生きているのか。
石ころもある。

この上に石を投げて、うまく乗っかると、いい人が見つかるとある。

初めて知った。

突き落とす時の様子はこう。(Wikipedia)
寿永元年(1182)四月五日、平泉寺の僧たちは皆で相談し、東尋坊を海辺見物に誘い出す。
一同が高い岩壁から海を見下ろせるその場所へ着くと、早速岩の上に腰掛けて酒盛りが始まった。
その日は天気も良く眺めの良い景色も手伝ってか、皆次第に酒がすすみその内、
東尋坊も酒に酔って横になり、うとうとと眠り始めた。
東尋坊のその様子をうかがうと一同は目配せをし、真柄覚念に合図を送った。 (真柄覚念は東尋坊の恋敵)
真柄覚念は、ここぞとばかりに東尋坊を絶壁の上から海へ突き落とした。
みんなで落とさないで、恋敵に落とさせた。
すっきりしない。
石段に人がいると、石段は引き立つ。

見た感じはいいけど、コンクリートが多い。
左の建物は、別当と言われ、この神社に付属する小さな寺。

杉の林。
ブナの林では、雑木林の様でまずいのかな。

見える山は、もちろん白山かな。

拝殿まで遠い。

拝殿が見えた。 寺の時は、きっと山門もあった。

斜めから拝殿を。 苔がきれい。

楠正成の墓があるので、行ってみた。

納経所。 書き写したお経を、ここに納める。

お墓は、上がった左に。

これが墓とあるが、調べたら、ここは墓ではなかった。 供養塔の感じ。
※ 一般的に、楠正成の墓とは認められていない。

もどって、ここは、本殿。 寺の時は、本堂だったのか。

拝殿。


池。 水が湧いている。

芭蕉の句碑があった。
「うらやまし うきよの北の 山桜」
※ 芭蕉がここに来て作ったものではない。

暑い日、神社の森の中は、少し涼しい。
石畳、苔、杉の並木、この3つがよかったでしょうか。
東日本大震災写真集です。
曲は、雨に消えたあなた。 ベトナムの曲です。 編曲は、札幌のTさん。
最初これを作って、最後の後奏がよかったので、お願いして、昨日のを作ってもらいました。
※ 写真の3分の2は、アメリカメディアのボストン・ドットコムのHPから。
他は、私が撮ったもの。
【停泊場所】 白山の下にある、市ノ瀬の駐車場。 登山の基地。
登山口はもっと上。 来るまで行ける。
【明日の予定】 この近くのどこか。 少しだけ。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
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