小学校4年の時の遠足は、はっきり憶えている。
同じコースを歩いてみることに。
雄信内(おのっぷない)駅発12時07分の列車に乗る。
それに間に合うように計画を。
中川町国府には、小学校4年生までの5年間。
その後は、美瑛町に。
その前は、北見市留辺蘂町。 5才まで。
自分の生れた留辺蘂の町を歩く。 思い出はいっぱい。 幼い頃の自分に会いたい。~北見市~ 他 (2018/7/23)
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
印に国府小学校はあった。 時計回りで。

正面に、横に長く校舎はあった。 奥の体育館は、自分が出た数年後に出来た。
狭いグランドだけど、倍の広さに感じていた。

上の写真の右側。 3㌔ほど奥から来ていた子供も。
全校生徒70名ほどだから、家がいっぱいあった。
正面に細い道が。 途中に小川。
川遊びの後、乾いた砂を足に付けてこすった。
何度かすれば、すっかり乾いた。 この場所で覚えた。
川から少し行ったら、右に家。
母親が仕事の手伝いに行った。
そこで、牛乳の入った汁粉を御馳走になった。
今でも、年に3回ほどつくる。 大好き。 今晩つくった。
出発は9時半。 向こうに行く。
少し行って左に駅逓があった。
そこは、遠い親戚のようで、その人の誘いで国府に来たよう。
国府に来た最初の晩、そこに泊まった。
うどんを御馳走になった。
※ 不思議と、食べ物の記憶は残っている。

1㌔程歩いてここに。
右の細い道を1㌔ほど行けば、自分の家があった。
右写真、少し行った右に新聞のポストがあった。
休みの日は、取に来るのが自分の仕事だった。
姉と妹の3人で、通った。 冬は寒かった。
スキーで、家と学校を最短の雪道を通ったことも。

ふり向いたらこの風景。 4年間見た。 ペンケ山。
貧しかったけど、楽しかった時代。

さらに1㌔ちょっと来て、ここ。
橋を渡ったら、天塩(てしお)町。
渡って右に行くと、問寒別駅。
天塩川のこっちは天塩町。 向こうは、幌延(ほろのべ)町。

長い直線コースに入った。 正面の山にトンネル。
遠足は7月頃か。 暑い日だった。
左の家と思うけど、七面鳥がいた。 2羽ほど。
陽炎(かげろう)が立ち昇る向こうに見えた。 そんなイメージ。
暑い日に、いつも思い出す光景。

天塩川は黄色〇で山にぶつかる。 刎ね返されて、ピンク〇で山にぶつかる。

雄信内トンネル。 ※ 駅はオノップナイと読むけど、トンネル・橋などはオノブナイ。
※ トンネルの標示を撮ったけど、遠かったので読めなかった。
ネットで調べても、いつつくられたか分からない。
自分が歩いた昔も、トンネルはあった。
※ ネットで雄信内トンネルを調べたら、お化けや幽霊の話ばかり。
いくつも事故があったよう。
歩道が狭いので、大型車が来たら、立ち止まる。

トンネルを出たら、雄信内大橋が見えた。 あっちに行く。
左のトラクターは、ほし草をかき回す。 右は、ロールを作っている。

国道40から離れる。 右に。 標示が無かったから、会った人に確認。
真っ直ぐ行っても、幌延に行く。

雄信内大橋。 渡った記憶はない。

天塩川。

とうとう(滔々)と流れる。 子供のころは恐ろしかった。

もう少し。 姉の話では、雄信内小学校に寄ったという。
そう云われたら、何となく記憶が・・。

昔は家がいっぱいあった。
ここはお店だった。 コカ・コーラの看板。
少し行って、左に行けば駅。

駅周辺に人はいない。 離れた所に、2戸。
悲しく感じる、駅舎の姿。
地方はどうして、どこも廃(すた)れていくのでしょう。

駅周辺は、にぎやかだった。 魚屋さんだって旅館だって。

除雪車。 駅構内の除雪に使う。
どこの駅も小さくて、みんな秘境駅。

余裕は20分ほどだった。 コンビニで買ったおにぎりを食べた。
7分のに遅れたら、歩いて戻るつもりだった。
歌内駅まで、260円。

2番線のこっちから乗る。

やってきた。 ワンマン列車。

子どものころ、列車に乗るのは大好きだった。

自分の時、このトンネルは無かった。
天塩川は、寄ってきたり離れたり。

ぬかなん(糠南)駅。 ※ 少し前に行った駅は、のかなん(野花南)駅。

といかんべつ(問寒別)駅。

着いた。 うたない(歌内)駅。 すっかり寂しくなって。

少しだけの家が。 左の家は、お店だった。 正月に、凧を買った記憶が。
右写真。 少し行って右には、歌内の小学校と中学校があった。
国府の子供たちは、中学校はこっちに。 遠い人は5㌔とか歩いて。
姉と妹の3人で、学芸会を見に来たことが。(もしかして、学校で来たのか)
ジュース飲んで柿を食べた記憶。

今の前の橋が、自分が4年生の時に出来た。 だから、遠足で渡った。
白い建物の向こうに、学校。

橋を渡って曲がった。 右に慰霊碑。

昭和15年5月6日、17名の子供たちと教師2名が亡くなった。
渡船の事故で。 説明では、通学の途中の児童とある。
事故があって、国府小学校は出来たのでしょうか。
分からない。
事故は他にもあって、全体で32名が亡くなっている。

自分も何度も渡船に乗った。 いつも恐ろしかった。
後の文は、読めます。

この道を行く。
キリギリスが、これでもかと鳴く。 秋が深まると、泣くように聞こえる。
この辺は、バラバラで歩いていた。
友達が、はえ縄を仕掛けてあるので見に行こうと言った。
親に無断で天塩川に行ったのはこの時だけ。
70㌢ほどの大きなコイが釣れた。

左の方に、家があった。 同級生の女の子がいた。
そのお兄さんが、この橋から自転車に乗っていて落ちた。 亡くなったと聞いた。
※ 女の子は中川高校を出て旭川に。

学校はあの建物の向こう。 右にも家があった。

着きました。

遠足の日は、学校への往復がある。
と云うことは、小さな足で15㌔程歩いた。
今の靴と違う。
ゴムの靴に、きっと裸足。
あの頃の子は、みんな逞しかった。
姉も同じ遠足だけど、一緒には歩いていなかった。
天気がいいと分かっていたので、歩いてみました。
【今日の歌】 天塩川 (てしおがわ) / 唄 水森かおり
※ 愛の残りを捨てに行く、と言っている。 未恋を捨てる、ということかな。
※ 動画の写真は中川町。 山はパンケ山。
【道の駅】 なかがわ
【明日の予定】 美深の道の駅でチョウザメを見る。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
【ランキング】 国内旅行、1位。 旅行全体、6位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
ランキングが、見られます。
⇓
ランキング
※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
次の日のクリックも、また、1週間生きる。
【拍 手】 下に。
.
同じコースを歩いてみることに。
雄信内(おのっぷない)駅発12時07分の列車に乗る。
それに間に合うように計画を。
中川町国府には、小学校4年生までの5年間。
その後は、美瑛町に。
その前は、北見市留辺蘂町。 5才まで。
自分の生れた留辺蘂の町を歩く。 思い出はいっぱい。 幼い頃の自分に会いたい。~北見市~ 他 (2018/7/23)
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
印に国府小学校はあった。 時計回りで。


正面に、横に長く校舎はあった。 奥の体育館は、自分が出た数年後に出来た。
狭いグランドだけど、倍の広さに感じていた。

上の写真の右側。 3㌔ほど奥から来ていた子供も。
全校生徒70名ほどだから、家がいっぱいあった。
正面に細い道が。 途中に小川。
川遊びの後、乾いた砂を足に付けてこすった。
何度かすれば、すっかり乾いた。 この場所で覚えた。
川から少し行ったら、右に家。
母親が仕事の手伝いに行った。
そこで、牛乳の入った汁粉を御馳走になった。
今でも、年に3回ほどつくる。 大好き。 今晩つくった。


出発は9時半。 向こうに行く。
少し行って左に駅逓があった。
そこは、遠い親戚のようで、その人の誘いで国府に来たよう。
国府に来た最初の晩、そこに泊まった。
うどんを御馳走になった。
※ 不思議と、食べ物の記憶は残っている。

1㌔程歩いてここに。
右の細い道を1㌔ほど行けば、自分の家があった。
右写真、少し行った右に新聞のポストがあった。
休みの日は、取に来るのが自分の仕事だった。
姉と妹の3人で、通った。 冬は寒かった。
スキーで、家と学校を最短の雪道を通ったことも。


ふり向いたらこの風景。 4年間見た。 ペンケ山。
貧しかったけど、楽しかった時代。


さらに1㌔ちょっと来て、ここ。
橋を渡ったら、天塩(てしお)町。
渡って右に行くと、問寒別駅。
天塩川のこっちは天塩町。 向こうは、幌延(ほろのべ)町。

長い直線コースに入った。 正面の山にトンネル。
遠足は7月頃か。 暑い日だった。
左の家と思うけど、七面鳥がいた。 2羽ほど。
陽炎(かげろう)が立ち昇る向こうに見えた。 そんなイメージ。
暑い日に、いつも思い出す光景。

天塩川は黄色〇で山にぶつかる。 刎ね返されて、ピンク〇で山にぶつかる。


雄信内トンネル。 ※ 駅はオノップナイと読むけど、トンネル・橋などはオノブナイ。
※ トンネルの標示を撮ったけど、遠かったので読めなかった。
ネットで調べても、いつつくられたか分からない。
自分が歩いた昔も、トンネルはあった。
※ ネットで雄信内トンネルを調べたら、お化けや幽霊の話ばかり。
いくつも事故があったよう。
歩道が狭いので、大型車が来たら、立ち止まる。


トンネルを出たら、雄信内大橋が見えた。 あっちに行く。
左のトラクターは、ほし草をかき回す。 右は、ロールを作っている。

国道40から離れる。 右に。 標示が無かったから、会った人に確認。
真っ直ぐ行っても、幌延に行く。

雄信内大橋。 渡った記憶はない。

天塩川。

とうとう(滔々)と流れる。 子供のころは恐ろしかった。


もう少し。 姉の話では、雄信内小学校に寄ったという。
そう云われたら、何となく記憶が・・。

昔は家がいっぱいあった。
ここはお店だった。 コカ・コーラの看板。
少し行って、左に行けば駅。

駅周辺に人はいない。 離れた所に、2戸。
悲しく感じる、駅舎の姿。
地方はどうして、どこも廃(すた)れていくのでしょう。

駅周辺は、にぎやかだった。 魚屋さんだって旅館だって。

除雪車。 駅構内の除雪に使う。
どこの駅も小さくて、みんな秘境駅。


余裕は20分ほどだった。 コンビニで買ったおにぎりを食べた。
7分のに遅れたら、歩いて戻るつもりだった。
歌内駅まで、260円。


2番線のこっちから乗る。


やってきた。 ワンマン列車。

子どものころ、列車に乗るのは大好きだった。


自分の時、このトンネルは無かった。
天塩川は、寄ってきたり離れたり。


ぬかなん(糠南)駅。 ※ 少し前に行った駅は、のかなん(野花南)駅。


といかんべつ(問寒別)駅。

着いた。 うたない(歌内)駅。 すっかり寂しくなって。


少しだけの家が。 左の家は、お店だった。 正月に、凧を買った記憶が。
右写真。 少し行って右には、歌内の小学校と中学校があった。
国府の子供たちは、中学校はこっちに。 遠い人は5㌔とか歩いて。
姉と妹の3人で、学芸会を見に来たことが。(もしかして、学校で来たのか)
ジュース飲んで柿を食べた記憶。


今の前の橋が、自分が4年生の時に出来た。 だから、遠足で渡った。
白い建物の向こうに、学校。


橋を渡って曲がった。 右に慰霊碑。

昭和15年5月6日、17名の子供たちと教師2名が亡くなった。
渡船の事故で。 説明では、通学の途中の児童とある。
事故があって、国府小学校は出来たのでしょうか。
分からない。
事故は他にもあって、全体で32名が亡くなっている。


自分も何度も渡船に乗った。 いつも恐ろしかった。
後の文は、読めます。


この道を行く。
キリギリスが、これでもかと鳴く。 秋が深まると、泣くように聞こえる。
この辺は、バラバラで歩いていた。
友達が、はえ縄を仕掛けてあるので見に行こうと言った。
親に無断で天塩川に行ったのはこの時だけ。
70㌢ほどの大きなコイが釣れた。

左の方に、家があった。 同級生の女の子がいた。
そのお兄さんが、この橋から自転車に乗っていて落ちた。 亡くなったと聞いた。
※ 女の子は中川高校を出て旭川に。

学校はあの建物の向こう。 右にも家があった。

着きました。

遠足の日は、学校への往復がある。
と云うことは、小さな足で15㌔程歩いた。
今の靴と違う。
ゴムの靴に、きっと裸足。
あの頃の子は、みんな逞しかった。
姉も同じ遠足だけど、一緒には歩いていなかった。
天気がいいと分かっていたので、歩いてみました。
【今日の歌】 天塩川 (てしおがわ) / 唄 水森かおり
※ 愛の残りを捨てに行く、と言っている。 未恋を捨てる、ということかな。
※ 動画の写真は中川町。 山はパンケ山。
【道の駅】 なかがわ
【明日の予定】 美深の道の駅でチョウザメを見る。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)

※ プロフィール・・・。 ⇒


【ランキング】 国内旅行、1位。 旅行全体、6位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
ランキングが、見られます。
⇓

※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
次の日のクリックも、また、1週間生きる。
【拍 手】 下に。
.
コメント
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
コメントの投稿
トラックバック
https://akkamui.com/tb.php/2902-e5afb03a