さあ行くぞ、と準備しようとしたら雨が落ちてきた。
山の上の大倉滝には行けなかった。
※ 雨が降ったのはその時だけ。
今日走った道は、初めてのルート。
県道と国道。 山の中の快適な道。
滝に行けなかったから、道の駅を2つ紹介。
耳柿を初めて知って、見た。
小さな柿に、耳が付いていた。
ある親子がいなかったら、義経は死なないで済んだ。
その、子の方に出会った。
梶原景季(かげすえ)。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
紫〇に滝。 片道、1時間。
青〇は、西ウレ峠分水嶺。
印が道の駅明宝(めいほう)。 明宝ハムは、ここでつくられていた。

延々と下りの道が続いた。 木曽路のように。

西ウレ峠。 向こうから来た。 向こうの水は日本海に。 庄川の流域。 高岡市で海に。
こっちの水は、長良川流域。
※ 分水嶺を紹介してる所には、たいてい川がある。
1つの川が、2つに分かれて流れているのがあったりする。 日本海と太平洋にって。

向こうに行く。 紅葉が始まった。

道の駅、パスカル清見。 広い。 まだ、高山市。

飛騨美濃せせらぎ街道を走っている。

みんな食べることを楽しみにしている。

休憩室。

ドレミファソラシドで並んでいる。

裏に馬瀬川。 グリーンっぽい。

ここは道の駅、明宝。 めいほう。

馬のことが。 初めて知る。 磨墨(するすみ)。 どんな馬でしょう。

ここは、磨墨(するすみ)とハムの道の駅。

磨墨(するすみ)は梶原景季の馬だった。 景季(かげすえ)は頼朝の家臣。

磨墨(するすみ)はこの地の出身。

宇治川の合戦のことが。
梶原景季は、このことで知られるようだ。
※ 梶原景季の名前はどっかで聞いたことがある。
思い出せない。 ただ、いい印象はない。
子供の頃の家康をいじめた者かなと思ったけど、名前が違うかな。
以前の記事にないか調べてみた。
分かった。 この男は奥州の藤原泰衡の攻撃に参加していた。
白河の関で歌を詠っていた。
頼朝は泰衡をだまして、義経を殺させた。
義経がいなくなってから、泰衡を攻め落とした。 義経がいたら大変。
景季の父は、景時。
当初は親子で義経と一緒に平氏を攻めていた。
景時は、何をしても義経に敵わない。
邪魔になってきた。
義経に謀反の疑いがあるとか、うその情報を親子で頼朝に流した。
義経は孤立していく。
昔世話になった平泉に行く。
景時親子のずるさは、他の武将から見透かされていた。
頼朝が死んだら、味方はいなかった。
鎌倉から追放され、殺されたり自害したり。
梶原一族は滅亡。
※ 余談 大河に出て来る大久保利通は、梶原景時に似ている。
自分の出世のためには、自分より力のある西郷や江藤新平が目障りだった。
巧妙に排除していった。 最後、自分は殺される。
自分は知らなかったけど、磨墨(するすみ)は有名な馬ですね。
今回知りました。

岐阜県は、どこの川も清流。

下に何かある。

池だ。

柿の木。

初めて。 耳柿。 伝説がある。

へたの近くに、ぽこんと。 耳のように。 右写真が分かりやすい。

伝説は下のお話し。 見てるのがつらくなる場面も。
日本昔話 耳柿 お腹空いたって言ってる女の子がかわいそう。
※ 画面の最初に明方村と出て来る。 明宝村になったのは、後の時代。
高山から岐阜に抜ける道として、今日の道はいい。
また通りますね。
明宝ハムを少しだけ買いました。
添加物が少ないのを売りにしている。
※ 具体的に、どれくらい少ないかは分からない。 他と比較して。
ハムは普段食べないから、美味しかった。
昔っぽい味。 そんな印象。
【道の駅】 明宝
【明日の予定】 美濃市であかりの町並みを見る。
※ 27日、京都が晴れるなら行く。
天気予報はよくない。 木曜日に決断かな。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
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山の上の大倉滝には行けなかった。
※ 雨が降ったのはその時だけ。
今日走った道は、初めてのルート。
県道と国道。 山の中の快適な道。
滝に行けなかったから、道の駅を2つ紹介。
耳柿を初めて知って、見た。
小さな柿に、耳が付いていた。
ある親子がいなかったら、義経は死なないで済んだ。
その、子の方に出会った。
梶原景季(かげすえ)。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
紫〇に滝。 片道、1時間。
青〇は、西ウレ峠分水嶺。
印が道の駅明宝(めいほう)。 明宝ハムは、ここでつくられていた。


延々と下りの道が続いた。 木曽路のように。

西ウレ峠。 向こうから来た。 向こうの水は日本海に。 庄川の流域。 高岡市で海に。
こっちの水は、長良川流域。
※ 分水嶺を紹介してる所には、たいてい川がある。
1つの川が、2つに分かれて流れているのがあったりする。 日本海と太平洋にって。


向こうに行く。 紅葉が始まった。

道の駅、パスカル清見。 広い。 まだ、高山市。

飛騨美濃せせらぎ街道を走っている。


みんな食べることを楽しみにしている。

休憩室。


ドレミファソラシドで並んでいる。

裏に馬瀬川。 グリーンっぽい。


ここは道の駅、明宝。 めいほう。

馬のことが。 初めて知る。 磨墨(するすみ)。 どんな馬でしょう。


ここは、磨墨(するすみ)とハムの道の駅。

磨墨(するすみ)は梶原景季の馬だった。 景季(かげすえ)は頼朝の家臣。


磨墨(するすみ)はこの地の出身。

宇治川の合戦のことが。
梶原景季は、このことで知られるようだ。
※ 梶原景季の名前はどっかで聞いたことがある。
思い出せない。 ただ、いい印象はない。
子供の頃の家康をいじめた者かなと思ったけど、名前が違うかな。
以前の記事にないか調べてみた。
分かった。 この男は奥州の藤原泰衡の攻撃に参加していた。
白河の関で歌を詠っていた。
頼朝は泰衡をだまして、義経を殺させた。
義経がいなくなってから、泰衡を攻め落とした。 義経がいたら大変。
景季の父は、景時。
当初は親子で義経と一緒に平氏を攻めていた。
景時は、何をしても義経に敵わない。
邪魔になってきた。
義経に謀反の疑いがあるとか、うその情報を親子で頼朝に流した。
義経は孤立していく。
昔世話になった平泉に行く。
景時親子のずるさは、他の武将から見透かされていた。
頼朝が死んだら、味方はいなかった。
鎌倉から追放され、殺されたり自害したり。
梶原一族は滅亡。
※ 余談 大河に出て来る大久保利通は、梶原景時に似ている。
自分の出世のためには、自分より力のある西郷や江藤新平が目障りだった。
巧妙に排除していった。 最後、自分は殺される。
自分は知らなかったけど、磨墨(するすみ)は有名な馬ですね。
今回知りました。

岐阜県は、どこの川も清流。


下に何かある。

池だ。


柿の木。

初めて。 耳柿。 伝説がある。

へたの近くに、ぽこんと。 耳のように。 右写真が分かりやすい。


伝説は下のお話し。 見てるのがつらくなる場面も。
日本昔話 耳柿 お腹空いたって言ってる女の子がかわいそう。
※ 画面の最初に明方村と出て来る。 明宝村になったのは、後の時代。
高山から岐阜に抜ける道として、今日の道はいい。
また通りますね。
明宝ハムを少しだけ買いました。
添加物が少ないのを売りにしている。
※ 具体的に、どれくらい少ないかは分からない。 他と比較して。
ハムは普段食べないから、美味しかった。
昔っぽい味。 そんな印象。
【道の駅】 明宝
【明日の予定】 美濃市であかりの町並みを見る。
※ 27日、京都が晴れるなら行く。
天気予報はよくない。 木曜日に決断かな。
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(2008年4月~2010年9月までの.記事)

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