亀山城跡は最悪。 城跡に宗教施設が出来てしまった。
元に戻すことは、もう出来ない。
・ ・ ・ ・ ・
1582年6月1日の夕刻、光秀は1万3,000人の兵を率いて亀山城を出た。
老ノ坂を越え、次の日、本能寺へ。
司馬遼太郎は、亀山城は2人の謀反人を出したと書いた。
1人は光秀、もう1人は今の宗教施設の宗祖。
※ 亀山城の城主になる小早川秀秋も、似たことを。
関ヶ原の時は西軍だった。 途中で、ころっと変わって東軍に。
今日は、亀山城の面影を探した。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
城跡の北側に駅ができた。

亀岡市は今は、光秀も城跡も大事にしている。
でも昔は、城跡をここまで粗末にした町は他にあったろうか、と思うほど。
町の名前の亀山だって捨てた。 亀岡に。

駅から城跡は見える。 亀山と呼ばれる小さな山に、亀山城が造られた。 光秀が造った。

北側のここに堀が残っている。 復元した鯱(しゃちほこ)。

城跡は右に。

ここは公園。 城跡が市のものだったら、広~く公園になっていた。 市民の憩いの場に。

反対側。 中島が見える。 古い地図に載っている。 亀山城の面影。

古地図があった。 赤〇は中島。 黄色〇に天守。
青〇に穴太(あのう)積み。 紫〇の石垣に印。 後ほど。

東側の石垣。 亀山城には、こんなの無かった。 少し行って右に入る。

中全体は、今は大本という宗教施設。

このように。 明治に入って、城は壊された。
大本は買い取って、このように整備したと自負している。
これは、城跡を元に戻したのではなく、宗教施設として作り直した。
亀山城跡と呼べるものではない。

見学には受付が必要。 向こうは北。

左を見たら堀。 上の方の地図で紫〇の左部分。

石垣の石は売ったり土に埋めたり。
宗教施設の石垣に一部使われた。 ピンクの石に印。 四角と卍。

写真中央に上の石。 受け付けは、向こうの建物。 説明書をもらった。

拝殿。 この後ろに天守はあった。 今は神域で入れない。

拝殿の左から奥に。 この門の辺りに、本丸の入り口の門があった。

城跡の石垣とは全く別の石垣。
ただ、〇の中だけに古い石垣が残っていた。 可能性があるということ。
左の方に、井戸の跡らしいのが。

苔のついた石の部分は、穴太(あのう)積み。
雑な感じがするけど、難しい積み方。 穴太衆と呼ばれるプロ集団がいた。
上に天守はあった。 写真中央右に、大きなイチョウの木。

明治の初めころの亀山城。 イチョウの木は右の方かな。
※ 途中の階に、破風(はふ)と呼ばれる三角の屋根がない。
ほとんどの城にはあるのに。 大きな特徴でしょうか。
どっちから撮った写真か。 右下の部分は、上の写真だろうか。
亀山城から本能寺に向かった。
1万3千の兵だから、1つの道だと列が長くなる。
オレンジ〇に老の坂。 このルートの他に、2つあったよう。 はっきりしない部分もある。
愛宕山への道は残っている。 自分も行ったことが。
上の方の写真の右上に。 上は本丸で、中央に天守があった。
右写真は、上の石垣と井戸。

向こうから上がってきた。

この上に天守があった。 神域だから入れない。

西の方に下って戻る。

ほんの少しだけ、面影が残っていましたね。
※ 本能寺の変の数年後、豊臣秀勝が亀山城の城主になる。
1688年頃、江(ごう)が嫁いでくる。
嫁いでも、京都にも秀勝の家があったのでそっちにもいた。
完子(さだこ)が生まれる。
完子は九条家に嫁ぐ。 時代は過ぎて、大正天皇の皇后は九条家から。
今の天皇には江の血が流れている。
豊臣秀勝は朝鮮出兵の時、病気で亡くなる。
江はのちに、2代将軍秀忠に嫁ぐ。
長女の千姫は秀頼に嫁いで大阪城に。
5女の和子(まさこ・東福門院)は、後水尾天皇に嫁いで明正天皇(おんな)を生む。
光雲寺 聖観音像は、やはり美しかった。 哲学の道、永観堂の紅葉、他。~京都市~ 他 (2014/11/25)
南禅寺塔頭、光雲寺の庭。 江(ごう)の5女、東福門院和子(まさこ)の菩提寺。~京都市~ 他 (2014/11/20)
※ 余談 大河ドラマは、今年来年と苦しい。 人間的魅力が直ぐには見えてこないから。
【記事の紹介】
谷性寺(こくしょうじ)は明智光秀ゆかりの寺。 首塚が。 桔梗寺また光秀寺とも呼ばれて。 明智山門。~亀岡市~ 他 (2018/10/29)
光秀は、亀山城から本能寺に向かう。 亀山城の紅葉。 ~亀岡市~ 他 (2015/11/13)
亀岡市から、明智越を通って、水尾へ。 保津川沿いの風景。~亀岡市~ 他 (2014/4/27)
亀山城から本能寺まで ~京都市~ 他 (2011/11/29)
光秀が遺した亀山城の城下は、城の南側に。 多くの寺。 小早川秀秋が江戸時代に城主。~亀岡市~ 他 (2018/11/1)
※ 穴太積関係
石垣の美しい、天空の城、竹田城 ~朝来市(あさごし)~ 八十八夜(N.S.P) 他 (2012/4/30)
【今日の動画】 歴史ミステリー 本能寺の変驚愕の事実、明智光秀が残した呪いの歌
【停泊場所】
【明日の予定】 4時歯科医院。 そのあと、どこかに。
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1582年6月1日の夕刻、光秀は1万3,000人の兵を率いて亀山城を出た。
老ノ坂を越え、次の日、本能寺へ。
司馬遼太郎は、亀山城は2人の謀反人を出したと書いた。
1人は光秀、もう1人は今の宗教施設の宗祖。
※ 亀山城の城主になる小早川秀秋も、似たことを。
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亀岡市は今は、光秀も城跡も大事にしている。
でも昔は、城跡をここまで粗末にした町は他にあったろうか、と思うほど。
町の名前の亀山だって捨てた。 亀岡に。

駅から城跡は見える。 亀山と呼ばれる小さな山に、亀山城が造られた。 光秀が造った。

北側のここに堀が残っている。 復元した鯱(しゃちほこ)。


城跡は右に。

ここは公園。 城跡が市のものだったら、広~く公園になっていた。 市民の憩いの場に。


反対側。 中島が見える。 古い地図に載っている。 亀山城の面影。


古地図があった。 赤〇は中島。 黄色〇に天守。
青〇に穴太(あのう)積み。 紫〇の石垣に印。 後ほど。


東側の石垣。 亀山城には、こんなの無かった。 少し行って右に入る。


中全体は、今は大本という宗教施設。

このように。 明治に入って、城は壊された。
大本は買い取って、このように整備したと自負している。
これは、城跡を元に戻したのではなく、宗教施設として作り直した。
亀山城跡と呼べるものではない。


見学には受付が必要。 向こうは北。

左を見たら堀。 上の方の地図で紫〇の左部分。

石垣の石は売ったり土に埋めたり。
宗教施設の石垣に一部使われた。 ピンクの石に印。 四角と卍。


写真中央に上の石。 受け付けは、向こうの建物。 説明書をもらった。

拝殿。 この後ろに天守はあった。 今は神域で入れない。

拝殿の左から奥に。 この門の辺りに、本丸の入り口の門があった。

城跡の石垣とは全く別の石垣。
ただ、〇の中だけに古い石垣が残っていた。 可能性があるということ。
左の方に、井戸の跡らしいのが。


苔のついた石の部分は、穴太(あのう)積み。
雑な感じがするけど、難しい積み方。 穴太衆と呼ばれるプロ集団がいた。
上に天守はあった。 写真中央右に、大きなイチョウの木。


明治の初めころの亀山城。 イチョウの木は右の方かな。
※ 途中の階に、破風(はふ)と呼ばれる三角の屋根がない。
ほとんどの城にはあるのに。 大きな特徴でしょうか。
どっちから撮った写真か。 右下の部分は、上の写真だろうか。

亀山城から本能寺に向かった。
1万3千の兵だから、1つの道だと列が長くなる。
オレンジ〇に老の坂。 このルートの他に、2つあったよう。 はっきりしない部分もある。
愛宕山への道は残っている。 自分も行ったことが。

上の方の写真の右上に。 上は本丸で、中央に天守があった。
右写真は、上の石垣と井戸。


向こうから上がってきた。

この上に天守があった。 神域だから入れない。


西の方に下って戻る。

ほんの少しだけ、面影が残っていましたね。
※ 本能寺の変の数年後、豊臣秀勝が亀山城の城主になる。
1688年頃、江(ごう)が嫁いでくる。
嫁いでも、京都にも秀勝の家があったのでそっちにもいた。
完子(さだこ)が生まれる。
完子は九条家に嫁ぐ。 時代は過ぎて、大正天皇の皇后は九条家から。
今の天皇には江の血が流れている。
豊臣秀勝は朝鮮出兵の時、病気で亡くなる。
江はのちに、2代将軍秀忠に嫁ぐ。
長女の千姫は秀頼に嫁いで大阪城に。
5女の和子(まさこ・東福門院)は、後水尾天皇に嫁いで明正天皇(おんな)を生む。
光雲寺 聖観音像は、やはり美しかった。 哲学の道、永観堂の紅葉、他。~京都市~ 他 (2014/11/25)
南禅寺塔頭、光雲寺の庭。 江(ごう)の5女、東福門院和子(まさこ)の菩提寺。~京都市~ 他 (2014/11/20)
※ 余談 大河ドラマは、今年来年と苦しい。 人間的魅力が直ぐには見えてこないから。
【記事の紹介】
谷性寺(こくしょうじ)は明智光秀ゆかりの寺。 首塚が。 桔梗寺また光秀寺とも呼ばれて。 明智山門。~亀岡市~ 他 (2018/10/29)
光秀は、亀山城から本能寺に向かう。 亀山城の紅葉。 ~亀岡市~ 他 (2015/11/13)
亀岡市から、明智越を通って、水尾へ。 保津川沿いの風景。~亀岡市~ 他 (2014/4/27)
亀山城から本能寺まで ~京都市~ 他 (2011/11/29)
光秀が遺した亀山城の城下は、城の南側に。 多くの寺。 小早川秀秋が江戸時代に城主。~亀岡市~ 他 (2018/11/1)
※ 穴太積関係
石垣の美しい、天空の城、竹田城 ~朝来市(あさごし)~ 八十八夜(N.S.P) 他 (2012/4/30)
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【停泊場所】
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