もし鵺(ぬえ)の正体を知らなかったら、
自分だって真夜中に鳴き声を聞いたら、車から出ることは出来ない。
・ ・ ・ ・ ・
今日歩く一帯は、平安京の大内裏(だいだいり)の北西の辺り。
秀吉が造った聚楽第(じゅらくだい)の中をも。
また、応仁の乱の西軍の陣地であった所でも。 (1467年。 人の世むなし)
そこは絹織物が盛んになり、西陣と呼ばれるように。
義経は16歳の時、鞍馬山から平泉に向かう。
行く理由は何だったのでしょう。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
赤〇を歩く。 小路に何度か入って。

下の写真は、北野天満宮の東門を出た場所。
右の道は上七軒通り。 左の五辻(いつつじ)通りを行く。
右写真は、五辻通に入っている。

左に、千本釈迦堂が。 正面の本堂は国宝。

枝垂桜のつぼみは、まだ固い。 阿亀(おかめ)桜。
鎌倉時代に、藤原秀衡の孫が創建したとある。
※ 義経は秀衡(ひでひら)を頼って平泉に行く。 (藤原三代の真ん中)

満開になったらこのように。(以前撮影)

御衣黄桜も。 花の色が珍しい。 右写真は、他で撮影。

千本通りに出た。 南に行くだけ行ったら、二条駅前を通って梅小路公園。

道を渡った角に、この店。 五辻の昆布で有名なよう。 手すきのおぼろ昆布。
西陣に入っている。

五辻院跡に来た。 この辺りに後鳥羽上皇の、いくつかあった住まいの1つが。
清盛の時代に後白河天皇がいた。その人の孫。 壇ノ浦に沈んだ安徳天皇の、母は違うけど兄弟。
鎌倉時代に入って、もう一度天皇中心の時代にしたいと、承久の乱を起こした。
負けて隠岐(おき)に流される。 そこで死ね。
天皇時代から気の強い人だったよう。

下が、後鳥羽上皇。 右は子供の、順徳天皇。 彼も一緒に戦い、佐渡島に流される。 いい歌をつくった。
安楽寺、春の特別公開。 松虫鈴虫寺とも。 建永の法難のきっかけは、松虫・鈴虫姫の出家。~京都市~ 他 (2015/4/31)
真野御陵(順徳天皇御火葬塚)。 真野宮(亡くなった所)。 妙宣寺。 都忘れの花。 佐渡国分寺。~佐渡市~ 他 (2017/5/12)

こんな店があった。 中国人が入っていく。
親子丼で有名な店だった。 京都で5本の指に入る。 夜は高級料亭に。

この後歩く、智恵光院通。 向こうに行くが、まず後ろの方に寄り道。

途中で小路に入って、雨宝院。

狭い中にお堂がいっぱい。 これは井戸。
西陣織には、大量の水が必要。 西陣には井戸がいくつもある。
※ 以前の記事を紹介。
雨宝院の桜。 歓喜桜、観音桜、御衣黄、他。 五番町夕霧楼の舞台を歩いて。~京都市~ 他 (2015/4/14)

智恵光院通に戻って南下。 右に首途(かどで)八幡宮。 (道沿いに智恵光院という寺がある)
ここは平安京の大内裏の北東の角。
鬼や悪が入ってくるという鬼門の場所。 入らないように守るために神社。
義経が平泉に向かうとき、ここにお参りしていると。

平泉に案内したのは、金売橘次。 これは本当。 ここに間違いなく寄ったかは、確認できないが。
義経16歳の時。 この時、どこを通って平泉に行ったかははっきりしない。
後に、頼朝に追われたときは、ほぼ右のルート。
子供の頃から義経は鞍馬にいた。 ※ 平家にそれなりには監視されていたよう。
義経修行の地、鞍馬山 和泉式部恋の道、貴船 ~京都市鞍馬~ 他 (2010/11/25)
その生活から逃れるために、遠い平泉に。
頼ったのは藤原秀衡。 母が嫁いだ先と藤原氏に繋がりがあった。
義経は秀衡(ひでひら)の下で、武芸や戦いの術をさらに磨く。 22歳に攻め上がるまでいる。。
中尊寺 高館義経堂 他 (2009/7/2)
雨の中尊寺を歩く。 五月雨の 降残してや 光堂。 ~平泉町~ 他 (2013/10/2)

奥はこのように。 ここにも井戸があったよう。

歩いていたらこの桜。 十月桜のよう。 冬桜とちょっと違う。 右は冬桜。
(宮崎県で)

途中で右の小路に入る。

松林寺。 変わった場所にある。 境内は低いところに。
広い平安京の中で、天皇の住まいであり政務を行ったところが大内裏。 その右がこの場所。

ここは、聚楽第の南の端でも。
秀吉は関白になって、京都で仕事をする場所を造った。 そこが聚楽第。
秀吉は跡継ぎを秀次と考えていた。 自分の子ではない。養子。
でも、秀頼が生まれて秀次は邪魔になった。 理由をつけて殺す。 ※ 秀次の墓は、明日紹介。
聚楽第があったのは、その時まで。
お濠(ほり)があったところに、松林寺。

墓地はさらに低い奥に。

ずっと歩いて、二条児童公園。 すぐ向こうに二条城。
公園の隅に、鵺(ぬえ)神社。 復元した石碑が。

石碑に、鵺(ぬえ)とある。

下の説明版は、以前撮影。 今はなかった。
昔、京の都の夜に不気味な鳴き声。 正体は分からなかった。

正体は下だと思っていた。 後に怪鳥ではと。

鵺は、実はトラツグミという鳥だった。
不気味な鳴き声は、暗闇に広く響き渡る。 自分は2度聞いている。 山の中で。
里山の妖怪「ぬえ」の声 真冬の朝のトラツグミ。
自分が録音。 声が遠いけど。 日光市の北部の、上三依(かみみより)植物園の駐車場。
二条城に出た。

外国人観光客が多い。 世界遺産。
二条城庭園、お正月公開。 二の丸庭園、天守閣跡、他。~京都市~ 他 (2014/1/2)

今日は、知らないものにいくつか出会いました。
はるか昔の名残にも。
【今日の動画】 ▲裏・歴史▼ 源義経は生きていた!?ロシアに残る源氏の家紋・笹りんどうの謎!![ミステリー#73]
義経神社は、義経北行伝説の中心地。 ここから神威岬、そして・・。 ガス(霧)の国道。~平取町~ 他 (2017/7/12)
【道の駅】 ガレリア亀岡。 ネットの状態が良くないので移動。
【明日の予定】 木屋町通を歩く。 龍馬が住んだ所など。 (写真は撮ってあります。 懐かしい歌手に出会った)
※ 都道府県別のブログタイトル一覧表は、右をクリック。
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自分だって真夜中に鳴き声を聞いたら、車から出ることは出来ない。
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今日歩く一帯は、平安京の大内裏(だいだいり)の北西の辺り。
秀吉が造った聚楽第(じゅらくだい)の中をも。
また、応仁の乱の西軍の陣地であった所でも。 (1467年。 人の世むなし)
そこは絹織物が盛んになり、西陣と呼ばれるように。
義経は16歳の時、鞍馬山から平泉に向かう。
行く理由は何だったのでしょう。
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赤〇を歩く。 小路に何度か入って。


下の写真は、北野天満宮の東門を出た場所。
右の道は上七軒通り。 左の五辻(いつつじ)通りを行く。
右写真は、五辻通に入っている。


左に、千本釈迦堂が。 正面の本堂は国宝。


枝垂桜のつぼみは、まだ固い。 阿亀(おかめ)桜。
鎌倉時代に、藤原秀衡の孫が創建したとある。
※ 義経は秀衡(ひでひら)を頼って平泉に行く。 (藤原三代の真ん中)


満開になったらこのように。(以前撮影)


御衣黄桜も。 花の色が珍しい。 右写真は、他で撮影。


千本通りに出た。 南に行くだけ行ったら、二条駅前を通って梅小路公園。

道を渡った角に、この店。 五辻の昆布で有名なよう。 手すきのおぼろ昆布。
西陣に入っている。



五辻院跡に来た。 この辺りに後鳥羽上皇の、いくつかあった住まいの1つが。
清盛の時代に後白河天皇がいた。その人の孫。 壇ノ浦に沈んだ安徳天皇の、母は違うけど兄弟。
鎌倉時代に入って、もう一度天皇中心の時代にしたいと、承久の乱を起こした。
負けて隠岐(おき)に流される。 そこで死ね。
天皇時代から気の強い人だったよう。


下が、後鳥羽上皇。 右は子供の、順徳天皇。 彼も一緒に戦い、佐渡島に流される。 いい歌をつくった。
安楽寺、春の特別公開。 松虫鈴虫寺とも。 建永の法難のきっかけは、松虫・鈴虫姫の出家。~京都市~ 他 (2015/4/31)
真野御陵(順徳天皇御火葬塚)。 真野宮(亡くなった所)。 妙宣寺。 都忘れの花。 佐渡国分寺。~佐渡市~ 他 (2017/5/12)


こんな店があった。 中国人が入っていく。
親子丼で有名な店だった。 京都で5本の指に入る。 夜は高級料亭に。


この後歩く、智恵光院通。 向こうに行くが、まず後ろの方に寄り道。

途中で小路に入って、雨宝院。

狭い中にお堂がいっぱい。 これは井戸。
西陣織には、大量の水が必要。 西陣には井戸がいくつもある。
※ 以前の記事を紹介。
雨宝院の桜。 歓喜桜、観音桜、御衣黄、他。 五番町夕霧楼の舞台を歩いて。~京都市~ 他 (2015/4/14)


智恵光院通に戻って南下。 右に首途(かどで)八幡宮。 (道沿いに智恵光院という寺がある)
ここは平安京の大内裏の北東の角。
鬼や悪が入ってくるという鬼門の場所。 入らないように守るために神社。
義経が平泉に向かうとき、ここにお参りしていると。


平泉に案内したのは、金売橘次。 これは本当。 ここに間違いなく寄ったかは、確認できないが。
義経16歳の時。 この時、どこを通って平泉に行ったかははっきりしない。
後に、頼朝に追われたときは、ほぼ右のルート。

子供の頃から義経は鞍馬にいた。 ※ 平家にそれなりには監視されていたよう。
義経修行の地、鞍馬山 和泉式部恋の道、貴船 ~京都市鞍馬~ 他 (2010/11/25)
その生活から逃れるために、遠い平泉に。
頼ったのは藤原秀衡。 母が嫁いだ先と藤原氏に繋がりがあった。
義経は秀衡(ひでひら)の下で、武芸や戦いの術をさらに磨く。 22歳に攻め上がるまでいる。。
中尊寺 高館義経堂 他 (2009/7/2)
雨の中尊寺を歩く。 五月雨の 降残してや 光堂。 ~平泉町~ 他 (2013/10/2)


奥はこのように。 ここにも井戸があったよう。


歩いていたらこの桜。 十月桜のよう。 冬桜とちょっと違う。 右は冬桜。



途中で右の小路に入る。

松林寺。 変わった場所にある。 境内は低いところに。
広い平安京の中で、天皇の住まいであり政務を行ったところが大内裏。 その右がこの場所。


ここは、聚楽第の南の端でも。
秀吉は関白になって、京都で仕事をする場所を造った。 そこが聚楽第。
秀吉は跡継ぎを秀次と考えていた。 自分の子ではない。養子。
でも、秀頼が生まれて秀次は邪魔になった。 理由をつけて殺す。 ※ 秀次の墓は、明日紹介。
聚楽第があったのは、その時まで。
お濠(ほり)があったところに、松林寺。


墓地はさらに低い奥に。

ずっと歩いて、二条児童公園。 すぐ向こうに二条城。
公園の隅に、鵺(ぬえ)神社。 復元した石碑が。


石碑に、鵺(ぬえ)とある。


下の説明版は、以前撮影。 今はなかった。
昔、京の都の夜に不気味な鳴き声。 正体は分からなかった。

正体は下だと思っていた。 後に怪鳥ではと。



鵺は、実はトラツグミという鳥だった。
不気味な鳴き声は、暗闇に広く響き渡る。 自分は2度聞いている。 山の中で。
里山の妖怪「ぬえ」の声 真冬の朝のトラツグミ。
自分が録音。 声が遠いけど。 日光市の北部の、上三依(かみみより)植物園の駐車場。
二条城に出た。


外国人観光客が多い。 世界遺産。
二条城庭園、お正月公開。 二の丸庭園、天守閣跡、他。~京都市~ 他 (2014/1/2)

今日は、知らないものにいくつか出会いました。
はるか昔の名残にも。
【今日の動画】 ▲裏・歴史▼ 源義経は生きていた!?ロシアに残る源氏の家紋・笹りんどうの謎!![ミステリー#73]
義経神社は、義経北行伝説の中心地。 ここから神威岬、そして・・。 ガス(霧)の国道。~平取町~ 他 (2017/7/12)
【道の駅】 ガレリア亀岡。 ネットの状態が良くないので移動。
【明日の予定】 木屋町通を歩く。 龍馬が住んだ所など。 (写真は撮ってあります。 懐かしい歌手に出会った)
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