今日歩いた一帯には各藩の藩邸があった。
また当時繁華街でもあり、維新の志士達の多くが集まった。
・ ・ ・ ・ ・
風雲急な幕末、高瀬川沿いの三条周辺。
そこを歩いてみた。
龍馬とお龍(りょう)さんが出会ったのもここ。
名前が一緒だねって、お互い喜んだ。
多くの若者が歴史に名を残した。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
赤〇の辺りを歩いた。 印は、龍馬が襲われた近江屋跡。 今はファミマがある。

市役所前の御池通から南を。 高瀬川。 この付近に加賀藩邸が。
※ 加賀藩が京都のものを仕入れるときなどは、ここが窓口。 藩の支所の感じ。

高瀬川の左に、木屋町通。 写真左隅に、案内が。

武市瑞山(ずいざん)寓居(ぐうきょ)の跡とある。
※ 寓にも住むっていう意味が。 長い期間住んでいたら、使わないよう。
偶然の偶と違う。 寓話の寓。(違う寓の意味)
半平太の方が知られている。 土佐四天王の一人。
ここにいた後、土佐に連れ戻されて切腹。 藩の重要人物を殺していた。
誰もが認める大きな人間。 殺した方が後に悔やむ。
※ 文はないけど記事を紹介。 写真だけ。
武市半平太像は横浪半島に。 浦ノ内湾沿いの風景。 橋本食堂で鍋焼きラーメン。~須崎市~ 他 (2017/2/15)

ちりめん洋服発祥の地とある。 確かなよう。
ちりめんは小さなしわのある絹織物。 夏に着てもべたつかない。
※ 水戸黄門の「ちりめん問屋」のちりめんですね。 越後(新潟県)でも盛ん。 小千谷縮とは別。

右隣に吉村寅太郎の寓居跡。 熱血漢。 龍馬より一足早く土佐を脱藩する。
天誅組を作って幕府と戦う。 吉野で死ぬ。
この戦で、幕府の弱さが世間に知られる。
寅太郎は、新しい時代をこじ開ける戦いをした。
辞世の句は「吉野山 風に乱るる もみじ葉は 我が打つ太刀の 血煙と見よ」。 血煙・・・。
天誅組終焉の地、鷲家口(わしかぐち)を訪ねて。 最後のニホンオオカミ。~東吉野村~ 他 (2013/4/15)
四国カルスト、天狗高原。 吉村虎太郎生誕地。 早瀬の一本橋。~津野町~ 他 (2014/4/4)

佐久間象山・大村益次郎はここで襲われた。
象山は信州の松代の人。 象山神社がある。
龍馬はこの人に出会い学んでいる。
新しい考えをっ持ってる人に、龍馬は惹かれる。
大村益次郎は長州藩の人。 藩の指導的立場の人。
三条通に出た。

三条大橋に来た。 弥次さん喜多さん。 東海道の終点。

河津桜が2本。 花が咲いてたという情報があったので来た。 少しだけど。
赤くなったつぼみだった。

京都方面では、淀水路が見事。 3月に入って。
淀水路の河津桜は今が見頃。 約200本、桜の名所に。 淀城跡公園。~京都市~ 他 (2917/3/14)

高瀬川。 この川については、先日紹介。

上の写真の左に、下のが。
この近くに志士たちが集まる場所があった。 食事とかで。
彼女は、そこで賄(まかな)いをしていた。 龍馬とは、そこで出会った。
名前が似てるので、すぐに打ち解けあった。
寺田屋で龍馬が襲われたとき、いち早く危険を龍馬に知らせたのは、彼女。
それがあって、仲間とともに戦う準備ができた。
龍馬は、拳銃で対応。 3発撃った辺りで手を怪我する。 (その時の拳銃は明日紹介)
再度銃弾を込められなく、窓から逃走。
この時の怪我を治すために、鹿児島に行く。 お龍さんも一緒。 日本最初の新婚旅行と言われる。
龍馬とお龍が立ち寄った、塩浸温泉。 レトロな雰囲気、嘉例川駅。~霧島市~ 他 (2015/1/5)
龍馬が死んで、後に再婚する。 でも、龍馬のことを忘れることはなかった。
晩年は不遇の時代を過ごす。(龍馬のことがあるから、心は幸せか)

高瀬舟。 昔は水の量が多かった。 水運で栄えた。

少し戻って土佐藩邸。
脱藩したために土佐藩からはにらまれていた。
幕末になって、藩の力も弱まり世情も混乱し、取り締まりは適当になった。
龍馬も出入りしていたよう。

龍馬通り。

少し入って酢屋。 材木問屋だった。 2階に住んでいた。 (詳しくは、明日の記事に)

最初の地図にある、龍馬が襲われた近江屋の跡。(以前撮った写真)

新しい時代を夢見る者たちは、幕府や新選組から狙われる。
危険の中で活動していた。
徳川幕府が間もなく終わる、そんな時代ですね。
※ その他
市役所前の地下鉄駅に向かった。
地下街から歌が聴こえる。 行ってみた。
そうしたら、平山みきが歌い始めた。
はじめ素人が歌ってるのかと思った。 本人だった。
歌は真夏の出来事。

69歳。 気持ちは若い。 さわやかな雰囲気。

今回だけ、ロゴ入り。
真夏の出来事 YouTubeに元々あるもの。
【停泊場所】 亀岡市運動公園駐車場。
【明日の予定】 龍馬はいつごろ京都に来て何をしていたのか。 なぜ脱藩。 持っていた拳銃について。
※ 午後、歯科医院。
※ 都道府県別のブログタイトル一覧表は、右をクリック。
(放浪の旅Ⅱと放浪の旅Ⅰの両方です。 記事の総数は3700ほど。)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
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また当時繁華街でもあり、維新の志士達の多くが集まった。
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風雲急な幕末、高瀬川沿いの三条周辺。
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龍馬とお龍(りょう)さんが出会ったのもここ。
名前が一緒だねって、お互い喜んだ。
多くの若者が歴史に名を残した。
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赤〇の辺りを歩いた。 印は、龍馬が襲われた近江屋跡。 今はファミマがある。


市役所前の御池通から南を。 高瀬川。 この付近に加賀藩邸が。
※ 加賀藩が京都のものを仕入れるときなどは、ここが窓口。 藩の支所の感じ。


高瀬川の左に、木屋町通。 写真左隅に、案内が。

武市瑞山(ずいざん)寓居(ぐうきょ)の跡とある。
※ 寓にも住むっていう意味が。 長い期間住んでいたら、使わないよう。
偶然の偶と違う。 寓話の寓。(違う寓の意味)
半平太の方が知られている。 土佐四天王の一人。
ここにいた後、土佐に連れ戻されて切腹。 藩の重要人物を殺していた。
誰もが認める大きな人間。 殺した方が後に悔やむ。
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武市半平太像は横浪半島に。 浦ノ内湾沿いの風景。 橋本食堂で鍋焼きラーメン。~須崎市~ 他 (2017/2/15)


ちりめん洋服発祥の地とある。 確かなよう。
ちりめんは小さなしわのある絹織物。 夏に着てもべたつかない。
※ 水戸黄門の「ちりめん問屋」のちりめんですね。 越後(新潟県)でも盛ん。 小千谷縮とは別。


右隣に吉村寅太郎の寓居跡。 熱血漢。 龍馬より一足早く土佐を脱藩する。
天誅組を作って幕府と戦う。 吉野で死ぬ。
この戦で、幕府の弱さが世間に知られる。
寅太郎は、新しい時代をこじ開ける戦いをした。
辞世の句は「吉野山 風に乱るる もみじ葉は 我が打つ太刀の 血煙と見よ」。 血煙・・・。
天誅組終焉の地、鷲家口(わしかぐち)を訪ねて。 最後のニホンオオカミ。~東吉野村~ 他 (2013/4/15)
四国カルスト、天狗高原。 吉村虎太郎生誕地。 早瀬の一本橋。~津野町~ 他 (2014/4/4)


佐久間象山・大村益次郎はここで襲われた。
象山は信州の松代の人。 象山神社がある。
龍馬はこの人に出会い学んでいる。
新しい考えをっ持ってる人に、龍馬は惹かれる。
大村益次郎は長州藩の人。 藩の指導的立場の人。
三条通に出た。

三条大橋に来た。 弥次さん喜多さん。 東海道の終点。


河津桜が2本。 花が咲いてたという情報があったので来た。 少しだけど。
赤くなったつぼみだった。


京都方面では、淀水路が見事。 3月に入って。
淀水路の河津桜は今が見頃。 約200本、桜の名所に。 淀城跡公園。~京都市~ 他 (2917/3/14)

高瀬川。 この川については、先日紹介。

上の写真の左に、下のが。
この近くに志士たちが集まる場所があった。 食事とかで。
彼女は、そこで賄(まかな)いをしていた。 龍馬とは、そこで出会った。
名前が似てるので、すぐに打ち解けあった。
寺田屋で龍馬が襲われたとき、いち早く危険を龍馬に知らせたのは、彼女。
それがあって、仲間とともに戦う準備ができた。
龍馬は、拳銃で対応。 3発撃った辺りで手を怪我する。 (その時の拳銃は明日紹介)
再度銃弾を込められなく、窓から逃走。
この時の怪我を治すために、鹿児島に行く。 お龍さんも一緒。 日本最初の新婚旅行と言われる。
龍馬とお龍が立ち寄った、塩浸温泉。 レトロな雰囲気、嘉例川駅。~霧島市~ 他 (2015/1/5)
龍馬が死んで、後に再婚する。 でも、龍馬のことを忘れることはなかった。
晩年は不遇の時代を過ごす。(龍馬のことがあるから、心は幸せか)



高瀬舟。 昔は水の量が多かった。 水運で栄えた。



少し戻って土佐藩邸。
脱藩したために土佐藩からはにらまれていた。
幕末になって、藩の力も弱まり世情も混乱し、取り締まりは適当になった。
龍馬も出入りしていたよう。


龍馬通り。

少し入って酢屋。 材木問屋だった。 2階に住んでいた。 (詳しくは、明日の記事に)

最初の地図にある、龍馬が襲われた近江屋の跡。(以前撮った写真)

新しい時代を夢見る者たちは、幕府や新選組から狙われる。
危険の中で活動していた。
徳川幕府が間もなく終わる、そんな時代ですね。
※ その他
市役所前の地下鉄駅に向かった。
地下街から歌が聴こえる。 行ってみた。
そうしたら、平山みきが歌い始めた。
はじめ素人が歌ってるのかと思った。 本人だった。
歌は真夏の出来事。


69歳。 気持ちは若い。 さわやかな雰囲気。


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