石灰岩の採掘地は、どこも大きな穴の中。
空からでないと見えない。 粉塵が飛ばないようにか。
・ ・ ・ ・ ・
大分地方の戦国大名は、大友宗麟(そうりん)。
拠点は臼杵(うすき)城。
隠居して津久見に。 そこで亡くなったで墓が。
宗麟公園として整備されていた。
山の上から採掘地は見えないか。
観光案内図にある見所はどこにある。
あっちこっち走り回った。
どれもうまくいかなかった。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
赤〇に行く。 青〇は停泊地。 この地図では、石灰岩の何も見えない。

航空写真ではこう。 市街地と同じ広さ。 ピンク〇の写真は後程。

下の写真は、彦岳に登った時に途中で撮影。 津久見市の全景。
彦岳頂上から、下に佐伯市が広く見えた。 遠くに四国の山脈。 途中で津久見市の市街地が。~佐伯市・津久見市~ 他 (2018/1/31)
採掘地は左に少し見えているのか。
駅前を通って、宗麟公園に向かう。

宗麟公園。 右上に像。 左奥に墓。

津久見のこの地に、キリシタンの国を夢見た。 長生きできなかった。

この上に墓。

この地方では英雄。
赤線の部分に、天正6年(1578)とある。 耳川の戦いの年。
経緯を少し。 南の日向(ひゅうが)方面は、伊東氏の領地だった。 広い。※ 飫肥(おび)などを拠点に。
島津氏に負けて、宗麟の元に逃げてくる。
1578年、大友宗麟を中心に、伊東氏の土地を取り戻すべく日向に攻め入った。
でも、島津義弘には勝てない。
負けて逃げ帰る。 敗走する大友軍の血で、耳川は真っ赤に染まった。
大友氏も伊東氏も、秀吉を頼ることになる。
島津の勢力は九州全体に広まってく。
※ 余談(1) 大友宗麟は、島津義弘の知略・リーダーシップに全く敵(かな)わない。
島津軍は一枚岩。 大友軍は仲間割れ。
余談(2) この戦いで大友軍にいた、龍造寺・蒲池(かまち)一族は大きな打撃を受ける。
先日紹介した蒲池法子(松田聖子)の先祖は、蒲池応誉(おうよ)。
彼の父と祖父は、この戦いで命を落とす。
柳川は水郷の町。 炬燵に入って川下り。 さげもんは華やか。 ワラスボの顔。 蒲池法子。~柳川市~ 他 (2019/2/16)
京風の町並みが残る、重伝建地区、美々津 ~日向市~ 若葉のささやき(天地真理) 他 (2012/3/29)

新しく作られた墓。

下はボケてしまった。 右写真は、グルコミというサイトからお借り。
宗麟の江戸時代に作られた墓。 すぐに作られたのは無い。

観光地図は持っている。 小ミカンの古木などを探しに。

青江ダム。 高く来ても、採掘地は見えない。 カモの波。 巨大魚が後ろから・・・。

何も見つけらけない。 ここから入るとか、案内は全くない。
石灰岩の採掘地はこの山の向こう。

運び出して、ベルトコンベアーで港の方に行くのか。

国道に出て北上。 右上現在地にこの地図。 赤〇まで入った。
でも、1ヶ所も案内はなかった。 右は、たまたまこれかなって撮った。
観光案内が不親切に感じた。 右写真の〇は、夕顔って人の墓。
左上に美しい人とあるけど、それ以上は分からない。 ネットでも。

今日はずっと霧雨。

津久見鉱山について紹介しますね。 ここは新津久見鉱山。
右奥に八戸(はと)鉱区が。

新津久見と戸高を合わせると日本一ですね。 ※ 戸高鉱山の正確な場所は分からない。
※ 八戸は下に。
八戸キャニオンは海抜マイナス170㍍。 日本で一番標高の低い所。 巨大ダンプで石灰石を。~八戸市~ 他 (2016/7/12)

※ 石灰岩は気の遠くなるほど長い歴史の中で、貝殻とかからできた石。
グーグルの写真。 元々は上に膨らんでいたのでしょうね。

※ 下の3枚は、太平洋鉱業からお借り。
ガリガリ削るのではなく、発破で崩す。 比較的安全で安価な「アンホ爆薬」を使って。
ダンプにはほぼ100㌧積める。 車道走ってるダンプの10倍。
※ このダンプは免許がいらない。 大きすぎて、車道走れないから。
バラバラで運んで、ここで組み立てる。

外ですると粉塵が出るので、このように。

上の3枚について、詳しくはここに。
セメントを作るには石灰石がいる。
それを使ってコンクリート。 日本の発展を支えてきた。
津久見市の人たちは、大友宗麟の魅力を分かっているんでしょうね。
自分は理解できていない。
墓がなかったり、今はあっても小さい。
好かれない時代があったのでしょうか。
【今日の歌】 【公式】 川野夏美 「悲別~かなしべつ~」PV(フルサイズ) 彼女は津久見市の人。
悲別駅 ~旧上砂川駅 上砂川町~ 他 (2011/8/14)
悲別ロマン座、今は喫茶店に。 歌志内は、三浦綾子の最初の赴任地。~歌志内市~ 他 (2013/8/17)
【停泊場所】 津久見港
【明日の予定】 臼杵市に移ります。
※ 都道府県別のブログタイトル一覧表は、右をクリック。
(放浪の旅Ⅱと放浪の旅Ⅰの両方です。 記事の総数は3700ほど。)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
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空からでないと見えない。 粉塵が飛ばないようにか。
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大分地方の戦国大名は、大友宗麟(そうりん)。
拠点は臼杵(うすき)城。
隠居して津久見に。 そこで亡くなったで墓が。
宗麟公園として整備されていた。
山の上から採掘地は見えないか。
観光案内図にある見所はどこにある。
あっちこっち走り回った。
どれもうまくいかなかった。
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赤〇に行く。 青〇は停泊地。 この地図では、石灰岩の何も見えない。


航空写真ではこう。 市街地と同じ広さ。 ピンク〇の写真は後程。

下の写真は、彦岳に登った時に途中で撮影。 津久見市の全景。
彦岳頂上から、下に佐伯市が広く見えた。 遠くに四国の山脈。 途中で津久見市の市街地が。~佐伯市・津久見市~ 他 (2018/1/31)
採掘地は左に少し見えているのか。
駅前を通って、宗麟公園に向かう。


宗麟公園。 右上に像。 左奥に墓。

津久見のこの地に、キリシタンの国を夢見た。 長生きできなかった。


この上に墓。

この地方では英雄。
赤線の部分に、天正6年(1578)とある。 耳川の戦いの年。
経緯を少し。 南の日向(ひゅうが)方面は、伊東氏の領地だった。 広い。※ 飫肥(おび)などを拠点に。
島津氏に負けて、宗麟の元に逃げてくる。
1578年、大友宗麟を中心に、伊東氏の土地を取り戻すべく日向に攻め入った。
でも、島津義弘には勝てない。
負けて逃げ帰る。 敗走する大友軍の血で、耳川は真っ赤に染まった。
大友氏も伊東氏も、秀吉を頼ることになる。
島津の勢力は九州全体に広まってく。
※ 余談(1) 大友宗麟は、島津義弘の知略・リーダーシップに全く敵(かな)わない。
島津軍は一枚岩。 大友軍は仲間割れ。
余談(2) この戦いで大友軍にいた、龍造寺・蒲池(かまち)一族は大きな打撃を受ける。
先日紹介した蒲池法子(松田聖子)の先祖は、蒲池応誉(おうよ)。
彼の父と祖父は、この戦いで命を落とす。
柳川は水郷の町。 炬燵に入って川下り。 さげもんは華やか。 ワラスボの顔。 蒲池法子。~柳川市~ 他 (2019/2/16)
京風の町並みが残る、重伝建地区、美々津 ~日向市~ 若葉のささやき(天地真理) 他 (2012/3/29)


新しく作られた墓。


下はボケてしまった。 右写真は、グルコミというサイトからお借り。
宗麟の江戸時代に作られた墓。 すぐに作られたのは無い。


観光地図は持っている。 小ミカンの古木などを探しに。

青江ダム。 高く来ても、採掘地は見えない。 カモの波。 巨大魚が後ろから・・・。


何も見つけらけない。 ここから入るとか、案内は全くない。
石灰岩の採掘地はこの山の向こう。


運び出して、ベルトコンベアーで港の方に行くのか。


国道に出て北上。 右上現在地にこの地図。 赤〇まで入った。
でも、1ヶ所も案内はなかった。 右は、たまたまこれかなって撮った。
観光案内が不親切に感じた。 右写真の〇は、夕顔って人の墓。
左上に美しい人とあるけど、それ以上は分からない。 ネットでも。


今日はずっと霧雨。


津久見鉱山について紹介しますね。 ここは新津久見鉱山。
右奥に八戸(はと)鉱区が。

新津久見と戸高を合わせると日本一ですね。 ※ 戸高鉱山の正確な場所は分からない。
※ 八戸は下に。
八戸キャニオンは海抜マイナス170㍍。 日本で一番標高の低い所。 巨大ダンプで石灰石を。~八戸市~ 他 (2016/7/12)


※ 石灰岩は気の遠くなるほど長い歴史の中で、貝殻とかからできた石。
グーグルの写真。 元々は上に膨らんでいたのでしょうね。

※ 下の3枚は、太平洋鉱業からお借り。
ガリガリ削るのではなく、発破で崩す。 比較的安全で安価な「アンホ爆薬」を使って。
ダンプにはほぼ100㌧積める。 車道走ってるダンプの10倍。
※ このダンプは免許がいらない。 大きすぎて、車道走れないから。
バラバラで運んで、ここで組み立てる。


外ですると粉塵が出るので、このように。

上の3枚について、詳しくはここに。
セメントを作るには石灰石がいる。
それを使ってコンクリート。 日本の発展を支えてきた。
津久見市の人たちは、大友宗麟の魅力を分かっているんでしょうね。
自分は理解できていない。
墓がなかったり、今はあっても小さい。
好かれない時代があったのでしょうか。
【今日の歌】 【公式】 川野夏美 「悲別~かなしべつ~」PV(フルサイズ) 彼女は津久見市の人。
悲別駅 ~旧上砂川駅 上砂川町~ 他 (2011/8/14)
悲別ロマン座、今は喫茶店に。 歌志内は、三浦綾子の最初の赴任地。~歌志内市~ 他 (2013/8/17)
【停泊場所】 津久見港
【明日の予定】 臼杵市に移ります。
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