遠野物語の268に、デンデラ野について書いてある。
それは、姥捨て山のような所。
遠野物語では、詳しくない。
捨てられたお年寄りは、捨てられた後、どうしたのか。
それが、分かった。
デンデラ野に、遠野のSさんが連れて行ってくれた。
※ Sさんは、去年の夏、盛岡の病院に入院していた人。
ブログにも、書いた。
Sさんからは、必ず寄るようにと、電話が来ていた。
一緒に、ふるさと村を歩くことにした。
Sさんの車で向かった。 最初は、遠野ふるさと村。
Sさんは、昔トラックの運転手。 だから、運転は上手。
でも、体を壊してからは、そんなに運転しない。
こんな葉っぱの木がある。 目立つ。
ここが入り口。
ふるさと村は、遠野の昔を再現したところ。 広い。
気温が上がってきたので、Sさんは、涼しい建物の中で待つことになった。
遠野も昔は、曲屋。 馬と一緒に住む。
この動物のはく製が展示してあった。 小さなイタチのよう。
※ 写真では、こんな顔。 めんこい。
建物は、移築したもの。 新築ではない。
里山の風景でしょうか。
ソバ打ちの体験が出来る建物かな。 そんなのが、色々ある。
大きな曲屋。 立派だ。
それが、ずっと不思議に思っていた。
江戸時代は、名主と言われる人が、その地区をまとめていた。
だから、名主の家は立派。
明治に入ったら、農民の土地を合法的なんだが、何だかんだと取り上げて、地主になった者がいた。
地主の家が、大きな曲屋として残った。 そういうことかな。
時代は変わっても、小作人と言われる、普通の農民の生活は、楽にはならなかった。
※ 今の時代も、アメリカから小麦を輸入したことによって、農民は苦労している。
車などを売った見返りに、買わされた。
農民が大事にされない時代が、まだ続いている。
江戸、明治、今と、基本的には変わっていないのか。
階段があった。 上ったらダメ、とあった。 映画のセットだった。
ここは、「愛しの座敷わらし」と云う映画の、ロケ地になっていた。
水谷豊主演。 来年封切られる。
建物は、見せるだけでなく、使われてるのが多い。
馬がいた。
小さな子供が、「おじさん、何してるの」って聞いてきた。
「写真だよ。 パチパチって」と言った。
「お馬さん、こわくないかい」と聞いた。 首を振った。
馬の目は、こうだった。
この建物で、バス2台分の人達が、食事。 今、準備中。
上の子は退屈なので、一人で、馬を見ていた。
このように、親から離れる子が、自立が始まっており、将来が期待できるんですね。
いい感じです。 ここは市営かな。 ちゃんとしている。
実際に燃えている。
河童(かっぱ)の置物が。
この後、Sさんと食事をしたが、こんなことを聞いた。
※ Sさんの育った家は、カッパ淵から近い。 子供の頃、泳いで遊んだ。
「子供の頃、河童は本当にいると思っていたの?」って聞いた。
そうしたら、
「河童のことなんか知らなかった」と言った。
こういうことだった。
遠野が河童で有名になったのは、遠野物語が出てからだった。
みんな、昔語り継がれていたことは、忘れていた。
別の馬。
馬の表情は、飼い主の表情って、いつか聞いた。
馬がいても、家の中は、臭くはなかった。
トマトとナスビ。 最近、トマトを買う。 焼いたナスビは美味しい。 漬物も。
今日は、日曜日。
曲がった木を使ってる。 上も、向こうの壁も。
曲がった木を使う大工さんは、腕がいいとあった。
涼しい日が続いていたのに、今日は暑い。 上の子が、首から水を下げている。
昔の農村の風景。 普通の家は、立派ではない、小さな曲屋ですね。
生産者が儲かる仕組みにはなってない。 大変。 (上とこれは、昔の写真)
そばを食べた後、山道に連れて行ってくれた。
私は大好き。 昔、しょっちゅう、林道を走っていた。
※ 北オホーツク方面の、ほとんどの林道を走った。
遠回りして、デンデラ野に向かっている。
ここが、デンデラ野。 小高い山の上。 昔は、深い森の中。
小さな建物。
小屋の中。
昔、60歳になったら、息子が親を背負って、ここに連れてきた。
何人もいた。 お年寄りは、自分の力で生きて行く。
栄養とかは十分でないから、いつかは死ぬ。
周りの山に、自分たちで埋める。
食べ物は、どうしたか。
山を下りて、畑の手伝いをした。 少しだけの食料をもらった。
それを食べて、生きた。
飢饉の時や不作の時は、十分にもらえない。 まったく、もらえない時も。
そんな年、最初に死んでいくのは、デンデラ野のお年寄り。
デンデラ野と呼ばれる所は、あっちこっちにあった。 地域ごとに。
※ 京都に、蓮台野(れんだいの)と云われる墓地がある。 火葬場もあるが。
れんだいの、が、デンデラ野、に変わったと云われている。
Sさんが、山に連れてくる時、枝を折ったんだよな、と云った。
この事を調べてみた。
息子に背負われた親は、デンデラ野に来る途中、ずっと木の枝を折りながら来た。
息子は、それを目印に、親が家に戻るのかなと思った。
親は言った。
木の枝を折ってあるから、それを目印に迷わず帰れ、って。
親をこのようにデンデラ野に連れてくると云うことは、次は、自分が来ることになる。 次は、自分の番か。
息子は、そのことを知る。
※ 自分の親の葬式の時、次は自分の番だな、と思うのと似ている。
人生50年の時代、60まで生きたら、もう十分なのか。
働かない者は、食うべからず、なのか。
生まれた子を間引きした時代だから、親を山に捨てると云うのは、そんなに悲しまずにできたのか。
飢饉がやって来たら、家族の多くが死んで、人の肉だって食べた時代。
たった100年前まで、想像できない生活があった。
橋の欄干。
【道の駅】 にしね ※ 岩手山の麓
※ 関連ブログ コマクサの大群落 岩手山 ~上は、強風と雨~ 明日、八幡平へ 他 (2010/7/27)
焼走り熔岩流 他 (2009/07/08)
【明日の予定】 鹿角(かづの)市のどこかかな。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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それは、姥捨て山のような所。
遠野物語では、詳しくない。
捨てられたお年寄りは、捨てられた後、どうしたのか。
それが、分かった。
デンデラ野に、遠野のSさんが連れて行ってくれた。
※ Sさんは、去年の夏、盛岡の病院に入院していた人。
ブログにも、書いた。
Sさんからは、必ず寄るようにと、電話が来ていた。
一緒に、ふるさと村を歩くことにした。
Sさんの車で向かった。 最初は、遠野ふるさと村。
Sさんは、昔トラックの運転手。 だから、運転は上手。
でも、体を壊してからは、そんなに運転しない。
こんな葉っぱの木がある。 目立つ。

ここが入り口。

ふるさと村は、遠野の昔を再現したところ。 広い。
気温が上がってきたので、Sさんは、涼しい建物の中で待つことになった。
遠野も昔は、曲屋。 馬と一緒に住む。

この動物のはく製が展示してあった。 小さなイタチのよう。
※ 写真では、こんな顔。 めんこい。

建物は、移築したもの。 新築ではない。

里山の風景でしょうか。

ソバ打ちの体験が出来る建物かな。 そんなのが、色々ある。

大きな曲屋。 立派だ。
それが、ずっと不思議に思っていた。

江戸時代は、名主と言われる人が、その地区をまとめていた。
だから、名主の家は立派。
明治に入ったら、農民の土地を合法的なんだが、何だかんだと取り上げて、地主になった者がいた。
地主の家が、大きな曲屋として残った。 そういうことかな。
時代は変わっても、小作人と言われる、普通の農民の生活は、楽にはならなかった。
※ 今の時代も、アメリカから小麦を輸入したことによって、農民は苦労している。
車などを売った見返りに、買わされた。
農民が大事にされない時代が、まだ続いている。
江戸、明治、今と、基本的には変わっていないのか。

階段があった。 上ったらダメ、とあった。 映画のセットだった。
ここは、「愛しの座敷わらし」と云う映画の、ロケ地になっていた。
水谷豊主演。 来年封切られる。

建物は、見せるだけでなく、使われてるのが多い。

馬がいた。
小さな子供が、「おじさん、何してるの」って聞いてきた。
「写真だよ。 パチパチって」と言った。
「お馬さん、こわくないかい」と聞いた。 首を振った。
馬の目は、こうだった。

この建物で、バス2台分の人達が、食事。 今、準備中。
上の子は退屈なので、一人で、馬を見ていた。
このように、親から離れる子が、自立が始まっており、将来が期待できるんですね。


いい感じです。 ここは市営かな。 ちゃんとしている。

実際に燃えている。


河童(かっぱ)の置物が。
この後、Sさんと食事をしたが、こんなことを聞いた。
※ Sさんの育った家は、カッパ淵から近い。 子供の頃、泳いで遊んだ。
「子供の頃、河童は本当にいると思っていたの?」って聞いた。
そうしたら、
「河童のことなんか知らなかった」と言った。
こういうことだった。
遠野が河童で有名になったのは、遠野物語が出てからだった。
みんな、昔語り継がれていたことは、忘れていた。

別の馬。

馬の表情は、飼い主の表情って、いつか聞いた。

馬がいても、家の中は、臭くはなかった。

トマトとナスビ。 最近、トマトを買う。 焼いたナスビは美味しい。 漬物も。

今日は、日曜日。

曲がった木を使ってる。 上も、向こうの壁も。

曲がった木を使う大工さんは、腕がいいとあった。

涼しい日が続いていたのに、今日は暑い。 上の子が、首から水を下げている。

昔の農村の風景。 普通の家は、立派ではない、小さな曲屋ですね。

生産者が儲かる仕組みにはなってない。 大変。 (上とこれは、昔の写真)

そばを食べた後、山道に連れて行ってくれた。
私は大好き。 昔、しょっちゅう、林道を走っていた。
※ 北オホーツク方面の、ほとんどの林道を走った。

遠回りして、デンデラ野に向かっている。

ここが、デンデラ野。 小高い山の上。 昔は、深い森の中。

小さな建物。

小屋の中。

昔、60歳になったら、息子が親を背負って、ここに連れてきた。
何人もいた。 お年寄りは、自分の力で生きて行く。
栄養とかは十分でないから、いつかは死ぬ。
周りの山に、自分たちで埋める。
食べ物は、どうしたか。
山を下りて、畑の手伝いをした。 少しだけの食料をもらった。
それを食べて、生きた。
飢饉の時や不作の時は、十分にもらえない。 まったく、もらえない時も。
そんな年、最初に死んでいくのは、デンデラ野のお年寄り。
デンデラ野と呼ばれる所は、あっちこっちにあった。 地域ごとに。
※ 京都に、蓮台野(れんだいの)と云われる墓地がある。 火葬場もあるが。
れんだいの、が、デンデラ野、に変わったと云われている。
Sさんが、山に連れてくる時、枝を折ったんだよな、と云った。
この事を調べてみた。
息子に背負われた親は、デンデラ野に来る途中、ずっと木の枝を折りながら来た。
息子は、それを目印に、親が家に戻るのかなと思った。
親は言った。
木の枝を折ってあるから、それを目印に迷わず帰れ、って。
親をこのようにデンデラ野に連れてくると云うことは、次は、自分が来ることになる。 次は、自分の番か。
息子は、そのことを知る。
※ 自分の親の葬式の時、次は自分の番だな、と思うのと似ている。
人生50年の時代、60まで生きたら、もう十分なのか。
働かない者は、食うべからず、なのか。
生まれた子を間引きした時代だから、親を山に捨てると云うのは、そんなに悲しまずにできたのか。
飢饉がやって来たら、家族の多くが死んで、人の肉だって食べた時代。
たった100年前まで、想像できない生活があった。
橋の欄干。

【道の駅】 にしね ※ 岩手山の麓
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焼走り熔岩流 他 (2009/07/08)
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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