普通、伝説は真実の可能性が低い。 小町にしてもそう。
しかし、今日の静御前の話はそうでもない。 もしかしたらって、感じさせてくれた。
・ ・ ・ ・ ・ ・
お寺参りに行ったのだけど、すっかり忘れて・・。
静御前は吉野で捕まって、鎌倉に。
生んだ義経の子は男の子。 殺された。
京都に戻ったけど、生きる望みはない。
失意の中で母と一緒に、母の故郷の小磯に来た。
そして、今日の長尾寺(ながおじ)で剃髪し尼さんに。
こんな流れ。
伝説地の中では、一番可能性が高い。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
赤〇が母の故郷の、小磯。 ※ 小磯と母の名前の磯禅師とは関係あるのか。

山門(仁王門)。 江戸時代初めに建てられた。
手前両脇に、重要文化財の石柱。
後ろに大きなクスノキ。

これ。 鎌倉中期のもの。 今は作られない。

夜に見たら、お化け~って言われそう。 地図は南北逆。
寺の近くまで、琴電が。 左下に、悩みの無い山頭火(?)。

中央に本堂。 右が大師堂。 納経所は左の方に。

大師堂。 普通と違う。 屋根の上に三重塔のように、飛び出した部分が。(相輪と呼ばれる)。
いつもお大師様と一緒。 若い女性も、一緒で幸せ~って思えるのかな。

本堂。 右写真については最後に。
本堂の左脇陣に、静御前の位牌がある、と調べて分かっている。 撮れるでしょうか。

中には入れないけど、外から撮れました。 これが位牌。
静御前は剃髪して、宥心尼(ゆうしんに)の名前に。 宥心法尼とある。 戒名??

本道の左に、これ。 剃髪塚は後ろに。

剃髪塚の五輪塔。 いつのことかを、説明に補足。
※ 鎌倉に行ったのは、1186年。 その秋から、歴史上は行方不明と。
※ ここの記録では、2年後の1188年に讃岐の地に(小磯)。
※ 長尾寺に来たのは、次の年の1189年。
※ 母が亡くなったのは、1190年の12月。
※ 静御前が亡くなったのは、1193年の3月14日。(24歳)(数え25歳)

※ 資料として、Wikipediaの文を載せますね。 地方の伝承として、ここの話が一番詳しい。
香川県東かがわ市には次のような言い伝えがある。愛児を殺され、生きる望みを失った静は自殺を考えたが、
母磯野を伴っていたため、それもならず、文治3年8月、母の故郷である讃岐国入野郷小磯(現・東かがわ市小磯)へ
母と共に帰る。
文治4年3月、讃岐国井閇郷高木(現・香川県木田郡三木町井戸高木)にある長尾寺において宥意和尚から得度を受け、
剃髪後、母は磯野尼、静は宥心尼とそれぞれ名を改め、薬師庵において信仰の日々を送るようになった。
後年、母磯野尼は長尾寺への参詣の帰り、井戸川の畔で寒さと老衰のため倒れ、69歳で亡くなり、まもなく静も母の
後を追うように建久3年3月、義経に逢うことなく24歳の短い生涯を閉じた。
長尾寺には静親子が剃髪したときに使用したとされる剃刀を埋めた剃髪塚、井戸川橋のある県道沿いには母磯野尼の墓、
昭和地区には静が俗世への想いを断ち切るために、吉野山で義経から形見としてもらった紫檀の鼓(初音)を井戸川橋
に棄てたとされる「鼓ヶ淵」がある。
その他、小磯には静屋敷が、三木町中代には静庵・静の本墓・位牌・下女琴柱の墓があり、同町下高岡の願勝寺にも静
の墓とされるものがある。
幸せな頃、静御前と母の磯禅師は京都のどこで暮らしていたか。
平安京の大内裏の南の辺りですね。
当時の面影は残ってないけど、神泉苑だけが残った。
静御前と義経が出会った場所も、ここ。 二条城の少し南。
静御前は、後白河天皇の前で、ここで舞った。 ※ 右写真はWikipedia.。その右は、神泉苑のHPから。

東側の門。 昔はこっちが正門だった。 右はツグミ。 ムクドリよりめんこい。
この門は、栗林公園の正門だった。
明日、栗林公園の正門を撮りに行ってきましょうか。 桜は満開ではないけど。
花はサンシュユですね。

みんなで桜を撮っている。 全員スマホ。 そういう時代。

ほれほれおいでおいでって感じで、教えてくれた。 ひょうたん桜だという。
つぼみがひょうたんのようだから。
※ 桜の品種では、エドヒガン。
ひょうたん桜は、エドヒガンの一種ではなく、エドヒガンのニックネーム。
そう呼ぶ土地がある。
エドヒガン系の桜は、つぼみがひょうたんのようだそう。
つぼみがひょうたんだと言って、楽しむ。 咲いては喜んで、散っては涙して。

納経帳には以前から書いてあった。
※ この納経帳は、高松のMさんから頂いた。
いそがしくて行けないからって。 いくつかのお寺には行っていた。 ここを含めて。

※ 余談 上に、「あしびきの 山鳥の尾の 長尾寺 秋の夜すがら 御名を唱えて 」
万葉集に、下の歌が。
「あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む」(百人一首。柿本人麻呂)
「東の 野にかぎろひの 立つ見えて ・・・」の舞台を歩く。~宇陀市~ 他 (2013/4/14)
今日は、静御前に会いに行ってきました。
【記事紹介】 醒ヶ井通(さめがいどおり)を歩く。 他に、本能寺跡と神泉苑。~京都市~ 他 (2015/6/9)
静御前伝説。 彼女は、奥州をめざし、大塩に。 静御前の墓。 静の桜。~大町市~ 他 (2015/5/26)
【動画】 いいなCM サントリー ウィスキー 山崎12年 萩原健一 小栗旬
※ 味が濃い。 その後、恋したい。 最後は、大人になっちゃった、って言ってるのか。
予告編 約束 1972 斎藤耕一 岸惠子
※ 先日。 大杉の杉を紹介した。 その中で美空ひばりの「旅のサーカス」を紹介。
その中に、若い時の岸恵子がいた。 紹介を忘れたと、気にしていた。 その曲はここに。
下は40歳。 萩原健一22歳。
彼女は、いつの時代も美しい。 吉永小百合と同じように。 節制して。 健康を考えて。 強い意志を持って。
※ 森昌子はそれが出来なかった。
健康そうには見えない。 表情が崩れてしまった。 魅力は若い時にみんな使ってしまった。
【道の駅】 しおのえ
【明日の予定】 栗林公園。
※ 都道府県別のブログタイトル一覧表は、右をクリック。
(放浪の旅Ⅱと放浪の旅Ⅰの両方です。 記事の総数は3700ほど。)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
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しかし、今日の静御前の話はそうでもない。 もしかしたらって、感じさせてくれた。
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お寺参りに行ったのだけど、すっかり忘れて・・。
静御前は吉野で捕まって、鎌倉に。
生んだ義経の子は男の子。 殺された。
京都に戻ったけど、生きる望みはない。
失意の中で母と一緒に、母の故郷の小磯に来た。
そして、今日の長尾寺(ながおじ)で剃髪し尼さんに。
こんな流れ。
伝説地の中では、一番可能性が高い。
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( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
赤〇が母の故郷の、小磯。 ※ 小磯と母の名前の磯禅師とは関係あるのか。


山門(仁王門)。 江戸時代初めに建てられた。
手前両脇に、重要文化財の石柱。
後ろに大きなクスノキ。


これ。 鎌倉中期のもの。 今は作られない。


夜に見たら、お化け~って言われそう。 地図は南北逆。
寺の近くまで、琴電が。 左下に、悩みの無い山頭火(?)。


中央に本堂。 右が大師堂。 納経所は左の方に。


大師堂。 普通と違う。 屋根の上に三重塔のように、飛び出した部分が。(相輪と呼ばれる)。
いつもお大師様と一緒。 若い女性も、一緒で幸せ~って思えるのかな。


本堂。 右写真については最後に。
本堂の左脇陣に、静御前の位牌がある、と調べて分かっている。 撮れるでしょうか。


中には入れないけど、外から撮れました。 これが位牌。
静御前は剃髪して、宥心尼(ゆうしんに)の名前に。 宥心法尼とある。 戒名??


本道の左に、これ。 剃髪塚は後ろに。


剃髪塚の五輪塔。 いつのことかを、説明に補足。
※ 鎌倉に行ったのは、1186年。 その秋から、歴史上は行方不明と。
※ ここの記録では、2年後の1188年に讃岐の地に(小磯)。
※ 長尾寺に来たのは、次の年の1189年。
※ 母が亡くなったのは、1190年の12月。
※ 静御前が亡くなったのは、1193年の3月14日。(24歳)(数え25歳)


※ 資料として、Wikipediaの文を載せますね。 地方の伝承として、ここの話が一番詳しい。
香川県東かがわ市には次のような言い伝えがある。愛児を殺され、生きる望みを失った静は自殺を考えたが、
母磯野を伴っていたため、それもならず、文治3年8月、母の故郷である讃岐国入野郷小磯(現・東かがわ市小磯)へ
母と共に帰る。
文治4年3月、讃岐国井閇郷高木(現・香川県木田郡三木町井戸高木)にある長尾寺において宥意和尚から得度を受け、
剃髪後、母は磯野尼、静は宥心尼とそれぞれ名を改め、薬師庵において信仰の日々を送るようになった。
後年、母磯野尼は長尾寺への参詣の帰り、井戸川の畔で寒さと老衰のため倒れ、69歳で亡くなり、まもなく静も母の
後を追うように建久3年3月、義経に逢うことなく24歳の短い生涯を閉じた。
長尾寺には静親子が剃髪したときに使用したとされる剃刀を埋めた剃髪塚、井戸川橋のある県道沿いには母磯野尼の墓、
昭和地区には静が俗世への想いを断ち切るために、吉野山で義経から形見としてもらった紫檀の鼓(初音)を井戸川橋
に棄てたとされる「鼓ヶ淵」がある。
その他、小磯には静屋敷が、三木町中代には静庵・静の本墓・位牌・下女琴柱の墓があり、同町下高岡の願勝寺にも静
の墓とされるものがある。
幸せな頃、静御前と母の磯禅師は京都のどこで暮らしていたか。
平安京の大内裏の南の辺りですね。
当時の面影は残ってないけど、神泉苑だけが残った。
静御前と義経が出会った場所も、ここ。 二条城の少し南。
静御前は、後白河天皇の前で、ここで舞った。 ※ 右写真はWikipedia.。その右は、神泉苑のHPから。



東側の門。 昔はこっちが正門だった。 右はツグミ。 ムクドリよりめんこい。


この門は、栗林公園の正門だった。
明日、栗林公園の正門を撮りに行ってきましょうか。 桜は満開ではないけど。
花はサンシュユですね。


みんなで桜を撮っている。 全員スマホ。 そういう時代。

ほれほれおいでおいでって感じで、教えてくれた。 ひょうたん桜だという。
つぼみがひょうたんのようだから。
※ 桜の品種では、エドヒガン。
ひょうたん桜は、エドヒガンの一種ではなく、エドヒガンのニックネーム。
そう呼ぶ土地がある。
エドヒガン系の桜は、つぼみがひょうたんのようだそう。
つぼみがひょうたんだと言って、楽しむ。 咲いては喜んで、散っては涙して。


納経帳には以前から書いてあった。
※ この納経帳は、高松のMさんから頂いた。
いそがしくて行けないからって。 いくつかのお寺には行っていた。 ここを含めて。

※ 余談 上に、「あしびきの 山鳥の尾の 長尾寺 秋の夜すがら 御名を唱えて 」
万葉集に、下の歌が。
「あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む」(百人一首。柿本人麻呂)
「東の 野にかぎろひの 立つ見えて ・・・」の舞台を歩く。~宇陀市~ 他 (2013/4/14)
今日は、静御前に会いに行ってきました。
【記事紹介】 醒ヶ井通(さめがいどおり)を歩く。 他に、本能寺跡と神泉苑。~京都市~ 他 (2015/6/9)
静御前伝説。 彼女は、奥州をめざし、大塩に。 静御前の墓。 静の桜。~大町市~ 他 (2015/5/26)
【動画】 いいなCM サントリー ウィスキー 山崎12年 萩原健一 小栗旬
※ 味が濃い。 その後、恋したい。 最後は、大人になっちゃった、って言ってるのか。
予告編 約束 1972 斎藤耕一 岸惠子
※ 先日。 大杉の杉を紹介した。 その中で美空ひばりの「旅のサーカス」を紹介。
その中に、若い時の岸恵子がいた。 紹介を忘れたと、気にしていた。 その曲はここに。
下は40歳。 萩原健一22歳。
彼女は、いつの時代も美しい。 吉永小百合と同じように。 節制して。 健康を考えて。 強い意志を持って。
※ 森昌子はそれが出来なかった。
健康そうには見えない。 表情が崩れてしまった。 魅力は若い時にみんな使ってしまった。
【道の駅】 しおのえ
【明日の予定】 栗林公園。
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