18時24分、異常発生。 45分、操縦不能。 56分30秒、墜落。
その間、32分30秒。 乗客の不安・恐怖は、どれほどのものだったでしょう。
・ ・ ・ ・ ・ ・
今回は2度目の御巣鷹の尾根。
以前と同じように人は訪れているでしょうか。
手を合わせ、また、新しい発見もしたい。
そんな思いで行ってきた。
今日の記事は、墜落地点まで。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
1985年8月12日。 あれから34年が経つ。
下は次の日の朝刊。 全員絶望か、とある。
4人の発見まで16時間。 どうしてそんなに。

場所は御巣鷹の尾根と言われる。
※ 実際は間違いで、当時の村長さんがそう言ったので、そうなってしまった。
正確には高天原(たかまがはら)山の尾根。
緑が大きな尾根。 枝のような黄色の尾根に墜落。

場所は群馬県。 左は長野県。 右は埼玉県。

墜落直前の飛行コースを調べてみました。
最後はあお向けになって。 上は長野県川上村。

墜落現場。 機体の前の方はその場で大破。(主翼の後ろまで) 黄色の範囲に散らばる。 生存者はいない。
機体の後部は、緑の急斜面を滑り下りる。 最後はバラバラになるけど燃えない。
4名の生存者は下のピンクの〇の中で発見。
※ 墜落当時はもっと多くの人が生きていたよう。
川上慶子さんの父も妹も。 慶子さんは妹を励ましたと言う。
16時間でなく、その半分で発見できていたらと悔やまれる。 疑問点はいろいろ。

上野村から向かった。 ぶどう峠は通ったことがあるかな。 大変ね道。 ここで左に。
※ 目的地まで、上野村から20㌔ほど。

道は狭くても、大型バスが走る。 出会ったら大変。
途中、中型バスとすれ違う。 たまたま広い道で。
※ バスは当たり前のように下がらない。
気の強い人は、相手がバスだって下がらない。
とにかく急な上り。 戻る時はほとんど、ギアをローにして下った。

駐車場に着いた。 登山口。
大型バスが来ていて、多くの人が下りてきた。 バスは行った。
天気予報は、雨が10㌫。 その10㌫が降ってきた。
明日再び来るのは、車が可愛そう。
食事したり昼寝したりして、1時間待った。
日が差してきた。 行くと決めた。 熊対策をして。
駐車場には、管理人さんの車だけ。 1時過ぎに出発。

登山口。 800㍍。 目的地は2つの川に挟まれた尾根。

左の川から離れる。 右に行けばスゲノ沢。
※ 事故の翌日、上野村から捜索隊が川沿いに登ってきた。
喉が渇いて川の水を飲もうとした。 もう普段と違って、飲めなかったという。
(詳しくは前回の記事に。 この沢を道案内した人に話を聞くことが出来た。現場への一番乗り。 11時ころ)
※ 朝一番でヘリはなぜ来なかったのか。 5時過ぎたら明るい。
来ても、すぐに救助活動をしていない模様。
川上村の救助隊が頼んで4人を運んでもらっている。

碑がある。

アメリカの運輸安全委員会のチーフが来ていた。
事故を教訓にして、これからの事故を無くする。
※ これだけでは物足りない。
事故の責任をはっきりさせない限り、ほんとうの再発防止にはならない。 自分はそう思う。
(この事故だって、はっきりしない部分が。 はっきりしたら困る者がいるのか)

機体後部が滑り落ちたのは、Aの部分に。

登っていくと小屋が見えてきた。 誰が休んでもいい。 トイレもある。

ジグザグに上がっていく。 遺体発見場所。
機体後部は、もう少し上を、左上から右下に滑り落ちる。

左上から、この谷の下に。 最終地点は、写真中央少し右上。
管理人さんの黒沢さんが作業をしていた。 少し前、遠くから会釈。

反対に上がっていく。 機体後部はそれなりに形はあっても壊れている。
数か所、遺体発見場所が。

着きました。 招魂の碑。 墜落現場が、少し先の高い所。
この時、ぱらぱらと雨が降ってきた。 涙雨に思った。 傘を出した。
ヘリコプター生存者を吊り上げたのは、この場所ですね。
ここまでは、木の枝でタンカを作って4人を運んだ。 (明日の記事に写真を)

今は左にいる。 この地図は持っている。 明日はオレンジを歩く。
※ 坂本九(大島九)さんの発見場所は、〇チ。 川上さんたちが助かったのは、右下。

前回来た時と違って、身内の人のは減った。(管理人さんも言っていた)
お孫さんが来た。
右のは操縦士(運航乗務員)の方ですよ。 安全を肝に銘じるために来た。

上を見たら、小屋が。 ここには、写真とかが。 右上に、亡くなった人の名前。

反対側の山を見た。 〇の所の木が短い。(下の文は、Wikipediaから)
18時56分23秒、急降下しながら、あそこに機体後部と右主翼を接触。 ※ 前から見たら左の主翼。
この直前、機長の「もうだめだ」と聞き取れる声。
その後一旦少し上昇。 しかし、すぐに機種を下げ右に傾いた。 ※ 向かって左に。
26秒に、右主翼が地面をえぐり機体の破壊が始まった。
28秒に、機体後部が分離。 ボイスレコーダーの録音はここまで。
30秒、機体前部は反転する形で衝突、墜落。 原形をとどめないほどバラバラに。
客室後部は尾根への激突を免れて、斜面に平行に近い角度で着地。
樹木をなぎ倒しながら尾根の斜面を滑落して時間をかけて減速。
前部と比べて破損が少なく火災も発生しなかった。
それでも最後は機体は大きく破損。 そんな中、奇跡的に4名の女性が助かる。
※ このように。

520名。 飛行機事故で最大の人数。 あいうえお順。 左上から横に。 次は下の列。
※ 大島九さんの名前が。 慶子さんの家族は、川上英治、和子、咲子さん。
観音様の影が。 右写真は、さらに上に。

墜落地点に近い場所。

墜落地点の碑が見えた。

ここで大破と。

続きは明日です。 実際の事故の様子などを。
【道の駅】 しもにた
【明日の予定】 見学出来たら近くを。 記事は御巣鷹の尾根の(その2)
週末天気が荒れそう。 その時に、岩宿遺跡を紹介。
※ 都道府県別のブログタイトル一覧表は、右をクリック。
(放浪の旅Ⅱと放浪の旅Ⅰの両方です。 記事の総数は3700ほど。)
※ プロフィール・・・。 ⇒
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1985年8月12日。 あれから34年が経つ。
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4人の発見まで16時間。 どうしてそんなに。

場所は御巣鷹の尾根と言われる。
※ 実際は間違いで、当時の村長さんがそう言ったので、そうなってしまった。
正確には高天原(たかまがはら)山の尾根。
緑が大きな尾根。 枝のような黄色の尾根に墜落。

場所は群馬県。 左は長野県。 右は埼玉県。


墜落直前の飛行コースを調べてみました。
最後はあお向けになって。 上は長野県川上村。

墜落現場。 機体の前の方はその場で大破。(主翼の後ろまで) 黄色の範囲に散らばる。 生存者はいない。
機体の後部は、緑の急斜面を滑り下りる。 最後はバラバラになるけど燃えない。
4名の生存者は下のピンクの〇の中で発見。
※ 墜落当時はもっと多くの人が生きていたよう。
川上慶子さんの父も妹も。 慶子さんは妹を励ましたと言う。
16時間でなく、その半分で発見できていたらと悔やまれる。 疑問点はいろいろ。

上野村から向かった。 ぶどう峠は通ったことがあるかな。 大変ね道。 ここで左に。
※ 目的地まで、上野村から20㌔ほど。

道は狭くても、大型バスが走る。 出会ったら大変。
途中、中型バスとすれ違う。 たまたま広い道で。
※ バスは当たり前のように下がらない。
気の強い人は、相手がバスだって下がらない。
とにかく急な上り。 戻る時はほとんど、ギアをローにして下った。


駐車場に着いた。 登山口。
大型バスが来ていて、多くの人が下りてきた。 バスは行った。
天気予報は、雨が10㌫。 その10㌫が降ってきた。
明日再び来るのは、車が可愛そう。
食事したり昼寝したりして、1時間待った。
日が差してきた。 行くと決めた。 熊対策をして。
駐車場には、管理人さんの車だけ。 1時過ぎに出発。

登山口。 800㍍。 目的地は2つの川に挟まれた尾根。


左の川から離れる。 右に行けばスゲノ沢。
※ 事故の翌日、上野村から捜索隊が川沿いに登ってきた。
喉が渇いて川の水を飲もうとした。 もう普段と違って、飲めなかったという。
(詳しくは前回の記事に。 この沢を道案内した人に話を聞くことが出来た。現場への一番乗り。 11時ころ)
※ 朝一番でヘリはなぜ来なかったのか。 5時過ぎたら明るい。
来ても、すぐに救助活動をしていない模様。
川上村の救助隊が頼んで4人を運んでもらっている。

碑がある。


アメリカの運輸安全委員会のチーフが来ていた。
事故を教訓にして、これからの事故を無くする。
※ これだけでは物足りない。
事故の責任をはっきりさせない限り、ほんとうの再発防止にはならない。 自分はそう思う。
(この事故だって、はっきりしない部分が。 はっきりしたら困る者がいるのか)


機体後部が滑り落ちたのは、Aの部分に。

登っていくと小屋が見えてきた。 誰が休んでもいい。 トイレもある。


ジグザグに上がっていく。 遺体発見場所。
機体後部は、もう少し上を、左上から右下に滑り落ちる。

左上から、この谷の下に。 最終地点は、写真中央少し右上。
管理人さんの黒沢さんが作業をしていた。 少し前、遠くから会釈。

反対に上がっていく。 機体後部はそれなりに形はあっても壊れている。
数か所、遺体発見場所が。

着きました。 招魂の碑。 墜落現場が、少し先の高い所。
この時、ぱらぱらと雨が降ってきた。 涙雨に思った。 傘を出した。
ヘリコプター生存者を吊り上げたのは、この場所ですね。
ここまでは、木の枝でタンカを作って4人を運んだ。 (明日の記事に写真を)

今は左にいる。 この地図は持っている。 明日はオレンジを歩く。
※ 坂本九(大島九)さんの発見場所は、〇チ。 川上さんたちが助かったのは、右下。

前回来た時と違って、身内の人のは減った。(管理人さんも言っていた)
お孫さんが来た。
右のは操縦士(運航乗務員)の方ですよ。 安全を肝に銘じるために来た。


上を見たら、小屋が。 ここには、写真とかが。 右上に、亡くなった人の名前。


反対側の山を見た。 〇の所の木が短い。(下の文は、Wikipediaから)
18時56分23秒、急降下しながら、あそこに機体後部と右主翼を接触。 ※ 前から見たら左の主翼。
この直前、機長の「もうだめだ」と聞き取れる声。
その後一旦少し上昇。 しかし、すぐに機種を下げ右に傾いた。 ※ 向かって左に。
26秒に、右主翼が地面をえぐり機体の破壊が始まった。
28秒に、機体後部が分離。 ボイスレコーダーの録音はここまで。
30秒、機体前部は反転する形で衝突、墜落。 原形をとどめないほどバラバラに。
客室後部は尾根への激突を免れて、斜面に平行に近い角度で着地。
樹木をなぎ倒しながら尾根の斜面を滑落して時間をかけて減速。
前部と比べて破損が少なく火災も発生しなかった。
それでも最後は機体は大きく破損。 そんな中、奇跡的に4名の女性が助かる。
※ このように。


520名。 飛行機事故で最大の人数。 あいうえお順。 左上から横に。 次は下の列。
※ 大島九さんの名前が。 慶子さんの家族は、川上英治、和子、咲子さん。
観音様の影が。 右写真は、さらに上に。


墜落地点に近い場所。


墜落地点の碑が見えた。

ここで大破と。

続きは明日です。 実際の事故の様子などを。
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【明日の予定】 見学出来たら近くを。 記事は御巣鷹の尾根の(その2)
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