昨日の記事は墜落地点まででした。
その続きを今日。
写真はニュース等からお借りして。
(厳しい写真は、1枚だけ)
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
御巣鷹の尾根と言われるけど、正確には高天原の尾根。 (今更変更できない)

衝突地点は×の所。 機体後部は右のスゲノ沢の急斜面を滑る。
滑ると言うことがなかったら、生存者はいなかった。
どういう姿勢で滑ったかは分からない。
生存者の4名は、一番後ろに集まっている。

オレンジの部分を歩く。 全部は歩いていない。
※ もう一度来る機会があれば、すべてを歩いて墓や墓標の写真を全部撮るでしょうか。
来れない人のために紹介する。
墜落地点に近い一番高い所。 機長さんたち。(運航乗務員さん3名)
32分30秒、機体を必死で制御した。 経験はなかったのに。

機体前部に乗っていた人たち。 機体は一瞬でバラバラに。
この道から近い所なので、ここですね。

墓のようなのもあれば、墓標の感じの物も。
この地点で誰が亡くなったかは記録にある。
それに基づいて墓を作るとかは、遺族が決めますね。
現在、520名のうちいくつくらいあるのでしょう。

階段を下りてこっちに来た。 坂本九さんですね。
上を向いて歩こうって、人々を励ましてくれた。
他の人と同じように、家族は何度も来たでしょうね。
※ 書いた短冊を読むと、身内の人が来るのは年々減っているなって感じます。(昨日見た)

ここまで一帯が一番多い。 主翼の後ろから前の方全員。
※ 旅客機の燃料は主翼にあるから、墜落したらそれが爆発する。

少なくなってきて、スゲノ沢への急斜面。

全ての道は管理人さんによって整備されている。
※ 管理人さんは、公益財団法人「慰霊の園」の職員。 管轄は群馬県。
ただ、運営費は日本航空の寄付のよう。
※ 日航と上野村の関係は難しい部分がある。 下に詳しく。
【日航機墜落30年】御巣鷹の村、日航の「下請け化」=経済的依存が深まる歪んだ関係(エキサイトニュース)

上から飛ばされた人もいる。

スゲノ沢の一番下が見えてきた。 管理人さんはそこで仕事。

機体後部は正面右上の方から滑り降りてきた。

管理人の黒沢さん。 1人で来て誰もいなかったら不安は大きい。 近くにシカもクマもいる。
冬支度の準備。 雪の重みに負けそうなところを、この棒で支える。 皮をはいで。
右写真は、向こうの小屋の中。 黒沢さんと15分ほどお話し。(前回来た時も話していた)

黒沢さんは、川上さん家族の場所を教えてくれた。 ここ。
慶子さんの、お父さん・お母さん・妹。
※ お父さんと妹はしばらく生きていた。
話すことが出来た。 誰もが何かに挟まっていて動けない。
慶子さんは、自分の手足がみんなあることを自分で触って確認した。
お父さ痛いよ~って言っても、どうも出来ないって返事。
お父さん力尽きる。
慶子さんは妹に、島根に帰ったらばあちゃんとお兄ちゃんの4人で暮らそうねという。
でも、妹の声はいつの間にか聞こえなくなった。
周りから誰かの声が聞こえた。
※ 右に詳しく 生存者の証言 -川上慶子さんの証言-

この場所、つまりスゲノ沢はこうでした。 川上さん家族は左下。
※ 右写真。 即死fでないからこうなったと説明が。 腫れている。(1枚だけ、厳しい写真を)
※ 捜索隊の人は、知らぬうちに遺体の一部を蹴飛ばしていることは珍しくなかったという。
(捜索した人からの話。 くわしくは前回の記事に)

助かった人の座席位置。

慶子さんは短パンに半袖。 暗闇の中で一晩過ごした。
助けられたのは、午前11時。 墜落から16時間。

彼女は現在46才。 右は亡くなった家族。 英治さん、和子さん、咲子ちゃん。

川上さん家族は北海道に行った帰りだった。
千歳から羽田に来た。
島根に真っ直ぐ行かないで、大坂の誰かに会うために伊丹空港への飛行機に乗った。
(キャンセル待ちで乗ったと言う情報も)
川上さん家族は北海道ではどんな旅を?。
1985年の8月9日から11日まで、別海町の矢臼別で平和盆踊り。
4人はこれに参加していた。
実は、私もその盆踊りにいた。 ※ 自分は他の年にも参加。 草刈りなどの準備をした年も。
盆踊りをしたりいろんな行事。
参加者は、自分のテントか用意されたテントに寝る。
これが終わって、札幌から羽田に。
※ はっきりしないけど、札幌からのツアーで来たのか。 釧路空港からの方が便利。
※ 何の情報で上のことを知ったかは、忘れてしまった。
事実としてネットのどこかには今もある。

この後戻る。

520名の方々のご冥福を祈ります。
助かった人4名の幸せも。
【記事紹介】
24年目の御巣鷹の尾根~日航123便~ 他 (2009/10/24)
今年も暑い夏が・・。 他 (2009/08/13)
【動画紹介】 ジャンボ墜落 ビジョン Life is like a boeing 墜落前40秒の飛行機の動き。
墜落機、確認直後の映像 日航事故、陸自が空撮
(音声再編集) JAL123 日本航空123便墜落事故 RJTT- RJOO JA8119 (機内視点】)
(異常発生から墜落までの全音声)
【搭乗を回避した著名人】

【道の駅】 しもにた (群馬県下仁田町)
【明日の予定】 道の駅の周辺を歩きます。
※ 都道府県別のブログタイトル一覧表は、右をクリック。
(放浪の旅Ⅱと放浪の旅Ⅰの両方です。 記事の総数は3700ほど。)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
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オレンジの部分を歩く。 全部は歩いていない。
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墜落地点に近い一番高い所。 機長さんたち。(運航乗務員さん3名)
32分30秒、機体を必死で制御した。 経験はなかったのに。

機体前部に乗っていた人たち。 機体は一瞬でバラバラに。
この道から近い所なので、ここですね。


墓のようなのもあれば、墓標の感じの物も。
この地点で誰が亡くなったかは記録にある。
それに基づいて墓を作るとかは、遺族が決めますね。
現在、520名のうちいくつくらいあるのでしょう。


階段を下りてこっちに来た。 坂本九さんですね。
上を向いて歩こうって、人々を励ましてくれた。
他の人と同じように、家族は何度も来たでしょうね。
※ 書いた短冊を読むと、身内の人が来るのは年々減っているなって感じます。(昨日見た)

ここまで一帯が一番多い。 主翼の後ろから前の方全員。
※ 旅客機の燃料は主翼にあるから、墜落したらそれが爆発する。


少なくなってきて、スゲノ沢への急斜面。


全ての道は管理人さんによって整備されている。
※ 管理人さんは、公益財団法人「慰霊の園」の職員。 管轄は群馬県。
ただ、運営費は日本航空の寄付のよう。
※ 日航と上野村の関係は難しい部分がある。 下に詳しく。
【日航機墜落30年】御巣鷹の村、日航の「下請け化」=経済的依存が深まる歪んだ関係(エキサイトニュース)


上から飛ばされた人もいる。


スゲノ沢の一番下が見えてきた。 管理人さんはそこで仕事。


機体後部は正面右上の方から滑り降りてきた。


管理人の黒沢さん。 1人で来て誰もいなかったら不安は大きい。 近くにシカもクマもいる。
冬支度の準備。 雪の重みに負けそうなところを、この棒で支える。 皮をはいで。
右写真は、向こうの小屋の中。 黒沢さんと15分ほどお話し。(前回来た時も話していた)


黒沢さんは、川上さん家族の場所を教えてくれた。 ここ。
慶子さんの、お父さん・お母さん・妹。
※ お父さんと妹はしばらく生きていた。
話すことが出来た。 誰もが何かに挟まっていて動けない。
慶子さんは、自分の手足がみんなあることを自分で触って確認した。
お父さ痛いよ~って言っても、どうも出来ないって返事。
お父さん力尽きる。
慶子さんは妹に、島根に帰ったらばあちゃんとお兄ちゃんの4人で暮らそうねという。
でも、妹の声はいつの間にか聞こえなくなった。
周りから誰かの声が聞こえた。
※ 右に詳しく 生存者の証言 -川上慶子さんの証言-

この場所、つまりスゲノ沢はこうでした。 川上さん家族は左下。
※ 右写真。 即死fでないからこうなったと説明が。 腫れている。(1枚だけ、厳しい写真を)
※ 捜索隊の人は、知らぬうちに遺体の一部を蹴飛ばしていることは珍しくなかったという。
(捜索した人からの話。 くわしくは前回の記事に)


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慶子さんは短パンに半袖。 暗闇の中で一晩過ごした。
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彼女は現在46才。 右は亡くなった家族。 英治さん、和子さん、咲子ちゃん。


川上さん家族は北海道に行った帰りだった。
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1985年の8月9日から11日まで、別海町の矢臼別で平和盆踊り。
4人はこれに参加していた。
実は、私もその盆踊りにいた。 ※ 自分は他の年にも参加。 草刈りなどの準備をした年も。
盆踊りをしたりいろんな行事。
参加者は、自分のテントか用意されたテントに寝る。
これが終わって、札幌から羽田に。
※ はっきりしないけど、札幌からのツアーで来たのか。 釧路空港からの方が便利。
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520名の方々のご冥福を祈ります。
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今年も暑い夏が・・。 他 (2009/08/13)
【動画紹介】 ジャンボ墜落 ビジョン Life is like a boeing 墜落前40秒の飛行機の動き。
墜落機、確認直後の映像 日航事故、陸自が空撮
(音声再編集) JAL123 日本航空123便墜落事故 RJTT- RJOO JA8119 (機内視点】)
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