原田が泣いた、あの感動の舞台に行ってきた。
新潟県に出るつもりだったが、塩の道があったので、寄ってみた。
「千国」「小谷」、どちらも読み方が難しい。
見上げた雲の隙間に、山が見えた。 白馬は、3000㍍に迫る山が、目の前だ。
長野オリンピックは、1998年の冬。
ここ、白馬ジャンプ競技場で、ジャンプは行われた。
ラージヒル(右)とノーマルヒル。
ここから、滑り降りてくる。 高さ、138㍍。
入場料は、オリンピック記念館と合わせて、500円。
夏でも練習は出来る。 水を流せば、滑られる材質。
あの日は、こうだった。
舟木。 ノーマルヒル(銀) ラージヒル(金) 原田 ラージヒル(銅)
100㌔近いスピードで、飛ぶというより、落ちてくる感じ。
リフトに乗って、上に行く。
階段を登る。
ラージヒル。
夏でも練習が出来る。 今日も、9時過ぎに飛んだ人がいたそう。
水を流して滑る。 右側を滑ると思う。
ここのジャンプ場は、現在では構造的に古くなっている。 ワールドカップが行われることはない。
白馬村の市街地。
こちらは、ノーマルヒル。
左に行ったら、日本海に出る。 糸魚川に。
バッケンレコードの標示。 ※一番遠くへ飛んだ標示。
オリンピックの団体競技で生まれた。 原田と岡部。
団体は金メダル。 写真は、原田が137㍍飛んだ時の着地。 原田は、ずっと泣いた。
(YouTube) (YouTube)
このシーンは、忘れられないものになった。
右の動画の中で、原田の声を引き出したのは、有働由美子アナウンサーでないかな。 大したもんだと思う。
昨日の、中島みゆきの歌で登場している、アナウンサー。
塩の道があったので、寄った。
糸魚川から塩尻まで、塩の道があることは、夏に、松本の穂高神社で知った。 ※ 関連ブログ 穂高神社他
ここは、牛方宿(やど)
昔の道が残っており、整備されていた。
栂池高原から下りてきた。
※ 栂池高原~とがいけこうげん 栂という木は、エゾマツに似ているそう。(この後、資料館で教えていただく。 地名についても)
小谷村(おたりむら)の、千国(ちくに)と云われるところ。
千国の集落を歩いた。
※ 千国(ちくに)の地名について。
平安中期に、藤原秀郷という武将がいた。 平将門の乱を平定したことで知られる。
この人の、3番目の息子が、藤原千国。
藤原氏の時代から、武士の時代に変わり、千国はここにやってきた。
なお、秀郷の6代後に、藤原清衡がいる。
この人が、奥州藤原氏4代の最初。(清衡・元衡・秀衝・泰衝)
義経を助けたのは、秀衝。
今も、昔の雰囲気が残っている。
※ 小谷(おたり)も、変わった読み方。
もともとは、麻垂り(おたり)だった。
この辺りでも、麻が作られた。 塩や魚を海から持ってきて、麻を持ち帰った。
麻は昔は、「お」と読んだ。
麻の外皮をはずすことは『麻かき(おかき)』。 その道具は『麻かき包丁(おかきぼうちょう)』。
他に、麻かき板(おかきいた)、麻かき場(おかきば)などもあった。
ついでに、長野県 麻績村 麻(お)という地名もある。
冷たい雨に、何度も打たれたはずなのに、まだ咲いていた。 千国の庄 資料館。
天皇の直轄地だったということで、ここは庄園(荘園)だった。
それで、千国の庄。
管理人の人が、詳しく説明してくれた。
復元した番屋。 その奥に、昔の民家がある。
昔の、塩の道の様子か。
番屋に、ひょいと飛びこんだら、この人達がいた。 人形だけどびっくり。
※ 私は、雛人形を含めて、人形は不気味に見えることが多い。
番屋は、道を挟んだ、斜め向かいにあった。
これは民家。 駐車場の場所にあったのを、移築したもの。
こういう建物は、地域の集まりや学習に使えばいいと、最近思う。 半分は資料館にして、半分は使用する。
秋は、最後燃えるように終わり、冬になる。
坂を下りたら、国道があった。 向こうは日本海。
新潟県の山の中に松本市がある。
そこから地図で、真っ直ぐ上に行くと糸魚川市。
右上に行くと、長野市を通って新潟市。 途中で北に行くと、上越市。
道は複雑だが、こんな風に整理すると、分かりやすい。
※ 調べているうちに、こんな文にぶつかった。(書物名は、「紅葉そなたは <鬼女>であれ<貴女>であれ」)
さて水無瀬の里は鬼女が退治されたので鬼無里となったとされているが、水無瀬という地名のほうこそ
後鳥羽天皇、新古今集、熊野詣での頃の京都盆地の南にあった景勝地からの借用語であるという。
むしろ縄文中期に日本に渡来しこの界隈で栽培されていた大麻に語源があるらしい。
すなわちキナサは大麻を意味する「木麻」、「生麻」、「木那佐」から来ているという。
ちなみに北隣の小谷村(おたりむら)は「麻垂り」に由来するという。
今日は、夢の跡に行ってきた。
【道の駅】 小谷(おたり)
【明日の予定】 親不知
昨日は、南に行くか北に行くか、ずいぶん迷った。
新潟県がよかったので、もう一度新潟、となった。
関川村から始まり秋山郷まで、2週間いた。
人がよかったし、ラーメンが美味しいという、おまけまでついた。
新潟にお別れして、冬への旅に向かうことにする。
もう一度、あたたかいラーメンを食べて。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、こちらです。
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新潟県に出るつもりだったが、塩の道があったので、寄ってみた。
「千国」「小谷」、どちらも読み方が難しい。
見上げた雲の隙間に、山が見えた。 白馬は、3000㍍に迫る山が、目の前だ。

長野オリンピックは、1998年の冬。
ここ、白馬ジャンプ競技場で、ジャンプは行われた。

ラージヒル(右)とノーマルヒル。

ここから、滑り降りてくる。 高さ、138㍍。

入場料は、オリンピック記念館と合わせて、500円。
夏でも練習は出来る。 水を流せば、滑られる材質。

あの日は、こうだった。

舟木。 ノーマルヒル(銀) ラージヒル(金) 原田 ラージヒル(銅)


100㌔近いスピードで、飛ぶというより、落ちてくる感じ。

リフトに乗って、上に行く。

階段を登る。

ラージヒル。
夏でも練習が出来る。 今日も、9時過ぎに飛んだ人がいたそう。
水を流して滑る。 右側を滑ると思う。

ここのジャンプ場は、現在では構造的に古くなっている。 ワールドカップが行われることはない。
白馬村の市街地。

こちらは、ノーマルヒル。

左に行ったら、日本海に出る。 糸魚川に。

バッケンレコードの標示。 ※一番遠くへ飛んだ標示。
オリンピックの団体競技で生まれた。 原田と岡部。

団体は金メダル。 写真は、原田が137㍍飛んだ時の着地。 原田は、ずっと泣いた。
(YouTube) (YouTube)


このシーンは、忘れられないものになった。
右の動画の中で、原田の声を引き出したのは、有働由美子アナウンサーでないかな。 大したもんだと思う。
昨日の、中島みゆきの歌で登場している、アナウンサー。
塩の道があったので、寄った。
糸魚川から塩尻まで、塩の道があることは、夏に、松本の穂高神社で知った。 ※ 関連ブログ 穂高神社他
ここは、牛方宿(やど)

昔の道が残っており、整備されていた。


栂池高原から下りてきた。
※ 栂池高原~とがいけこうげん 栂という木は、エゾマツに似ているそう。(この後、資料館で教えていただく。 地名についても)
小谷村(おたりむら)の、千国(ちくに)と云われるところ。
千国の集落を歩いた。

※ 千国(ちくに)の地名について。
平安中期に、藤原秀郷という武将がいた。 平将門の乱を平定したことで知られる。
この人の、3番目の息子が、藤原千国。
藤原氏の時代から、武士の時代に変わり、千国はここにやってきた。
なお、秀郷の6代後に、藤原清衡がいる。
この人が、奥州藤原氏4代の最初。(清衡・元衡・秀衝・泰衝)
義経を助けたのは、秀衝。
今も、昔の雰囲気が残っている。

※ 小谷(おたり)も、変わった読み方。
もともとは、麻垂り(おたり)だった。
この辺りでも、麻が作られた。 塩や魚を海から持ってきて、麻を持ち帰った。
麻は昔は、「お」と読んだ。
麻の外皮をはずすことは『麻かき(おかき)』。 その道具は『麻かき包丁(おかきぼうちょう)』。
他に、麻かき板(おかきいた)、麻かき場(おかきば)などもあった。
ついでに、長野県 麻績村 麻(お)という地名もある。
冷たい雨に、何度も打たれたはずなのに、まだ咲いていた。 千国の庄 資料館。


天皇の直轄地だったということで、ここは庄園(荘園)だった。
それで、千国の庄。
管理人の人が、詳しく説明してくれた。

復元した番屋。 その奥に、昔の民家がある。

昔の、塩の道の様子か。

番屋に、ひょいと飛びこんだら、この人達がいた。 人形だけどびっくり。
※ 私は、雛人形を含めて、人形は不気味に見えることが多い。
番屋は、道を挟んだ、斜め向かいにあった。

これは民家。 駐車場の場所にあったのを、移築したもの。

こういう建物は、地域の集まりや学習に使えばいいと、最近思う。 半分は資料館にして、半分は使用する。


秋は、最後燃えるように終わり、冬になる。

坂を下りたら、国道があった。 向こうは日本海。

新潟県の山の中に松本市がある。
そこから地図で、真っ直ぐ上に行くと糸魚川市。
右上に行くと、長野市を通って新潟市。 途中で北に行くと、上越市。
道は複雑だが、こんな風に整理すると、分かりやすい。
※ 調べているうちに、こんな文にぶつかった。(書物名は、「紅葉そなたは <鬼女>であれ<貴女>であれ」)
さて水無瀬の里は鬼女が退治されたので鬼無里となったとされているが、水無瀬という地名のほうこそ
後鳥羽天皇、新古今集、熊野詣での頃の京都盆地の南にあった景勝地からの借用語であるという。
むしろ縄文中期に日本に渡来しこの界隈で栽培されていた大麻に語源があるらしい。
すなわちキナサは大麻を意味する「木麻」、「生麻」、「木那佐」から来ているという。
ちなみに北隣の小谷村(おたりむら)は「麻垂り」に由来するという。
今日は、夢の跡に行ってきた。
【道の駅】 小谷(おたり)
【明日の予定】 親不知
昨日は、南に行くか北に行くか、ずいぶん迷った。
新潟県がよかったので、もう一度新潟、となった。
関川村から始まり秋山郷まで、2週間いた。
人がよかったし、ラーメンが美味しいという、おまけまでついた。
新潟にお別れして、冬への旅に向かうことにする。
もう一度、あたたかいラーメンを食べて。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、こちらです。
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